7 ヴィオレット
「お嬢様の美しさを引き立たせるドレスをお選びになるなんて…流石はお嬢様を愛してやまないヴィンセント様です」
今夜は1年遅れのデビュタントの日。兄に贈られた真っ白なプリンセスラインのドレスで着飾った私に、マリーは嬉しそうに顔を綻ばせた。
「とてもお美しいです。お嬢様」
「そうかしら?マリーの腕がいいのよ」
「ありがとうございます。…しかしお嬢様の美しさに他の殿方も黙っていられませんわ!」
「ふふっ、それは言い過ぎよ。でも、そうね。素敵な殿方に出会えるといいわね」
それは喜ばしいことです。と微笑んだマリーに手を支えられながら私は椅子から立ち上がった。
「僕のヴィー!」
身支度を終えてマリーと部屋を出て、広間で待つ兄のもとへ行くと、絹糸のような柔らかな質感で少し癖のある黄白色の髪を揺らし、橙色の瞳で愛おしそうにヴィオレットを見つめながら駆け寄ってきた。
兄の広げた腕に身を寄せると、私を愛おしそうに抱きしめ、頬ずりをした。
「僕のヴィー。今夜の僕の天使は、月夜に輝く女神のように美しいね」
「ふふ。ありがとう、お兄様」
兄の腕に抱かれたまま、少し後ろに控えているマリーに目を向けると、嬉しそうに微笑んでいた。
「ああ、ヴィーを他の男の視界に入れてしまうのが惜しいよ。……やはり今年も体調不良ということで…」
「何言っているのお兄様!大事な王家主催の舞踏会なのよ?」
兄の抱く腕の力が弱まったと思えば、私を抱き上げようとしてきて、私は慌てて引き止めた。
「………………冗談だよ」
長い間沈黙だった兄は柔らかな笑みを浮かべ、その言葉を発した。
色香を感じさせるいつもの微笑みのはずなのに、目が笑っていなかったのは気のせいではない。
冗談とは思えないわ……。
兄の気が変わらないうちに2人で馬車に乗り込む。マリーを含めた数名の使用人と両親の見送りの中、馬車はゆっくりと侯爵邸を出発した。
馬車が止まり、御者が王宮についたことを告げた。青年といっていい御者に「ご苦労さま」と一言労ると、何故か御者は顔を真っ赤にさせていた。それを見ていた兄が目を細めてこちらを見ている。
まぁ!何故かお兄様が拗ねているわ!!
このままでは、やはり帰ると言われるかもしれない。
「お、お兄様…行きましょう?」
甘えた動作で兄の腕に自身の腕を絡ませたヴィオレットは、自身と同じ橙色の瞳でじっと兄を見つめる。すると御者を見つめていた冷めた目は、穏やかな色に染まり柔らかな微笑み返してくれて、内心ホッとした。
陛下と王妃様の謁見をする為に兄と共に控え室へと通され、部屋の中に入ると白いドレスを着た少女たちで絢爛とした雰囲気であった。真っ白なドレスで着飾った少女たちは初々しくも、淑女としての気品を忘れず、所作は上品で美しい。
視線を感じて視線だけで辺りを見渡すと、少女たちは頬を染めて兄を見ているようだった。「まぁ、ルミニーク様よ」「ほんとうに素敵ね」「一曲踊れたら…」「隣にいらっしゃるのはどなた?」「あのお方がルミニーク侯爵令嬢なのかしら」「艶やかなお方ね」といった呟きが小さく聞こえてくる。視線に気づいた兄は周りの御令嬢に微笑むと、少女たちは耳まで赤く染まり、きゃあきゃあと舞い上がっている。
……流石はお兄様。
そんな兄を感心して見つめていると、顔を覗き込まれた。
「な、なに?」
兄の手が私の顔の近くに伸びてきて、反射的に身を縮こませる。優しく頬にかかった黄白色の髪を耳にかけられ、最後に髪に飾られていた花を刺し直された。どうやら髪が乱れていたらしい。
「…ありがとう、お兄様」とお礼を耳元で伝えると、艶やかな微笑みで返され、私も自然と口角が上がった。
突然今までの視線とは違う、鋭い視線を感じてハッとした。表情を変えずに、辺りを見渡す。
「ヴィー?どうかした?」
兄の不思議そうな声が聞こえる。視界に入るのは兄を見て頬を染める令嬢たちとエスコートの者たち。
先程の鋭い視線は感じない。与える者もいない。
今感じたものは一体何だったの…
どうしてかしら…胸騒ぎがする。
「いいえ、何でもないの」
心の靄が拭えないまま、私は兄に微笑んだ。そんな私を兄は奇妙な顔で見つめていた。
謁見の間に呼ばれる。陛下と王妃様に祝福の言葉を述べられ、社交界デビューを果たした。
そしてデビュタントの王宮舞踏会が幕を開けた。
デビュタントを迎えた令嬢とエスコートの者が会場へ入室する。
先に会場にいた者は皆、デビュタントを迎える令嬢に見定めする視線を向ける。そして、ルミニーク侯爵令息にエスコートされている令嬢に周囲の者は息を飲み込んだ。
首筋から手首まで繊細なビーディングとスパンコールで輝くコードレースで覆われ、可憐でありながらも上品さが引き出されたドレス。ドレスの裾には黄白色の刺繍が施されており、光によってキラキラと反射して輝いている。
そのドレスで着飾った令嬢は、月夜に輝く女神のように美しい。右目尻にある黒子が彼女の艶やかさを引き立たせている。
美しい令嬢をエスコートしているルミニーク侯爵令息は、彼女と揃いの髪色と瞳を持ち、端麗な顔立ちをしている。愛おしそうに目を細めて、彼女を見つめるその表情は、艶麗さが感じられる。
仲睦まじげに微笑み合う美しい兄妹に、周囲から感嘆の息が洩れた。
生まれて初めての舞踏会。
生まれて初めて、こんなに多くの人を見た。
そんな私は煌びやかな会場に身を固くしていた。
それに、沢山の視線を感じるわ……。
兄の腕に回した手に自然と力がこもる。平常心を保とうと深めに息を吐いていると、心配そうに顔を覗き込まれた。
「ヴィー緊張してる?」
「ほんの少し……。心配してくれてありがとう、お兄様」
「僕がヴィーの傍にいるから。それにルイも来ているはずだよ」
「まあ、そうだったわ!ルイ様もいらしてるのね」
「今は見えないけど、そのうち会うと思うよ」
兄とたわいない話で緊張がほぐれた頃に、王族の入場の合図が出た。
頭を垂れ王族の入場を待つ。
陛下、王妃様、そして王太子、第二王子が順に入場した。
顔を上げ、陛下の舞踏会の挨拶に耳を傾けようとした時に、第二王子の光に輝く金糸の髪が視界に入る。
視界に入った瞬間、私は夢の中で優しく包み込んでくれる彼が頭に浮かんだ。
陛下の挨拶が終わり、王太子殿下とその婚約者のファーストダンスが始まる。
ファーストダンスに目をくれず、私はどこかぼんやりと第二王子に時々夢に出てくる彼を重ねて見つめていた。
「ヴィー、僕たちも行こうか」
兄の声にハッとして見上げる。気づけば、ファーストダンスは終えており、今度は他のデビュタントがエスコートする男性と踊る順がきていた。
優しく微笑まれ、差し出された手を重ねる。ダンスフロアの中央へ歩みを進めた。
中央までくると、兄と向き合うように体勢を変える。
兄の腕が腰に回ると、ゆっくりと音楽が流れ、ダンスが始まった。
「ヴィーどうしたの?」
「え?」
「周りは気づいていないと思うけど、どこか変だよ。…体調が良くない?」
「…いいえ、違うの。緊張して少し疲れてしまっただけよ」
微笑みを向けると、心配そうに見つめていた兄は、少し表情が柔らかくなった。
「………そう。無理をしてはいけないよ?」
「ええ」
返事をすると、腰に回されていた手にぐっと力がこもり、端麗な兄の顔が近づいた。
「?」
「…それに、僕のヴィーと踊りたそうにしている男達が不躾に視線を此方に向けている。許せないな。体調が良くないなら無理して踊ってはいけないよ?いや、踊らなくていいからね」
睨み付けるように辺りを見渡す兄に笑いが込み上がる。兄との会話を楽しみながらステップを踏めば、心が晴れるような気がした。
「ふふっ、お兄様ったら。真面目な顔をするのだから何かと思ったわ。ふふふっ、私を見ている殿方なんていないと思うわ」
「はぁ…僕の天使はわかっていないなぁ。いや、鈍いのは僕のせいだけど…。こんな天使を誰が放っておくと言うの?放っておくわけない」
「お兄様くらいよ?でも、そうね。私を見てくれる方がいらっしゃるのであれば、とても嬉しいことだと思うわ」
「ヴィーはまだ、僕のヴィーでいてほしいんだけどな」
「まぁ!ふふっ」
無事にダンスが終わり、兄と微笑み合う。
するとコツコツと足音が聞こえ、誰かが私達の方へ近づく気配がした。
「ヴィンセント、久しぶりだな。君の隣にいる美しい令嬢は妹君か?」
その声に振り返ると。
金糸の髪、浅葱色の瞳のノア第二王子が立っていた。
「ノア殿下、お久しぶりです。ヴィオレットと会うのは初めてですね」
「初めまして、殿下。ヴィンセントの妹のヴィオレット・ルミニークと申しますわ」
優美に見えるようカーテシーを取る。
ノアは彼女の姿を眩しいものでも見るかのように目を細めて眺めた後、口を開いた。
「初めまして、ルミニーク嬢。宜しければ一曲どうですか」
「では、よろしくお願い致します」
そう応えると、兄は私にしか分からない拗ねた様な声で「失礼します」と言ってダンスフロアから離れていった。
差し出された手に自身の手を重ね、殿下と一緒に踊り始める。ダンスフロアから離れた兄の方へ視線を向ければ、複数の令嬢たちに囲まれているようだった。
お兄様が戻ってくるのは遅くなりそうね。
兄に向けてた視線を殿下に戻す。向かい合うことで距離が近くなったら殿下の顔を、先程と同じように彼と重ねて見つめていた。
私の3歳年上の殿下。
彼の兄の王太子殿下は10歳の頃に婚約したが、彼に婚約者はいなく、言葉通り絵本から出てきた王子様のような顔立ちで令嬢からの人気が高い。堅物として有名らしい。
ーーああ、『 』に似ているわ。
不意にそう思った。
「…そんなに見つめられると、勘違いをしてしまいそうになる」
その言葉に思考から抜け出し殿下を見ると、どこか熱っぽい視線を向けられていた。
「殿下?」
「お茶会に参加せず、外出の機会も少ないとは、一体どんな深窓の令嬢かと思えば……ヴィンセントが君を他の男から遠ざけるわけだ。君は並外れて美しすぎる」
「まぁ、美しいだなんてお上手ですのね」
そう微笑めば、腰を支えた手にぐっと力が入り、引き寄せられた。強引な動作に、ステップが乱れないようにダンスに集中していると、内緒話をするかのように私の耳元に顔を寄せられる。
「世辞ではない。現に、私は君に惹かれている」
吐息混じりに囁かれ、耳元に熱が集まったのがわかる。真っ赤になった私に殿下はニヤリと笑った。
手慣れてない!?
本当に堅物なの!?
冗談でも慣れない言葉にドキっとしたわ。
それに今まで、お父様やお兄様、ルイ様、使用人しか接したことがないのだ。男性に迫られると少し怖いことを学んだ。
私の反応に満足したらしい殿下は、その後は何も言わず私を眺めていた。
曲が終わり重ねていた手を離そうとすると、その手を握り直し引き止められた。
「もう一曲踊ってくれないか」
殿下の言葉に私は戸惑う。2回以上同じ男性と踊るのは婚約者であることを意味する。夫婦となり初めて、3回以上踊ることが許されるものだ。
ここで安易に手を取ってはいけないが、王族に恥をかかせるものではない。そして、ここで殿下の手を取ればマナーを知らぬ娘となるし、第二王子の婚約者候補となる。
「で、殿下ーー」
口を開こうとしたとき。
「ーーー失礼ながら、ノア殿下。ヴィオレット嬢の次のダンスは私が誘っていたのです」
その声に振り向くと同時に、後ろから優しく腰を引き寄せられた。
夜空を映した髪と瞳が視界に入り、私はホッと息を吐いた。
「ルイ様…」




