解放
ふと目がさめた。窓の外はすっかり暗くなっている。どうやら何時間も眠っていたらしい。少し休むくらいに思っていたけれど、今さら宿にいくともいえないな。
お尻の方は漏れている感じはない。が、もよおすものがある。布を巻き直す自信はないけど朝までもちそうにない。
意を決して部屋からでた。明かりはないが月明かりで外は明るい。手洗いの位置は知らないけど、マークは知っている。しばらく歩くとマークを見つけ無事、ことをおえた。
この世界、普通に水洗トイレなのはありがたい。巻き直した布が不快だけど仕方ないか。
なんにせよすっきりしたので寝直しに戻ろうとしたらお腹が痛くなってきた。
あ、やばい。痛み止めが切れたかも。
急いで戻ろうにも吐き気と頭痛で動けない。痛み止めってこんな急に切れるの?
その場でうずくまって痛みの波が過ぎ去るのを待つ。
なかなか痛みがひかない。動けないな。どうしよ。
「君、どうしたんだ?」
廊下の向こうからランタンを持った男性のギルド職員が歩いてきた。
「痛くて、動けなくて」
「ちょっと待ってなさい」
男性職員は女性職員をつれて戻ってきた。
「もう、何してるの。アイリスに怒られるわよ」
女性職員はあきれ気味に俺を抱えあげる。
「うっわ、かるい。あなたうちの子よりめっちゃ軽いじゃない。ごはんちゃんと食べてるの」
二十代はんばくらいに見える女性職員の子供って何歳くらいだ? 俺ってそこまで軽いのか?
色々思うところがありつつも、痛みで抵抗する気力もなく、そのままベッドまで運ばれていく。
翌朝、出勤してきたアイリスにこっぴどく叱られ、一週間ほどギルドで安静にしておくように言い渡された。
ギルドに迷惑をかけるから遠慮しますとささやかな抵抗をしてみたら何故か女性職員数人からアオイちゃんはおとなしく寝てなさいと凄まれた。
どうも俺の容姿から妹のように思ってくれているらしいのだが内心複雑である。
結局、俺は一週間、アイリスや女性職員に世話をやかれながら過ごした。
嫌ではないのだが歳上のお姉様がたの甘やかしっぷりは凄まじく、精神をごりごり削られ、解放される時には大きな荷物をおろしたような解放感があった。
「ほんとにもう大丈夫? お腹痛くない」
「大丈夫ですよ」
相変わらず過保護なアイリスに苦笑いしつつ、仮眠室を出て受付のほうへ向かう。
ちょっとばかり待たせてしまった彼女を、いいかげん向かえにいかないとね。手続きは大体終わっていて後は書類を提出するだけ。ギルド口座はすっからかんになったけど後悔はなかった。
受付で書類を提出してしばらく待つと、ギルド職員に連れられて彼女がやってきた。
うつむき気味であるが、最初にみかけた時よりはましな姿ではある。俺が買い取ると決まってからは食事代やお風呂代もだしていたから身なりはそれなりに整えられていた。
しかし、相変わらず希望の欠片もない目をしている。彼女のこの目をみていると、どうしようもない気持ちがわき上がってくる。
「ごめん、待たせた」
声をかけると彼女は顔をあげて虚ろな瞳に俺の姿をうつす。しばしじっと俺をみてまたうつむいた。
まあ、こんなもんでしょ。いきなり笑顔になって感謝されるとかありえない。いくら俺が超ウルトラスーパー超絶美少女でも、いきなり心を開いてくれたりはしないだろう。
「受けとりのサインだけお願いします」
促されるままサインしてこれで正式に彼女は俺の奴隷だ。
「ではこちらも」
ギルド職員がもう一枚書類を差し出したのでこちらにもサインする。
「はい、確認しました。これでもう彼女は奴隷ではありません」
彼女はがばっと顔をあげ、虚ろな瞳に驚愕の色を浮かべる。
「家族になってほしいのに、奴隷じゃ変だしね」
もともと、彼女を奴隷として所有するつもりなんてない。仲良くなりたいとは思うがそれは彼女しだいだ。
「今後のことは宿で話そう」
ついてきてくれるのか一抹の不安を抱いたが、杞憂だった。彼女は素直に俺についてきて、何故かアイリスさんまでついてきた。
「なんでアイリスさんまで」
「専属受付嬢ですから」
ベッドに座ってにっこり微笑むアイリス。
部屋は二人部屋だ。一部屋ずつにしようとしたら宿の親父さんに女の子が一人で泊まるのはよろしくないと忠告され、彼女にも確認したうえで同じ部屋に泊まることになった。
そして何故かアイリスさんも同じ部屋で泊まるらしい。専属受付嬢ってそんななのか? 早めに調べておく必要があるな。
「ねえ、こっちきて座りなよ」
部屋の入り口に立ち尽くした彼女に声をかける。すると彼女は、はいっと返事をして何故か床に座った。
「ほら、こっちにいらっしゃい」
アイリスさんが呼ぶ。彼女は俺とアイリスを交互に見たので頷くと彼女はアイリスの側に移動した。
「捕まえた」
アイリスは彼女の腕をつかんで引き寄せると膝に乗せて両腕でがっちり固定した。彼女は目を白黒させて驚いている。
「もう奴隷じゃないのよ。私やアオイちゃんのことはお姉ちゃんだと思いなさい」
にやにやと上機嫌に笑うアイリス。前から思ってたけど、アイリスさんって年下の女の子が好きっぽい。可愛い妹がほしかったとか、そんな感じだろうか。
「私は、奴隷、だから」
やっと彼女の口からでた言葉がこれだった。
「違うってば。もう自由なんだよ」
アイリスが言い聞かせるも、彼女は首を横にふる。
「私は、最初から、奴隷だった。だから、ずっと、奴隷」
産まれながらの奴隷だから、それ以外の何者かにはなれない。強固な思い込みを彼女は持っているらしい。
アイリスは言葉をつくして言い聞かせているが、彼女はかたくなに自分は奴隷だと譲らない。
「家族になろうっていったよね」
声はちょっと低かったかもしれない。彼女はびくっと身体を震わせた。
ぐっと顔を近づけて瞳を覗きこむ。
「お姉ちゃんと呼びなさい」
「違う、ご主人様」
俺はご主人様と呼ばれたくて彼女を買って解放したわけではない。もし、ご主人様と呼ばれるのを許容すれば、いずれ俺と彼女、どちらかが耐えられなくなり関係は壊れるだろう。
だから譲れない。
「お、ね、え、ちゃんです」
「ちが……」
「お姉ちゃん!」
「ち……」
「お姉ちゃん!」
彼女はじわりと瞳に涙をためる。
「私は、奴隷で、お姉ちゃんなんて、いなくて」
「俺が君のお姉ちゃんになる」
「私もお姉ちゃんになるよー」
アイリスも便乗してきた。いっきにお姉ちゃんが二人である。超絶美少女と歳上包容力系美女がお姉ちゃんになるのだから不満なんてなかろう。
「私は、私は」
「君は俺とアイリスさんの妹、だからほら、お姉ちゃんっていってみて」
俺はにっこりと微笑んだ。自分でいうのもなんだが強烈な微笑みだ。たいていの男はこれで落ちるだろう。落とさないけど。
女性にも効果はあったらしい。彼女は頬を紅色に染めた。
「ほら、お姉ちゃん。言ってみて」
彼女はもじもじと身体をくねらせ、若干視線をそらし、小さく呟く。
「お姉ちゃん」
「よしよし。妹よ、よくできました」
ぐりぐりと頭をなでてやる。
「わたしはー」
アイリスさんが唇を尖らせて主張した。
「お姉ちゃん」
「んー、いい響き。でもややこしいからアイリスお姉ちゃんって呼んでね」
「アイリスお姉ちゃん」
「うっひゃあ、かあいいなあもう」
アイリスは彼女に頬擦りした。実際、恥じらいつつお姉ちゃんと呼ばれるとくすぐったいものがある。
ん? 俺、男なのにお姉ちゃんと呼ばれてうれしいのはおかしくないか? 身体だけでなく精神的に女になってきてるかも。
戦慄を覚えるも、目の前で戯れる二人をみているとそれもいいかな、なんて思えてくる。
いやいや、俺は男だ。気を強くもて、流されるな。
「お姉ちゃん、助けて」
アイリスの過剰なスキンシップに耐えきれなくなったらしく、彼女が助けを求めてくる。
うん、お姉ちゃんって呼ばれるのいいな。男だ女だなんてこだわりは捨ててもいいかも。
駄目だ、こだわれ俺。
「お姉ちゃん」
再度呼ばれた。彼女は唇をひきつらせて絶望的な表情をしている。てか、アイリスさん、それはさすがにセクハラでは?
複雑に絡みあった二人を引き離す。彼女はほっとした顔でぎゅっと俺に抱きついてきた。
うん、もうお姉ちゃんでいいや。
俺は考えるのをやめた。