表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
きみのこえ  作者: はんどろん
05.都の少女
15/63

15.

「おかえりなさい。街は楽しかった? イーノスさまは今回はちゃんとついていてくれたのかしら?」

 部屋に帰ると、リュシカニアがパドルの水を替えていたところだった。

 パドルは、リュシカニアの手が鳥かごの中に入ってきても気にした様子もなく、止まり木の上でゆったりとしていた。戻ってきたスピカをきょろりと目だけ動かして見ると、チチッと小さな声で短く鳴いた。

「ただいま。部屋の前まで送ってくれたけど……イーノスは、いじわるだと思うよ」

 むすっとした様子で言うスピカを見て、リュシカニアはきょとんとした。パドルは軽く首をひねっている。

「いじわるなの?」

「うん。スピカは子分なんだって」

「……え? イーノスさまの?」

「ちがう。アルカの……街で女の子と会ったんだけどね、その女の子が大きな犬を連れてて、その犬がイーノスにすごく懐いて、ずっとイーノスについてまわってたの。けど、スピカには、スピカがちゃんとついてきてるか確かめるのになん回も後ろを振り向いてきたの」

「……イーノスさまが、スピカがその犬に子分だと思われてるんじゃないかって?」

 要領をえないスピカの言葉を、リュシカニアはなんとか頭の中で訳して言ってみた。スピカはむすっとした顔のまま神妙に頷いた。そうしていると、小さなスピカはますます幼く見える。リュシカニアは苦笑した。

「スピカを馬鹿にするみたいに笑って言ったの」

 本当に小さい子供のような言い草だ。

 けれど、スピカのそんな様子によりもリュシカニアはスピカの言ったことに目をまるくして驚いていた。

「まあ、イーノスさまが? 笑ってらしたの?」

「うん。いじわるそうに」

「まあ。めずらしいこと。本当に。あの仏頂面がねえ……」

 そう言ってリュシカニアはスピカを感心気に見つめた。最後にとんでもない呼び方でイーノスのことを言っていたが、本人は無意識のようだ。

「……そんなに、めずらしいの?」

「ええ。あの人って、いつも殆ど表情がないか不機嫌そうな顔をしているもの。あなたはわりと気に入られてるのかもしれないわね。少なくとも嫌われてはいないわ」

「……そうなんだ」

 あのいかにも意地悪そうな顔で笑って見下げてきたイーノスが?

 スピカは釈然としないまま相槌をうった。けれど、もしそうなら少し嬉しいかもしれない。

 リュシカニアはだんだんと顔が緩んでいるスピカの顔を黙って眺めながら、笑いを堪えていた。



 トトは今日もスピカの部屋にやってきて、スピカと一緒にごはんを食べた。

 一緒に、と言っても二人の間に会話はない。トトはたまにスピカに喋りかけているが、別に答えが返ってこなくてもやはり気にした様子もない。最初からスピカから返事がくるのを期待していないようだった。だから、スピカもトトを無視できた。少しの罪悪感はあるけれど、トトはスピカの話しを聞いてくれないのだから、スピカは口を開いても意味がないのだ。

「なんだか、今日は随分と機嫌が良さそうだね」

 トトは、スピカが野菜スープを飲んでいる途中にそう言ってきた。

 スープには、七種類もの野菜が入っていて色とりどりだ。だしがよく出ている。ときどき鶏の肉だんごが入っていて、スピカは味わいながらそれを食べた。他は少し苦味のあるチーズの入ったパンと、赤いソースのかかった鶏肉と果物の盛り合わせだ。

 トトはスピカがそれらを食べ終わるまで、おいしそうにもりもり食べるスピカをどこか楽しそうに眺めながら返事をじっと待っていた。スピカはいつもごはんを食べ終わるまで返事をくれないのだ。食べ終わった頃に、諦めたように少し小さめの声で返事をしてくる。

 スピカは、できるだけこの前のことは思い出さないようにしていた。トトはあれから普通にスピカに話しかけてくるのだ。

「……別に」

「え?」

「別に、機嫌よくないよ」

 素っ気無く言うスピカに、トトは肩を竦めて「そう」と言った。

 スピカの目には、二人の横にある暖炉の火が揺らめいている。外はもう真っ暗で、窓には薄っすらと水滴がついていた。

「ねえ、スピカ。僕たち、仲直りできないかな?」

 トトは優しく微笑みながら、少し困ったようにそう言った。

 スピカはトトをじっと見て少し眉をひそめる。

「トトが、村に一緒に帰ってくれるなら」

「どうしてそんなに帰りたいのかな? ここだって、きっと暮らしていれば好きになれると思うよ」

「村には、おばあちゃんのお墓だってあるし、スピカの家だってあるし……それに、みんないるもん」

「みんなって?」

「オスカとか、ヨルカとか……村のみんな、だよ」

 それ以外にもいっぱいある。あそこはスピカもトトも育った場所だ。

 スピカとトトが出会った場所で、一緒に育ったところ。

「僕にとっては、あそこにはなんにもない。あそこにいたら、すべて奪われる気がする」

「うばわれる?」

「うん。そう」

 トトは目を細めてそう呟くと、にっこりと笑った。

 スピカはもう、シュトゥやアラントのことをトトに訊く気にはなれなかった。卓上に目をやると、トトのお皿にはパンや鶏肉がそのまま手をつけられずにいた。

「トト、食べないとだめだよ」

「心配してくれるの?」

 トトが少し意外そうに訊くものだから、スピカは少しむっとした。

「心配、するよ」

「スピカは、愚かで、優しいね」

「え?」

 スピカが顔をあげると、トトはやはり笑っていた。今聞いた声は少し悲しそうだったのに、それでも柔和な笑みは変わらない。

「……トト、明日一緒に街に行こう」

 スピカは自分でも殆ど無意識にそう言っていた。少し薄暗い部屋の中、トトがいなくなりそうな感じがして急に緊張してくる。

 どうにか、繋ぎ止めないと。無意識にそう思った。

「ばれるよ」

「ばれないようにすればいいよ……そうだよ、一緒に外に出よう!」

 無意識に言った言葉が急に名案のように思えてきて、スピカは声を高くして嬉しそうに言った。不快感や怒りは少し軽くなって、行儀悪く身を乗り出して向かいに座るトトの手をとった。

 トトが一瞬、体を震わせたことにスピカは気づかない。

 トトは穏やかに笑うと、優しい声で言った。

「わかった。じゃあ、今日は早く寝ないとね」

「うん。それで、厨房のおじさんにお昼ごはんをもらって、噴水のところで食べようよ!」

 スピカはセスティリアスとアルカのことを思い出し、スピカとトトとセスティリアとイーノスとアルカで、天気のいいなか噴水のところでお昼ごはんを食べているのを想像して、わくわくした。

「野遊びに行くみたいだね」

「うん! イーノスと、セスとアルカも一緒に!」

「……イーノス?」

 トトはスピカの口からその名前が出たことに、少し意外そうに目を大きくした。

「いつのまに仲良くなったの?」

「仲良くはなってないよ。リュシカが心配するから、スピカは一人で外に行っちゃいけないの……だから」

「イーノスが付いて行ってるんだ?」

「うん」

 仲良くなったの、と聞かれて一瞬不機嫌そうな顔をしたスピカだったが、トトの言葉に満足げに頷いた。トトはどこか呆けた様子で「へえ」と相槌を打っている。

「セスは街で会った女の子で、アルカは大きな犬なの。セスはぎんいろの長い髪ですごく綺麗なんだよ!」

「セスっていう子は、イーノスと同じ国の出身なのかな?」

「すごい! トト、どうして分かるの?」

「銀色の髪っていうのは、北の方に多いって聞いたから……」

 トトは苦笑しながらそう言った。

 スピカはすっかり機嫌が直ったみたいにはしゃいでいた。身を乗り出してトトに顔を寄せて嬉しそうに笑っている。

「スピカ、近い。とりあえず長椅子に座ろう。街で、どんなことがあったかよかったら聞かせてくれるかな?」

「うん!」


 翌日、空には薄っすらと雲が張って寒かったが、雨の気配もなくスピカは安心した。

 昨日の夜は久しぶりにトトといっぱい話しができて、スピカは少しほっとした。もしかしたらずっとこの前みたいな状態が続くかもしれないと不安だったのだ。けれどトトはやはり村に帰るつもりは全くない様で、スピカはそれを知る度にちくちく胸が痛むのを感じた。トトの顔を見るとふと最後に見た村の人たちの顔を思い出す。

 トトの強情さに、言ってはいけないことが喉に引っかかった。

 あの村には、トトの本当に大切なものがあるんだよ。

 トトに、あの村にはなんにもないなんて言わないで欲しい。スピカよりも、たくさんのものを持っているくせに。

 スピカは暗くなりそうな気分を振り払うために、首を振った。

 トトはばれないように変装中だ。最初街に行くと言ったとき、尼僧たちは慌てた様子でトトを止め、スピカを睨んだが、トトがなにかを言うと尼僧たちは顔を青くして、トトの正体を隠すための準備を始めた。

 スピカは待っている間に食堂にお昼ご飯をもらいに来ている。

 昼食の下ごしらえをしているが、まだ朝の時間のせいか、そんなに慌しくはない。おじさんはゆったりとした調子で気軽に声をかけてきた。

「嬢ちゃん、今日もリュシカニア様とイーノス様と庭で食事するのかい?」

「ううん。今日は、街で友達とご飯を食べるの」

「へえ、もう友達ができたのかい?」

 おじさんは「感心感心」と言って鍋の上の薄焼き卵をひっくりかえした。ふわりといい香りが漂ってくる。スピカは身を乗り出しておじさんの手元を覗き込んだ。

「じゃあみんなの為に腕を振るうから、ちょっとまってなよ。もうすぐできるからな」

「うん! ありがとう」

 おじさんは目尻に皺を寄せてにかっと笑った。スピカもおじさんを真似てにかっと笑うと、厨房にいた若い人たちがくすくすと笑っていた。

 おじさんが用意してくれた昼食は、大きな手提げ籠二つぶんだった。蓋はやはり閉まりきらずに、中から肉と野菜を挟んだパンが飛び出している。スピカは少し驚いたが、今日は三人ではないからそのくらい食べるだろうと思い、少しよろめきながら大きな籠二つを持って、おじさんと厨房の人たちにお礼を言うと厨房を出た。厨房の前ではイーノスが壁に凭れて待ってくれていて、スピカが扉を体で開けていると横から籠二つを持ってくれた。

「トトは」

「ここにいるよ」

「……」

 スピカは穏やかな聞きなれた声を発した人物を見て、一瞬眉をしかめた。トトの髪の毛は、綺麗な金色からスピカと同じ真っ黒な闇色に変わっていて、その上からさらにフードを被っていた。トトの姿を見慣れたスピカでも、一瞬トトが誰か判らなかったくらいに見事に変装している。服装も、ここに着てからずっと着ていた不思議な刺繍のはいった藍色の服じゃなく、街でよく見る普通の服だ。

「トト……髪、どうしたの?」

「染め粉で染めてくれたんだ。変かな?」

「ううん」

 スピカは首を横に振った。髪の色が違うだけで随分と印象が違うが、トトは髪がたとえ金色じゃなくてもやっぱり綺麗だと思う。

「スピカと、同じ色だね。きょうだいみたい」

 スピカがそう言って笑うと、トトは苦笑した。そんなふうに笑うトトは、以前となんら変わらないトトに見える。スピカは、今日だけは村に帰ろうと言うのをやめておこうと思った。今日は折角のお出かけなのだから。トトは村に帰りたくないというのだから、今日くらいはトトの機嫌を損ねるつもりはない。

 それでもそう思った後も、トトの顔を見る度にここにくる前の村人たちの顔がスピカの頭でちらついた。

「パドルも連れてきたんだね」

「うん」

 スピカは片方の手でパドルの入った鳥かごを提げて、できるだけ揺れないようにとぎゅっと握り締め、手を振らないように気をつけていた。

 スピカがそわそわとしながらちらりと後ろに目を向けると、イーノスが両手に籠をぶら下げてスピカとトトについてきていた。いつものように不機嫌そうでも、面倒くさそうでもなく、きゅっと引き締められた顔はただただ無表情だ。天井近くの壁にはめ込まれた色硝子から降り注ぐいろんな色で、イーノスの銀色の髪が淡く虹色に光っていた。

 イーノスは、話しに入ってこないのかな。

 スピカが落ち着きなくちらちらと後ろに目をやっていると、イーノスは一瞬だけスピカと目を合わせて眉をしかめた。まるで『俺にかまうな』と言っているみたいだ。折角三人で広場に行くのに、トトと二人だけで喋っているなんて落ち着かない。

「どうしたの? スピカ。そんなに気になる?」

「ううん。別に!」

 スピカはそう言うと真っ直ぐ前を向いて、長い廊下をずんずん進んだ。トトはそれを見て苦笑すると、後ろを振り向いてイーノスの顔を見た。イーノスは無表情のまま首を下げる。

「君も、今日はそんなに畏まらないほうがいいよ。スピカが一人悶々するだろうから。それに今日は僕もこんな姿だから、どう見ても年上のイーノスが僕に畏まってるなんておかしいよ」

「……はい」

「うん。それ。『うん』とか『ああ』でいいよ」

「……」

 トトがそう言うと、イーノスは少し困ったように黙り込んでしまった。トトは「まあ、無理ないか」と呟いて苦笑すると小さくため息をついた。スピカは振り返って少し離れたところからその様子を見ていた。なぜか少しむっとして、自分でも首を傾げる。

「トト、イーノス、行こう!」

 スピカはそう言って手でおいでおいでして二人を待った。

 セスティリアスは今日もきっと来ていて、あの古い噴水の前でアルカと一緒に待っているだろうと、スピカはやはりなぜかそう確信していた。

 門のところまで来ると、イーノスは二人との間においていた距離を縮めた。

「トトは、街で歩くの始めてだよね?」

「うん。案内してくれる?」

「うん!」

 本当はスピカだってそれほど歩き回ったわけでもなく、ごちゃごちゃした街の中で人ごみに紛れてあまりちゃんと辺りを見渡せてはいないけれど、噴水までの道は覚えているつもりだった。

 寺院を出て暫くしてからすぐに人ごみに入る。イーノスが教えてくれた人の少ない道まで行くには、少しだけこの人ごみの中を歩かなければならない。

 スピカは逸れないようにとトトの服の袖を握ったが、すぐにトトに手を握られた。もう片方の腕では、人ごみで揺さぶられないようにとパドルの入った鳥かごを抱きしめている。

 昔とは違って二人の手の大きさもやわらかさも全然違うふうになっているけれど、少し冷たいトトの手に懐かしいおもいになり、スピカもトトの手をぎゅっと握り返した。

 二人で横並びに歩いていると、イーノスは二人の後ろにぴったりと付いてきた。少し厳しい顔つきになっている。

 周りでは色んな色彩の人たちが忙しなく行き交い、たまに牛や大きな動物を連れている人ともすれ違った。おいしそうな香りや香水の香り、不思議な香りが次々と漂ってくる。もう数回街に来たことがあるスピカでもまだきょろきょろと興味深げに辺りを見回しているのに、トトはスピカの歩調にあわせていつもの調子で歩いていた。

「そんなに警戒しなくても、今日のトトはみんなの知ってるトトと多分全然違うと思うよ」

 スピカがイーノスを見上げて言ったが、イーノスはそんなスピカに目を向けようともせず前を見据えて口だけ動かした。

「それでも。あなたに感じる感情は変わらないはずです」

 トトとスピカにしか聞こえないくらいの小さな声で、イーノスはそう言った。今のはトトに向けた言葉だ。

 聞いたことはなかったが、イーノスもやはりトトに対してスピカが持ちえない感情を抱いているようだ。スピカはなぜか少し意外な気がしてもう一度イーノスを見上げたあと、トトを見た。

トトがスペルカだということが、例えばこの場でばれてしまったら一体どうなるのだろう。想像もつかない。

「トト……」

 スピカは少し不安になって、呟くような小さな声でトトの名前を呼んだ。隣をスピカの倍はありそうな大きさの馬と、青年が通り過ぎた。トトはいつもと変わらず柔和に微笑んでいる。黒い髪は見慣れた姿とは違うから、違和感があってスピカはじっとトトを見つめた。

「大丈夫だよ。もしそう感じても、姿が違うだけでみんな気づかないものだよ」

「……うん」

 そういうものなのか。スピカにその感情は湧かないから分からない。

 ちらりとイーノスの方を見たが、イーノスは少し厳しい顔つきのままだ。

 たまにすれ違う人の中で不思議そうな顔をしてトトを見る人もいたが、みんなそれでもなにごともなかったかのようにすぐに通り過ぎていった。

「スピカ、道は大丈夫?」

 そう言われてぼんやりしていたスピカははっとした。

 イーノスがこっそりと、鳥かごを持っているスピカの左手の方の服を左に引く。

「……こっち」

「うん」

 トトは気づいていたのか、くすくす笑った。

 噴水が見えてくると、やっぱりセスティリアスはアルカと一緒にいて、噴水の淵に腰掛けていた。スピカたちが近づいていくと、セスティリアスは大きく手を振ってきた。

 おばあちゃんもそうだったけれど、どうしてスピカたちが近づいているのが分かるのか、スピカは不思議で仕方がない。

 アルカはこの前のセスティリアスの言葉を覚えていたのか、イーノスのところまで駆け寄って行きたいのに、うずうずしている様子だった。しっぽを小刻みに素早く振っている。

 けれど近づいていくたびにそれは小さくなっていった。アルカはイーノスではなく、トトの方をじっと見ていた。

「スピカ!」

「セスすごい! どうしてわかったの? スピカがくること」

「なんとなくわかるんだ……お友達?」

 セスティリアスがトトの方に顔を向けて言ったので、スピカは少し迷いながらトトの方に目を向けた。そういえばトト、と紹介してもいいのだろうか。トトはスピカの迷いに気づいたのか、優しく笑って頷いた。

「スピカの友達のトトだよ」

「へえ、よろしく。私はセスティリアス」

「よろしく。セスティリアス」

 何を考えているか読めないセスティリアスの瞳の色に、スピカは内心どぎまぎした。

 セスティリアスは勘がいいし、トトの見た目の変装はセスティリアスにとっては意味がない。トトが『スペルカさま』だということも、ばれてしまうかもしれない。

 セスティリアスにばれても問題はないだろうけど、態度が変わってしまうとトトは嫌な気分になるかもしれない。

 ちちっと、スピカの腕の中の鳥かごでパドルが鳴いてセスティリアスはスピカの腕の方に顔を向けた。

「きれいな声の鳥、連れてきてくれたんだ。ありがとう」

「ううん。あ、お昼ご飯ももらってきたから、四人で一緒に食べようね」

「イーノスも来てるの?」

 スピカはイーノスの方を見た。イーノスは二つの大きな籠を両手に持ったまま少し距離を置いてじっと立っている。無表情のままでその状態はなんだか滑稽で、スピカは小さく笑った。

「どうしたの?」

「ううん。ねえ、イーノスとしりあいなの?」

 スピカがそう訊ねると、セスティリアスは少し意外そうな顔でスピカの方に顔を向けた。トトは二人の話しに興味がないのか、いつのまにか地面に寝そべっていたアルカの額をしゃがみ込んで撫でてやっていた。アルカはうとうとどころかもう完全に夢の中だ。犬のくせに鼾をかいている。

「……知らないの?」

「うん?」

 どうしてスピカが知っているわけがあるんだろう、とスピカは頭を傾けた。

 セスティリアスは「そっか」と呟くと楽しそうににっこり笑った。

「イーノスは、同胞だよ」

「どうほう?」

 スピカは聞きなれない単語に首をかしげる。スピカの方が年上なのに、セスティリアスの方が言葉を知っているらしい。それは仕方ないことかもしれないけれど、スピカはなんとなく情けなくなった。

「うん。同じ故郷で生まれたんだよ」

「そうなんだ」

「なんで今日はイーノスは離れて近づいてこようとしないのかな?」

 セスティリアスは大して不思議そうでもなくそう言った。顔はきちんとイーノスのいる方向に向けられている。

 スピカは少し驚いて「待ってて!」と言うとイーノスのところまで全速力で走った。その時にトトが他人事のように少し可笑しそうに笑っていたが、気にしていられない。

 スピカはセスティリアスに聞こえないようにと、できるだけ小声で囁いた。

「イーノス! どうしてそんな離れてるの? セスにトトのことばれちゃうよ?」

「問題ない」

「なにが問題ないの?」

「俺がここにいて、突っ立てってもあいつは大して気にしない」

 イーノスは少し無表情をくずして面倒くさそうにそう言った。

「でも、今聞いてきたよ。『なんで今日はイーノスは近づいてこようとしないのかな?』って」

「あいつは、勘がいい上に性格が悪いからな……」

「どういういみ?」

「別に」

 そう短く言うとイーノスはかっちりと口を閉ざした。まるでこれ以上絶対喋らない、と宣言しているみたいだ。

 スピカはむっとしてすぐにまたセスティリアスのところまで駆けた。

 セスティリアスはくすくすと笑っていて、スピカはその意外な反応にぽかんとセスティリアスを見た。

 トトは変わらずアルカの額を撫でていて、時折耳元の柔らかい毛を触っていた。

「ごめん。けど、そんなに慌てなくてもいいのに」

「どうしてあやまるの?」

「分かってて、意地の悪いこと言ったから」

「へ?」

 スピカが間抜けな声を出すとセスティリアスはまたくすくす笑って、ちらりとトトに目を向けた。

「どうして、イーノスが近づいてこないのか。知ってるから」

「へ、え?」

「きんいろのかみさまがいるからでしょ?」

「……」

 スピカは目と口を大きく開けてセスティリアスをじっと見た。トトもめずらしく少し驚いているのか、アルカを撫でていた手を止めて、セスティリアスの方をじっと見上げている。

「どうして、わかるの?」

「じゃあ、やっぱりスペルカさまなんだね」

 スピカはぎょっとして固まった。なにも言えないスピカに代わってトトが口を開く。

「僕自身がそうな訳じゃないけどね」

「けど、私たちはそうは思えない」

「そうみたいだね」

「だからあなたは、自身が絶対的な力を持っていることを忘れてはいけない」

 セスティリアスは、虚ろな瞳に小さな光を反射させてそう言った。奥にある緑柱石の色が透けて見える。

「……そうだね」

 トトは苦笑してそう言った。セスティリアスは薄く笑ってスピカの方に顔を向けた。

「いつまで固まってんの?」

「だって」

 スピカは小さくそう言うと、セスティリアスとトトを交互に見た。トトはまたアルカの頭を撫でているし、セスティリアスはスピカの方を向いて、腰掛けた噴水の淵から足をぶらぶらさせている。イーノスは異変に気づかないのか、変わらず無表情のまま少し離れたところで三人の様子を見守っていた。昼食の入った籠は二つとも噴水の淵に置かれている。

 スピカは少し顔を顰めたあと、小さくため息をついた。

「お昼ごはん、食べよう?」

 少し掠れた声でなんとかそう言うと、セスティリアスは笑って頷いた。トトも「そうだね」と言うと立ち上がってイーノスの方へ歩いていった。アルカも目を覚ましたのか、ぴんっと尻尾を立ててトトの後ろにぴったりとついていく。

「『かみさま』は、優しい?」

 セスティリアスはトトの背中の方に顔を向けて、無表情にそう聞いた。

 スピカはそんなセスティリアスを見たあと、トトの方を見た。

「優しいよ」

 スピカが迷うことなくそう言うと、セスティリアスはただ苦笑するだけで何も言わなかった。

 トトは、優しい。

 それはきっと、昔からこのさきも変わらないこと。スピカは村の人たちの顔を思い出しながら、それを願った。











評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ