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きみのこえ  作者: はんどろん
07.スピカ
27/63

27.

がたがたと荷馬車は揺れながら、次の町へと向かっていた。

 先ほどまで、たくさんの馬車が通って固められていた地面の上をこの馬車も通っていたが、今しがた、道になってはいるが凹凸の激しい道に入った。中に置かれた荷物が、揺れる度にがたがたと鳴っている。

 幌に覆われた馬車の中には、麻袋に詰め込まれた野菜、水や食料が入れられたこの地方独特の美しい空色の瓶、照明器具や生活に必要なものと、それぞれの地方の商品などが積まれている。

 雑多として少し狭苦しいその中で、馬車の揺れる音にかき消されそうになりながらも、高く澄んだ鳥の鳴き声が短く響く。

 老人は自分と同じように歳を重ねてきた馬車を曳く二頭の馬の後姿と、木々に囲まれた真っ直ぐ続く道を眺めるのに飽きて、後ろの幌を片手で少し開けた。

「兄さん、あんた吟遊詩人なんだろ? なにか聞かせてくれねえか。……次の町までまだ暫くあるからさ」

 言うと、体躯のいい青年が荷物の間から顔を突き出した。

 愛想の良いどこか色気のある笑顔を見て、老人はこいつは中々やるな、と思う。人当たりが良い好青年に見えるが、影で泣いた娘はたくさんいることだろう。

「どんなのがいいですかね?」

「ああ、あんた見たところ北の出身だろう?」

 青年は否定も肯定もせずに、ただ静かに笑った。

 老人は構わず続ける。出身でも出身ではなくとも、吟遊詩人なら行ったことがあるだろう。

「だったら、ヴィレンタって町知ってるか? 昔あんたとは別の吟遊詩人がその町の歌を教えてくれたんだが、そん時に一度聞いたっきりだったからはっきりと思い出せないんだ。どうにも好きだったんだがなあ。歌の名前も覚えちゃいねえ」

「ヴィレンタか……あなたが言っている歌かどうかは分りませんが、一つだけ知ってます」

 そう言って、青年は傍らに置いてあった弦楽器を手にし、遠い北の国の歌を歌い始めた。

 その歌は、老人の知っていた歌だったので、老人も無意識に口ずさむ。

 ちらりと、青年の向かいに積み重ねられた、麻袋の間から突き出している小柄な足を見たが、ぴくりとも動かない。老人からは見えないが、もしかしたら眠っているのかもしれない。

 けれど、青年は歌を止めようとしなかったので、老人も気付けば一緒に唄うことに夢中になっていた。




「見て、この枝、水につけると色が変わるんだよ」

 狭い馬車の中、たくさんの荷物に囲まれながら、スピカは手に持っていた小枝を雨瓶の中に溜まった雨水にさっと漬けた。

 白かった小枝は、じわじわと夕暮れの空のような紫に変化する。

「セスに、貰ったの。乾いたらまた元に戻るんだって」

「セイディマの小枝だね」

 イシュがそう言うと、スピカは残念そうに「なあんだ、知ってたんだ」と口を尖らした。

 指先で摘んだ小枝をくるくると回して眺めている。それは一見いつもと変わらぬスピカの様子に見えた。けれどそこには寂しげな雰囲気が纏わり付いていた。

 寺院から出てきたスピカは、イシュと目が合うと微笑んだが、それは無理してやっているのだとイシュには分かっていた。

 スピカは、本当は気持ちが零れ出しているような、嬉しい気持ちが伝わってくるような笑顔で笑う。

 寺院の前で会った二人は、その後セスティリアスの家に向かった。噴水の前で待っているというイシュを残して、スピカは一人でセスティリアスの家の扉を叩いた。

「いらっしゃい、スピカ……決めたんだね」

 扉を開けたセスティリアスが、透き通った緑の瞳でじっとスピカの顔を見ながら言ったので、スピカは頷いた。 次に彼女と会えるのもいつか分からないのだ。けれどゆっくりしている時間はなかった。トトに気づかれる前に都を出た方がいい。

 その後スピカとイシュは、都の入り口であり出口でもある大きな門の所まで歩いた。

 都をぐるりと囲む高い石の壁にその門は二つ連なっていて、一方には都を出て行く馬車や大きな荷物を持った人たち、もう一方には逆に外から都へとやってきた馬車などが大きな蛇のようにずらりと並んでいた。

 人がかなり多い。イシュは近くにあった外へと出ようとしている小さな馬車の一台に目をつけると、馬車の持ち主である白髭を蓄えて顔の半分くらいしか分らない老人に馬車に乗せてくれないかと交渉した。最初は訝しげにイシュのことを見ていた老人だったが、イシュが吟遊詩人だということと、小さなスピカを連れていることを知ると、あっさり乗せてくれた。

 老人は、次は近隣の町に行くのだと言った。

 イシュは、麻袋の山と瓶の間で膝を抱えて小枝を見ているスピカを眺めた。

 けして辛そうな顔をしていないし、悲しそうに顔を歪ませてもいない。けれど、寺院を出てからスピカはまだ一言もかみさまのことを口には出していない。多分口に出してしまうと、溢れ出す感情を留めることをできないことを知っているのだ。

 がたっと揺れて、上に吊るされたパドルの鳥かごが大げさに揺れたので、中でパドルがバタバタと羽をならした。

 抜け落ちた小さな赤い羽根がふわりと舞って、スピカの耳の後ろの髪に付く。

 イシュがそれを摘んで取ると、スピカは顔を上げた。大きな少女らしい目に、小さな鼻にぽってりとした小さめの口。まだまだ幼い顔をしている。

「帽子脱いだら?」

 イーノスが言うと、スピカは被っていた短い円柱型の帽子を脱いで、それを顔の前で持った。

 外からの喧騒も、もう余り聞こえない。

 都を出ても先ほどまではまだ長い馬車の列の中にいたから騒がしかったが、一台、また一台と分かれ道で離れて行った。それでもまだ何台かは同じ道を行っているらしい。数台の馬車の音と、たまに大きな声で会話する声などが聞こえてくる。 多分今同じ道を行く馬車は、同じ目的地を目指しているのだろう。

「次に行く町は、そんなに大きくはないけど、都の近くだけあって人も多くて賑わっているよ」

「……うん」

 スピカは帽子で顔を隠したような格好のまま返事をした。胸の前で折られた膝に、また小さな羽根が落ちてくる。その羽根は、下穿きの生成り色のズボンと、ズボンを入れて履いている膝下まである長靴の間に付いた。

 イシュはそれをぼんやり眺めながら、口を開く。

「暫く寝ててもいいよ。着いたら起こしてあげるから」

 スピカは小さく頷いた。

 都にくる前、トトにも同じことを言われた。

 本当に、あれで最後なのだろうか。自分でとった行動なのに、中々信じられない。セスティリアスが言っていた通り、長く近くにいすぎたのかもしれない。

 トトは、もうスピカがいなくなったことに気付いただろうか。

 ふと幌の前方が開いて、髭の老人がひょこっと顔を見せた。老人はイシュに北の歌を頼んでイシュが歌い始めると、また幌は閉められて少し薄暗くなる。奏でられる弦の音色と、イシュの少し低めの心地よい声が幌の中を満たす。少し悲しげな、懐かしいような音楽だ。外で、おじいさんの歌声も聞こえる。

 スピカは膝で張っているスカートに顔を埋めると、目を閉じてその歌を聴いた。

 歌が終わると、おじいさんが外で笑い混じりの声を張り上げた。

「俺が言ってた歌、兄さんが唄ってくれたやつだったよ! いや、懐かしい! それにしてもいい声してんなぁ!」

「どうも!」

 イシュも老人に聞こえる程度の声を上げた。

 それから老人に頼まれてイシュは何曲かの歌と、詩を朗唱した。

 恋愛歌や、不思議な内容の詩、スピカの聞いたことがあるのも一つだけあった。スピカは村でイシュからたくさんの詩や歌を聞いたが、それでもイシュはそれ以上にたくさんの歌や詩を知っているらしい。

 まどろみながらも、スピカは眠らずに目の前のスカートを見つめてぼんやりとそれらを聴いた。


 都を出てから一刻程過ぎたころ雨が降り出して、幌に当たってはぽつぽつと音を鳴らした。前に座っていた老人も、幌の中に手を突っ込んで置いてあった雨具を取って羽織る。

「降ってきたなあ!」

 外で老人の声が響いた。おそらく隣を行く馬車の方に言ったのだろう。斜め前の方から「今日は降らないと思ってたんだがなあ!」と聞こえてきた。

 確かに、今日の朝は久しぶりに晴れていた。天気なんか分からないものだ。

 雨足はあっという間に激しいものに変わる。幌を打ち付ける雨音もそれと同時に大きくなった。

 イーノスが老人の代わりに御者台に行こうと立ち上がった時、スピカがぽつりと言った。

「本当はずっと嘘ついてたんだ……わたし、本当はずっと……トトのこと大嫌いだった。ずっとトトのことが憎かった」

 膝に顔を埋めたまま、寝ているのかと思っていたスピカがそう言ったので、イシュは最初の方が少し聞こえなかったが、聞き返さずに荷物の間で小さく丸まったスピカをじっと見た。

 震えてるのかもしれない、と思ったが荷馬車の揺れでそんなことはわからない。

「……本当だよ?」

「うん」

「だけど、」

「ん?」

「だけど、それなのに、トトに本当のことがばれて、嫌われたくなかったの。憎いのに、一緒にいたいって思うの。ずっと一緒にいたいなって、思ってた」

 それは今も。トトと離れるのはこんなに辛い。まるで半身を失うように、心細い。

 スピカは発露しかけた秘密を恐れて、それでも自分の中でトトの傍にいる理由を見つけようとした。

 セスティリアスに言われた予言めいた言葉。

 それで、スピカは決めた。それが一番の理由だったかはスピカにも分からないけれど、明日も、明後日も、この先多分ずっと、もうトトには会わない。

 温かな場所から離れたのは、スピカだ。

 温かで、ずっと苦しかった。何度も沈められては、浮き上がる度に肺いっぱいに甘い空気を吸い込んでいた。

「トトはなんにも知らないで、自分でここに呼び寄せたくせに……スピカの名前を呼ぶ。どうでもいいみたいにシュトゥとアラントから離れる」

「うん」

 スピカは一息つくと膝の間に埋めていた顔をずらした。

 それでもトトと一緒にいたいと思うなんて、馬鹿げている。

 心の中にある蟠りは言葉にしきれない。相反する感情の意味をスピカ自身理解できない。

「……トトは、スピカがいなくなったらどうなるんだろう?」

 その呟きは、馬車の揺れ動く音と雨音に紛れて、イシュには届かなかった。

 できれば、何事もなかったかのように平然としてくれていればいい。 真実も知らないまま。

 寂しいけれどスピカのことを忘れてしまってもいいから、みんなのことを好きになってほしい。それは、見捨てる側の凄く自分勝手な願いだと分かっているけれど、何かひとつで世界がころりと変わってしまうことをスピカは知っている。トトから離れて罪悪感と色んな感情を抱くスピカは、トトの世界が変わるのを祈るだけだ。

 スピカはそうしてトトへの想いを少しも無くせずにいた。









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