藍鉄鉱
「ふぅー。冷んやりして気持ちぃーね!」
「さみーよ!底冷えがしたわ!!」
「そう? 私は、ちょうどいいけど。」
夕食を済ませ私は、沸騰した脳漿と火照った頰を冷ますついでに
千をいつもの三叉路まで送る。
「あのじじーが防戦一方でフルボッコにされるの初めて見たぜ。」
「語弊があるよ。人を暴力女みたいに。
私は、淑女として優しく諭してあげただけよ。」
あの惨劇の後、私は二人を正座させ、小一時間『ヒジキができるまで』を説いてあげた。
少し、ほんの少し、
我を忘れていたこともあり言葉遣いを乱してしまったかもしれないが
それは、ご愛嬌ということで。
話の途中で横槍を入れてくる眼つきの悪いガキに天誅をお見舞いしてあげたことも
可憐な少女の小粋な贈り物と思っていただきたい。
「あんなことを言われるくらいなら、
物理的にボコられた方が1000倍マシだわ!
正座と同時に受動土下座を執り行う悪癖でもついたらどうすんだ!
じじーなんて一切光が入らない暗室の中で無限ループのカールマイヤーを聞いた囚人のように
最後は白目で泡吹いてたんだぞ。」
「いつまでも終わった話を蒸し返さない。
そんなんじゃ、もし将来彼女ができてもすぐ嫌われるわよ。」
「……っっ……う、うっせー!馬鹿女!!」
顔を盛大に紅潮させ憤慨する千。
反省したかと思ったら、またすぐ激昂するなんて
私の幼馴染は、重度の情緒不安定なのではないかと心配になる。
もっとヒジキを食べないと
カルシウムたっぷりのヒジキを。
「姫菜!これ!」
「なにそれ?石?」
暗くてほとんど見えないがビー玉のようなものが
差し出された千の掌の上に転がっている。
「いいからほら!
やる!
夕飯の礼だ。
大切にしろよ。」
手にとって目を凝らしてみる。
ん…………?
コロっとして、黒褐色のこれは……。
間違いない……
「なにこれ?うんこ!?」
「うんこじゃねーよ!!」
「どう見てもうんこなんですけど!
なに!?なんの嫌がらせなの!」
「よく見ろ!
錆色で上面がザラザラしてんだろ!」
「錆色のうんこの化石?」
「うんこから離れろ!!」
「藍鉄鉱」
「ランテッコウ?」
そう。とても貴重な化石の鉱物だ。
龍の眼と言う奴もいる。
すげー特殊な性質を持ってることがその所以らしい。
肌身離さずしっかり持ってろ。」
「ふーん。わかった!
大切にするね。
そうだ。
藍鉄鉱を傷つけないようにネックレスにしよっと!」
「あぁ。約束だ……」
海陸風が彼の言葉を攫っていってしまう。
「え?なにかいった?」
「なんでもない。」
千は、立ち止まり真上に来た街灯をもの惜しげに見上げる。
例の三叉路の街灯は、先ほどとは見る影もなく衰弱し、
光色は赤みを帯びて暗に向かっている。
往古をばら撒いたような囁かな走馬灯が二人を覆い、
私たちの別れを消えゆく意識を最後に見届けようとしている。
「ん、じゃあ。また明日ね。」
「…………」
まただ。
周囲の空気が凍結されていくようだ。
それは、アイスピックで叩いたら手応えもなく割れてしまうような
隷属された違和感。
街灯の下、
千は、俯き、
顔は陰影を落とす。
私は、彼の表情を窺い知ることができずにいる。
「千……?」
彼の肩は、私の声とともに強張り、
ふと我に返ったかのように哀惜の表情が浮かぶ。
私の及ばないところで苦悩する彼がわかる。
それが何かはわからないけど、
それだけは私にはわかる。
昔から、ふとした瞬間にとてもとても遠くを見ている悲痛なあなたを知っていた。
私は、それに気づかないふりをしてきた。
私には知られたくないのを知ってたから。
いつか私がそれを拭ってあげれると信じていたから。
「進学の悩み?
高校のことなら心配しなくていいよ。
私は、千と一緒にいるよ。」
「俺は、一緒にいたくない。」
「もう意地悪しないでよ。
そうだ!やっぱり極双に行こうよ。
進学校の国北もいいけど、お高く止まってる感じがするし、
なんか何かにつけて怒鳴ってくる豚饅頭や
理詰めで支配してくるC映画のエイリアンみたいな先生いるらしいよ。
それならマー君やキョー君のいる極双だよ!
絶対喜ぶよ!
また四人で色々しようよ。
私、千やじーじやマー君やキョー君のいるこの島が大好きだもん!」
「もう、うんざりなんだよ!!
お前たちに振り回されるのは!!
毎日毎日、ヘラヘラしてくだらねー馬鹿話ばっかしやがって。
あれだけ早く島から出て行けって散々言ってきたのに
どいつもこいつも勝手なことばかりしやがって!!」
「なんでそんなこと言うの!
今日の千、なんかおかしいよ!」
「俺は、一人になりたいんだ!!
高校に行ってまでお前たちと一緒にいる気はねーし、
お前らとの付き合いは中学までだ。
ずっと迷惑だったんだよ!!
俺は、一人でいるのが好きなのにお前らの思いつきに巻き込まれて。
お前らがあんなんじゃなきゃ、こんなことにならなかったのに……」
「わからないよ……
なに言っているか、全然わからない!!
何か事情があるんでしょ。
それならちゃんと言ってよ!!」
「……俺が極双に行く。
お前らは、絶対来るな。
奴らにも言っとく。」
「私たちがそんな命令に従うと思う。」
「最後くらい俺の言うことを聞きやがれ馬鹿女!!!!
頼むから……」
意固地で居丈高でいつも意地っ張りな
絶対に人に懇願などしない彼の口からの信じられない言葉。
意地悪で傲慢でいつもカッコつけてるけど
本当はすごく繊細で優しい彼が苦しんでいる。
言葉が出てこない。
なにを言えば……なにをすれば……
彼を引き止める声は、今の私には出ず、
彼を繋ぎ止める指先は、今の私にはない。
目があった。
今日、やっと目があった。
なのにどうしてそんなに悲しそうな目をするの……
走馬灯は、粉々になって足元に散らばり、
街灯は、肩を落とすように絶命した。
私は、どんな顔をしていたのだろう……
その一瞬を最後に暗順応を待つこともなく
ゆっくりと遠ざかっていく。
暗黒の中を一つの足音だけが
低く重く鳴り響いていた。