【プロローグ】アレシア海にて
“終わり”を迎えた世界はとても綺麗で、寂しい。
“世界の終わり”と聞いたら、どんな世界を想像するだろうか?
草木が一本も生えず、作物も育たない荒れ果てた大地?
廃墟と化したビル群に木々が生え、野生動物が道路のヒビから生えた草を食べる光景?
……それとも、核戦争後の一面焼け野原の地獄絵図?
結論を言えば、どれも違う。とある世界の“終わり”は、そんな荒廃した世界ではない。
誰かがこう言った。
『この世界の終わりは澄み切っていて、壮大で、綺麗で、とても寂しいもの』
「アレシア海」と呼ばれる、波も風も静かな、とても穏やかな海域。平穏な海の上を、凄まじいスピードで走る1台の無骨なジェットスキー。頑丈そうな厳ついデザインのジェットスキーには、機体の左右にサイドカーのような大きなアタッチメントが備え付けられている。座席にあたる部分には、薄い特殊合金板で作られた「ロードボックス」という配達物を収める箱がぎっしりと積み込まれ、落ちたり崩れたりしないよう頑丈なネットとベルトで何重にも固定されていた。
大荷物を抱えたジェットスキーを操縦するのは、眠たそうな顔をした茶髪の少女。
ポニーテールに束ねられた綺麗な茶髪は、潮風に靡いて鮮やかに踊っている。撥水ゴーグルに覆われた透き通った茶色の瞳は、真っ直ぐ「アレシア海」の水平線の先を見据えている。時折、ほんの数秒だけ左右に積まれた荷物を確認し、すぐにまた正面の水平線に視線を戻す。
「……まだかなぁ。まだ地面があるところに着かないのかなぁ……」
ジェットスキーが疾走する波音にかき消されるほどの小声で、少女が溜息交じりに愚痴をこぼす。その表情には疲れが滲んでいて、同時にうんざりしているという心境まで表れていた。
それはそうだ。
少女の周りは一面が青。前後左右どこを見回しても、広がるのは水平線。陸地や島らしいものは一切見当たらない。どこを見渡しても、どこまで進んでも、うんざりするほどに景色は変わらない。ひたすら広がる澄んだ海。快晴の青空。潮の匂い。
「……そろそろかな。海図は、っと」
少女はジェットスキーを一旦停止させ、ハンドルに視線を移す。ハンドルには小型のディスプレイが埋め込まれており、画面には目的地への進行方向を示す矢印が映し出されていた。ディスプレイに軽く触れると、矢印が消え青い画面が表示された。
ハンドルに埋め込まれた小型ディスプレイは「海図」と呼ばれるもので、自身を中心に、周囲の海の状況をリアルタイムで観測できる便利なアイテムだ。「海図」には今いる海域の水深・海底の地形データ・水質・潮位・生息生物・特定危険物・陸地までの最短距離といった、あらゆるデータが詰め込まれている。
少女は「海図」につけた目的地までのマーカーと、ジェットスキーに積まれた荷物を交互に確認する。
「……あと少しだね」
ほんの小さな独り言を呟き、積んである荷物に軽く笑みを浮かべる。
「海図」が示した目的地までは、もうすぐだった。
20分ほどジェットスキーを走らせ、少女はようやく陸地を見つけることが出来た。その陸地は全方位を海に囲まれた小さな孤島であり、島の中央には古い民家が1軒だけぽつんと建っているだけ。青々と茂った背の低い雑草が、潮風に揺られて草の香りを漂わせる。古い民家の煙突からは白煙がもくもくと上がり、微かに灰と焼き魚の匂いがした。小さいながらもとてものどかで、時の流れを忘れるほどに心安らぐ島だ。
少女はジェットスキーを孤島の端に停め、荷物を固定するネットとベルトを外し、一つの大きなロードボックスを両手で抱え陸に上がる。
「(久々の陸地……草のいい香りがする……)」
ロードボックスを丁寧に抱えながら、踏みしめる雑草の感触と草の香りを楽しむ。雑草を踏む音と感触、そして草の香りが心地よかった。しかし、一歩一歩楽しみながら歩みを進めるうちに、いつの間にか民家のドアの前まで辿り着いていた。ドアにぶつかる寸前に慌てて立ち止まり、ぶつかっていないかを一応確認した後、ロードボックスを一旦地面に置き一呼吸。
少女は表情を引き締め、民家のドアのノックした。
コンコン。
「こんにちは。海上配達人、ナンバー3140です。ご依頼を頂いていた品物一式をお届けに参りました。パーシバルさん、いらっしゃいますか?」
明るくハキハキとした声で、民家のドアに向かってそう言うと、中からドアに向かって歩いてくる足音が聞こえてきた。足音がドアの前で止まると、色褪せたドアノブがゆっくりと回り、ドアが開かれる。
「おぉ~、こんにちは、“アオバ”ちゃん。私が頼んでおいた物を届けに来てくれたのかい?」
ドアから姿を見せたのは、立派な髭を蓄えた白髪のお爺さんだった。
にこやかな笑みを浮かべる“パーシバル”というお爺さんに、“アオバ”と呼ばれた少女もニコッと微笑みを返す。
「はい。こちらが3日前にご依頼を頂いていた品です」
地面に置いていたロードボックスをパーシバルの前に置き、フタの小型パネルに手を置く。すると、「ガキンッ!」という大きな金属音が鳴り、ボックスのフタがスライドして開いた。
「え~っと……こちらが“ディーナ海産スパイスセット”で……こちらが調理用鍋で、これは……“ディーナ海の小麦の種5袋セット”ですね」
ロードボックスから品物を一つ一つ丁寧に取り出し、パーシバルに手渡していく。パーシバルは全ての品を受け取ると、満足したように頷き、満面の笑みを見せた。
「あぁ、ありがとうアオバちゃん。これでようやく満足なご飯が作れるよ。そうそう、アオバちゃんが持ってきてくれたこの小麦の種を育ててな、小麦のパンを作ろうと思ってるんだ。出来上がったらアオバちゃんも食べにおいで」
「ありがとうございます。パンが出来たら教えてくださいね?」
孤島に独りで暮らすパーシバルにとって、アオバが配達に訪れ、自分の近況や世間話を聞いてくれることが楽しみの一つになっていた。またアオバにとっても、パーシバルとの世間話は仕事の疲れや寂しさを忘れさせてくれる大事な時間だった。
「……そうだ、パーシバルさん。ここ最近、新しい“漂流者”は出ましたか?」
「いいや、ここ2年くらい見かけなくなったな。……私が覚えている限りでは、君が最後だな」
「そうですか……」
“漂流者”とは、アレシア海にのみ稀に現れる、何処からか流れ着いてくる人々を指す言葉だ。
“漂流者”が何処から来たのか。何故アレシア海にのみ流れ着くのか。その一切が不明とされている。ただ共通しているのは、“漂流者”は必ず人間であること。衣服を何も身に着けていない状態で漂流していること。この世界とは違う世界の記憶を持っていること。
アオバも、そんな“漂流者”の一人だった。
漂流していた当時の記憶は曖昧で、海上配達人仲間の話によると、生まれたままの姿でまるで眠るように海上を漂っていたところを発見され、保護されたらしい。アオバが覚えているのは、海上配達人が使う船に乗せられたことと、誰かに毛布を掛けてもらったこと。
そして、自分は「日本」という国で、「七瀬青葉」という学生だったこと。
目覚めてからの記憶は朧気だったが、アオバはこの海に囲まれた世界が、自分が元々いた世界とは全く違う場所だと認識できていた。
初めは、自分の全く知らない世界に戸惑いと恐怖があった。しかし、怯えるアオバにこの世界の人々は優しく接してくれた。その甲斐あって、アオバは海上配達人として、この世界で生きている。
「……頑張るんだよ、アオバちゃん。君がいなくなると私は悲しい。きっと君のお友達も同僚も悲しむ」
アオバが“漂流者”だということを知っているパーシバルは、まるで我が子のようにアオバを心から心配していた。アオバの両肩にそっと手を置き、少し悲しげな表情を浮かべる。
「もちろんです」
そんなパーシバルの心境を理解しているアオバは、両肩に置かれた手に自分の手を添え笑みを返す。
「それでは、私はこれで。ご依頼があれば、いつでも伺います」
「あぁ、楽しみに待っているよ。その時には、温かいご飯を用意しておくから、食べに来なさい」
パーシバルに挨拶を済ませ、孤島を離れる。これで永遠に会えない……というわけではないものの、とても名残惜しいと感じた。とは言え、自分には大事な仕事がまだ残っており、それを全うしなければならないという確かな使命感があった。
「海図」に示された、次の配達先までの距離を確認する。
「えっと、次は……」
今いる場所から最短の配達先が「海図」に表示され、配達先の方角を示す矢印も表示された。
「……よし、行こう」
小さくそう呟き、海上配達人専用ジェットスキー「X-ray」のエンジンを起動させ、再び大海原を走り出した。
ここは「蒼海の世界」
海によって終わりがもたらされた世界。




