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きみのこえ  作者: はんどろん
09.途切れた歌
51/63

51.

 部屋に戻ったスピカは、外の様子を窓から眺めて項垂れた。

 外は穏やかな日差しに包まれていた。青青とした緑から時折風に乗って心地よい香りが届く。

 スピカのいる部屋の中には話し相手もいなく、とにかくすることが何もなかった。こうやって何もない部屋の中で半日も過ごせば、トトは本当にやってくるのかとまた疑ってしまう。どうにかして自分で都へ戻った方がいいのかもと、本日何度目かになる考えを巡らせている時に、部屋の扉が開いた。

「やあ。暇しているだろうと思って」

 先日塔で会った時よりも幾分打ち解けた態度で、イサはスピカの前に立った。だからスピカも、意識せずについふてくされた様子で返してしまう。

「暇だよ。だって、部屋から出れないし、誰もいないし、何もないし」

「僕でよければ、話し相手になるよ」

「……都に帰ってなかったんだね」

「帰れるわけがないよ」

 イサが苦笑して言った言葉の意味を深く考えることもなく、暇を持て余していたスピカは、ここぞとばかりに寝台の近くにあった椅子を勧めた。イサもそれに座ると、少し広げた足の間で手を組む。こうして明るい部屋の中で見ると、イサは塔の中で見た時よりも幾分年老いて見えた。

 少し緊張は残るものの、スピカは落ち着いてイサを見ることができた。

「おじいさんたちと一緒にいなくてもいいの?」

「いいんだよ。僕はたまたまこんなことが予定されているのを耳にして、この旅に付いてきただけだからね」

 たまたま、とイサは言ったが、極秘密裏に計画されたことだったのではなかったのだろうか、とスピカは首を傾げた。多くの人がこのことを知っていたのなら、実行されることもなくこのことはトトにばれてしまっていたに違いない。それに、騎士であるイーノスだって知らなかったのだ。

「話しを聞いたよ……オスカのこと」

 誰に、と訊くまでもなかった。きっとあの壮年の騎士にだろう。

 スピカは少し期待の篭った目でイサを見つめた。

「僕なら君に協力できる」

 期待通りのイサの提案にスピカは思わずにやりと笑ってしまった。そんなスピカの様子を見て、可笑しかったのかイサも少年の様な笑みを浮かべた。

「ようは、君を都へ帰せばいいわけだ。馬を一頭拝借すれば、一日もせずとも都へたどり着ける」

 いい雲行きだ。これならトトの到着を待たなくても都へ帰ることができるだろう。入れ違い、という可能性がないこともなかったが、スピカはいつまでも本当にやってくるか分からないトトをこんな場所で待つよりはましだと思った。それにこの場所も、もしかするとすぐに移動して、また別の場所に移ってしまうかもしれないのだ。

「僕は一人で都へ帰ることにする。それに君はこっそり付いてくればいい。さすがに馬舎のところまで君を連れてはいけないから、一度一人帰ったふりをするよ。少し危険だけど、君を連れ出すのは真夜中にする。鳥笛を三度吹くから、耳を澄ませておいてくれ。いいかい、夜の鳥の鳴き声じゃない。昼間の間に鳴く高い鳥の声だ」

 スピカは深く頷いた。

「この部屋の扉に鍵は掛けられないから、こっそり抜け出してくるんだよ。そうしたら、あの木の根元で会おう」

 イサがそう言って指指したのは、この場所から少し離れた所にある、一本だけ高めに生えた木だった。 なんら変哲もない木だ。二階の窓からなら判りやすいが、暗闇の中で他の木より高く生えているだけの木を見つけることができだろうかとスピカは不安になった。

 そんなスピカの感情を読み取ったのだろう。イサは微笑むと「大丈夫」と言った。

「あの木はこの集落の境界になっている場所なんだ。あの場所にいけば分かると思うけど、布が張り巡らされているから目印になる。ただ、その布を超えてはいけないよ。あくまで木の手前で待ち合わせだ」

「どうして?」

「それ以上行くと狼の縄張りに入ってしまうからね」

 スピカはぎょっとしてイサを見つめた。それは、少し危険どころではなく、とても危険だ。それに布を張り巡らせただけの境界なんて、狼は簡単に潜り抜けてしまうのではないだろうか。

「大丈夫だよ。狼がこの集落に近づいてくることは最近ではなくなったらしいから。けど、森の中に入ったら、急いで来るんだ。すぐに会って、馬で駆ければ大丈夫。ただ、やつらは血のにおいには敏感だから、気をつけるんだよ」

 必死で頷くスピカをイサは苦笑して見つめた。

「怪我は、もう大丈夫かい?」

「けが?」

「スペルカ様に知らせる為に、腕を傷つけただろう?」

「ああ、もう大丈夫。少しひりひりするけど、血も止まってる」

 スピカは言いながら袖を捲って、切り傷のある腕をイサに見せた。優しく腕を捕まれて驚いたスピカは、思わずイサの大きな手を凝視した。少しかさついた、大きな手だ。村人たちほどたこや傷にまみれたごつごつとした手ではなく、節だって細長い指はどこか頼りない様にも見える。

 イサは傷の様子を確かめるように親指で傷の横に触れると、またすぐに手を離した。

 確かめるまでもなくほんの少しの切り傷だ。

「……あの村はね、国の境界の近くにあるんだ」

「へ?」

 突飛なイサの話しに、スピカは袖を直す手を止めて間抜けな顔をした。

「偉い人たちはね、もう随分と前から……スペルカ様が現れた時からずっと、スペルカ様に都に来て下さい、と呼びかけていたんだよ。他国にスペルカ様を捕られることを恐れたんだ」

 イサが言ったことは、スピカにとって初耳だった。

 トトが都へスピカを連れてやって来たのは、トトに変化があったあの月祭りのあとのことだ。それに、スピカのおばあちゃんが亡くなったあと。

「だから、村へ帰したがらない」

「でも、トトがかみさまになってからの九年間、なんにもなかったよ?」

「そう、何もなかった。けれどもし何かあったらと、恐れている。できるだけ自分たちの目の届くところにいて欲しいと願ってるんだ」

「勝手だなあ」

 のん気なスピカの感想に、イサは苦笑しながら「そう、勝手なんだ」と言った。

 立ち上がって窓の下を覗いたイサにつられて、スピカも窓の下を覗きこむ。下にはいつの間にかあのおじいさんと、騎士たちが集まってなにやら会話をしている。おじいさんがふいに顔を上げたから、驚いたスピカは反射的にさっと頭を抱えてしゃがみ込んだ。イサは気にせず変わらず下にいるおじいさん達を眺めている。

 スピカは少し情けない気持ちになって、細目でそんなイサを見上げた。

「……麻薬みたいな」

「ま、やく?」

「ああ。スペルカ様は麻薬みたいな存在だって、思ったんだ……依存性があって、抜け出そうと思えば抜け出せないこともないのに、抜け出すことも忘れさせるような薬みたいだ」

 スピカはその薬を知らなかったが、そんな薬があるのなら、まさにトトはそれに似ているのだろう。正常な感覚を少しずつ狂わせていく。人々は自分が狂っていくことにも気付かずに、のめり込んでしまう。

 スピカももしかすると、知らず知らずのうちに狂わされていたのかもしれない。

「まやくは、わるくないよ」

「……ああ、そうだね。それにしてもさっきから僕ばっかり喋ってしまってるな。君もなにか話してくれるかい?」

「え」

 急にそんな風に話しを振られて困ったスピカは、どこかに話題でも落ちているかのように部屋のなか、視線をきょろきょろとさせた。勿論そんなものはどこにも落ちてはいない。

「どんなことでもいいんだよ。都であったことや、村であった出来事とか、旅をしていた間の出来事でもいい。君の周りであったことを教えてくれ」

 言われてスピカの胸はどきどきと鳴った。自分のことをこの人に言ってもいいのだろうか、と思う。この人はスピカのお父さんであっても、自分のお父さんではない。優しいまなざしを向けられても、そんな目で見られるようになったのは先日の塔で話した時からだから、それにもまだ慣れていないのだ。

 イサがどこで変わったのか、スピカには分からなかった。つい先日まで、こんな風に会話する日がやってくるなんて思いもしなかったし、もしかするともう会うことさえないと思っていたのだから。

「……都ではね、女の子の友達ができたの」

「うん」

「すごくきれいな子なんだよ。ぎん色のかみの毛に、宝石みたいなみどり色の瞳をしてるの。その子にはお姉ちゃんとお兄ちゃんがいて、その二人も」

 スピカは喋りながら、イサにじっと見られながら話していることが居心地わるく、時々むずむずと体を動かした。

 それからイサは、スピカの都や旅の途中であったこと、村での話しを一通り聞き終えると、一人満足したように部屋を去って行った。

 待ち合わせは真夜中だ。寝惚けて鳥笛の音を聞き逃したら大変だと思ったスピカは夕方までの時間を寝て過ごした。夕方になるとスピカよりも少し年上に見える少女が夕食を部屋まで運んできたけれど、結局一言も交わすことなくその少女は部屋を出て行ってしまった。夕食後は暇をもてあますこととなったが、下ががやがやと騒がしかったので、スピカは窓の内からそれを眺めて過ごした。どうやら数人の馬に乗った男たちが食料やらの荷を運んできたようで、下ろされた荷はその場で集落の男達に検品されていた。

夜になっても、中々鳥笛の音は聞えてはこなかった。

 下では松明が焚かれ、数人の男がなにに対してか警戒するように見回りをしていた。その見回りたちは真夜中になると一人に減るのだという。

 約束通り鳥笛が三回鳴った頃には、イサの言っていた通り見張りは一人に減っていて、スピカは少しほっとして家を抜け出した。けれど家をなんとか抜け出したところで、極端な物音の少なさで、ほんの少しの砂利を踏む音でも見つかってしまうことに気付いた。これならば、一人の見張りよりも三人の見張りがいた方がましだ。運が悪いことに、見張りの男はスピカがいた家とあの木のある方向のちょうど間辺りにいたのだ。スピカは少し焦りながらも、物陰に隠れつつなんとか森の入り口まで行くことができた。けれど、森に入った時に小さな木の枝にぶつかり、スピカが思っていた音よりも大きな草の音が響いてしまった。

「――おい!」

 大きく響いた声はかなり近くに聞こえて、スピカは振り返らずに一目散に森の中へと駆けた。一度捕まってしまったら、次は逃げ出しにくくなるだろう。そもそも相手はスピカがまさか逃げるとは思わなかったから、部屋の鍵も無用心に閉めなかったし、見張りをたてることもしなかったのだから。下手すると、本当に拘束されてしまうかもしれない。

 後ろから追ってくる足音が聞こえれば、スピカは益々焦って月明かりだけが頼りの森の中を走った。足元も殆ど見えないし、暗い森の中は恐ろしい。生えている木々が人影に見えてくる。

 あの木のところまで行けば安心だと、スピカは自分を奮い立たせた。

「おい! 待て! そっちは、危ないぞ!」

「あっ!」

 大きな怒鳴り声に驚いたスピカは、それに気をとられて転んでしまった。盛大に転げ、膝はじくじくと痛んだが幸い手のひらを擦り剥いただけのようだ。膝の痛みでもたついたけれど、すぐに立ち上がったスピカは声から必死で逃げた。見張りの男も灯りは持っていたけれど、見通しの悪い夜の森中スピカを追うのは困難だったのだろう。すぐに声は小さくなった。

 男の声が微かなものに変わった頃に、恐らく目的地であろう場所に辿りついた。スピカはそれを一目見てイサが言っていた場所だと知ることができた。月灯りに照らされた木々に、様々な色のひも状に切られた布が、まるで蜘蛛の糸のように張り巡らされていたのだ。その光景はスピカが想像していたよりも異様で、一種の呪いのようにも見えた。

「……イサさん?」

 スピカはおそるおそる小さな声でイサを呼んだ。男に気付かれてしまう可能性があるのと、近くにいるはずのイサの気配がなかったから、急に不安になったのだ。

 ガサッと草を鳴らす音で、スピカはその方向を凝視した。イサだと思って一瞬安心したけれど、音がしたのは張り巡らされた布の向こうだ。それにやはり人影はない。イサは馬を連れているか、その馬に乗っているはずだから、分かりやすいはずだ。

 草むらからひょっこりと顔を出したのは、イサではなく大きな犬に似た狼だった。犬に似ていると言っても、飼いならされて人と暮らす犬と、肉食の狼とでは随分と違う。野生の狼は人にとっても危険な存在となる。

 あまりのことに、スピカは声も出せず、動くこともできずにじっと固まったようにゆっくりと近づいてくる狼と見つめあった。走って逃げ出しても、この暗い森の中を狼から逃げ切ることは難しいことを理解していた。

 いくら狼の縄張りの近くだと言っても、こんな真夜中に境界辺りで偶然居合わせるなんて運が悪すぎる。意外に冷静な頭でそんなことを思っているうちにも、狼は間近まで迫ってくる。

 スピカは狼がもう数歩手前のところまでやってきた時に、ようやく殆ど無意識に足を動かした。狼が大きく動いたのは、ぞれとほぼ同時だった。

 バシャッと音が鳴ったあとに、雨が降り出した時のような、草を打つ水音が響く。

 暗くても月明かりに照らされててらてらと光るのは、血の赤だった。それらはスピカの頬にも、唇にも、服にもたくさん飛び散った。暫くして酷い悪臭が鼻を突いた。

 へたりこんでしまったスピカは、茫然と元々狼がいたところを見つめた。そこには大きな血溜まりができている。どこの部分のものかも分からない肉片や、皮膚部分についたままの毛が、その血溜まりに塗れて、もしくは近くの木の幹や葉にくっついていた。

 今、目の前で起こった出来事に頭がついてこない。頬や唇に飛び散った血は、温かい。たった今スピカに襲いかかろうとした狼の姿はもうなく、あるのはただの残骸だ。

 また近くで草を鳴らす音がしたけれど、放心状態のスピカはそれに気付くこともできなかった。

「スピカ?」

 聞きなれた澄んだ声が染みて、スピカはようやく顔をあげた。金色の髪は暗い森の中で一層映え、瞳は時々奥底を照らすように揺らめいている。

「こわかったね」

 トトはそう一言言うと、血まみれのスピカを気にすることなく抱きしめた。血が付いてしまう、とスピカは思ったけれど、まだ今自分の状況を理解できてはいなかった。トトが目の前にいることにも現実感がないけれど、服を挟んで伝わる温かさで少しずつ現実に引き戻されていく。

「トト、狼は?」

 スピカがぼんやりとしたままで聞くと、トトはますますぎゅっとスピカを抱きしめた。

 張り巡らされた布の前には大きな馬を連れたイシュもいた。イシュはこの惨状を見て眉を顰めた。狼は、まさに木っ端微塵にされてしまったのだ。

「怪我してるね?」

 トトはスピカに尋ねると、答えを待つ間もなく膝に手を這わせた。またじくじくとした痛みが戻ってきて、スピカは顔を顰めた。見ると、手を置かれた膝の部分は大きく血で染まっていたけれど、それは狼のものかもしれない。服は所々血で濡れてどす黒くなってきていた。

 狼。はじけ散ったのは狼だ。こんな状態で生きているわけがない。

 スピカはやっとそう理解すると、急にこみ上げてきた吐き気を額をトトに押し付けて絶えた。先程まで気にならなかったにおいも、一気に鼻に流れ込んできたようにきつくにおう。目に涙が滲んで鼻の奥がつんとした。

 村でも狩ってきた動物や家畜を屠殺して食べていたけれど、スピカはその現場を見ることが殆どなかった。それに、ましてやこんな風に弾けてしまうなんて見たことがないし聞いたこともない。

 苦しそうにするスピカを横目に、トトは数度スピカの膝を撫でて、小さく眉を顰めた。

 大きく引っ掻いたような切り傷からは、たくさんの血が流れている。おそらく狼はこの血のにおいに誘われたのだろう。

「イーノス、スピカの治療がいるから、先にあの集落へ行こう」

「はい」

 イーノスは短く答えると、スピカを抱きかかえた。スピカはぎゅっと目を閉じていて、端には涙の粒が溜まっていた。

 トトが唇に付いた血を拭ってやると、スピカはようやく薄っすら目を開け周囲を見渡した。

「……お父さんは?」

「イサさん? 逃げたよ」

 何から逃げたのだろうか。狼かもしれない。

 小首を傾げるスピカを見て、トトは笑った。いやな笑い方だ。

「君から逃げたんだよ、スピカ。逆らうことがやっぱりこわくなって、あの人は逃げたんだ」

 スピカは理解していないように、きょとんとした。その様子にトトはまた笑う。今度は悲しそうにも見える笑い方だった。

「僕は、スピカから離れない。一緒にいるよ」

 そう言って、額を合わせた。スピカの目の端に溜まった涙が、頬を伝う。

 集落へ行く道の途中、スピカの嗚咽する声が響いてもトトはもうなにも言わなかった。

 集落に着くと、三人の姿を見た見張りの男は仰天した様子で固まってしまった。おそらくスピカを探す為に人を呼びに戻っていたのだろう。男の後ろにいた二人の男たちも、スピカたちを見てぎょっとした。その顔は見る見るうちに蒼ざめていく。

「することは分かっているだろう? 呼んでくるんだよ。それと、この子の着替えと、湯と布を用意して。傷の手当も必要だ」

 トトがそう言うと、男達は転げそうな勢いで走った。

 暫くして、見張りの男達と騎士たちに囲まれて、老人がやってきた。

 見張りの男達とは違って、老人と騎士は落ち着いているように見えた。ただ、若い騎士の瞳には、強い怯えが滲んでいた。

 老人たちは、トトの前まで黙ってやってくると膝を折って頭を垂れた。その様子に、泣きつかれてぼんやりとしていたスピカでもぎょっとしてしまう。偉い人物であろう老人も、トトには逆らえないだろうとは確信していたけれど、それでもその様子には驚いてしまった。けれどトトもイーノスも気にした様子もなく、ただ老人たちを見下ろすだけだ。

 老人は自ら口を開こうとはしなく、ただトトの言葉を待っていた。

「馬鹿なことしたね。まあ、けど今はそんなことはどうでもいいや。先にスピカの手当てを」

 トトがそう言った時に、ちょうど大きな布を抱えた少女が、おずおずとした様子でやってきた。近づいていいのか迷っているらしい。スピカを抱きかかえたイーノスの方が、その少女の方に歩いて行くと、少女は少し怯えた様子ながらも大きな布をスピカに掛けた。少女はスピカに食事を運んでいた娘だった。

もう血はもう乾いていてパリパリとして気持ちが悪い。血のついた素肌は引きつったような感覚がする。

スピカはそのまま少女とイーノスに連れられて、小さな家に連れて行かれ、そこで湯殿に入れられた。傷の痛みは鈍くなっていたけれど、湯殿に浸かった途端に激痛が走って、スピカは思わず叫んだ。すぐに出ようとしたら、近くにいた少女に止められて、仕方なく痛みを我慢してまたゆっくりと湯に浸かった。湯は狼の血とスピカの血ですぐに赤く染まった。

 傷はあることも自分では気付かなかったけれど、思っていたよりも深く、スピカは目を逸らす。

 痛い。森で起こったことを思い出す。鳥笛に呼ばれて約束の場所へ行くと、イサはいなく、狼に襲われた。けれどその狼は、雨粒が弾けるみたいに弾け散ってしまった。あれは、トトがやったことだろうか。

部屋で塔で、イサと会話したことも思い出す。

 君には、幸せになってほしいんだ。

 あの言葉を信じる。信じたい。きっとスピカは、約束の場所を間違えただけだ。イサは、待ってくれているはず。

 スピカはそう思いながら、止まらない涙を拭った。








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