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きみのこえ  作者: はんどろん
02.かみさま
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05.

 スピカはまず村へ行って、司祭と尼僧たちにココセさんがスピカの家にいる事を伝えた。

 見張り役の青年二人は、団長に物凄く叱られた後、青い顔をして必死でトトを探していた。

 スピカもみんなと一緒に、まだ酔っ払いが寝ていたり、音楽の演奏が流れ賑わっている村の中、トトを探す。必死で探しながらも、スピカは自警団の人たちや自分の必死な様子を不謹慎にも可笑しく思った。

 これではまるで、小さな子供がいなくなった様だ。

 トトは昔体が弱ったせいか村の子達と比べて成長が少し遅く、まだ幼さの残る顔立ちで、体も年下のオスカと比べても少し低くて細い。オスカは、特別大きいのだけれど、同じ歳のスピカとオスカよりも、スピカとトトの方が同じ位の歳に見える。それでもトトは今十五歳で、もうすぐ成人を迎える。みんなが必死で近く成人を迎えるトトを探すのは、トトが『スペルカさま』だからだ。一度覚えたあの感情は、決して消せるものではない。村人たちは、トトを失うことは出来ないのだ。

 スピカはぎゅっと手を握ると、森の方へと走った。


 その森は、スピカの家の近くにあって、村人達は滅多なことが無い限り、足を踏み入れることはない。

 足を踏み入れるのはスピカと、おばあちゃんと、オスカと、オスカの父親くらいだ。けれどそのオスカとオスカの父親も、猟の為にたまに入る位だった。必要以上に、二人は猟をしないのだ。それは暗黙の了解のようなものだった。

 スピカは森の中で視線を彷徨わせた。

 風で木の枝が揺れ、葉がたくさん舞って目を細める。

 その一瞬、木々の間に金の色を見つけてスピカはあっ、と声を漏らして目を見開いた。

「――トト!」

 トトはスピカに気付かないまま、歩き続けている。

 元々小くしか見えていなかったトトの姿が、ますます小さくなる。

 このままでは、見失ってしまう。

「待って!」

 スピカはそう叫ぶと、見えなくなりそうなトトの方へと走った。

 慣れた筈の森の中でも、焦っているせいか木々の根に足を引っ掛けてしまう。必死で走ったが、歩いているトトに、何故か中々追いつけない。

 ようやく追いついたと思った時、トトは小さな泉の辺で佇んでいた。

「ト……」

 スピカは昨日のことを思い出して、もしかしたら『かみさま』かも知れないと思い、トトの名前を呼びかけて口を噤んだ。

 トトは振り向くと、じっとスピカを見つめる。その瞳は澄んでいて、どう見たってトトのものだ。

「どうして、ついてきたの?」

 トトはため息をつくと、何故か少し責めるような口調でそう言った。

 いつもの、優しくて穏やかな表情ではなくて、少し硬い表情をしている。

「……どうしたの? トト……スピカが、付いてきてるの気付いてたの?」

 確かにトトなのに、いつもとは違うトトの様子に戸惑いながらもスピカは尋ねた。

 ゆっくりと、トトの方へ近づくと、トトは苦しそうな顔をして後ずさった。

「トト?」

「……ごめん、スピカ。後で必ず村に帰るから。心配しなくてもいいから……少し、放っておいてくれるかな」

 金色の長い睫毛を伏せてトトはスピカから顔を背けた。

 スピカは驚きで目をまんまるにして、トトを見つめたまま立ち止まった。トトが、スピカにそんな態度をとったのは、これが始めてだ。

 こぽこぽの鳴る泉の音と、ざわめく森の音とひんやりと澄んだ朝独特の空気が、沈黙の二人を包んだ。

 オスカの様に、理由を聞かずに立ち去ることは、幼いスピカには出来なかった。

「トト、お願い。どうしたのかおしえて?」

「何もないよ。本当に、何もないんだ。ただ……」

 トトはスピカの方を見ようとはしない。横を向いて俯いたままだ。

「……目が覚めると、今までの自分とは違うことに気付いた」

「え?」

 スピカは『かみさま』のことを思い出してぎくりとする。

「……いや。一緒なんだけど、違うんだ……きっと、傷つけてしまう」

 トトは独り言のようにそう呟いた。

 真夜中に目が覚めると、トトの内で少しずつ大きくなっていた感情が急激に大きくなっていた。トトが今まで、心のうちで必死で消そうとしていたもの。

 それはきっと、一番近くにいるスピカのことを傷つけてしまう。

「……でも、トトでしょ? 『スペルカさま』じゃない」

 スピカの口から始めて聞いたその言葉に、トトはぎょっとしてスピカの顔を見た。

 スピカは、少し困った様に微笑むと、トトに近づいた。

 いつもの、距離だ。

「スピカは、もし傷つけられてもトトから離れないし、トトがいないといやだよ」

 そう言って首を傾げると、右手でトトの左手をぎゅっと包んだ。

 トトは硬い表情のまま、ようやくスピカを見る。

「……スピカは、わかってない」

 自分の中で渦巻く黒い感情が、どんなものなのか。

 冷えていく心とは反比例の様に大きくなるのは、どす黒い執着心だ。それは決して良いものではない。本当はあってはならないもので、打ち消すべきものなのだ。

 それにじきに抗えなくなるであろう予感が、トトにはあった。

「わかってても、わかってなくても、スピカはトトの傍にいる」

 まるで呪文を唱えるように、スピカは言った。

 離れない。

 離れてはいけない。

『ずっと、トトの傍にいること』

 それは九年前、スピカと村人達の間で交わされた約束だった。



 結局、その後トトはスピカに手を引かれて村へと帰った。

 その間トトは一度も口を利かなかった。硬い表情のまま、スピカの後を黙って歩いていた。

 スピカと手を繋いでいる方とは逆の、ぎゅっと握られたトトの右手に、血が滲んでいたことをスピカは知らない。

 村人達は結局トトが少しの間いなくなっていたことを知らないまま、無事祭りが終わった。祭りが終われば異国の人たちも都からやって来た人たちも帰ってしまい、村にはいつもの、けれど祭りの前より少し寂しく感じる暮らしが戻ってくる。たまに、本当にたまにだけれど、大らかで恵み豊かなこの村が気に入って、そのまま村の住人になってしまう人がいるのだが、村人たちは喜んでその度に新しい住人を迎え入れた。昔からそんなことが続いてきたから、村の人たちの色彩も色々で、同じ村の中でトトが金色の髪をしていても、スピカの髪色は真っ黒で、瞳の色もトトの様な真っ青ではなくて焦げ茶だった。ちなみにオスカは黒に近い茶色の髪色で、スピカと色が似ていたから、はたから見れば仲の良い兄妹のようだ。

 スピカは、肩上で切られた自分の真っ黒な髪を手にとってみた。

 昔はおばあちゃんが切ってくれていたが、最近では目の見えないおばあちゃんの代わりに手先の器用なオスカが切ってくれている。

 髪型は、昔からずっと同じままだ。

「……ちょっと伸ばしたいなあ」

「スピカの好きなようにすればいいよ」

 スピカは独り言のつもりだったのに、おばあちゃんにそう声を掛けられて少し驚いた。

「おばあちゃんは、スピカは短い髪の方がいいよって昔から言ってたでしょ?」

「もう年頃なんだから、少し伸ばしてみるのもいいんじゃないかねえ」

 おばあちゃんはそう言って微笑むと、小卓の上に腕を伸ばしてのびていた、スピカの隣に座った。

 昔から、おばあちゃんは「短い方がいい」と言ってはスピカの髪を切ってきた。スピカもそう思っていたし、何より楽だったからそれに従ったが、いくらなんでもいい加減この髪型には飽きている。それに村の、スピカと同じ位の年頃の娘で、スピカの様に髪が短い者はいない。

「……司祭さまは、スピカが髪を伸ばすのを許してくれるかな?」

 スピカはそう言うと眉ねを寄せた。

 司祭様は神経質だ。スピカの些細な変化にも、敏感に気付いてはあれこれ言ってくる。

 おばあちゃんは黙って微笑んだまま、スピカの頭をゆっくり撫でてやった。

 いつの間にか大きく育ってしまったこの娘には、小さな子供の時から不憫な目に合わせてしまっている、とおばあちゃんは思う。村人達の心配とは反対に、スピカは元気で明るい娘に育ったが、村人達はスピカに対しての罪悪感を決して失うことはないだろう。

 暫くしておばあちゃんは「この真っ黒な髪は、司祭さまの髪じゃなくて、スピカの髪なんだから、好きにしないさい」と優しく言った。


 祭りから七日後、スピカは久しぶりにトトに会った。

 実は祭りの次の日にも行ったが、トトが「会いたくない」と言ったらしくスピカはトトに会わせてはもらえなかったのだ。

 もしかしたら嫌われたのかもしれないとか、何かトトが嫌がるようなことを言ったりしたりしてしまったのかもしれない、とかたくさん考えてしまいスピカは少し落ち込んでいたが、それでも懲りずに毎日のようにトトに会いに行った。

 トトの、祭りの時の様子。

 トトが内に宿すかみさまが、表に出てきたのはスピカの知る限りでは始めてだった。正直なところ、スピカはトトの内にかみさまがいるということを信じきれていなかったのだ。けれどどうしてか、いつもと違うトトにかみさまを見た。スピカはトトがあれからどうなったのか気になって仕方ない。トトの世話をする尼僧たちに聞いても、誰もが「いつも通り」と答えるだけだった。

 それが今日、あっさりとトトの部屋へと通された。もしかしたら、トトはしつこいスピカに根負けしてしまったのかもしれない。

 スピカは見慣れた木の扉をゆっくりと押した。

「トト」

「……久しぶり、スピカ」

 トトは、寝台に腰掛けてスピカがいる方を向いていた。薄暗い部屋の中、逆光でスピカにはよく顔が見えないが、微笑んでいる様に見えた。けれど七日前のトトと同じように、スピカの知っている穏やかなトトではないことにスピカは気付いた。

「こっちにおいで」

 扉の前で立ちすくんでいるスピカを、トトは幼い子供を呼ぶみたいに優しく呼んだ。

 スピカはトトの一、二歩前まで来るとぴたりと足を止める。

「……どうしたの?」

 可笑しそうに笑うトトの瞳は深く、底知れないものだった。

 なかなか近づいて来ようとしないスピカに、トトは寝台に座ったまま手を伸ばすと、細い腕を引っぱった。

 いきなり力強く下から引っ張られたスピカは、バランスをとれずに鼻の頭から寝台に突っ込んでしまい「う゛っ」と変な声を漏らした。

 すると、トトはスピカの隣でからからと声を上げて笑い出した。

「……かみさまなの?」

 スピカは赤くなった鼻の頭を擦りながら、隣に座って笑いっぱなしのトトの顔をじとりと見た。

 青い目は、笑みのかたちに歪められている。

「一度でも、『かみさま』と名乗った覚えはない。お前達が勝手に『かみさま』と呼ぶだけ」

「『スペルカさま』じゃないの?」

「それも、お前達の勝手。元々名前なんてない」

「どうして、かみさまは」

「スペルカでいい」

「……スペルカは、どうしてトトを選んだの?」

「選んでない。偶然だ」

「ぐうぜん?」

「気が付いたらこれの内にいた」

 偶然。

 スピカは呆れ顔でトトの顔を見た。

 今あるのは、いつもの柔和な笑みではなくて好奇心に満ちたいたずらっぽい笑みだ。

「偶然」で得るものもあれば、同じ「偶然」で失うものもある。

「どうして、スペルカは……」

「どうして? なぜ? お前達はそればかりを言う」

「……スペルカが、私を『呼んだ』の?」

「……」

「……」

 会話が、成り立たない。質問されてばかりで、気まぐれなかみさまは飽きてしまったようだ。スペルカは頬杖を付いて黙りこんでしまった。

 そう判断したスピカはため息をついて寝台から起き上がると、真っ直ぐ扉の方へと向かった。

「帰るのか?」

「だって、今日はトトに会いにきたから……トトに、戻るよね?」

 スピカは一瞬不安に思ったことを尋ねた。

「これは元々トトのものだ」

 そう言うスペルカの瞳が一瞬、ゆらりと揺らめいた。

 深く底知れなかった瞳が、晴れ渡るような青へと変わったようにスピカには見えた。

 その一瞬あと、トトは少し驚いたようにスピカを見ていた。

「スピカ?」

 中身が違うだけで、こんなにも雰囲気が変わるものなのか、と思う。喋り方も、表情も違うのだ。

「どうして……ああ、そうか……」

 寝起きのように少しぼんやりとしたトトは、額を押さえてそう呟くと、指の間からスピカを見上げた。

 手を離すと、いつもの柔和な笑みが見えてスピカはほっと息をつく。

 祭りの日の、張り詰めたような表情ではない。

「ごめんね、スピカ。最近、調子が少し悪かったんだ……久しぶり」

 必死で首を横に振ると、トトはまた優しい笑みをスピカに向けた。

 その表情に、スピカは何かいつもと違うような違和感を感じて、その原因を探ろうと立ったままトトの顔を見つめた。

「どうしたの? とりあえず座りなよ」

 優しい、柔和な笑みのままそう言う。

 なにに対してなのか判らない違和感をスピカは、気のせいだと思い込むことにした。

 



「……どうして、またかみさまなの?」

「スペルカ」

「……スペルカなの?」

 スピカは指摘されたようにわざわざ言い直すと、目の前のトトの顔をじとりと見た。

 スペルカは、相変わらず楽しそうに好奇心を深い青に潜ませて、スピカをじっと見ている。

 最近はずっとこんな感じだ。トトに会いに来た筈が、いざ会ってみると中身はスペルカだった、ということが周期的になってしまった。

「なにか不満か?」

「トトに会いに来たのに」

 スピカがそう言うとトトの姿をしたスペルカは、面白くなさそうに頬杖ついて黙り込んでしまった。

 こんなのおかしい、とスピカは思う。かみさまの癖に、これでは小さな子供ではないか。

 スペルカは自分が飽きたりつまらなかったりすると、会話の途中でも直ぐに黙り込んでしまうのだ。見た目はトトだから、凄く違和感がある。普段穏やかで大人びたトトは絶対にこんな態度をとることはない。

「帰る」

 スピカはため息をつくと立ち上がり、扉の方へと歩いた。

 最近、スペルカの扱いには慣れてきていた。かみさまを扱うなんて、変だけれど。

「――スピカ?」

 ほら。

 スピカは振り返って微笑むと、トトと向かい合わせに置かれている椅子に座った。

 トトは、スペルカと違って柔和に微笑む。先程までスペルカが自分の体を使っていたことなんて、まるで知らないように。けれど、何かがおかしい、とは流石に気付いている筈だ。最近、記憶がとんでいる上に、トトにとっては目の前にいきなりスピカが現れるということがたくさんあるのだから。けれど、トトは何事もなかったかのように、まるで会話の真っ最中だったようにいつも自然にスピカに話しかける。

 スピカも、スペルカのことはトトの前では一切口に出さなかった。これも、村人との間で交わされた約束の一つだ。

「スピカ、ちょっと」

 トトに手招かれて近寄ると、耳元の髪を梳かれた。くすぐったくてスピカは思わず首を傾げてしまう。

 目の前には柔和な笑みがあった。

「花、付いてた」

 トトはそう言うと手に持った小さな白い花をスピカに差し出した。

 その花は小さい頃からスピカが好きで、よくトトのお見舞いにも持ってきていたものだった。

 スピカはどこで付いたのか判らなくて首を暫く傾げていたが、トトの家に来る前に道で合ったオスカの顔を思い出して「あっ」と小さく声を上げた。

「オスカの悪戯だ!」

「……オスカの?」

「うん。来る前に道で会って、頭ぽんぽん叩かれたから……多分その時につけられたんだよ!」

「へぇ」

 やられた! という風に苦々しい表情のスピカに対して、トトは優しい顔のまま相槌を打った。その様子に、スピカはまた違和感を感じてしまう。気のせいだと思い込もうとしたあの違和感は、いまだにスピカの中にあって、トトに合う度大きくなっていた。

 トトはずっと優しく笑ってるのに、どうしてだろうか。

「スピカがよく、お見舞いに持ってきてくれてた花だ」

「よく覚えてるね」

「スピカの、好きな花だろう? 小さいけど、綺麗だね」

 トトはそう言うと指先で摘んだ花をしげしげと眺めた。

 そういえば、今はもう体が弱い訳ではないけれど、トトは余り自由に外を出歩けない。外に出る時でも、必ず尼僧達がぞろぞろと付いてくるのだ。結局は、体が弱かった頃と余り変わらない生活をしている。もしかしたら、花も真近くで見ることも少ないのかもしれない。

「それ、トトにあげるよ」

「……いいの?」

「うん。オスカに悪戯でつけられたのだし」

 そう言ってスピカが笑うと、トトは嬉しそうにありがとうと言って笑った。

 ふとスピカが窓に目をやると、もう日が沈みかかっていた。下から、晩御飯のいい匂いがやってきて、スピカはお腹に手を当てる。

 今日のスピカの家の晩御飯はなんだろうか。おばあちゃんの作るものは薬は涙が出る程くさいし苦いが、お菓子もご飯も絶品だ。

「もうすぐご飯だと思うから、帰るね。お腹空いちゃった」

「たまにはここで食べて帰ればいいのに……」

「おばあちゃんが待ってるから」

 確か、トトのお母さんが作るご飯も凄く美味しかった。もう暫く食べてないけど、やっぱりおばあちゃんとご飯が食べたくて、スピカは帰ることにした。それにトトの家でのご飯は尼僧たちにじっと見つめられているようで、少し落ち着かない。

 玄関口まで見送ってくれたトトに元気よく手を振ると、家の方向へとスピカは走った。

 トトはスピカが見えなくなると、部屋に戻って窓から外を眺めた。窓からだと小さくだが、まだスピカの背中が見えている。

 トトは家路に向かうスピカの背中を窓の内側から見送りながら、手に持ったままだった小さな花をゆっくりと握り潰した。


 家に近づくとおいしそうな匂いがスピカを包み込んだ。

 きっと、野菜と鶏のスープの匂いだ。

 スピカはそう思うと目の前にある小さな扉を勢いよく開いた。卓子にはスピカの予想通り、スープと、テヌーの実を練り込んで焼いたパンに、おばあちゃんが育てた野菜と乾燥チーズのサラダがあった。決して豪華とは言えないけれど、スピカはおばあちゃんの作るご飯が一番好きだ。おばあちゃんの作る料理は、美味しくて、おばあちゃんみたいに優しい味がする。

「おかえり、スピカ。丁度今、支度が終わったところだよ」

 おばあちゃんはそう優しく言うと、最後に温かいお茶の入った茶器を古びた木の食卓に置いた。

 おばあちゃんはいつも絶妙の時機に支度をするのだ。まるで、スピカの帰ってくる時を最初からきっちりと知っていたみたいに。

 スピカはただいま、と言うとおばあちゃんの向かいに座った。

 その瞬間にちちちっと小さな音が聞こえてスピカは辺りを見回した。確かに家の中で鳥の鳴き声のような音が聞こえたのだ。

「……あれ? おばあちゃん、それ、どうしたの?」

 スピカがそう言うとおばあちゃんは楽しそうに、いたずらっぽく笑った。

 部屋の隅に木で作られた鳥かごがあって、その中には赤い小鳥が入っていた。それはスピカが見たことのないような、鮮やかな赤色だ。

「拾ったんだよ。風切り羽根が切られてて、誰か飼っていたのかもしれないねえ」

 スピカは驚いた様子でおばあちゃんと鳥を交互に見た。

 おばあちゃんは今まで動物を拾ってくることなんかなかった。昔、スピカと森の中を歩いていた時に親を失った小さな獣の赤ちゃんがみーみーと鳴いていたが、スピカが頼んでも決しておばあちゃんは拾おうとしなかったのだ。小鳥は獣とは違うから、飛べなければあっという間に他の動物に食べられてしまうのかもしれないけれど、あの獣だってどうなってしまったのか分からない。おばあちゃんは自然との間にある、一定の距離感を崩そうとはしない人だったのに。それに、村にこんな小鳥を飼っている人がいただろうか。

 真っ赤な小鳥は、少しオドオドとしながらもスピカとおばあちゃんを興味深げに見ている。

「……飛べないの?」

「風切り羽根が切られているから、仕方ないよ。もう戻らない」

「飼うの?」

「家族が増えると寂しくないだろう?」

 そうおばあちゃんは言うと寂しげに微笑んだ。

 小鳥がまた、ちちちっと愛らしい声で鳴く。

 おばあちゃんは、スピカがトトの所にばかりいるから寂しいのだろうか。

「……おばあちゃん、寂しいの?」

「スピカがいるから、寂しくはないよ。けど、家族が多いのも賑やかでいいだろう?」

 おばあちゃんは柔和な笑みを浮かべながらそう言うと、温かいお茶をスピカのコップに注いだ。

 ふんわりと、いい香りがする。

「さあ、料理が冷めてしまう前におあがりなさい」

 スピカはお腹が空いていたことを思いだして、こくりと頷くと少し慌てた様子でご飯を食べ始めた。








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