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第一話、あるいはきわめて一方的なボーイミーツガール

昔の偉い人は言いました。春宵一刻値千金とか、春眠暁を覚えずとか。うん、疑いようもなく真実である。


高校への入学式を明日に予定している団藤直志だんどうただしは、まだ午後9時を僅かに過ぎたばかりにもかかわらず、既にうとうとと眠りかけていた。


ごくごく一般的な2階建て建売住宅の子供部屋は、近所の住宅街からの騒音もなく、ただ心地よい風が窓から入ってくるだけ。


尤も、明日から新しい生活が始まるというのに、ここまで緊張感がないというのも俺にとっては意外だった。


いくら知り合いのほとんどがそのまま入学する地元の高校とはいえ、もう少し期待やら意気込みやらで興奮するものだと思っていたのに……。


とはいえ、下手に目が冴えて夜更かしするよりはよっぽど良いに違いない。そのまま俺はベッドで寝返りを打とうとして――




「え?」


その動きを止め、開いていた窓に駆け寄った。


「何だよ、今の……」



心臓がバクバクとうるさい。気持ち悪い汗がぶわっと吹き出す。


なんだ。窓の外に一瞬見えたアレは一体なんなんだ!?



「……化物と、女の子?」


良く見知ったはずの自宅前で、見たこともない黒い鬼のような化物が、泣きそうな顔をした女の子を追いかけていた……そんなありえない光景。


「……寝ぼけただけ……だよな?」


震える独り言。当然、返ってくる答えはない。自分でも分かっているのだ。わずか一瞬とはいえ、あの瞬間感じた悪寒は気のせいではありえない、と。




「……っ」


けれど、だからなんだ?


見なかったことにすればいい。気のせいで有ろうが無かろうが、自分には関係のない事だ。



「……は、あ……」


そう、分かってはいるにもかかわらず、俺は何故か部屋を飛び出し、玄関目がけて駆け出している。



「……う、く……」



足が止まらない。戻れよバカ、と思っているのに、ああ、もう外に出てしまった。





あの化物と女の子が駆けて行った方向に、歯を食いしばって全力疾走。


時間は、恐らくものの5分もかからなかっただろう。住宅街の中心にある、児童公園。


近くに大きなマンションが連なっているせいで、都市計画やら防災拠点やらの小難しい理屈をたてに、千坪近い広さを誇っている憩いの場だ。


まだそんなに遅い時刻というわけでもないのに、子供どころか誰もいないのは、果たして偶然か。




「……あ……」


それとも――


「鬼事は仕舞だ。もはや逃げ場は無いぞ、小娘」


「ひっ……いや、助けて!」


この化物が放つ、禍々しい気配を本能的に避けての事か。




怯えた女の子はまだ中学生ぐらいで、見かけない制服だった。


赤っ茶けたショートヘアが、走り回ったせいかボサボサだ。ただでさえ大きな目が、恐怖で見開かれてこぼれそうになっている。


そんな「獲物に」対し、嬉しそうに近づく黒い化物。身長は3メートルぐらいあるだろうか。


だが、それ以上に目を引くのは、頭部から生える2本の捩じれた角と、笑う口から洩れて見える赤黒い炎。



「ぐがが! 中々に楽しめた故、一飲みにしてくれよう」


化物がそう言いながら、大木のような右腕を女の子に向かって突き出した。その瞬間、化物の黄色い濁った眼が心底楽しそうで、俺は――




「マジか、おい、逃げろって!」


そこまで黙って見ていたくせに、馬鹿みたいに飛び出した。


多分俺は、ここで飛び出したことを絶対後悔するんだろう。でも、飛び出さなくても絶対後悔する。


そもそも、こんなところまでノコノコと来たこと自体が間違っているんだから。だったら!


「ほう、お前も一緒に喰ってほしいのか」


「う、うるせえよ、おい、はやく逃げろって!」


「……」


女の子は無反応。焦った俺は、固まっているその子の手を強引に引っ張ろうとするが、その寸前に聞こえてきた声に狼狽えた。



「やーだ、せっかく誰も巻き込まない様にこんなとこまで誘導したのに、意味ないじゃない」


「は?」


「あなた、おせっかいね」


「……い、え、いや、はあ?」


「でも、ありがと。お礼に良いモノ見せてあげる」




そう言い終るや否や、さっきまでの恐怖に怯えた顔を悪戯っぽい笑みに変えて、彼女は化物に向かって駆け出した。


「一瞬で終わるんだから、よーく見ときなさいっ」


彼女は走りながら、いつの間にか持っていた銀色の塊を頭から被る。


「ふん、小娘が何をする気か知らぬが……死ね!」


嘲笑する化物が、その口から漏れ出る炎を彼女に浴びせかける。だが、直後に信じられない事が起きた。


「ごちそー様!」


その炎の直撃を受けたまま、彼女は平然と化物へ突っ込んだのだ。


「相手が悪かったわね。――怪異指定二百五十七番『炎鬼』、この現世より消滅せよ!」


ズドン!と彼女の右腕が化物の胸に突き刺さる。


「ぐ、が、おおおおおあああおあおあおあおあ!?」


すると、その腕が突き刺さった部分から、炎が化物の全身を嘗めるように奔っていく。


「そ、の、力、は、ま、さか……!?」


「火鼠の裘。アンタには過ぎた代物よね?じゃ、ばいばーい」


「おのれぇぇぇぇぇ!」


凄まじい怨嗟。これをまさに断末魔の叫びと言うのだろう。化物はその巨体を隈なく焼かれ、倒れながら崩れ去った。


そしてそんなシーンを見せつけながら彼女は。


「どう? スゴイでしょ?」


「……お、おう。スゴイスゴイ。デハ申シ訳アリマセンガコレデ失礼シマス!」


「あ、ちょっと! なんで逃げるのよ!?」


全身を覆っていた銀色のナニカを脱ぎながら、得意げに話しかける彼女。


俺は今度こそかかわった事を後悔しながら、再び全力疾走で公園を逃げ出したのだった。









ちなみに。そうやって逃げたつもりの俺は。翌日の入学式で、微笑む彼女と遭遇する事をまだ知らない。


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