私の幼馴染は吸血鬼(?)
※注意:飲尿描写有
私は浅野しずく、十六歳。現役女子高生だ。
私には人には言えない普通じゃない日課がある。
毎朝お風呂場でシャワーを浴びるときに、おしっこを採取しているのだ。
特殊な趣味がある訳じゃない……やむにやまれぬ事情があった。
夜の間に溜まったものを下腹部に感じて、私はシャワーを体から避けてそれ専用の洗面器に跨る。
シャワーは音を誤魔化すために流しっぱなしにする。水がもったいないとも思うが、している音を家族に聞かれたらと想像するだけでぞっとするのでやむを得ない。
「んっ……」
体が小刻みに震えてぽたぽたと水滴がプラスチックを叩く音がする。徐々に水音は勢いづいてきて、白い洗面器に黄色い水たまりが広がっていく。
「……ふぅ」
お風呂の中にもわっとアンモニア臭が立ち込めた。
自分のものとは言え不浄な液体から出た湯気に、私は不快感を覚えて顔をしかめる。
おしっこを終えた私は、蛇口を閉めてシャワーを止めた。
空のペットボトルに漏斗を差し込んで、こぼさないように注意しながら洗面器に溜まった液体を移していく。
洗面器を傾けると、とぽとぽと音を立てて透明のペットボトルに泡立った黄色い液体が注がれていった。空気中に撹拌されて臭いが強くなる。
洗面器の中のものを全部流し終えると、500mlのペットボトルの約八割程が満たされた。
「私はいったい何をしてるんだろうね……」
私は自分の排泄した液体の入ったペットボトルを眼前に掲げながら、こんな事をしなければいけなくなった元凶の事を考えていた。
※ ※ ※
「きゅうけつきー?」
幼馴染の名取まきが発したその単語を、私はオウム返しに聞き返す。
「そう、ボクの先祖は吸血鬼だったみたいなんよ。両親は普通の人間やったんやけど、ボクは先祖返りしちゃったみたいで……」
普段通りの軽い口調でそんな話をするまき。正直冗談にしか聞こえない。
「……それで? 日光に当たると消滅したり、ニンニクや十字架が苦手になったりしたの?」
一応、話に乗ってみる事にする。
「そういうのはないみたい。ちょっと人より力が強くなったり、牙が生えたりはしたけど……」
そういってまきは上唇を斜め上にいーっと引っ張って歯を見せてくる。言われてみると彼女の特徴的な八重歯が前より大きくなっているような気もするけど……正直よくわからん。
「ただ、普通の食べ物では栄養を取れなくなったんよ……」
「……ご飯、食べられなくなったの?」
まきは、食欲旺盛、猪突猛進といった言葉が良く似合う、食べる為に生きているような娘だった。もし彼女の言っている事が本当なら、とても辛い事だと思う。
「食べられなくはないんよ。むしろ、栄養が取れないから、いくら食べても太らんなった! ……いいっしょ?」
かちん。
一瞬でも心配した私の気持ちを返せ……今の言葉でこの女は私を含む人類の半分は敵に回したね。
「……で、あんたはそれを私に自慢しに来たの? それならもう帰っていいよ。私これから宿題するんだから」
「そんな! 幼馴染の一大事と学校の宿題どっちが大切なん!?」
「学校の宿題かなぁ……」
数学の女教師は、宿題を忘れてきた生徒をネチネチと叱りつけることで有名だ。あんな性格だから行き遅れるんだと生徒達によく陰口を叩かれている。
「こんの薄情者ぉ……」
よよよとわざとらしく泣き崩れる姿も、本気で困っているようには見えない。
「……それで、私はまきに血をあげればいいの?」
吸血鬼と言うからには血を飲むのであろう……まきの言う事が本当であるならば。
「うん、それなんやけどね。ボクが血を吸っちゃうと吸われた人はボクの眷属になっちゃうみたいなんよ」
「……なによ、それ」
「眷属になるとボクの言う事に絶対服従するようになっちゃうんだって。ボクはしずをそんなふうにしたくない」
奴隷のようなものだろうか。そんなのは、私もごめんだ。
「それでね? 吸血鬼は血じゃなくても、人の体液ならなんでも栄養を取れるみたいなんよ……」
体液っていうと汗とか……?
そんなことを考えていると、まきは私の目の前で両手を合わせ頭を下げてお願いのポーズをしてきた。
「だから、お願いっ! しずのおしっこをボクに頂戴!」
「……は、はぁ!?」
※ ※ ※
真に残念なことに、まきの話した事は全て本当の事だった。
なんと、うちも吸血鬼の一族だったようで、先祖返りが起こったときは互いの家で協力する協定が結ばれているそうだ。
どうも体液を融通する相手は血縁関係があるとダメらしい。
そして、そういった事情は親も知っていて、私がまきに……その、おしっこを与える事はお互いの家族公認となってしまったのだ。
他の体液じゃだめなのか聞いてみたけど絶対的に量が足りないらしい。毎日リットル単位で汗を流すのなんて無理だし、そもそも汗を飲まれるのも同じくらい嫌だ。
それで、こんな普通じゃない日課をこなすはめになっているのである。人助けの為とはいえ、年頃の娘である自分としてはとても複雑だった。
後始末を終えて、私がお風呂から脱衣所に出ると、不意に脱衣場のドアがノックされた。
「しーずー? 朝の一番搾りおしっこちょーだいなー!」
ドアの向こうから、お気楽脳天気な吸血鬼の声が聞こえてくる。
「まき!? なんで家に居るのよ!」
「だってぇー、待ちきれないんだもん」
この女、とうとう家にまで乗り込んで来やがった!
今まで採取した物の受け渡しは、通学途中で合流した際に袋に入れて渡していた。だけど、この欲求直球馬鹿女は、それでは我慢できなくなったようだ。
「そんな大声で言わないでよ! ……家族に聞かれちゃうじゃない」
事情は家族も知っているとはいえ、具体的にいつどんなふうにしているとかまでは知られたくないのが乙女心。採取用の道具セットも毎回自室に持ち帰ってるくらいなのだ。
「別に家族公認なんだからいーじゃん。だーかーらー、早くおしっこちょーだいー♪」
ガタガタと脱衣所の入り口のドアを開けようとする音がする。
「ちょっとやめてよ!? 私が着替え終わるくらい待ちなさいよ!」
私がそうたしなめると、ドアの音が止んで、かわりにしくしくと嗚咽する声が聞こえてくる。
「ううう……吸血鬼になったボクの気持ちなんて、しずにはわからないんだ。寝起きは特に渇いてて辛いんよ、この身体……」
そんなふうにさめざめ言われるとちょっぴり罪悪感が込み上げてくる……どうせ泣き真似だろうけど。
まきだって好きでこんな身体になった訳じゃないのだ。
「……はぁ」
私は手に持ったペットボトルの蓋をしめてから、バスタオルをしっかり体に巻く。そして、脱衣所のドアを横に引いて開けた。
「ひゃあ!?」
どさっ、と音がして、まきが脱衣所に転がり込んでくる。どうやら、入り口のドアにしなだれかかっていたようだ。
「きゅ、急に開けんといてよ!? びっくりしたじゃん!」
仰向けに足元に倒れているまきから抗議の声があがる。
その顔に涙のあとはない。
……やっぱり泣き真似だったか。
「びっくりしたのはこっちよ。なにしてんのあんたは……」
「だってぇー、待ちきれなかったんだもん……」
そう言ってまきは不貞腐れる……こいつは本当に欲望に忠実だな。
溜息をついた私を、まきは笑顔で見上げてきた。
「それにしてもしずってば、とってもせくちーだね! 胸もまた大きくなったんじゃない?」
……イラッ
私はまきの両目を塞ぐように足で踏んだ。
「うわっぷ!? なにすんだー!」
ぐりぐりぐり。
私の足元でじたばたと無様にもだえるまき。その姿を見ていると少しだけ気が晴れた。
私が足をのけると、まきは飛び上がるようにして起き上がる。
「お、女の子なのに、はしたないぞ!?」
まきはそんな事を顔を真っ赤にして言う。
「……まきにだけは言われたくないわ」
まだ抗議を続けてきそうな雰囲気だったが、相手にするのが面倒くさかった私は、手に持ったペットボトルをまきの胸元に押し付けて黙らせる事にした。
「おおー、これは!?」
「しっかり拭いたから汚くは無い……はずよ」
それを目にしたまきは、目をきらきらさせて両手で受け取る。
「しずのはついてても全然汚くなんてないよ! えへへ、いつもありがとうね、しず!」
まきはペットボトルを大事そうに胸に抱えて、本当に嬉しそうににへらと笑う。心境はいろいろ複雑ではあるが、こうして喜ばれるのは悪い気持ちではない。
「それじゃあ早速……」
「ちょっ……!?」
人の目の前で飲むんじゃないっ! と言う前にまきはペットボトルの蓋を開けて、飲み口に口をあてると、容器を高く掲げた。
「あっ、あああ……」
本当に飲んじゃってる……
ごくり、ごくりとまきの喉が鳴る。
今まではまきに私に見えないところで飲むように言い聞かせていた。だから、自分のおしっこを飲まれているっていう実感はあんまりなかった。
だから、今目の前で飲まれているのは衝撃的で……私は思わず言葉を失って見入ってしまう。
私のおしっこをあんなに美味しそうに飲んでる……
自分の排泄した不浄な液体が、まきの体内に取り込まれている……得体の知れない感情が私の中に湧き上がってきて身体がゾクゾクした。
「ぷはっ……」
まきはペットボトルを口を離すと、ほぅっと息を吐く。
頬が紅く色づいていて、瞳も潤んでいた。普段見ることのない、陶然とした表情のまきは艶やかで。
「ああ……しずのぬくもりが微かに残ってて美味しい……」
頬に手をあてたまきの口から、我知らずこぼれた言葉。その意味が私の頭に入ってくると共に、私の頭に血が上ってくるのがわかった。
「……な……な、何言ってるのよ、この変態!!」
「お、おおおお!?」
私はまきを両手で脱衣所から押し出す。
ピシャリ!
ドアを勢い良く閉めてガチャリと鍵をかけた。
そのままドアに両手をついて、わたしは呼吸を整える。心臓がばくばくいっているのがわかった。
「ご、ごめん!? ……えっと、ボク何かいけないことした?」
脱衣所の外から狼狽したまきの声がする。だけど、こいつは何もわかっちゃいない。
「まきの馬鹿! 私の目の前で飲むなんて……!」
そこまで言ってようやくまきは、私が普段言っていた事を思い出したようだ。
「ご、ごめん……あんまりにも美味しそうだったから、我慢出来なくてつい……」
その言葉にさっきのまきの表情を思い出してしまい頭の中が掻き乱される。
「その、ごめん……ボク吸血鬼になってから本当に乾きが辛くって、しずのおしっこが飲めるって思ったら、もう何も見えなくなって……」
ドアから聞こえてくる声が近い。多分ドアに顔をべったりくっつけて慌てふためきながら、話をしているのだろう。
その様子を想像するとなんかバカバカしく思えてきて、知らずと笑顔がこぼれてしまう。
「……もう私の前では飲まないでよね?」
「うん……約束する」
「じゃあ許す……着替えたら行くからリビングで待ってて」
「わかった、ほんとごめんね!」
足音が聞こえて立ち去るのがわかった。わたしは軽く深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
私の――を嚥下するまきの姿が頭の中にちらついて離れない。もやもやした何かが込み上げてくる気がして、そんな自分を必至に否定して打ち消す。
「いずれにしても、もう見ることなんて無いんだから、私には関係ない……」
現場を見なければ、想像しなければ大丈夫。ゴキブリだって姿が見えなければ恐くないってのと同じ理屈だ。
私は体を乾かして制服に着替えて通学の準備をする。黙々と作業をしているうちに大分気持ちも落ち着いてきた。
私は髪を両サイドをアップにしてヘアゴムで結んで整え、お気に入りの二つ揃いのリボンで飾り付ける。
よし、今日はすんなり髪の位置が決まったから良い日だ!
少しだけ上機嫌になった私は準備万端で脱衣所を出ると廊下で弟のゆうきとすれ違った。
「おはよう、ゆうき」
「お、おはよう姉貴……」
ゆうきは何故か顔をそらしながら挨拶して、そのまますれ違った。中学生のゆうきは思春期真っ盛りでやや無愛想になってるのだけど、今みたいな反応されるほど気まずい関係では無かったはずだ。
私は不思議に思いながらリビングに入ると、そこには両親と楽しそうに談笑するまきの姿があった。
そして私は全て理解した……理解してしまった。
「さっきはごめんね、しず。安心して、しずの前で飲むのが嫌みたいだったから今の間に全部飲んどいたから!」
得意げにまきはそう言って空になったペットボトルを左右に振った。
――この女なにもわかっちゃいない。
私は大股でまきとの距離を詰める。
その雰囲気にただ事では無いと感じたのか、まきは笑顔を引きつらせて後ずさる。
私は両手でまきの制服のブレザーの襟を掴むと、力任せに引き寄せた。
「だからって、家族の前で飲むやつがあるかぁぁぁ!!?? この馬鹿ぁぁぁ!!」
私はまきの襟を掴んだ手を力任せに前後に激しく揺らす。まきの頭ががくんがくんと勢い良く揺れて、声にならない声がまきの口から漏れる。
見かねた母が私を止めるまで、私は感情のままにまきに詰め寄った。
今日は最悪の日だ!
――だけど、そのときの私は知らなかったんだ。
これ以上なんてないと思っていた恥ずかしさが、後になって思えばただの序の口でしか無かったことに。