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きみのこえ  作者: はんどろん
08.本当の本当
32/63

32.

 強い風に吹き付けられて野原を青い花びらが舞った。

 ぽつぽつと咲く青い花は、ほんのりと甘い香りがしていて、スピカは肺いっぱいにその香りを吸い込む。

「いいにおい!」

「だねえ」

 荷車からスピカを降ろしたイシュは、大きな荷物を背負いながら頷いた。

 日の光を避けるように顔の上で手をかざしながら、離れた所にある建物の棟を見て、少し背の伸びたスピカを見下ろす。伸びたと言っても、大きなイシュからしてみればまだまだ小さな子供の様だ。

 くるりとイシュの方を見たスピカは、きょろきょろとよく動くまんまるな瞳で、立ち並ぶ建物を見ると、目を細めた。

 今まで来ないように避けていた場所だ。

 イシュの友人が病で倒れたという知らせを受けてやって来ることになったが、イシュはスピカに前にいた町で待っているように言った。けれどスピカは、その必要はないと言って結局イシュと一緒にやってきた。

「あんたら、本当にここから歩いてくんかい? どうせなら門のところまで乗って行ったらいいのに」

 御者台から煙管を吹かしながら、おじさんが無愛想な顔で二人を見た。

 スピカは首を横に大きく振ると、にんまり笑う。

「ありがとう。けど、いいにおいだし歩いてく」

 この野に咲く青い花はトトがやってきてからというもの、年中咲いているという。歩いて行くには丁度いい陽気だし、都の門へ続く道にはたくさんの馬車が並んでいて順番待ちをしている状態だ。歩いて行っても時間的にはあまり変わらないだろう。

 そう言うと御者のおじさんも口の端を吊り上げた。同時に目の端にきゅっと皺が寄る。

 おじさんは手綱を引くと後ろ手に手を振った。見えないとわかっていてもスピカも手を振り返す。



 スピカ達がやってきたのは、昼を告げる鐘の音が鳴って暫くしてからのことだった。

 手紙で知らせを受けて二人が来ることを知っていたオスカは、都の門のところまで彼女達を迎えに行った。

 祭りの前でいつも以上に人の多い門前では、遠方からやってきた身分の高い人の乗る馬車や、商人の乗る荷馬車、旅芸人一座の見たこともない動物や人を乗せた馬車、大きくて煌びやかな傘を持った人たちなどがずらりと門の外まで並んでいる。

 その中からスピカを見つけるのは時間がかかるだろうと覚悟していたオスカだったが、大きなイシュのお陰ですぐに見つけられた。

 イシュの髪色は日の光の下、この大勢の人たちの中でいても目立つ。それはスピカも一緒だった。背中まで伸びた艶やかな黒髪はここら辺では珍しいものだ。

 スピカもすぐにオスカに気付いたのか、嬉しそうな顔をして大きく手を振ってきた。人ごみを掻き分けて進むと、スピカはぶつかるようにオスカに抱きついた。

 オスカは少し驚きながらも力いっぱい抱きしめ返した。

 スピカが都を発ってから何度かの季節を数えて、お互い背も伸びて少し大人に近づいたけれど、やはりスピカはあまり変わっていないようにオスカは感じた。

「オスカ、くるしい」

「あ。悪い悪い……久しぶりだなあ。イシュも」

「ああ。久しぶり、オスカ。大きくなったねえ」

 そう言って頭を撫でたイシュをオスカは少し恨めしそうに見る。

「スピカも、大きくなったでしょ?」

 スピカがそう言って、オスカは微かに眉を顰めた。

 スピカはそれにすぐ気付いたようで、苦笑すると言い訳するように小さく首を振った。

「なかなか、抜けないんだ。何年もこれできたから」

「ん、そっか。そうだよな……それにしても髪伸びたなあ」

「背は?」

「うん。髪は伸びた」

「……背も、伸びたんだよ」

 不貞腐れたようにいうスピカはやはり全然変わっていなくて、オスカは嬉しくなってにんまり笑うと、先ほど自分がそうされたようにスピカの頭を撫でた。

 懐かしいその仕草にスピカもにんまり笑う。本当に嬉しいと、溢れるような笑顔だ。

 あの、都にいた時の暗い表情はどこにも見当たらなくてオスカは内心ほっとした。

「じゃあすまないけど、俺は行くよ。スピカを宜しく」

「うん。祭りに行けるようなら、イシュも一緒に行こうな」

「もちろん。あ、スピカ。パドルはどうする?」

「スピカが連れてく。ありがとう」

 スピカとオスカは暫くその場でイシュの後ろ姿を見送った。

 イシュとは夕方の鐘の音の頃に、鐘の塔の前で待ち合わせをすることになっている。

 イシュの姿が見えなくなると、スピカはオスカを見上げてまたにんまりと笑った。

「さて、どこ行きたい?」

「あのね、友達がいるの。会いに行ってもいい?」

「友達?」

 オスカは目を円くすると視線を彷徨わせた。門の近いところで人が多くて、すぐ隣にいるお互いの声も聞き取りにくい。

 オスカはスピカの腕を引くと歩き出した。スピカもそれに従う。

「うん。友達」

「ふうん」

 あの短い期間に友達なんてできていたのかと少し関心する。それに、後からイシュに聞いた話ではスピカは殆ど寺院から出れていなかったという。

「それにしても、オスカ大きくなったねえ」

 関心したような、けれど少し羨ましそうな口調でスピカは言った。

 元々背の高かったオスカは、成長期だからかスピカが最後に会った時よりもまた随分背が伸びている。それに少しだけ顔つきも大人っぽくなった。

 多分真似した訳ではないのだろうけど、イシュと同じ風に言われたのでオスカは苦笑した。

「お前ら、少し会わないうちにちょっと似たな」

 そう? とでも言う風にスピカは首を傾げた。

「あ、あそこだよ」

 スピカはそう言うと、寂れた広場の真ん中で立ち止まってセスティリアスの住む家を指差した。

 少し懐かしい思いで広場を見渡す。何年も、何十年も経っている訳ではないのに、ここで昼食をとりに来たことがもう随分前のことのように思えた。

 僅かに痛んだ胸を無意識に抑える。

 都での『スペルカさま』の噂は絶えないが、それは以前となんらかわらない、外見や本当かどうかも分らないような『かみさま』の話しだった。

 トト自身がどうしているかをスピカは知らない。本当は、知ることを恐れているところもある。あれからいくつかの季節が過ぎても、スピカはまだこんなにもトトのことが気になっている。イシュにも知られないよう振舞えるようになったけれど、本当は毎日思い出しては胸が痛くなるし、会いたくもなった。都に来ることになってからはずっとだ。胸が鈍く痛み続けていることを見ないようにしている。

「そういえばお前だけの友達って、俺会うの初めてかも」

「……そういえばそうだね。」

 村で居たスピカは、いつもオスカかトトと一緒にいて、同年代の子供と余り関わったことがない。それは別に禁止されていた訳ではなかったけれど、なんとなくお互いに近づこうとはしなかった。他の子供たちが遊んでいるのを見かけると、混ざりたいという気持ちも湧いたけれど、見えない壁のようなものを感じていた。窓の内側と外側で世界が分割されているような感じだった。

 トトも、もしかしたらそんな気持ちを持っていたのだろうか、と今になって思う。

 セスティリアスたちの家の扉の前まで来ると、勢いよく扉が開いたのでスピカはぎりぎりのところで顔を擦りそうになり背筋に冷や汗をかいた。オスカが後ろから引っ張ってくれていなければ、今頃鼻が真っ赤になっていただろう。

 開いた扉の間からまず出てきたのは大きな犬で、その犬がアルカだと気付くのにスピカは数秒掛かった。

 長かった毛は短く刈られていたからだ。そうして見ると、大きいと思っていたアルカの体は思いの外細くて小さかった。浮き出た肋骨を見ると、寒くないかと訊きたくなる。

 アルカはすぐにスピカに気付いて顔を上げると、あの少女のように愛らしい瞳で見上げてきた。毛のなくなった細い尻尾をぶんぶん振りながら、初めてみるオスカの方にも目を向けると、早速匂いを嗅ぎに扉の外へ出た。

「なんだ、こいつ……なんかちょっと可哀想だな」

「なにが?」

 足元へ匂いを嗅ぎにきたアルカを見下げながらしみじみと言ったオスカの声に重なるように、セスティリアスが扉の間からひょいと顔を出した。

「セス!」

「久しぶり、スピカ……戻ってきたんだね」

「うん。けど、お祭りの間だけだよ」

「そっか。まあ、入ってよ。そこのあんたもどうぞ」

「どーも」

 家に入ると、甘いお菓子の香りがした。以前来た時はむせ返るような花の香りと薬のにおいがしたけれど、今はそのにおいが全くない。

「ちょうどいい時に来たよね。お姉ちゃんがお菓子焼いてるんだ」

「セスはスピカが来ることを知っていたの?」

「手紙では読んだけど、たった今来ることなんて知らなかったよ。扉を開けたらいたからびっくりした」

 そう言ったセスティリアスは、本当に驚いたのか分からないくらい落ち着いていた。にやっと笑って肩を竦めると、前よりももっと短く、男の子みたいに切られた銀色の髪の襟足が首元で跳ねる。

 折角綺麗な髪なのにそんなに短くしているのは勿体無いとスピカは思ったけれど、その短い髪もセスティリアスにはよく似合っていた。以前会った時透けるように真っ白だった肌は少し日に焼けて、頬はばら色に染まっていて、病気の名残は見えない。

 綺麗なのは相変わらずだけれど、どこにでもいる元気な子供に見える。

「どこかに行くところだったの?」

「……ううん。別に。それにしても髪、伸びたね。元気そうでよかった。パドルもね」

 名前を呼ばれたのが分かったのか分かっていないのか、パドルはまん丸な目でセスティリアスを見上げて首を回した。

「ところで、その大きな人は?」

 セスティリアスがオスカのことをそう呼んだのでスピカは苦笑した。そういえば、セスティリアスはイシュとも会ったことがない。

 スピカにとっての『大きな人』はイシュで、オスカは小さな頃から一緒にいたからか、身長が大きくてもなぜかそんなに大きい気がしない。

「幼馴染の、オスカ。……オスカ、この子はセス」

「よろしく、オスカ」

「ああ、よろしく。セス」

「ところで、幼馴染って?」

「村で……スピカがここに来て少ししてから友達になったんだよ」

 セスティリアスに椅子を勧められて座ると、スピカは擦り寄ってきたアルカの頭を撫でた。毛が短くなって、すべすべとした柔らかい皮膚の感触と体温が直ぐに伝わってくる。前は毛で少し上の方が隠れて少し垂れ目みたいに見えていた目も、今は全部出ていてきょろきょろとしている。もしかしたら、アルカはスピカが思っていたように老犬ではなくて若い犬なのかもしれない。

「ふうん。だとしたらオスカも『かみさま』のこと知ってるんだ」

 お茶を淹れながらさらりとセスティリアスが口にしたので、スピカは少し恐々と隣に座ったオスカを見た。

 オスカと再会してからはトトの話題はお互い意識してか、全く出ていない。

 けれどスピカの心配とは別でオスカは別に気にした様子もなく、少し眠たそうに黙って座っている。

 スピカは息を吐くと言葉で返さずに小さく頷いて返した。

 ちょうどその時、扉が開いて盆に甘い香りを漂わせるお菓子を載せたリュシカニアが部屋に入ってきた。スピカを見るとにっこりと微笑む。

「リュシカ! 久しぶり!」

 椅子から勢いよく立ち上がったスピカは、お菓子を食卓の上に置いたリュシカニアに抱きついた。ほんのりと石鹸の香りがして、懐かしい気持ちになる。

 リュシカニアも同じ気持ちになったのか、嬉しそうに笑うとぎゅっとスピカを抱きしめた。

「久しぶり、スピカ。元気そうでよかったわ……お友達?」

 リュシカニアは視線をオスカへやって訊いた。

「うん! 幼馴染のオスカっていうの。オスカ、この人はセスのお姉さんの、リュシカだよ」

「どうも、初めまして」

「初めまして。リュシカニアと云います。……幼馴染?」

 リュシカニアがセスティリアスと同じことを聞いてきたので、スピカは薄く笑って頷いた。

「そう、幼馴染」

「この子が、村にいた時からの、だって」

「まあ、そう。ゆっくりしていってね、オスカ。お菓子も焼いたばかりだからよかったら食べて」

「いただきます」

 礼儀正しくオスカがそう言ったので、スピカは意外な気持ちでオスカを見た。オスカは食いしん坊で、いつも真っ先にお菓子を食べたりしていたのだ。スピカの分まで食べつくしてしまうことも度々あったので、今のオスカは少し気持ちが悪い。

 甘いお菓子の香りはとてもおいしそうで、十分に食欲をそそられるものだ。

「あれ、リュシカ、もう行っちゃうの?」

「ええ。残念だけど……昼過ぎから寺院の方へ出ないと行けないの」

「寺院勤めされてるんですか?」

 訊いたのはオスカだ。丁寧な言葉使いのオスカはやはりおかしくて、普段のスピカだったら笑ってしまうところだったかもしれないが、オスカがそんなことを訊いたのに驚いたスピカは、オスカを見た後にリュシカニアの方を見た。リュシカニアの表情はにこやかなまま変わっていない。

「ええ。これでも尼僧なのよ」

「あの、だったら訊きたいことがあるんですけど」

「なあに?」

「スペルカ様は、今どうしてるんですか」

「……」

 その質問にぎょっとして、スピカはオスカの真意が分からなくて、探るようにオスカを見た。

 真剣な顔をしたオスカは、その視線に気付いてスピカをちらりと見る。

 セスティリアスがお茶を飲んで茶器を置く音がして、少しの間口を噤んでいたリュシカニアが口を開いた。

「いつも通りよ。いつも通り、礼拝堂の方へ毎日行かれて、巡礼者たちの前に御身を出して下さっているわ」

「本当に? おかしなところはなにも?」

 食い下がるオスカを止めるように、スピカはオスカの服の袖を引っ張った。

 オスカの言うことが気になったが、それには触れない。その言葉の意味を考えたくはない。

「ええ。なにも」

 きっぱりと言ったリュシカニアに納得したのかしていないのか、オスカは何度か小さく頷くと何かを考え込むように口を閉ざした。

「気になる?」

 口を閉ざしていたセスティリアスがそう言ったので、皆一斉にセスティリアスを見た。当の本人はその視線を気にした様子もなく、茶器を指で弄んでいる。リュシカニアはその行儀の悪さを注意しようとしたが、その前にセスティリアスが口を開いた。

「だったら、会いにいけばいい。今、『かみさま』がどんな様子かをその目で見てくればいい」

 抑揚のない声で言われたその言葉はオスカにではなく、スピカに向けられているようだった。

 盲目だったあの頃、様々なことを知っていた頃のようにその瞳は少し遠いところを見ているように見えた。

「今は、ずっと『かみさま』のままだよ」

 その言葉の意味を測りかねて、皆じっと答えを求めるようにセスティリアスを見る。

 『かみさま』のまま。

「……本当?」

 スピカだけがその意味を知ったのか、そう尋ねた。

 だとしたら、トトはどうなっているのだろう。ずっと、というのはいつからだろう。いつから、ずっと、スペルカのままで。

 前にトトから離れるように、と言ったセスティリアスは苦笑しながら頷いた。

「お祭りの時に確かめてみるといい。スピカなら、分かるでしょ?」

 分かるのだろうか。最後に会った時、トトの瞳は底知れない深さでスペルカでいる時と余り変わらなかった。それに、都を出る前にセスティリアスに言われたことがまだ気になっている。

「……スピカが、トトの傍に行っても大丈夫?」

「私にはもう分からないよ。けど、もうどのみち……」

 セスティリアスはそこで言葉を切って、リュシカニアの方を見た。

「……いけない。ついぼうっとしてしまってたわ。そろそろ行くわね」

「うん。いってらっしゃい」

「スピカ、俺たちもそろそろ行こう」

 じっと黙って二人の話しを聞いていたオスカが立ち上がった。

「どこに?」

「昼飯、まだだろ?」

「うん。だけど……」

「行ってきたら? お祭り、私もあとで一緒に行ってもいい?」

 オスカを見ると頷いてくれたので、スピカは微笑んだ。

「うん! じゃあ、夕方の鐘の音が鳴る頃に、鐘の塔の前で」

「わかった。行ってらっしゃい」

 ひらひらと手を振るセスティリアスを背に、スピカとオスカはリュシカニアと共に家を出た。

 スピカは先ほどのセスティリアスの途切れた言葉の続きが気になっていたけれど、なんとなく訊けなかった。

 もうどの道、なんだというのだろうか。

 都を出る前に、スピカがまだトトから離れることを決心できずにいた時に、セスティリアスが言った言葉でスピカはトトから離れることを決めた。

 金色のかみさまは、スピカが傍にいるとそのうち死を望むようになる。

 セスティリアスはそう言った。あの不思議な視線と神秘的とも言える澄んだ声で。だからスピカはそれをあっさりと信じた。そうなる理由はスピカには分からなくて、それはもしかしたらスピカがスピカでないことにも関係するかもしれなかったし、それとは全く別のことだったかもしれなかったけれど、スピカはトトから離れなければいけないと思い、それがちょうどいい理由にもなった。

 秘密は、守らないといけない。それは今では殆どスピカ自身の為でもあったけれど。

「私はここで。二人とも、お祭りを楽しんで行ってね」

 リュシカニアは人通りの多い四つ角でそう言うと、にっこりと笑った。セスティリアスと同じ綺麗な銀色の髪が、水面みたいにきらきらと光を反射する。スピカはそれに見惚れながらも頷いた。

「うん。リュシカはお祭りには行かないの?」

「行くけれど、残念だけど私は遊びではいけないの。今年のお祭りは特に人が多いみたいだから、気をつけてね。あと、よかったらまた家にも寄って」

 手を振るリュシカニアを見送ってから、スピカとオスカは人ごみのなか歩きだした。

 リュシカニアの言ったとおり、人が多く中々進めない。逸れてしまったら大変だ。視界が前を進む人たちに邪魔されて、自分が今どこにいるのかも分からないスピカは、オスカに手を引かれながらなんとか進んだ。オスカの手はスピカが覚えているよりもずっと大きくなっていて、知らない人の手みたいだと少し違和感を感じた。

 みんな、少しずつ変わっている。オスカは前よりも落ち着いているように見えるし、セスティリアスはもっと明るい雰囲気になっていた。自分はどうなんだろう、とスピカは思う。手足は少し伸びたし、ずっと短くて伸ばせなかった髪を伸ばした。見た目は少し変わっているかもしれない。けれど、都を出たら何か変わるかもしれないと思っていた中身は少しも変わっていないような気がする。変わらないといけないのに。今でも、トトの傍にいたいと思っている。柔らかい皮膚に、骨に染み込んだ優しい声も、温かさも、手の冷たさもなくならない。それはもしかしたら失くしたくないのかもしれない。

「どうする?」

 前から訊かれてスピカははっと顔を上げた。

「昼飯」

「あーどうしよう」

 間延びした声を出しながら、スピカは視線を彷徨わせた。殆ど人の服や動物の体の一部しか見えないけれど、たまに間から露店が見える。

 結局二人はまだ人通りの少ない方の通りにあった食堂に入った。それでも昼時の為、食堂の中は人が多い。スピカとオスカは空いていた席に腰を落ち着けると、いくつか軽めの料理を注文した。

 二人は黙々とそれらを食べていたが、隣りの席にいたおじさんが陽気な声で喋りかけてきたので視線をそちらへ向けた。おじさんの頬はほんのり赤く染まっているし、息は少し酒くさい。

 スピカは少しきょとんとしてしてから、オスカの方を見ると、オスカは料理を食べる手を止めて苦笑していた。

「君たちは今日の祭りに行くのかな?」

「はい。おじさんも?」

 オスカが訊くと、おじさんは大きな口をにたりと歪めた。

「そうだとも。今日の祭りは都に住んでる以上は行かないとねえ。月祭りというのを知ってるかな?」

「月祭り?」

 スピカはどうしてその言葉が出てくるのか解からずに、首を傾げて訊き返した。

「そうだよ、お嬢さん。月祭りは元々スペルカ様がおられた小さな村で ……ほら、あの御山の向こう側にあるという小さな村。あそこで行われていたんだけどね、スペルカ様が都に来られてからはそれを真似て此処でもしようということになったんだよ」

 それを初めて聞いたスピカは少し目を円くした。オスカは知っていたようで、また料理を食べ始めている。おじさんはスピカの反応に気をよくしたのか、満足顔でにんまり笑うと大げさに頷いた。卓上に置いてあったお酒を飲んで一息つくと、また口を開く。

「村の住人たちはいい気はしないだろうねえ。なんてったって、スペルカ様を連れて行かれた上に本来なら村でするはずの祭りを都でされるんだから」

「……村では、しないの?」

「今年はしないって話しだよ」

 スピカは口を噤むと視線を落とした。

「スピカ、もう出よう」

 オスカがそう言って立ち上がったので、スピカもそれに従う。

「いい夜を! 共に祭りを楽しもう!」

 二人の後ろから、陽気に言う声が響いた。








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