袋の鼠
〜回想〜
「姫奈! 今日、一緒に帰るぞ!」
給食を取り終え、重ねた机を定位置に戻した直後、
私の机にバンっと両手をつき、前のめりに鬼の形相で帰りの道程の勧誘をしてくる千。
近い!近い!!近い!!!
何この圧力!圧がハンパない!!
これもう脅迫だよね………。
「いつも一緒だよね……。」
「今日も!!!」
「…う、うん。わかった……。」
正直、気まずい…。
昨日の今日でなんでこんなに気が流転するんだろう。
何年付き合っててもやっぱり男はわかんない……。
終礼後、私は、階段を下り昇降口に向かう。
階段を歩む最中、
なぜ学校という所では、ただ歩く為だけにあるリノリウムの床にここまでの黒ずみや引っ掻き傷のようなものがあるのだろうと、
私は長年抱いていたどうしようもない疑問を再び考えながら進む。
上の階からバタバタと急迫した足音が響く。
嫌な予感しかしない……。
「この娑婆増が〜!!!」
やっぱり私の予知は的中してしまったようだ……。
階段を降り終えたところで振り返り、自身の軌跡に沿って視線を上げる。
磨りガラスからの射光が視界を霞める。
足音の膨張が臨界点に達した瞬間、
それを全否定するかのような影が唐突に差し、
暗黒の後光を帯びた鬼が出現した。
「俺、一緒に帰ろうって言ったよな!!」
「一緒に帰るよ。
でもその前に拍に断らなきゃ。
休み時間は、人だかりで全く機会がなかったから。
多分、昇降口の外で待ってると思うし… 。」
「必要ねぇーって。
どうせ下に降りても女とイチャイチャしてんだろ!
割って入ったところで爪弾きにされんのが関の山だ!」
「だけど。やっぱり一言いわなきゃ。
だからちょっと待っ…」
「待たない。」
千の声が耳元を擽ったと思った瞬間、
私の右腕を自身の右腕に絡ませ強引に私の自由を奪った。
えっ? いつの間に!? と思う間も無く。
「帰るぞ!」
と千は、下駄箱で二人分の靴を掴み、常用口とは別の出口へと足早に進む。
腕を組まれ、反対向きに引きずられつつ私は抵抗を試みるも、
進行方向は意識と無情にも逆行する。
手足をバタつかせ奇声をあげるも、
周りの生徒たちからは……
「あれ見て。」
「またやってる。」
と失笑の的となっている。
廊下で拉致され奇声を挙げていることが日常と認識されている女子ってどうなの!?
私、女子としてどころか人としての尊厳失いそうなんですけど!!
なんか…もう…死にたい……。
諦めと自己嫌悪により脱力した私は、力なく視線を落とす。
私の足掻いた軌跡には、無残なリノリウムの黒ずみが残っていた。
「……あれってこうやってできるのか………。」
無理やり靴を履かされ自身の喪失感と拍に対する罪悪感が募る中、外に出る。
すると夕日を背後に背負い影を落とした校舎の3階から私たちに対する誰かの薄汚れた奇声が聞こえてくる。
「へいへいへいへい!
熱いね〜お二人さん!
もう冬なのにおじさん汗かいちゃったよぅ〜。
ちょっとおじさんとも遊ぼうぜ〜。
ヒャッハ〜ー!!」
三階のベランダ塀の鉄柵を揺さぶる野生のマウンテンゴリラのようなバカがそこにいた。
「へいへいへいへい!
今日は、二人で下校かい!?
カックイイ騎士さんは違うねぇ〜〜!
転校生からお姫様を遠ざける為、奮闘するなんて!!
さすが姫島の番犬は違うぜ〜!
シャッハー〜ー!!」
お酒でも飲んでいるのだろうか…?
完全にバカのレッドゾーンまで振り切ってる。
「うせーぞ!マー坊!!
なんでテメーそこにいんだ!
キョーも連れてさっさと降りてこい!
帰るぞ!」
「???」
マー君は困惑の意を示したいのだろうが、
感情表現が下手なのか人類史上類を見ない間抜けヅラになっている。
なんかイラっとくる。
「人間置いてさっさと行け……
人間置いてさっさと行け……
人間置いてさっさと行け……」
薬物でもやっているのだろうか…?
そういえばいたな〜。
もののけ○でああいうの……。
横を見るとこめかみの血管が切れそうなほど顔を紅潮させ、
怒りと羞恥に打ち震える千の横顔があった。
これは、ダメなやつだ……。
「人間置いてさっさと行け……
人間置いてさっさと行け……
人間置いてさっさと行け……
ヒィーハー!!!!」
… … … … ………
「…すいません! ボールとってください。」
遠くで遠慮がちの声がした……
全血液が沸騰したように千は、聞くが早いか、動くが早いかボールに向かって一直線に入り、
ショートワンバンを強引に処理し、その位置エネルギーと運動エネルギーを120パーセント利用し、
体全体のバネを使い、ゴリラを仕留めにかかる。
「娑婆増が!! 土に還りやがれ!!!」
あれ166キロ以上出てるんじゃないの……
その常人では、視界に捉えることすらできないだろう豪速球を
野生のゴリラは、その本能だけでマトリ○クスのようにブリッジをかまし、躱す。
その刹那、耳を劈くような高音が鳴り響き、
そのガラスの落下に紛れて……
「イィギュ亜阿亞アャーーーーーーー」
キョー君の独創的な阿鼻叫喚が島中に木霊した。
「しゃ、しゃ、しゃ、シャべー…… 」
娑婆増から派生したシャバいにヤバいの意味はないからね。
「娑婆い!!姫奈!!
ずらかるぞ!!!」
「いきなり小物感ハンパなくなってるけど…… 」
すると、
学校正面のT字路からそれぞれ猛ダッシュしてくる社会教師、数学教師、体育教師。
三位一体の速攻で囲い込みに来る。
「なんであいつらスタンバってんだよ!!」
「此処で会ったが百年目!!
江戸の敵を長崎で討つとは正にこのこと!!」
「は!!お前の非行を予測することなど円周率を覚えることのように容易いわ!!」
「ウッホ〜〜!!第一印象から決めてました〜〜!!」
皆さん、いい味出していらっしゃる……。
「ま、待って!! 話せば分かる!!」
だから小物感ハンパなくない……?。
っていうか千は、どちらかといえば社会科寄りらしい。
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以上が事の顛末で……。
「大変でしたね。」
「うん。
私は、千が袋のネズミにされている隙にその後も増殖し続ける教師陣の間を縫って逃げたの。」
その脱走劇の末に拍に呼び止められたわけだけど……。
「申し訳ございません。
私のせいで姫菜さまにご心労をかけてしまって。」
「拍は全然悪くないよ!
悪いのは勝手な私たちだから。」
「それでも姫菜さまと今ここでお話しできていることが夢のようで、
本当に嬉しいです。」
こんなに純粋な感謝を向けられたら、
先ほどまでの自分の行動が急に恥ずかしくなってきた。
もうこれ以上、罪悪感に耐えられない…。
この好意に私は彼に何が返えせるのだろうか……。
そして拍の朗らかな表情が憂いを帯び、拍は意を決したように私を真っ直ぐ見つめる……
「姫菜さま!一つだけお願いがあるのです。
もう時間がありません。
私と七不思議の一つである聖なる泉の湧き出る地へ参りましょう。」