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きみのこえ  作者: はんどろん
03.穏やかな日々
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06.

 穏やかな日々がずっと続いていた。

 嘘や秘密で守られた穏やかさだとしても、誰もがそれを疑わなかった。

 秘密や嘘なんて、なにかの拍子で簡単に露見してしまうものなのに。

 誰かの為の秘密や優しい嘘は、それが暴かれた途端に優しさを失って、刃物のように人を傷つけてしまう。

 おばあちゃんは哀しそうに微笑むと、手に持っていた木の箱を優しく撫でた。


 異変はその日の朝起こった。

 昨日の残りのスープを温めていたスピカは、畑仕事に出ていると思っていたおばあちゃんがまだ寝室にいることに気付いて、様子を見に行った。

 おばあちゃんがスピカよりも遅いなんて、今までに一度もなかったことだ。いつもは目覚めたばかりのスピカが台所に来ると、温かい朝食の香りがしていた。けれど今日はひんやりとした台所で、今はスピカと小鳥が一匹いるだけだ。もう直ぐしたら、オスカが狩りで捕った獲物の干し肉を届けにやってきてくれる。

 もう、そんな時間だった。

「おばあちゃん?」

 扉を叩いてゆっくりと開くと、おばあちゃんの形に布団が膨らんでいた。

 やはりまだ寝ているらしい。

 台所から呼んでも返事がなかったから、最初はもしかしたら畑に出ているのかと思ったのだけれど。水を汲みに外に出た時に、畑仕事の道具が入った桶がいつもの場所にあったのだ。

 おばあちゃんが寝坊なんて珍しいこともあるものだと、呼んでもぴくりとも動かないおばあちゃんに近づいてそっと揺さぶると、おばあちゃんはやっと少し「うぅ」と小さくうめく程度だった。

 様子が、おかしい。

 顔を覗き込んでみると、眉ねに皺を寄せて苦しそうに息をしていた。

 スピカは驚いて一瞬固まってしまったが、直ぐに意識を取り戻すとおばあちゃんの名前を何度も呼んだ。

 おばあちゃんは、返事の代わりにうめくばかりだ。

「――スピカ? どうしたんだ?」

 混乱していて、全く足音にも気付かなかったらしい。

 開け放たれたままのおばあちゃんの寝室の扉の前で、少し驚いた顔のオスカが立っていた。手には紐に吊るされたいくつもの、赤黒く乾いた肉の塊があった。

「……おばあちゃんが……朝になっても起きなくて、苦しそうにしてて……」

 スピカはそう言うとおばあちゃんの寝間着の袖をぎゅっと握った。

 オスカは驚いた顔を険しい顔に変化させると、早歩きでスピカの隣に来て、おばあちゃんの様子をじっと見た。

「……親父と、トゥセラさん呼んでくるから待ってろ」

 オスカは感情を押し殺したような、冷静な声でそう告げると、手に持っていた干し肉を食卓の上に放り投げて駆け出した。

 オスカとそのお父さんのカムシカさんと、医者のトゥセラさんが来た時には、おばあちゃんは目を覚ましていた。そして心配する四人に「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と言い張ってトゥセラさんに様子を診させようとはしなかった。けれど結局、四人に押しきられて診療を受けることになった。

 その結果、都に住むスピカの両親、おばあちゃんの娘夫婦がこの村に戻ってくることになった。スピカ一人では、もし何かあった時に対応しきれないと判断されたのだろう。スピカとおばあちゃんの住む家は、村の外れにあるから近くに他の民家がないのだ。

 最初カムシカさんはおばあちゃんとスピカと二人とも家に来ればいい、と誘ってくれたのだが、おばあちゃんがやんわりと断った。

 代わりに都にいる娘夫婦を呼び寄せてほしい、と言ったのだ。

 大人三人がおばあちゃんの寝室で話しをする間、スピカとオスカは台所のテーブルで遅めの朝食を食べていた。

 ちなみにオスカの方は、今日二度目の朝食だ。

 生ぬるくなったスープは、驚きの最中にいるスピカの喉を通らずにお皿の中で益々冷えていった。

 おばあちゃんは今までずっと元気だったから、こんなこと、想像もしてなかった。

 いきなり目の前に表れた現実に、不安が大きくなる。

「おばあちゃん、なんの病気なのかな? ……治るかな?」

「……わかんねえ」

 オスカは少し険しい顔のままそう答えた。

 普段楽観的に構えているように見えるオスカには、似合わない答えだ。

 その様子に、益々スピカの不安は大きくなる。

「あのな、スピカ……イサとティピアが此処に帰ってる間は、俺の家に来ないか?」

 イサと、ティピア。

 スピカの両親だ。

 やはりスピカは、スピカの両親と一緒にいない方がいいらしい。けれど、病気かもしれないおばあちゃんと離れるのは嫌だった。おばあちゃんはおばあちゃんで、スピカの母親代わりでもあるのだ。今ではスピカの唯一の家族でもあった。

 答えは選べないことを知りながら、それでもスピカが黙り込んでいると、オスカは付け足した。

「ピノばあが、望んだことだろ」

 その言葉はスピカに鈍い痛みを与える。

 けれど、オスカの言う通りだ。それに、今までスピカがいる為におばあちゃんは、何年も娘夫婦と会うことはできなかったのだ。

「……オスカの、家に行ってもいい?」

「ん」

 オスカは大きく頷くと、まだ寝癖の残るスピカの頭をテーブル越しに身を乗り出して、乱暴に撫でた。

「けど、おばあちゃんに会いに来る位はいいよね?」

 どこが元々寝癖だったのか判らない位、くしゃくしゃになってしまった髪を元に戻そうと、撫でながらスピカがそう言うと、オスカは益々スピカの髪をくしゃくしゃにかき混ぜた。


 懐かしいベルの音が響く。

 あの頃は、恐いことや不安なんてそんなになかった。たまに転げては少し泣いて、また立ち上がって、みんなと一緒に遊ぶ。車輪の音がして、みんな一緒に笑いあう。

 誰も、『もしも』なんて考えない。想像なんてしない。

 首には、お父さんとお母さんのいる、大事な家の鍵。

 その大切な鍵は、どこにいってしまったのだろうか。


 スピカは懐かしい夢のあと、見慣れない天井をじっと眺めていた。

 おばあちゃんの様子がおかしくなった朝から、おばあちゃんは元気そうに戻ったように見えたけれど、トゥセラさんに安静にするように言われてる。娘夫婦に見張られるようにして、ベットから余り抜け出せていない。

 おばあちゃんの様子がおかしくなってから三日後、都から戻ってきた娘夫婦と入れ替わるようにして、スピカはおばあちゃんの家からオスカの家へと移った。

 多分、少しの間だとスピカは思う。

 おばあちゃんはすぐにまた元気になってスピカのお母さんとお父さんは都に戻り、またスピカはおばあちゃんと一緒に住むのだ。

「――スピカ、起きてるか?」

 その直後に扉が開いて、スピカは上半身を起こした。

 返事も待たずに扉を開けたのはオスカだ。

 スピカは少し腫れぼったい上瞼をそのままに、ドアの前に立つオスカを睨んだ。

「……扉を叩きもしないで、女の子の部屋に入ってくるって、駄目なんだよ」

「女の子?」

 オスカはわざとらしく、きょとんとした顔でそう言った。

 そんなオスカの反応にスピカは苦々しい顔で、けれどつい自身なさげに答えてしまう。

「そう……女の子」

「ごめん、スピカ。俺はてっきりお前は俺と同じものだと思ってた」

 オスカはわざと申し訳なさそうに眉を下げた。

 まだ眠気の残るスピカには、オスカの悪ふざけに付き合う気力もなく、ただため息をつくだけだ。

 昨日の朝方、スピカはオスカの家にやってきた。

 オスカの家の隣に住むトトは、スピカがこの家にやってきていることをまだ知らない。おばあちゃんの様子がおかしかった日から、ごたごたしていてスピカはトトの家には行けていなかった。もしかしたら、尼僧がスピカがオスカの家に泊まっていることを伝えたかもしれないけれど。

「……スペルカさまが、お前を呼んでるってさ」

 オスカは先ほどの悪ふざけの顔から一転、無表情な顔でそう言った。

 トトから、スピカを呼び寄せるなんて今までなかったことだ。いつもはスピカが好きな時にトトに会いに行っていた。

 トトの言葉はこの村での絶対だ。

 トトがスピカを呼べば、例えスピカが行けないときにでも、スピカは無理にでもトトに会いに行かないといけなくなる。だから、トトは今まで自分からスピカを呼ぶこともなかったのだ。

 違和感が、ますます大きくなる。

 スピカは腫れぼったい目を無理に押し開くと、寝台からおりた。

「うん」

 まっすぐにオスカを見ると、オスカは少し顔を顰めた。


「久しぶり、スピカ」

 そう言ってスピカを迎え入れたトトの目はいつもより色が深かったので、スピカは最初またスペルカの悪戯かと思った。

 けれも表情も、優しい喋り方もまるっきりトトのものだ。

「……トト?」

 スピカが訝しげに尋ねると、トトは不思議そうな顔をして首を傾げた。

「なに?」

 やはり、どう見てもトトだ。

 スピカの勘違いだったらしい。

「なにかあった?」

「なんで」

「トトがスピカを家に呼ぶなんて始めてだよね」

「ああ」

 なんだ、そんなことか。とでも言うようにスピカの方を見て笑う。

 トトはスピカを寝台の端に座らせると、自分は立ったまま壁に凭れた。

「尼僧の人たちに、聞いたよ。スピカ、今オスカの家にいるみたいだね」

「……うん」

 なぜか少し恐くなったスピカは、トトから目を少し逸らせた。

 なにか、間違ったことをしてしまったのだろうか。トトからこんな訳のわからない威圧感を感じたことはない。

 トトはそんなスピカを見ておもしろそうにふっと笑うと優しそうな、いつもの調子で言った。

「ピノばあは、どんな様子?」

「……わからない。トゥセラさんが安静にしておくようにって言っていたけど、すごく元気そうだよ」

「元気そう、か」

「……なに?」

「スピカ、酷いことを言うようだけど」

 スピカは、眉を少し下げて困ったように微笑むトトの顔をじっと見た。

 また、違和感。

「このまま、ピノばあが死んでしまったら、スピカはオスカの家に住むの?」

 死ぬ。

 直接的な言葉にスピカはトトを見たまま目を見開いた。

 それはスピカが今一番想像したくないことだ。

 スピカとオスカを除いた大人三人が、おばあちゃんの部屋で話し合う理由。おばあちゃんの娘夫婦が、都から帰ってくる理由。

「……わかん、ない」

 スピカは掠れた声で、なんとか答えた。

「そう」

 トトは、優しく微笑んだままだ。

 どうして。どうしたの。と思う。

 それは祭りの日から何度もトトに問い掛けた言葉だ。トトは優しそうに笑って、優しそうに喋るのに。

 スピカは指先が冷えるような感じがして、ぎゅっと手を結んだ。




「スピカちゃん。この服も着てみて」

 スピカは手渡されるままに服を着ていった。

 その度に嬉しそうに声を上げられて苦笑する。

 着る服着る服がスピカにぴったりで、それらの服はオスカのお母さん、テアタのお古だ。

 あと、目新しい服はおそらくテアタが、スピカがこの家に来てから作ってくれたものだろう。

 テアタは昔から、もう一人女の子が欲しかったと言っていた。

 オスカは父親の方とばかり狩りに出たりするものだから、つまらないのだと言う。オスカの姉は美人だが、昔からかなり気が強く村の男の子たちの間でも恐れられていたほどのお転婆だ。

「やっぱり、スピカちゃんにぴったりだわ。そのまま置いておくのも勿体無いから、全部貰ってね」

 そう言われて、服でできた小さな山を見た。

 凄い量だ。

「……いんじゃねえの。貰っとけよ」

 椅子に反対向きに座って背もたれに肘をつき、二人の様子を眺めていたオスカは困り顔のスピカに言った。

「オスカ、さっきからそこで何してるの?」

 テアタはそう言うとオスカを睨んだ。

 優しげな顔なのに、何故か迫力がある。

「……スピカを待ってる」

 テアタの迫力に押されて冷や汗を掻きながらもオスカは答えた。

 このあと、オスカとは出かける約束をしているけれど、スピカは着替え中だ。

 薄めの白いワンピースに同色の足首までのズボン、という下着姿だった。小さい頃から一緒に水遊び等をして遊んだ二人はお互い、今更そんなこと気にしたりしない。テアタもそんなことは承知しているから先ほどから黙っていたが、それでもやっぱりもう小さい子供ではないのだからと今更ながら思いなおす。

「外で、待ってなさい?」

 笑顔でテアタがそう言うと、オスカは顔を引きつらせて直ぐに部屋を出て行った。


「おまたせ」

 スピカがそう言うとオスカは顔を顰めた。

「なんだ。さっきの格好と変わらねえじゃねえか」

 オスカが言っているのは、スピカの下着姿のことだ。

 それは、あんまりだ。と思って今度はスピカが顔を顰める番だった。

 折角、テアタが今日出かける様に新しく作ってくれた服なのに。

 スピカは真っ白なワンピースの端を持ち上げて眺めてみる。

 この村伝統の刺繍が入った、ぶっかりとして体のかたちが分かりにくいワンピースの下には白いズボンに、その上から革の紐長靴を履いている。その刺繍も、テアタが手間を掛けて入れてくれたものだ。それでもオスカには、下着との違いが分らないらしい。

「……死んだ人を弔う意味のある刺繍なんだって」

「……そっか」

 オスカはそう言うと太陽の光を浴びて茶色みを増した頭をくしゃくしゃと掻いた。

 よく見たらオスカの真新しい服にも、同じような刺繍がある。

 スピカも成長と共に合わせて作ってもらえたので、家に何着も同じ刺繍が入ったものがあった。

「もう、何年も経ってるのにな」

 そう言うと、二人して丘の方へ歩いた。

 丘の上の大きな木の下、本来は死者を祀る場所とは違う所に、そのお墓は寂しげに一つだけぽつん、と立っている。

 オスカと一緒にそこに参るのは、もう何回目だろうか。

 スピカとオスカがそこに着くと、先着がいたようですれ違いざまに苦笑して会釈してきた。

 スピカとオスカも、同じ風に会釈する。

 見たことがある顔だ。

 スピカは祭りの日、トトのテントの護衛をしていた二人の顔を見て笑った。村人ならば、一度は参ったことのある墓だ。

 スペルカであるトトを覗いて。

 スピカは木陰に佇む小さな墓に服と同じ色の白い花を添えると、手を合わせて目を閉じた。オスカもそれに習って手を合わすと目を閉じた。昔、スピカに教えてもらったことだ。

 墓の周りには、スピカが添えた花以外にもたくさんの花が添えられている。この墓の周りには、年中それが絶えることがない。

 いつかこの村の人たちにその罪を覚えている者がいなくなくなる時まで、それは絶えることはないだろう。

「トトが、此処にくることはないのかな……」

 オスカはスピカの呟きに反応することなく、手を合わせてじっと目を閉じていた。








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