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きみのこえ  作者: はんどろん
07.スピカ
25/63

25.

「あなたの名前は?」

 セスティリアスが聞く。

「君の名前は?」

 イシュが聞く。

「お前の名前は?」

 オスカが聞く。

「本当の名前を聞かせてごらん」

 おばあちゃんが言う。

「スピカは、スピカだよ」

 スピカはトトに言う。

 トトが何度も呼ぶから、染み込んでしまった名前。




 トトが熱に魘されているのにみんなが気付いたのは、その日の昼間のことだった。

 それまでもこんなことは何度かあったけれど、今回はトトも意識がはっきりと定まらず、魘されながら何度もスピカの名前を呼んだらしい。

 スピカはオスカに続いて、トトの家までの道のりを必死で走った。別にスピカが行ったところで何もできないことは知っていたが、とにかく走った。

 オスカの必死な様子で不安になったが、今回もトトは大丈夫な筈だ。また直ぐに元気になって、優しい顔で微笑むはず。

 けれどそんなスピカの希望も、トトの家についた途端に小さく縮んでしまった。

 トトの家には不安そうな顔でたくさんの村の人たちが集まっていた。

 オスカに促されるまま見慣れたトトの部屋に入ると、寝台の周りには村で唯一の医者であるグレッグおじいさんと、その助手でトトのお父さんであるアラントが辛そうな面持ちで寝台を見下ろしていた。寝台の前ではトトのお母さんのシュトゥが跪いている。

「トト……?」

 扉の前で立ち尽くしていたスピカは、小さく呟いた。

 そんな声がトトに聞こえるわけがなく、スピカの来訪に気付いたアラントがしゃがみこんでシュトゥの背中に優しく手を這わせながら、囁いた。

 振り向いたシュトゥの目は赤く潤んでいて、少し腫れていた。どうにか作り出された微笑みも、いつもの心からのものではない。スピカも動揺して微笑み返すことができなかった。

 後ろで立っていたオスカに背中を押されて無意識に歩き出す。

 寝台に寝転んでいたトトは、いつものようにスピカに微笑み返してくれることはなかった。いつもの優しい声で迎えてもくれない。ただ赤い顔で目を瞑ったまま、苦しそうに息をしている。金色の綺麗な髪は、汗で濡れていた。

「トト、」

 シュトゥの隣にしゃがみ込んで名前を呼んでも、トトは目を開けない。

 手を握っても、いつもは冷たいその手はスピカの手より熱くて握り返してくれなかった。

 みんなトトの回復を切に願いながらも、心の片隅で諦めていた。

 けれどトトが熱に魘され始めてから三日目、それまでの熱が嘘だったようにに、トトはいつもの穏やかな顔で起き上がった。

 みんなが驚いたのは、もう駄目だと言われていたトトが平気な顔で起き上がったからだけではなかった。急に湧き上がったトトに対する感情に驚いたのだ。トトが目覚めた為とは明らかに関係のないことで、心は歓喜の声を上げていた。

 それはスピカもオスカも同じことだった。

 司祭が呟いた言葉にみんなそこまで驚かなかった。みんな、声に出さなくてもなんとなく気付いていた。トトは、熱病の最中にどういう訳か『かみさま』になってしまったのだと。

 司祭が呟き、静まりかえった部屋の中で、スピカはトトの目の前で殆ど無意識に声に出していた。

「スペルカさま……」





 スピカがセスティリアスに会った次の日、トトはまた尼僧たちに髪を黒く染めてもらうことにしなった。

 空は相変わらずどんよりと雲を纏っていたが、それでもいつもより明るくて、雪の気配もない。空気も冷たく澄んでいた。

 トトが髪を染めてもらっている間、スピカは扉に凭れて待った。

 足音に顔を上げると、イーノスがいつもの無愛想な顔で立っていた。

「兄妹だったんだね」

 そう言ってスピカが一睨みすると、イーノスは不機嫌そうな顔を一転させて小さく笑って肩を竦めた。

 スピカもつい微笑んでしまいそうになったが、わざと怒った顔のまま続ける。

「それで、リュシカはお姉ちゃんだった」

 そうスピカが言うと、今度は少しうんざりした顔になった。

「その言い方はやめろ」

 そう言ってスピカの隣で壁に凭れたイーノスは、それでも薄く笑っていた。

 それにつられてついスピカも微笑んでしまう。

 まだ、セスティリアが治るとははっきりと決まっていない。スピカはトトが寺院に集まってくる病人達を治していることなんてリュシカニアに聞くまで知らなかった。そんなことができるなどと考えもしなかった。けれど大丈夫のような気がして、幾分かは気が楽になったのも本当だ。

 スピカがセスティリアスのことをトトにお願いした時、トトがどんな風に思うのか想像もつかなかったが、特に変わった様子もなかった。

 村人たちは敏感にスピカに色んなことを禁じて、スピカもそれにがんじがらめになってしまっていただけで、それは大げさなことだったのかもしれない。

「道は、決まったのか?」

「え?」

 唐突に聞かれてスピカは聞き返した。

「道は、決まったのか?」

 イーノスがもう一度繰り返すと、スピカは曖昧な顔をした。

 静かな廊下で隠そうともしないイーノスの小さなため息が、やけに大きくスピカには聞こえる。

 イーノスが最初からその話しを知っていたのなら、スピカの決断の遅さに呆れているのかもしれない。けれど、スピカを見下ろしたイーノスの表情は柔らかかった。

「もし、此処以外の場所を選ぶ時は言え」

 そう言った言葉にも、少しの優しい響きが隠れていた。

 スピカは言葉の意味を理解しようと、イーノスの表情をじっと見つめながら心の中でその言葉をもう一度繰り返したが、結局解からずに首を傾げた。

 イーノスがトトの護衛をしているのはスピカも知っていた。寺院に来てからはスピカよりも、イーノスの方がきっとトトと長い時間を過ごしているのだろう。余り感情を表に出さないイーノスだが、トトの影響を受けていないとは考えられない。イシュでさえもトトに対してあの、スピカの知らない感情を抱くというのだから。

「もし、それを選んでイーノスに言ったら、どうなるの?」

「協力してやる」

 小声だがはっきりした声で言われて、スピカは目を見張るとはっと後ろの扉の方を見た。

 トトに聞こえてしまったんじゃないかと思たが、扉の向こうにはトトと数人の尼僧たちがトトの髪を染める作業をしているのに、物音一つ漏れてこない。恐らくイーノスの小声なんてあちら側には聞こえていないだろう。

「家に帰りたいと望む子供が、望んでもないのに此処に閉じ込めらてるなんておかしいだろう?」

 子供という言葉に一瞬は眉を顰めたスピカだったが、なにを言っていいのか分らずに口を噤んだ。お礼の言葉を言うのも、少し違う気がした。

 自分の居場所が何処だか判断できずにいて、その上その迷いは永遠に続く気がする。最近は思いもしなかった急な決断の時に、気持ちはまだ混乱している。一つを選べば、もしかしたらもう一つの可能性は失われてしまうのかもしれないのだから。どちらもスピカにとっては大切なものなのに、選べなんて余りにも酷だ。

「ずっと考えていると、結局はこの場所を選んだことになるぞ」

 スピカの心情を読んだかのような言葉に、スピカは微かに頷いた。


 トトが髪を真っ黒にして扉から出てくると、やはりスピカは少し違和感のあるトトの髪に釘付けになった。

「お待たせ。じゃあ、行こうか」

 トトがそう言ってから三人で歩き出すと、それから誰もリュシカニアとセスティリアスがいる家に着くまで一言も喋らなかった。

 スピカはなんとなく緊張していた。セスティリアスはきっとトトが治してくれる。

 だったら、この緊張はなんなのか。

 セスティリアスがスピカにトトのもとを離れるように言ったからかもしれない。

 トトはいつもと同じように穏やかな雰囲気を纏っている。けれど、セスティリアスに会いに行く道のりの間、スピカを一度も見なかったことにはスピカも気付いていなかった。前は逸れないようにと繋いだ手も、繋がれることはなかった。それぞれ目的地の場所をもう知っていたから、その必要はないのだ。

 イーノスが扉を開けて、あの花のかおりと薬のにおいが広がった。

 セスティリアスはスピカたち三人が来るのを最初から知っていたように、寝台で体を起こしてスピカたちの方に顔を向けていた。けれど扉が開けられると同時に、セスティリアスが小さなため息をついたのをトト以外の誰も気付かなかった。

「いらっしゃい。スピカ、かみさま。おかえり、イーノス」

「リュシカニアは?」

 イーノスが聞くと、セスティリアスは薄く笑った。

「買い物に、行ってもらった」

「なんでもお見通しか」

「なんでもじゃないよ。私にだってわからないことはたくさんある」

 そう言うと、見えている様な目線をスピカに向けた。

 スピカはどうしてセスティリアが自分のことを見たのか分からずに首を傾げた。

 トトはフードをとると、イーノスに促されてセスティリアスのいる寝台の横にある簡素な木の椅子に座った。

 よく考えれば、スピカはトトが『かみさま』の力を示したところを見たことがなかった。どきどきなる胸を押さえるように服をつかむ。

 けれど、トトはセスティリアスの両目を片手で塞いだだけだった。暫くそうしていただけ。

 トトが目を離した時には、セスティリアスの目は綺麗な澄んだエメラルド色に戻っていた。

 瞳の色を取り戻したセスティリアスは、ぽかんとその様子を眺めていたままのスピカを見ると微笑んだ。イーノスはトトがこんな風にしたのを今まで何度も見ているのだろう。驚いた様子はなかったが、それでも嬉しそうな顔をしていた。

「寝台から下りてごらん」

 トトがセスティリアスに言う。

 セスティリアスはトトに言われた通りに寝台を下りた。しっかりと手を寝台について。寝台から下りたセスティリアスは、何度か確かめるように足踏みをした。

「ありがとう。かみさま……目もぼんやりだけど見えるようになった。スピカも、ありがとうね」

 セスティリアスは特に驚くことも大げさに喜ぶこともなく、いつもの調子の澄んだ声で言ってにこりと笑った。

「目は、時間が経ったらはっきりと見えるようになるよ」

 トトは言いながら椅子から立ち上がった。早く帰りたいのか、フードを被る。

「じゃあ、僕達はもう帰るよ。イーノスは、暫くいてあげて。久しぶりに兄妹水入らずで過ごしたら?  ……勿論僕達はちゃんと寺院まで帰れるから。小さな子供じゃないから大丈夫だよ」

 イーノスが断ろうとしたのをトトは言葉を継ぎ足して塞いだ。

「……夕方には戻ります」

 イーノスは少し迷った後、薄く笑いながら言った。

 スピカも目が見えるようになったセスティリアスと話しをしたいし、外にも一緒に遊びに行きたかったが、トトがなんだか帰りたそうだったのでトトと一緒に帰ることにした。

 玄関でスピカが手を振ると、やはりちゃんと見えているらしいセスティリアスは微笑んで手を振り返してくれた。イーノスも笑っていた。

 イーノスはやはり寺院まで二人を送ると言ったけれど、トトがやんわり断った。

 家を出て扉を閉めた瞬間、スピカはなぜか少しだけ寂しくなった。

 リュシカニアも、家に帰ってきてセスティリアスの目が見えるようになっていることを知ると、びっくりするだろう。スピカはとても驚いた。今でも現実味がないけれど、セスティリアスの目ははっきりとした意思を持ってスピカを見て、その瞳は凄く綺麗だったのだから、きっと本当のことだ。いつも仏頂面のイーノスもあんなに嬉しそうに微笑んでいたのだから。リュシカニアが帰ってきたら、お祝いになるだろう。

 イーノスとセスティリアスが兄妹だったなんて中々信じられなかったスピカにも、二人はちゃんと兄妹に見えた。家族独特の温かくて通じ合った雰囲気。スピカはそれが少し羨ましい。

 階段を下りるトトについて歩きながら、スピカはぼんやりしていた。

 スピカにも、昔妹がいた。

 小さくて、友達と遊ぶ時にはいつもついて来て、少し鬱陶しかったけれど、可愛い妹だった。

 パパも、ママも、いた。

 今はスピカは一人ぼっちだ。

 トトや、イシュや、オスカがいたってその寂しさだけは無くならない。ふとした瞬間に思い出しては心に暗い影が被さってくる。いいな、と思った。スピカも家族に会いたくなった。

 前を歩いていたトトの歩みが急に止まったので、スピカははっと立ち止まった。あとちょっとでぶつかりそうだったので、どきどきする。

「どうしたの? トト……」

「あの子の目は見えるようになった変わりに、見えない間に見えていたものが見えなくなったよ」

「え?」

「あの子にも、これからは何も分からないってこと」

 トトは一度も振り返らずにそう言うと、また歩き出した。

 スピカはよく分からないまま、またトトの後を追いかけるようにして階段を下りた。

 噴水のところでようやく振り向いてくれたトトは、いつも通り優しく微笑むとスピカに手を差し出した。スピカもどうしてかほっと息をつくとトトの手をとった。

 そういえば、お礼をいうのを忘れていたのを今更ながらに思い出す。驚いてすっかり忘れていた。セスティリアスと喜び合う間もなく家を出たので、セスティリアスにも何も言っていない。

「ねえ、トト」

「うん?」

 人ごみに入ると、声が聞こえにくくなった。逸れないようにトトがぎゅっと手を握ってくる。

 けれど、トトとスピカの周囲をみんな上手く通り抜けていく。時々ちらちら見てくる視線がスピカは少し気になった。

「ありがとう」

 トトは聞こえていないのか、返事をしなかった。


 その日の夕方、オスカが寺院に尋ねてきた。

 スピカはまた寺院を出れなくなっていた。セスティリアスに会いに行く時にはあんなりあっさり外に出れたのに、また門番をしてる騎士の目は厳しいものに戻っている。それにトトと一緒に外に出るのはよかったのに、スピカ一人でどうして外に出てはいけないのか、やはり分らない。

 オスカはスピカの不機嫌そうな顔を見ると、何が可笑しいのか噴出した。

 失礼にも程がある。スピカが頬を膨らませて睨むと、オスカはスピカの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

「イシュに、会ったんだろ?」

「うん」

 二人は回廊に置かれた長椅子に並んで座りながら、オスカが持ってきた菓子パンから好きなものを選んだ。

 途中、二人の前を通りかかった尼僧が訝しげに見ていったが、気にしない。

 大きな紙袋の中には、小さなスピカが食べきれない位の量のパンが入っている。勿論、食べるのは殆どオスカだ。スピカは甘くてふわふわの生地のパンにした。多分玉子とバターがたくさん入っているのだろう。黄色くておいしそうだ。それにまだ温かい。オスカはスピカの両手を広げた位の大きさの、まるくて白いパンに齧り付いている。

「これ、下のパン屋さんの?」

「うん。これはヨルカが貰ったんじゃなくて、来る前に持たされたんだ」

「ふーん? おいしいね」

「だろ?」

「ケーキみたい」

「けーき?」

「うん。ケーキ……チェルティマトみたいなの」

「へー…」

 いいな、それ。うまそうだな。

 オスカが本当にケーキを目の前にしているみたいに言うので、スピカは思わず笑ってしまった。

 先ほどスピカとオスカの前を通りかかった尼僧が戻ってきたので、スピカは何かいけないことをしてしまったのかと少し心配になったけれど、尼僧はお盆に載った温かいお茶をスピカとオスカが座っている長椅子に黙っておいていってくれた。

 スピカとオスカはきょとんと顔を見合わせて、すぐあとに笑った。

「イシュに聞いたんだけどさ」

「なあに?」

「お前は……帰るのか?」

 オスカはお茶を一口飲んで一息ついた後で聞いた。

 スピカは驚いて思わず手に持っていたパンを危うく落としてしまいそうになった。

「わからない」

 まだ。

「そうか……昔はお前、帰りたがって毎日泣いてたもんな」

「毎日じゃなかったと思うよ……オスカは、スピカが帰った方がいいと思う?」

「俺に訊くな。人の意見にお前は左右されるだろ? 自分で決めろ」

 オスカが叱るようなキツイ口調で言ったので、スピカはオスカの顔を伺った。

 それに気付いたオスカは直ぐに微笑むと、またスピカの頭をくしゃくしゃした。

「怒ってないよ……いや、ちょっと今怒ってたかも」

「どっちなの……」

 オスカは、ははっと笑うと「悪い」と悪びれもなく言う。

「……今日ね、トトがスピカの友達の病気を治してくれたの。トトは、やっぱり優しいよ」

「単純」

「そうかな」

「そうだよ……ほだされるな。あれ、は酷い」

 そう言ったオスカは少し苦しそうだった。

「何が酷いの?」

「お前は知らないだけだ。とにかく酷いんだよ」

「そんなんじゃ、わからないよ」

「……イシュはもうすぐしたら、都を旅立つんだろ? 本当にどうするんだ」

「最近、トトと一緒にいると、不安になる。足元が不安定な感じがするの」

「やばいのか?」

「わかんない……」

 二人は黙りこんでちびちびとパンを食べた。

 冷たい風が、廊下を走る。巡礼者たちの列は途切れない。

 トトはきっとあの綺麗で大きな建物の中で、『かみさま』の仕事をしている。

 気持ちが焦るばかりで中々決められないスピカは、顔を歪めた。

 部屋にある赤いワンピースに小さな靴。あれは確かに本物。では、今ここにスピカがいるのは夢かもしれない。けど、やっぱりこれも本物。

「ねえオスカ、スピカがここにいなかったらよかったのにね。そうしたら、トトもスピカとずっといようとはしなかったし、わたしも、何も知らないままだった」

「選べない……か」

「……うん」

「それは、この場所を選ぶっていうのと同じことだぞ?」

 イーノスと同じことを言うので、スピカは小さく笑ってしまう。

「だけど、トトの傍にはずっとはいれない。このままじゃいけないってことは、なんとなく分ってる」

「だよな」

「本当は、全部本当のことをトトに言った方がいいのかもしれない。黙ってトトの傍からいなくなるより」

 スピカがそう言うと、オスカは表情を少し暗くした。なにかを思い出したように言う。

「やめとけ。そんなこと言ったら、どうなるか分らない」

「どうなるって」

「お前は知らないだけで、また酷いことになるかもしれない」

「酷いことってなに? しらないしらないって、言ってくれなきゃそりゃしらないよ」

 スピカが眉を顰めると、オスカはまた誤魔化すように頭を撫でる。

 スピカは両手で頭を撫でながらオスカを睨んが、パンにがぶりと齧り付いて参列者の方に目を向けたオスカが、悲しそうな顔をしていたのでそれ以上なにも言えなくなった。


「じゃあ、また明日も来るよ」

「うん……ねえ、村にはいつ帰るの?」

「まだ暫くは帰らない」

「どうして?」

「都、結構楽しいしさ」

 そう言ってオスカはにかっと笑った。

「お前は村のこと考えるな。子供二人いなくなった位で村が潰れるわけじゃない」

 けれど、子供の一人はかみさまだ。それにスピカは村にもう帰れないかもしれない。

 都に来てから、結局あの小さなおばあちゃんの家にも戻っていない。村のみんなにも、もう一度でいいから会っておきたかった。だけど、スピカはきっと自分勝手に村を見捨てる。

「スピカがいなくなったら、トトは村に帰るかもね」

「かもな。けど、きっと都がスペルカ様を離したがらないんじゃないか」

「どうして?」

「わかんねえ?」

 そう言ってオスカは、長く続いて絶えることない巡礼者の列を見やった。みんな、真っ青な服を着ていた。おじいさんにおばあさん、おじさんにおばさん、若いお姉さんや男の人。スピカより小さい子供までのろのろと進む列に並んでいる。

 『かみさま』を必要としてやってくる人たち。

 こんなに『かみさま』を必要としている人がいるのに、きっとトトを必要とする人はこの中にはいない。

「……なんだか、かみさまみたい」

 いつか言った言葉をもう一度言うと、オスカは苦笑した。

「だから、かみさま、だろ?」

「トトは、トトだよ」

 スピカがいうと、オスカは寂しそうに笑った。

 

 その晩、空気が冷えてしんっと街が静まり返るまで、スピカは眠らなかった。

 多分、あと少しでスピカはいなくなる。家にもし帰れなくても、きっとスピカはいなくなる。

 トトに名前を呼ばれない限り、スピカはスピカじゃない。スピカでいる意味がない。

 長い間使われた名前。

 トト。

 トトは、スピカだけが必要。本当に小さな頃から一緒にいたスピカが。

 トトに偉そうに、絶対に村に連れ帰ると言ったけれど、もうそれも出来そうにない。

 スピカは、イシュと一緒に行くことに決めた。








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