ニア
暑い。
溶ける。
一通り自己紹介をして彼女にも名前を聞く。単純に自己紹介なんて頼んでも、辛い記憶を思い起こさせるだけだ。
「ニア」
短くニアが答えてくれた。
「よろしくね。ニア」
俺に掴まったままニアはこくんと頷く。可愛い。
相変わらず痩せ細ってはいるものの、顔だちはととのっている。縦の黒い瞳孔は少々不気味ではあるが、白眼の部分は黄金色で神秘的な雰囲気があった。身体の一部をおおう鱗はかさぶたみたいになってしまっているけれど、ちゃんと栄養をとれば綺麗になるのではないだろうか。
正当な美少女とは言いがたいものの、妖しい艷やかな少女になりそうではある。
まあ、そのへんは未來に期待するとして、これからどうするかである。
アイリスはニアも冒険者登録することを強くすすめてきた。ニアの場合は解放されただけでは確固とした身分がないらしく、どのみち冒険者になるしかないらしい。
この世界では国籍がなければ街で仕事はできない。はっきり言ってしまえば、国籍を持たない人間を援助できるほど余裕がないのだ。
それに、普通は国籍がない人間は存在しない。例外が奴隷というだけだ。それも生まれながらの奴隷に限られる。
「ニアはどうしたい?」
他に選択肢はないとはいえ、本人の意思は重要だ。勝手に決めるわけにもいかない。
ニアは視線を落として考える素振りをしてから冒険者になると答えた。なんなら俺がニアの面倒をみてもいいが、じゃあ何時まで面倒をみるのかが問題になる。いずれは一人で生きていかねばならないのだから、最低限稼げる手段は必要だ。
反対する理由がないというより、反対してはいけない。
ニアの冒険者登録は昼過ぎくらいにするとして今後の方針を決めておこう。
俺の立場を話すのはなしだ。女王から口止めされているしね。まさかとは思うけど、秘密を知った者には死を、なんて展開もなきにしもあらず。
問題は悪魔崇拝者だ。
偶然襲われたとは思えない。これからも襲撃される可能性もあるのだから、話しておかないのはあまりにも不義理である。
理由は伏せて襲われる可能性があると二人に伝える。
「報告にあった件だね。あれ、王都にも連絡いれたけど、なんか反応鈍いんだよね」
アイリスは襲われる可能性については気にならないらしい。冒険者ギルドの職員だし、そのへんは色々あるのだろう。
ニアもさほど気にした様子もない。
「襲われたら戦えばいい」
見た目と違って好戦的な意見だ。
「流石、獣人はちっさ可愛くても勇ましいね」
アイリスは手を伸ばしてニアの頭を撫でる。ニアは警戒しつつも大人しく撫でられた。
二人ともついて来てくれるのは嬉しい。同時に罪悪感も抱く。本来なら二人をおいていくべきなのだ。いつ悪魔の戦いに巻き込まれるかわからないし、いざとなったら斉藤達の援護もするつもりだ。
俺の事情に巻き込んでもいいのか迷いはあった。だが、二人を突き放す強さも弱さも俺にはない。
いざとなればなんとしてでも二人を守ろうと決心するぐらいが精々だ。
なんとも言えない感情に流されている間にアイリスはニアの頬をぷにぷにし始めた。涙目でニアが助けを求めてきたので丁重にアイリスからニアを引き離す。
「王都から俺に連絡とかありませんでした?」
悪魔崇拝者に襲われた件はまだ向こうに報告していない。それでも俺が襲われた情報が向こうにいっているならなんらかのリアクションはありそうなものだ。
「今のところはなにも。報告書を提出するように言われたぐらい」
あの女王の耳に入ってそれだけというのは違和感がある。斎藤達だって心配して駆け付けてきそうなものだ。となると、何処かで情報が止まっていると考えるのが無難か。
やりそうなのは大統領。あとは悪魔崇拝者との内通者がいる可能性もある。
一度王都に戻って斎藤達の様子を確認すべきだろう。きな臭い事態になっていそうなことも警告する必要があるしね。
「一度、王都に戻ってもいいですか?」
「いいと思うよ。ニアちゃんの装備もととのえられるし」
そこまでは考えていなかったけれどアイリスの言うとおり、王都の方が品揃えがいいだろう。
「お姉ちゃんについていく」
ニアもいなはないようだ。ニアの場合、他にいく所もないという問題もある。
根なし草というのは想像以上にきつい。
中学のころに、夏休みを利用して一人旅をしたことがあるが、あれも相当きつかった。
ホテルをとりそこねて野宿までした。実際、寝れる場所を探すと意外にないもので森のなかで一夜をあかしたのはつらい記憶である。
いつかニアの帰れる場所をつくってあげたいものだ。
一通りの方針としてはこんなものか。
ちょうどいい時間だし、お昼御飯を食べてからギルドにいくとしよう。
宿の一階の食道で軽く食事をすませてギルドにもどる。
昼時を少しすぎたくらいだからだろう、ギルドは閑散としていた。だから彼女はすごく目だっていた。
受付の隣の酒場にはいくつかテーブルが用意されていて、冒険者が休憩したり話し合いができるようになっているのだが、そこに彼女がいたのだ。
ダンジョンですれ違った少女、ルフィナだ。
勝ち気な雰囲気はなりをひそめ、力なく椅子に座っている。持っていた盾と剣はなく、着ている皮鎧はぼろぼろである。
あの二人はいないのかと見回してみたが一人っきりみたいだ。
俺の視線に気付いたのか、ルフィナは項垂れていた顔をゆっくりと上げる。
目があった瞬間、ルフィナは目を見開いたあと悲しげな表情をして視線をそらした。
そしてぎゅっと目を閉じたかと思うとこんどは大きく開いてこちらに歩みよってきた。
「無事でよかった。あのときはありがとう」
唇をひきつらせながら礼をいうルフィナ。意図はわからないものの腹芸が苦手なのはよくわかった。
「そちらも無事でよかったです」
無難に返事をかえすとルフィナは怯むようによろめく。
「あの、その、良かったらパーティくまない? 人数は多いにこしたことはないし」
あから様にわけありである。分かりやす過ぎて可愛そうになってくるほどだ。
「一緒にいた人達は?」
「それは、その」
しどろもどろに狼狽えるルフィナ。暑くもないのにおでこに汗までかいていた。
「虚偽の情報でおこなわれた契約は罰則もともないますよ」
あくまで事務的にアイリスがいう。美人の事務的態度ってなんともいえない迫力があるな。
気圧されたように、ルフィナは一歩退く。思いっきり目が泳いでいた。
「よかったら、話してみてくれませんか?」
事情によっては手助けしなくもない。あくまでも手が届く範囲でならだけど。
ルフィナはごくりと唾を飲み込んで、押し黙る。
「全部は話せない」
長い沈黙のあとにでた言葉がこれだった。
「いいよ。それで。話せることだけ聞かせて」
別に根掘り葉掘り聞くつもりもない。
ルフィナはなにやら思い悩んでいるらしい。手をぎゅっと握りしめて少し震えていた。
「それじゃ駄目なんだ。都合のいいように利用しあうだけの関係じゃ駄目」
ルフィナは自分自身に言い聞かせるように呟くと、真っ直ぐに俺と視線を合わせた。
何故か頬を若干赤らめている。
女の勘だろうか、物凄くいやな予感がするぞ。
「だから、お願い。私と結婚して!」
恥ずかしさと緊張からか、叫び声じみた声量になった台詞がギルドに響きわたった。