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きみのこえ  作者: はんどろん
08.本当の本当
41/63

41.

 秋になると児童公園の一角にある背の低い木々に小さな黄色い花が咲く。それらは少し離れていても風に乗って香るほど濃く甘い香りがした。ぽつぽつと細やかに咲く花に触れるとそれらはぽろぽろと地面に落ちる。見ると木の根元は黄色くなっていた。

 ことこ はふわふわとしたその小さな花々を掴むと、歩き出した。冷たくなりだした風が吹いて、転んで擦り剥いた膝がひりひりと痛んだ。

 なにかを振り切るようにずんずんと進む。

 家へ、帰る。

 隣を通り過ぎたお姉さんが長いリードの先にいる犬の名前を呼んだ。

 ことこ は殆ど無意識に立ち止まると、じっとその犬を眺めた。毛足の長くてふわふわとした、モップみたいな黒い犬だ。目は見えない。はっはっと息を吐く、笑っているように開いた口のおかげで、それが毛の塊ではなくて本当に生きている犬だと分かった。お姉さんが両手で挟むようにして犬の顔を撫でていると、毛の間からまん丸なビー玉みたいな目が覗いた。その目と目が合って、お姉さんもそれに気付いたのか ことこ の方へ振り向いた。お姉さんは ことこ の姿を認めると一瞬驚いた顔をしたあと、嬉しそうににっこりと微笑んだ。

「犬、好きなの?」

 ことこ はどう答えていいのか分からずに暫くじっと黒い毛の塊を眺めてから、うん、と頷いた。

 嫌いではない。家で飼っているのは猫だから、猫の方が可愛く感じるけれど、犬も吠えたり唸ったりさえしなければ可愛い。

 けれど、ことこ が気になったのはその犬の名前だった。

「その犬の名前……」

「ああ、オズの魔法使いって知ってる?」

「うん……今度、学校で劇をするの」

「そうなの? いいなあ。私すっごく好きなの。だから、この子の名前も貰ったのよ。あなたはなんの役するの?」

「ドロシー」

 そう答えるとお姉さんはまた、いいなあ、と言った。

 ことこ よりも大分と大きいお姉さんなのに本当に羨ましそうに言うから、ことこ は不思議なのと居心地が悪いのとで少し顔を顰めた。

 それに、自分自身に感じた違和感がもやっと胸の中で広がる。

 学校で劇をするのに、すっかりそのことも忘れていた。犬の名前もなんだか前から知っているもののように感じたのが、当たり前だ。モップみたいな黒い犬は、ドロシーが飼っている犬の名前と同じだった。

 だから、当たり前。その当たり前がしっくりこなくて、何故か苦しくなって ことこ は踵を返して走った。

 家に帰る。明日になればまた同じ日が来てこの訳の分からない感情もなくなっている筈だ。すぐに緩やかな流れの中に戻れる筈。帰り道はいつも少し寂しいのだから、家に帰ってしまえばそれもおしまい。その意味を考える必要なんてこれっぽっちもないのだ。






 柔らかく額を撫でられて、スピカはぼんやりと目を開きながら微かに口を動かした。

「……トト?」

 喉がからからで声を出すのが辛い。吐息のような掠れた声を出すのがやっとだった。手が離れていく。次第にはっきりとしてくる視界の先で、イシュが微笑んだ。

 ぱたぱたと足音がして、セスティリアスがばっと顔を覗き込んでくる。

「朝だよ、スピカ」

 高い声で言われて、何か応える前に腕をひっぱられてぐいっと力任せに起こされた。

 いまいち頭がはっきりとしない。頭が痛い。体が重い。吐き気がする。

 けれどすぐに昨日のことを思い出したスピカは目を見開くと二人を見た。

「オスカは……?」

「村に帰りました」

 そう言ったのは二人ではなく部屋に入ってきたリュシカニアだった。リュシカニアはスピカが見慣れた尼僧の格好で、髪をぴっちりと布で覆い隠していた。優しそうな顔ではなくて、寺院にいる尼僧たちと似て表情が薄く硬い。そしてその声は酷く平坦なものだった。

「……帰った?」

「そう」

「村に?」

「ええ」

「じゃあ、もう大丈夫なの?」

「大丈夫だよ、スピカ。もう安心していい」

 イシュが答えるとスピカの頭を撫でた。暫く茫然と三人の顔を眺めていたスピカは、涙で瞳を滲ませ顔を歪めた。

「恐かったね。大丈夫だよ……大丈夫」

 イシュは小さな子供にするように大きな体にスピカの頭をすっぽりおさめると、よしよしと頭を撫でた。寝台が軋んで、セスティリアスも寝台に乗り出して心配そうに自分を見ていることに気付いたスピカは、へらっと情けない笑みを浮かべる。

「……けど、どうして急に村に帰っちゃったの?」

「母親とヨルカが迎えにきたんだよ」

「どうして?」

「なかなか帰ってこないから痺れを切らして、とかじゃないかな? 二人共、スピカのことを心配していたよ。寝てたから、寝顔だけ見て帰ったけど」

「起こしてくれればよかったのに」

「あんまりぐっすり眠ってたから」

「そうそう。スピカってば変な寝言言ってたよ!」

「……え。なに言ってた?」

「よく分かんなかった。変な呪文みたいだったよ」

 セスティリアスはそう言うと肩を竦めた。もしかしたら、以前 ことこ が使っていた言葉を無意識に言っていたのかもしれない。どんな夢を見ていたのかは全然思い出せないけれど。

 それにしても、オスカもスピカに何も言わずに村に帰るなんて少し意地悪な気がした。スピカはオスカが本物のスピカみたいになってしまったら、と不安で仕方なかったのに。それに、村に帰ってしまったらスピカはオスカと簡単に会えなくなってしまう。オスカは帰っても大丈夫だと言っていたけれど、やはりスピカには一人で村に戻る勇気がなかった。

「スピカ、昨日のこと覚えてるかい?」

「きのう? ……てんがいの中でのこと?」

 スピカが眉ねに皺を寄せながら訊くと、イシュはほっとしたような表情で「そう」と答えた。そんなに混乱していたのだろうか。オスカが倒れてからの記憶が確かに少しおぼろげだけれど、全く覚えていない訳ではない。

 イシュに抱かれて天蓋を出る時に見たトトの顔が目に焼きついている。あのままトトを一人であそこに残してよかったのだろうか、と今更ながらに思う。イーノスだってオスカを連れて天蓋を出たのだから、天蓋にはトト一人だったはずだ。それとも他の騎士や尼僧がトトの傍にいたのかもしれないけれど、それでもトトを一人にしてしまったような気がした。

「オスカが、何かをきんいろのかみさまに言ったでしょ」

「どうして知ってるの……?」

「だって、オスカが何か言うか、何かをしたりしない限りかみさまだってあんなことしないでしょ?」

 スピカは言ってもいいのか迷って視線を落とした。膝に掛かっている布団を両手でくしゃくしゃにしてしまう。セスティリアスの部屋ではないようだけれど、秋の森のようなにおいがして、今いる場所はセスティリアスたちの家だと分かった。

「……トトは?」

「お祭りも終わったし、寺院に戻ったんじゃないかな?」

 セスティリアスはどうしてかイシュと顔を見合わせたあとにそう言った。

 いつの間にか扉の前に立っていたリュシカニアがいなくなっているのに気付いたスピカが、扉の方を見ているとセスティリアスがふいにスピカの前に握りこぶしを差し出した。意味が分からなくてセスティリアスの顔を見上げると、セスティリアスは薄く笑って握った手を開いた。

「落とし物」

 銀色の鎖に繋げてあるふたつの鈴が鳴る。失くさないようにと首に下げていた、ことこ の家の鍵だ。

セスティリアスが持っていたからか、手渡されたそれは少し温かかった。

「失くしちゃだめだよ」

「どこで?」

「天蓋の中に落ちてた」

「? テントに入ったの?」

「うん。騒ぎを聞いてイシュと一緒に。気付かなかった?」

「……うん。ごめん」

「いいよ。大変だったもんね」

 セスティリアスはそう言うと、寝台の脇にある小さな台の上に置いてある茶器でお茶を淹れて、スピカとイシュに差し出した。

 息で冷ましてから飲むとスピカはほっとした。まだ熱いくらいのそれはリュシカニアが用意してくれたのだろう。少し懐かしい味と香りがした。もう一度飲んで息を吐くと、落ち着いて少し頭の中がすっきりした。するとたくさん聞きたいことや迷いが出てきた。都に戻るまで自由に色んな場所へ行ったくせに、この先どうすればいいのかもどこへ行ったらいいのかも分からない。ことこ の家にも帰れないし、やっぱり村にも帰れない。トトも、きっと思い出してしまった。オスカの言葉でスピカも思い出したように。

「……オスカ、何か言ってなかった?」

「ううん。どうして?」

「……トトに、ばれちゃった。スピカがにせものだって」

 言って、自分自身の言葉で胸が痛む。にせもの。にせもののスピカは、トトが望んでいたスピカじゃない。トトはきっともう、にせものだと分かったスピカと一緒にいたいと思わないだろう。

 もう『スピカ』の役目は終わったのだ。

 どれだけトトと一緒にいたかったのか、また思い知らされる。スピカとしてトトの傍にいるのは苦しかったのに、今ならずっとスピカとしてでもいいからトトの傍にいたいと思うなんて自分勝手だ。トトから逃げ出したくせに。傍にいたかったのも、逃げだしたかったのもどちらも本当だ。けれどどちらにしても、ことこ がスピカだと偽った時点からスピカにとってもトトにとってもいい結末がくることはなかった筈。村人たちやスピカが恐れていたことが、とうとう訪れたのだ。

「……スピカ、月祭りも終わったしもう都を出よう。君はまだ子供だし、色んなところへだって行けるんだよ。村へ帰るのに気が引けるなら、オスカに会いたくなったら手紙を出して別の場所で会えばいい」

「……うん」

 イシュが言ったことを途方のないもののように感じた。どこへだって行けるし、まだ子供。大人になった自分のことなんて想像もつかない。大人になって、誰かと結婚して、子供ができて、いつかおばあちゃんになるのだろうか。普通に、此処の人として。けれど、そこにトトはいない。それがこわい。心細い。必要で、いつのまにか当たり前になっていたものが欠けてしまったようだ。誰か止めて欲しかった。自分で立ち止まればよかった。こんな風になる前に。いつかこの寂しさもなくなるのかもしれないけれど、今は想像もつかなかった。

「ねえ、セス。お願いがあるの」

「うん?」

「トトに会わせて……このまま離れてしまったら、きっとだめだ。ちゃんと話しをする。許してもらえないだろうけど……」

「だめだ」

 言ったのはイシュだった。聞いたこともないような強い言い方にスピカは驚いてイシュを見た。いつもふわふわと掴みどころのない雰囲気のイシュだったが、今は真剣な顔で少し怒っているようにも見えた。

 驚いた顔で見つめてくるスピカを見て、小さなため息をつくと彼は表情を少し和らげた。いつものように視線を合わせる為に、寝台の前に跪いて顔を覗きこむとスピカはどうしてだか分からないという風な、途方に暮れた顔をイシュに向ける。

「……オスカが倒れるのを目の前で見たんだろう? 君がスピカじゃないと知れてしまった以上、スペルカ様は君を大切に扱わないかもしれない。それで傷ついて欲しくないんだ」

 目の前の小さな少女がもう十分に傷ついていることを知りながら、イシュは言った。

 優しくて温かい人たちの誰も、本当の自分を認めてくれないことを傷つき、かみさま がただひたすらに『スピカ』だけを求め続けることにも傷ついた。『スピカ』として育てられ、いつしかそれに順応したこの子供は、かみさま にほんの少しの冷たい言葉と瞳を向けられただけでも心を酷く痛めるだろう。今だって十分にそうだということは手にとるように分かったけれど、それでも直接会って傷つけられる姿を思い浮かべるだけでもイシュの胸は痛んだ。

 スピカだってそれを理解している筈なのに、それでもあの かみさま に会いに行こうとする意味。それに気付いてはいけない。

「……イシュ、わたしがどこにだって行けるって言ったよね」

「うん」

「だけど。だけど、このままじゃどこにだって進めないよ! もう『スピカ』になりかけてるのに、トトを一人ぼっちにして、どこに行けばいいの……?」

「君はいずれはこうなることを知っていたし、覚悟をしていただろう?」

 静かに諭すように言われてスピカは唇を噛んだ。このままトトを一人置いていくのも嫌だったけれど、何より彼と離れがたいのはスピカ自身だった。こんな状況になってもまだその感情は無くなりそうもないから、身動きがとれないのだ。自分自身の感情に縛られている。

 それに、『スピカ』と呼ばれることにも慣れすぎて、いつの間にかそれは自分の名前のように感じていた。男の子みたいで嫌だと思って ことこ でいる時は着なかった青い服もいつのまにか好きになっていた。言葉もだ。思い出そうとしても、ことこ でいた時に使っていた少しの単語や名前以外殆ど思い出せない。気付けばこの場所で学んだ言葉で物事を考えるようになっていた。

 残ったのは、本来の ことこ よりも上塗りされた偽者のスピカという存在だ。

「そうだけど、他にどうすればいいのか分からないの……」

「ねえ、何か忘れてない? かみさま はスピカが本物じゃないって知ったんだよね? だったら、家に帰れるんじゃない? ことこ の家に」

「……え?」

「だって、ことこ はスピカとしてこの世界に縛られてた。それは かみさま がコトコをスピカとして見て、離そうとしなかったからでしょ?」

 確か、スペルカも似たようなことを言っていた。

「ことこの、家に?」

 スピカは呟くと視線を下げて、足にかかっている布団を見つめた。

 また行き止まりだ。

「……ゆっくり考えればいいよ。時間はいくらでもある。長い間あったものを急には選べないだろう」

 イシュは優しい声でそう言うと俯いたスピカの頭を撫でた。

 優しい人たち。村の人たちもまるで自分の子供にするように頭を撫でてくれた。

 イシュはトトに会うなと言うけれど、会わなければいけない。それだけは決まっていた。トトに説明はきっといらないだろう。それに言い訳のしようもない。それでも、あれで最後になるのだけはいけない。スピカにとっても、トトにとっても、ことこ にとっても。

 スピカが黙りこむと、セスティリアスは猫のような身のこなしで寝台から退いて、枕元にある小さな窓を開け放った。秋の森のようなにおいが外から入ってきた空気に追いやられて、たちまち部屋の中は冬の冷たいにおいに変わる。スピカは寒さに肩を竦ませた。外からは子供たちの高く叫ぶ、楽しそうな声が聞えた。

 イシュはまたスピカの頭を柔らかく撫でると、静かに部屋を出て行った。

 スピカは窓辺に凭れるセスティリアスを見上げた。どこか遠い目で外の景色を眺めている。もう、目に見えるもの以外は見えなくなったと聞いたが、その目なにか不思議なものを――例えば遠い未来や過去のことを捉えているようだった。緑の瞳は光の加減によって、金色が混ざっているようにも見える。

「……ねえ、スピカは知ってたの? スピカが死んでたってこと」

 スピカは驚いてセスティリアスを凝視した。どうしてそれをセスティリアスが知っているのだろうか。スピカは話したことがない筈だ。

 セスティリアスは下の広場で遊ぶ子供の姿を目で追ったあと、スピカを見つめた。

「本当のことを忘れてるのは、だれ?」

「……え?」

「スピカはどうして、知ってたの?」

「なにを?」

「スピカが死んだってこと。それに、その原因がかみさまだってこと」

「それは、聞いたからだよ。……それよりもどうしてセスがそのこと知ってるの?」

「見たの。スピカと初めて会った時に。ねえ、本当にそれは人から聞いたの? スピカは知ってるんじゃないの? 記憶にあるんじゃないの? その時のことが」

「……なに。それ」

 冷たい風が吹く。扉の間を風が吹き抜けて不気味な音を立てた。

 セスティリアスが言っていることは訳が分からない筈なのに、体が嫌に緊張した。

 その時のことなんて知っている筈がないのだ。ことこ がその時のことを知ったのは此処の言葉をなんとか理解し始めた頃。おばあちゃんの家を逃げ出した時に森の中で、葬儀屋のおじさんふたりが話しをしているのを偶然聞いてしまったのだ。おじさん達はまさかそこに二人目のスピカがいるとは思っていなかっただろうし、まだ言葉を理解できていないと思っていたのだろう。

 トトが かみさま になった直後。スピカがいなくなった時。ことこ はまだ此処にいなかったのだから。ことこ が今此処にいるのは、スピカがいなくなってしまったからなのだから。その時のことを知る筈がない。

 それなのに、どうしてだろうか。その時の場面が記憶の中にあるのは。

 視界の先には、トトがいた。本当は一瞬の出来事だったのだろうけれど、ゆっくりと体が倒れていったのを感じた。

 驚いたような、悲しいような、見ている方がどうしようもなく哀しくなるなるような表情をしていた。 オスカが倒れて、イシュに連れられて天蓋を出る時に見た、あの表情とその時の表情が重なった。

 そんな筈はない。本物のスピカの記憶を ことこ が持っている筈がない。けれど、ことこ の記憶を手繰り寄せようとしてもそれもぼんやりとしたものだった。鮮やかな夕焼けは覚えている。でも、パパの顔もママの顔も思い出せない。妹の顔もおぼろげだ。あの日一緒に遊んだ友達はどんな顔をしていた? 公園からの家への帰り道は? 手に持っていたキンモクセイはどこにいったのだろう。あの『ゆうやけこやけ』の唄は、もしかするとだれかに聞いたのではなかったか。

 スピカはぎゅっと手に持っていた鍵を握り締めた。チャリッと鈴が鳴る。もう随分と前のものなのに、鍵はくすみ一つなく真新しいぎんいろだ。

「あなたの名前は?」

 言われて口を噤んだ。

 どちらにもなりきれない中途半端な存在になってしまった。今までずっと ことこ だと信じていたけれど、思い出そうとしてもおぼろげな記憶は本物なのかも分からない。今まで考えないようにしていたこと。あの丘の上にある小さなお墓は、誰のものだったか。どうしてスピカの記憶があるのか。

「……そんなわけない」

 スピカが小さくそう漏らすのをセスティリアスは聞き逃さなかった。


 黙り込んだスピカを置いてセスティリアスも部屋を出て行った。部屋に残されたのは自分ひとりだと思っていたスピカは、寝台の上に急に上半身を乗せてきたアルカに驚いた。どうやらずっと寝台の下で眠っていたらしい。なにかを確かめるようにすんすん鼻を鳴らしながらスピカの手を突くと、あっと言う間に寝台の上に上がって温かで大きな体をスピカに凭れるように寄せてきた。その温かさと重さにほっとする。自分の内にあった心細さに気付いてぎゅっとアルカに抱きついた。アルカはそれを嫌がることもなくスピカの細い腕に顔を乗せた。

 こわい。自身の存在の不安定さにスピカはぞっとした。

 トトがずっとスピカをスピカと呼んだから、スピカでいられたのに。トトがスピカの名前を呼ばなくなった時、にせもののスピカの役目は終わりだと思っていたのに。

 スピカでいなくてはならなくなって、ことこ でいた時のことを思い出さないようにしていた。村の人たちに求められて、トトに呼ばれていつか帰れる時まではスピカでいようとした。そして、その内に帰ることを諦めた。

 けれど、それは本当にそうだったのだろうか。あやふやな記憶を疑う。なにか大きな思い違いをしているような気がしてならない。

 家に帰りたいと思う気持ちも、ママやパパに会いたいと思う気持ちだって本物のはずなのに、セスティリアスの言葉で何かが違うような気がしてきた。

 トトはにせものだと知らない筈がないのに、スピカが死んでしまったことを忘れていた。それは本当にそうだったのか。にせもののスピカをスピカとして扱ってきた理由は。

 スピカはアルカの温かな体に顔をうずめると、ぎゅっと目を瞑った。









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