9 ヴィオレット/ルイ
前回の投稿から1ヶ月経ってしまい申し訳ありません。
「久しいわね、クリスティーナ。私が誰だか覚えていないのかしら?」
私を嘲るように顔を歪めた彼女は、憎悪で満ちた鋭い瞳で目の前にいる私を睨みつけている。
分からない。
貴女は一体誰なの。
何故見知らぬ令嬢に私は恐怖を抱いているの。
何故私をクリスティーナという名で呼ぶの。
何故憎悪に満ちた瞳で私を見つめるの。
恐怖と戸惑いで思考が働かない。
「あの……どなたかと勘違いしていらっしゃるのでは……?私、クリスティーナという名ではありませんの」
恐怖に怯えつつも、決して彼女の瞳から目を逸らさない。
振り絞って出した声は少し震えていた。
「はぁ!?私を馬鹿にしているの!!?そうよね!あんたは!いつもそう!!幾ら魅了してもなお私に心を寄せなかった殿下はあんたを想い続けたんだから!どうせあの時も私を哀れな女だと嘲笑ってたのでしょう!?無様な女だと見下していたのでしょう!?」
「一体…何を…」
わたしの言葉に怒りを募らせた彼女は、目を見開いて怒鳴り上げる。
「私はただ殿下に愛されたかっただけ。それだけなのよ!目障りなあんたを殺してやっと幸せになるはずだったのに、殿下は私の元へ戻ってくることはなかったわ!!二度と戻ってこなかったのよ!!あんたのせいで!」
彼女は一体何を言っているの?
私と彼女の話は噛み合うことはない。彼女が何を言いたいのか理解できなく、只々混乱する。
「今度こそ彼と幸せになりたいと思っていたわ。…それなのに、今も昔も殿下はあんただけを見ているの!!……酷く心が冷えたわ。殿下は私を見てくださらないことに……私が殿下に愛されることはないことに!!あんたがいる限り!…………何がアルメリア王国一の美女よ。何が幻蝶姫よ……あんたさえいなければ…」
「あの……」
怒鳴り上げていた彼女が突然俯き、ぶつぶつと何かを喋っている。彼女の様子がおかしいことに、私は恐怖を煽られる。とりあえず、この場を離れた方が良さそうだ。
「……」
「では、私失礼いたし…」
「っ!!行かせないわよ…!!」
「きゃああ!!」
彼女の前を通り過ぎようとすると、顔を上げた彼女が手を伸ばし、私の髪の毛を引っ張る。
ぶちぶちと毛髪を引き千切る音と痛みが襲う。
整えていた髪は乱れ、兄に挿してもらった花が地面に散っていった。
「あんたなんか、あんたなんか!!」
「痛…っ!お、おやめください……!」
強い力で引っ張られている髪を手で押さえる。
痛みと理不尽さに涙が滲んだ。
私の顔を見た彼女の瞳に、苛立ちが滲む。
「あんたなんか消えてしまえばいい!!」
怒りに興奮した彼女が手を振り上げる。
打たれる!!
反射的に目を瞑ったその瞬間、両肩を押され足元のバランスを崩し、浮遊感が私を襲った。
身体を投げ出された!!
乱れた髪が強風で靡き、風の切り裂く音が耳元で聞こえる。
バルコニーは地上からおよそ十数m。この高さで落ちれば無傷ではいられないだろう。
下手すれば死。
なぜなの。どうして。
どうして私がこんな目に遭うの!?
死にたくない。
怖い、怖い、怖い!!
「きゃあああ!!!!」
何かに縋るように手を伸ばす。バルコニーに目をやると、何色にも染まらない闇が嘲笑うかのように私を見下ろしていた。
お父様!お母様!お兄様!!ルイ様!!
誰か!!
「ヴィオレット!!!!」
焦りに滲んだ声が上から聞こえる。ハッとしてバルコニーを見やると、詠唱を紡ぐルイ様がバルコニーから身を乗り出していた。
「ヴィオレット!!!!」
ルイ様が私に向かって手を伸ばす。
「ルイ様!」
彼の魔法により、花びらを纏った強風に背中を押される。
開いていた距離が縮まり、私は彼に向かって手を伸ばした。只々風を切っていた手は、ようやく私の手を掴んだ。
「ルイさ…ま…」
掴まれた手を力強く引き上げられ彼に近づく。もう片方の腕で腰を抱き寄せられた。力強いのに決して痛くなく、私に触れている彼の手は優しい。投げ出されているのに、彼の腕の中に収まったことに安堵して、私はそのまま意識を手放した。
なんて美しいんだろう。
見上げれば青空が広がっていて、花々は太陽からの恩恵を受け、咲きこぼれている。
私はガゼボで、その美しい光景を眺めるのが好きだった。
「ティナ、君は本当にここの庭園が好きだよね」
低く、甘い声で名を呼ばれ、ゆっくりと視線を動かす。
そう、私の名はティナ。クリスティーナ・アルバート。
ゆっくり動かした視線の先に、日の光に輝かく金色の髪が揺れる。青く澄んだ瞳が愛おしげに私を見つめていた。
ーーああ、私の愛しい人。
「私は、君といるからそこ、世界は美しいと感じるようになった…。君と過ごす時間が好きだよ。…だが、今は私といるのだから、私にも構っておくれ」
「まぁ…ふふ」
「ティナ、おいで」
彼が両手を広げた。
彼に触れてほしい。彼に触れたい。
彼の胸に飛び込むと、抱きしめられ、額に口づけられた。恥ずかしい気持ちと嬉しい気持ちで、胸が締めつけられ、彼の胸に顔を埋めた。
「ティナは本当に可愛い。可愛すぎて困るくらいだ。君は…私を困らせる趣味でもあるのかな…?」
彼の耳が赤く染まっている。
その様子が可愛らしくて、いつものように彼の金色の髪に手を伸ばし、戯れに髪を触った。
私は彼の髪に触れるのが好きだ。
柔らかな髪も、くすぐったそうに細める瞳も。
「貴方を困らせる趣味はございませんわ。それに、貴方が私を困らせていらっしゃるのではなくて?私、いつも困っているのです。貴方が私の心を掴んで離してくださらないから……私は何時でも貴方のことを想ってしまうのです」
「ああ…もう。…君は本当に私を喜ばせるのが上手だね。可愛い私のティナ。私が触れたいと思うのも、触れられたいと思うのも君だけだよ」
彼を見上げると、幸せそうに微笑んでいる。
「愛しているよ、ティナ」
彼の柔らかな唇が、額に触れる。
恥ずかしさのあまりに頬に熱がこもった。
先程とは違って、どこか揶揄うように彼が私の顔を覗き込む。
私ばかり彼に振り回されるのは悔しい。
だから踵を上げて、彼に近づく。
彼の頬に優しく口づけを落として、耳元で囁いた。
私も愛しています。ーーー様。
なんて幸せなんだろう。
この幸せが永遠でありますように。
私はそう願っていたの。
けれど神は酷く残酷で、私達2人を振り向くことはなく。
その願いは、その幸せが続くことはなかった。
「きゃあああああああ!!!」
鋭い衝撃が胸に走る。視線を下ろし胸元を見ると、ナイフが突き刺さっていた。私のそばに立っている男が力を入れ、胸に刺さったナイフを引き抜く。引き抜くと同時に胸から血が滲み出し、男の頬や手を濡らした。
「あははははは!お前の存在を消すことを彼女が望んだんだよ。私と彼女が幸せになるために死んでくれ」
狂気に滲んだ声。私が愛した彼の声。
「な…んで………」
痛みと大量の出血で意識が薄れそうになる中、彼の声が聞こえる。言葉とは裏腹に泣きそうな顔をしている彼が瞳を映す。
彼は私ではなく、ユーセラ伯爵令嬢を愛しているのだと思っていた。
でも、それは間違いであって。
彼はユーセラ伯爵令嬢に操られているのであって。
彼の痛みに、苦しみに気づけなかった私。
見ぬふりをしていた私。
傷つくことが怖くて、彼を見れていなかったのは私。
愛を伝え、将来を語り合ったのに彼を信じれなかった私。
ごめんなさい、ごめんなさい。
貴方を諦めてしまってごめんなさい。
最期まで貴方を信じられなくてごめんなさい。
ーーああ、私の愛しい人。そんな泣きそうな顔をしないで。
私は血に染まった彼の頬に手を伸ばし、唇を震わせる。
「…ラン…ス…様、あ…愛し…て…る」
そう、私が愛したあなたはランス様ーー。
「…!」
遠くから私を呼ぶ声が聞こえる。
「…!……レット!ヴィオレット!ヴィオレット!!」
肩を揺さぶられている。温かいものが私の頬を流れたのを感じた。
「ん…」
瞼を震わせ、ゆっくりと目を開けると目の前には、涙を流している彼がいた。
私を呼んでいたのはあなただったのね。
私はいつものように彼の髪に手を伸ばし、戯れに髪を触る。
ーーああ、泣かないで。私の愛しい……
「ランス様……」
口元を緩ませ、彼の柔らかな髪に触れる。
私に覆いかぶさっている彼の頬に指を滑らせると、夜空を映した瞳が驚きの色に染まった。
流れた涙を指で拭い、安心させるかのように微笑みを向けた。
その瞬間、美しい彼の顔が歪む。
「……ティナ」
絞り出すように、切なげに囁かれる。
その声に、私の瞳から涙が溢れた。
◇◇◇
「ランス様!いけません!危ないですわ!あの女は助かることはありませんわ。死ぬべきなのです!!これで、私はあなたと幸せになれるのよ!!」
バルコニーから身を乗り出すと、ヴィオレットを突き落とした女が私の腕に縋り、意味のわからないことを喚く。
「離せ!!」
この女に構っている暇などない。
ヴィオレットが危ないのだ。
彼女を失うわけにはいかない。
今度こそ、私は彼女を守ってみせる。
「嫌です!!この手を離したらランス様は行ってしまうのでしょう!?」
私の腕に自身の胸を押し当て、上目遣いで見つめてくる女に苛立ちが募る。
舌打ちをして、腕を乱暴に振り解いた。
「きゃ…!」
振り解かれると思っていなかったのだろう。
女は尻餅をついて、呆然としている。
俯いて動こうとしなくなったが、万が一逃げられても困る。
瞬時に女に眠り魔法をかける。倒れるように眠り込んだ女を横目で確認してから、私はバルコニーから飛び降りた。
無事に彼女の手を掴んだ私は、空中で彼女を抱き寄せる。
ヴィオレットを腕の中に入れ、彼女が傷を負わないように、身体を回転させた。
地面に身を打ちつけそうになるタイミングで、詠唱を紡ぎ地面と背の間に風を送り込み、地面に身体を打ち付ける衝撃を緩和した。
地面にゆっくりと背を預け、乱れた呼吸を整える。
「はぁ…はぁ…ヴィ…オ…レット?」
己の腕の中にいるヴィオレットがぴくりとも動かない。
「ヴィオレット!?」
まさか、どこか怪我を!?
慌てて体勢を入れ替え、くたりとした彼女を上から覗き込む。
「ヴィオレット、ヴィオレット!」
肩を揺さぶるが、ヴィオレットの反応がない。
ぴくりとも動かないヴィオレットがティナと重なる。
突き刺した胸から溢れ出てくる血。
血に染まり、冷たくなったティナを。
涙が滲み、視界が歪む。
二度と失いたくない。
愛している。愛しているんだよ、君を、貴女を。
貴女が生きていることを私に教えてほしい。
お願いだから、目を開けて。
「ヴィオレット!!」
「ん…」
瞼を震わせたヴィオレットがゆっくりと目を開ける。
柔らかな、そしてどこか儚げに微笑んだ彼女はいつかのように戯れに私の髪に触れた。
「ランス様……」
今、なんて………。どうして…。
彼女に思い出してほしかった名を。
そして、思い出してほしくなかった名を。
彼女から紡がれ、私は言葉を失った。
口元を緩ませた彼女が私の髪に触れる。
彼女の指が私の頬を滑り、流れた涙を指で拭われる。
私を愛おしそうに見つめる彼女の瞳を見て、私は泣き出したくなった。
「……ティナ」
決して呼ぶことさえも赦されなかった彼女の名を呼ぶ。
その瞬間、彼女の瞳から涙が溢れた。
震えた手で、恐る恐る彼女を抱き寄せる。
触れた手が拒否されないことに安堵し、緩く抱きしめると、背中に彼女の腕が回され強く抱きしめられた。
もう言葉はいらないから。
どちらともなく、私たちは顔を寄せ、唇を重ねた。
あと1〜2話で完結する予定です。
ご拝読ありがとうございました!




