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きみのこえ  作者: はんどろん
08.本当の本当
34/63

34.

 祭壇に上がったトトの姿はオスカやセスティリアスと同じで以前のものとは少し変わっていた。体つきとか顔とかが少しずつ違うのかもしれない。遠くから見ているスピカには、なにが違うのかははっきりとは分からない。綺麗な金色の髪は以前となんら変わりなく、月明かりできらきらと光っている。

 姿を見ただけで、スピカは胸を締め付けられているような気持ちになった。声が聞きたい、と思う。あの穏やかで温かい声。だけど秘密がばれていないとしても、トトのもとから逃げ出したスピカにその声が向けられることはないだろう。

「……トト」

 小さく呟いた声は、静かな場所だからすぐ隣にいるセスティリアスにも届いたのだろう。またぎゅっと手を握られる。スピカもその手を縋るように強く握り返した。

 前は、あの小さな村にいた頃は、祭壇の上からあの深い瞳でスピカを見つけた。その時はスペルカがスピカを見つけたのだけれど、だったら今は。

 もしかしたら。とスピカは思う。それは浅ましい期待なのかもしれない。もしかしたら、トトだったとしてもスピカを見つけるかもしれない。

 高いベルの音が響く。神聖であるはずのその音は、自転車のベルの音を思い出させる。青い服に身を包んだ司祭が儀礼的な動きでトトの前に跪く。尼僧たちがベルを鳴らしつづける。その中にはリュシカニアの姿があったが、トトに目を奪われていたスピカは気付けなかった。美しい装束を着た、しなやかな体つきの少女たちが祭壇の前で幻想的な舞を踊る。

 なにからなにまで村のやり方を用いているようだ。トトは何もせずにただじっと祭壇の上の椅子に座って、下で行われる儀式を眺めるだけ。

 ふと、トトと目が合った気がしたスピカはトトの姿を見つめたが、彼は踊り子たちを眺めていた。遠くだったからスピカの気のせいだったのかもしれない。

 結局、特に変わったこともないままトトはその夜祭壇を下りた。


 トトがテントに入るまでの間誰も動こうとはしなかったから、スピカとセスティリアスもその人だかりの中で動こうにも動けずに儀式が終わるまでその場で待った。二人も、他の人たちと同じように祭壇の方に目を奪われていたからその時間を長くは感じなかったけれど、終わった頃の月の位置でもう随分と時間が経ってしまったことを知る。人が動き始めてから気付いたことだが、空気もしんっと冷えて吐く息は白く、灯りを微かに反射する。

 スピカは薄着でいたことを少し後悔した。前にいたところよりも都は冷える。二人は繋いだ手を解かずに、少しだけ人の減った円形広場の中を歩き回った。もうすでに、周囲では楽しげな音楽や声やおいしそうな匂いで溢れかえっている。弦楽器の音楽に合せて跳ねるように踊る人たちを見ているだけで楽しくなる。セラントを使い慣れた人はいないのか、流石にセラントの音は聞こえてこない。違う広場ではイシュがセラントの音色を奏でているのだろうか。

 オスカとはまだ会えていない。

「イーノス、いたの気付いた?」

 唐突に言われてスピカは目を少し大きくした。

「ええ。どこに?」

「きんいろのかみさまの、斜め少し後ろで隠れるみたいにいた。銀色の甲冑をつけてたよ」

 それだったらスピカも見た。

「イーノスだったんだ。よく分かったね」

「うん。聞いてたから。イーノスってかみさまのお付の騎士なんだって」

「そういえば、寺院でよくトトと一緒にいた」

「聞いてない?」

「うん」

「かみさまに気に入られてるって、噂」

「うわさ?」

「うん。噂。イーノスって淡々としてるから」

「……ふうん?」

 他愛のない会話を交わしても、セスティリアスは何も聞いてこない。

 結局スピカは祭壇の上に座るのがトトなのか、スペルカなのか見分けることができなかった。遠すぎてよく見えなかったのもある。それでも、以前は遠くからでもトトの異変に気付けたのに。

「お姉ちゃんもいたんだよ。ねえ、明日も来る?」

 セスティリアスは最後は少し気遣うように訊いた。

 スピカは頷く。どうせなら祭りの間は滞在しようと、イシュと来る前に決めている。それにスピカもまだ此処にいたい。トトへの愛惜はトトの姿を遠くから見ただけで益々大きくなっている。意味もなく寂しさを感じるのは、あの甘さを知ってしまったからだ。それに少し嫌気がさすけれど、その感情をどうすることもできない。

「あ。オスカ」

 セスティリアスが呟いて、スピカもその視線を辿る。

 彼は結構遠くにいて、セスティリアスに言われてやっと判ったくらいだった。

 オスカの方は気付いていないようで、きょろきょろと視線を彷徨わせて、多分スピカとセスティリアスを探している。

「……セスって目、いいんだね」

「みたいだねえ。きっとかみさまのおかげだよ」

 そう言ってセスティリアスはオスカの方に向かって大きく手を振った。オスカもそれでようやくスピカたちに気付いて大きく手を振り返すと、人ごみのなか上手にスピカたちのもとまでやってきた。

「すぐに見つかってよかったよ。この人ごみの中お前らみたいなちっこいの探すのかと、思っただけで疲れた」

そう言ったオスカはほっとしたような顔をしている。

「オスカはおっきいからすぐ見つけれたよ」

 セスティリアスは気にした様子もなく言うとにかっと笑った。

 彼女の方が少し背が高いから、一番ちっこいのはスピカだ。

「あれ? アルカは?」

「途中でどっか行っちゃったの。いつもなんだって」

「自由気侭なんだ」

「飼い主に似たんじゃないかな」

 スピカの中のセスティリアスは何にも囚われずに軽やかなイメージだ。セスティリアスとアルカはどこか似ていると思う。

 そうかもね、とセスティリアスも別に否定しない。

「折角会えたけど、そろそろ帰ろうかな。私眠くなっちゃった」

 セスティリアスはそう言うとあくびを噛みころす仕草をした。

 スピカはまだなんだか物足りない。このまま直ぐに帰ってしまうのは寂しい。オスカとも実はそんなに喋れていない。

「スピカはまだいていいよ。先帰ってるから。オスカ、家の場所覚えてるよね?」

「うん。送ってくから心配なく。セスも帰るなら送ってくよ」

 二人の会話にスピカは目を丸くした。

 スピカは何も言っていないのに、どうやら二人にはスピカの思いが分かってしまったらしい。

「ありがと。けど大丈夫近いし……ほら、護衛も戻ってきた」

 セスティリアスの言った通り、いつの間にかアルカはちょこんとセスティリアスの後ろにお座りしている。毛を刈られて少しみすぼらしく見えるアルカは、愛らしい瞳で三人を見上げていた。

 セスティリアスが言うには、どういう訳かある日アルカがからだ中に黄金色の飴を付けて帰ってきて、部屋に甘いにおいが充満してしまいイーノスが飴のへばりついてしまった毛を刈りとってしまったらしい。残念なことに洗っても落ちなかったようだ。かくしてアルカははたから見ると少し可哀想な姿になってしまった。

 温かな毛皮を失ってしまったアルカはきっとスピカの何倍も寒い。そう思うと可哀想になってしまう。

「アルカにも服を着せてあげないと、風邪引いちゃうよ」

「うん。だね。祭りが終わったらお姉ちゃんに言ってみる。あ。もし私が寝てても、声掛けてくれたらアルカが開けてくれるから。おやすみ、スピカ、オスカ」

 セスティリアスはそう言うと、よっぽど眠かったのかさっさと二人の返事も待たずに行ってしまった。その後にアルカも続く。

 小さな一人と一匹はあっという間に人ごみの中に隠れてしまう。

「……スピカの思ってることって、分かりやすい?」

「うん。大体だだもれ」

「ええっ」

「ていうのは冗談で、やっぱお前が何考えてるかわかんねえ」

 そう言うとオスカは空いている建物の壁に凭れた。その隣では男の人たちが杯を交わしている。そのす ぐ前では、女の人たちが聞き心地の良い弦の音に合せて笑いながら踊っていて、みんなそれに合せて歌ったり手拍子したり、自分も加わったりしている。

 スピカはその様子を眺めながら、自分もオスカの隣で壁に凭れた。冷たい風が吹いて、どうしてか無意識に天蓋の方へ目をやってしまう。

「スピカもよく分かんない」

 そう言うと、オスカは脱力したようにしゃがみ込んだ。スピカもその隣にしゃがみこんでオスカを見た。

 オスカは立てた膝に伸ばした両腕を置いてその間に力なく顔を埋めている。隣にしゃがみこんだスピカを腕の少し上から覗き見る目は、だらんとした姿と不釣合いな程真剣だ。

「……俺が村の人間だからか、元々知っているからかしらないけど、分かるんだ」

 少しくぐもった声でオスカは言う。

「スペルカ様の感情がはっきりとは分からなくても、まるで自分の感情みたいに自然に流れこんでくる」

 オスカはそう言い終えると息をついた。

 先程まで斜め前で踊っていた人たちが、増えたのか踊っているうちに移動したのかスピカたちのすぐ目の前まできている。

 夜も遅いのに、小さな男の子の手を引く父親が通り過ぎる。男の子は眠そうな目を父親に引かれる手とは違う手でゆっくりと擦っていた。かみさまも眠る時間だ。これから家に帰るのだろう。少し離れたところからはまた違う弦楽器の哀愁の漂う音色が聞こえてくる。

 オスカはそれらに視線を流し、少し翳りのある目をした。

 村のことを思い出しているのかな、とスピカは思う。村には帰っていると言っていたけれど、もしかしたらそれは本当にたまになのかもしれない。

「お前、此処に戻ってくるべきじゃなかったかもな」

「なんで?」

「辛そうな顔してる……いや、辛いっていうのとは違うかな」

「別に辛くなんかないよ?」

「でもなんか広場に来る前より微妙な顔してる」

 そんなに分かりやすいのかとスピカは苦笑した。小さい頃から一緒にいたからオスカには余計に分かってしまう。

「村の月祭りが懐かしくなるね」

「そうだな。なんか最後に一緒に行ったのが結構前に感じるけど、感じてる程そんなに前じゃないよな」

 そう言ったオスカは自分で納得するようにうんうんと小さく頷いた。

「久しぶりにスペルカ様を見たんだけど……なにがって訳じゃないけど、お前にこんなこと言うのは微妙かもしれないけど…… やっぱりなんか村にいた時がよかったよ。俺は村にいた時から正直色々気に入らなかったけど、それでもお前もスペルカ様も良かったと思う」

「……トトが村にいるのが嫌だって言ったんだよ」

「それは、まあ……そうだろうな。今ならなんとなく分かるよ」

 その言葉を聞いて、スピカはまた久しぶりにトトとオスカがもう友達ではないことを残念に思った。どうしてオスカがトトを嫌うのか不思議でならない。もしかしたらオスカが一番トトのことを理解できるかもしれないのに。

「……オスカと、トトのはなしがしたかったの。どうしてだか分からないけど」

「ん。……あ、待って」

 スピカは気付かなかったが、オスカは小さな紙袋を持っていたらしい。傍らに置いていたそれを広げると、がさがさと中に入っていた、アルカの鼻の先ほどの大きさの艶やかな紫色の果物をいくつかスピカに手渡した。

 その初めて見る果物を両手で持って、スピカはきょとんとした。

「そこの露店で買った。なんか遠くから持ってきたみたいだ。甘いぞ」

「ふうん。ありがとう」

 オスカの見よう見まねで、スピカもしゃくりと被りつくと少しくせのある甘い汁が口の中に流れこんできた。垂れた汁を慌てて薬指で拭う。

 話しが逸れてしまった。

「……スピカ」

「うん?」

「いつまでそう名乗るつもりなんだ?」

「……怒ってる?」

「怒ってないよ。けど、どうしてまだその名前でいるんだ。お前それでいいのか? そうまでして……繋がりを持ってたいのか」

 最後の方は諦めたような声になった。

「もう今更だし、オスカには嘘つかないよ」

「……そっか」

 トトの話しをしたかったのは、遠くからでも久しぶりに見たトトの姿で急激に湧き上がってきた愛惜の念が、懐かしい思い出を手繰り寄せたいという気持ちにさせたからだ。

 それと同時に、トトから離れてしまったことをまた思い知らされた。浅はかな期待もあっさりと打ち消されてしまった。トトはスピカにきっと気付かなかった。それは当たり前とも言えるけれど、スピカは少しがっかりしてしまった。

「お前をそんな風にしたのは俺たちだよな」

「どうして、とか思うことは今でもあるけど、苦しいけど、なくしたいって、思わないよ。だからスピカでいるの」

 オスカの言葉を否定も肯定もせずにスピカはそう言った。

「……村の人たちは、お前のことに憎んでないよ。だからまた戻ってやってくれ。母さんとかが会いたがってる」

「うん……」

 優しい声で言われてスピカは頷いた。

 いつの間にか弦は新しい音色を奏でている。


 スピカとオスカは広場の様子を眺めながらぽつりぽつりと言葉を交わし、少し経ってからどちらともなしに立ち上がった。

 結局トトの話しはそんなにしていないけれど、オスカと話しをしているうちにいつの間にかスピカの焦燥にも似た気持ちは薄くなっていた。

 広場を去る時にスピカは一度だけテントの方を振り返った。前は、スピカが勝手にトトのいるテントに入っていった。その時のことを思い出す。

 真夜中も過ぎているので流石に路地を歩く人は疎らになっていた。村では翌日の朝まで大宴会のように盛り上がっているけれど、都ではそこらへんは少し違うらしい。円形広場ではまだまだ人がたくさんいたが小さな広場や狭い路地は静かだ。

 セスティリアスの家の前まで送ってくれたオスカに手を振る。数日間はスピカも都にいるから、あっさりと二人はおやすみの挨拶を交わして別れた。

 忘れものに気付いたのは階段を上っている途中でだった。

 オスカが紙袋にたくさん入っていた果物をスピカにくれたのだ。セスティリアスと一緒に、と言っていた。

 一瞬迷ったけれど、スピカは直ぐに身を翻して階段を駆け下りた。円形広場まで行く道は知っているし、広い路地を通れば人がいたからあまり恐くない。

 広場に着くと、スピカとオスカが座っていた辺りに、果物を入れた紙袋は置きっぱなしになっていた。ほっとしたスピカは袋を抱えようと触れた手を引っ込めた。

 袋はなぜか濡れて冷たくなっている。

「―ごめんなさいね、お嬢ちゃん。さっきお酒こぼしちゃって……」

 隣に腰掛けていた若い女の人が申し訳なさそうに言ったから、スピカは微笑んでうなずき、紙袋を抱え込んだ。

 ふとお酒の匂いがして、匂いだけで酔いそうになってしまう。村にいた時宴会で飲ませられたことがあるが、お酒は苦手だ。スピカは鼻で息をするのを止めると袋を抱えたまま走り出した。あんまり遅いとアルカも起きてくれないかもしれない。イシュもきっともうセスティリアスの家にいるだろうけど、イシュは寝転ぶとあっと言う間に眠ってしまう。

 濡れた袋で服の袖もじわりと湿る。冷たい風で顔が冷たくなる。寒いけれど冷たい空気は澄んでいて、冬が直ぐそこまでやって来ていることを告げている。

 広場を出て少しして小さな石の橋が見えた。下には小さな水路が通っている。人はもうここら辺に来ると見当たらない。その橋を渡って行けばすぐにセスティリアスの家に着くのに、橋の前で濡れて柔らかくなっていた袋が破れてしまった。

 たくさん入っていたまんまるな果実は数個を残して広がった破れから零れ落ちる。

「うわ」

 スピカは思わず呟いた。薄暗闇の中方々に勢いよく転がった実を拾うのはたいへんだ。月明かりは強いけれど円形広場と違って灯りは少ない。

 ころころと行く実を追いかけようとして、スピカは立ち止まった。

 体が固まったように動けなくなる。

 白い月明かりの中で、きんいろの光が揺らめいている。

「……トト?」

 スピカが呟くと、橋の上でトトは柔婉な笑みを浮かべた。








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