終わり
天界と魔界では度々争いが起きることがある。それが小さなものでも大きなものでも、その度に天界と魔界の上層部で会談を開いて「和解」をして争いをやめる。今回の会談もまた争いの和解として、魔界の王たちが天界へと来ていた。
会談には魔族や魔物たちの住む魔界の王である魔王と、魔界では四天王と呼ばれているらしい、魔王の部下たちと、僕達天使や妖精族の住む天界を統治する大天使様や老天使たちが出席していて、本来ならいつものように和解する筈だったその会談で魔王が和解を受け入れなかったらしい。
それから、魔界と天界の境界では頻繁に争いが起きるようになり、やがてはじめは小さなものが多かったそれは大規模なものへと変化を遂げ、果てには戦争と化してしまった。
そうして始まり、簡単には終わらなかった戦争によって、戦場には幾度も天界の戦士たちが投入されることとなった。
はじめは魔界軍の戦力を見る為に、と中堅の者たちが、次に多く敵を倒す為にと多くの戦士が。老天使たちは数が多ければ勝てると思ったのか、その中には新人や見習いの者達も含まれていた。しかし、それでも減らない魔物に天界軍の者達は疲弊し徐々に倒されていき、最後には対魔王戦の為に温存する筈だった天界の最高戦力__天界軍第一部隊と、僕の所属する第二部隊の者達までもが戦争へ駆り出された。
第一部隊の強さこそが天界を守護する強さであって、それはまさに天界の最後の砦のようなもの。それが前線に投入されたのだ。それほどまでに、魔界の軍勢は多く、そして強かった。
第二部隊副隊長である僕も、戦地へと赴き魔物や魔族のやつらを倒した。ひたすらに、剣を振り続けた。いつ終わるのかも、勝てるのかも分からないままで。けど、天界軍の最高戦力を以てしても、僕達は強力で大軍を率いる魔王を、魔界軍を倒すことはできず、最期まで魔界軍と戦っていた第一部隊、第二部隊の戦士たちは長い戦いの中で魔族への憎悪や返り血などから穢れを纏い、堕天使へと堕ちて行った。
そうして自身が堕天使になってしまったのだと気付いた彼らは、黒く染まった自身の羽を見て酷く絶望し、自らその存在を消滅させた。
悲しそうで辛そうで、それでもどこか嬉しそうな顔だった。隊長や仲間がそんな表情をしながら少しずつ消えていくのを、僕は正常に理解できないままただ見つめていて、僕の思考がやっと追いついた頃には、僕はたった一人取り残されていた。
何かを言おうと開いた口からはひゅ、と音が微かに漏れただけで。足の方から力が抜けていく感覚がして、僕は戦場だったこの場所でへたり込んだ。
消滅したということは、自ら命を絶ったのだ。僕の部下だった天使も、先輩も、皆、みんな。
天界では穢れること、即ち堕ちることは禁忌だ。堕ちることは、決して許されることではないし、例え魔界軍を撤退させることができていたとしても、天界に戻ることはできなかっただろう。良ければ迫害、最悪の場合は元仲間だった者に、大切だった者に自身の存在を文字通り消されることになる。
それでも、かつて倒されてしまった同胞の様に、戦士なら最期まで戦うことが使命ではないのか。__いや、だけど、彼らはもう疲れていて、考えることすらできなかったのでは、ないか。
頭の中で感情がぐるぐると渦巻き、考えれば考える程に、自分のしてきたことが無駄だったように感じて、目の前が真っ暗になっていく。
僕は誰もいなくなった場所を徐に振り返って、未だ対峙する軍勢へ視線を戻した。今更ながらに、僕は無力だったんだなあと自嘲した笑いが漏れる。頑張った、みんな、自分なりに頑張って戦ったけど、まだまだ力が足りなかった。
僕にもう少し力があったら、強かったら、大天使様のような存在になれたなら、きっと、__なんて考えて、やめた。例え話を考えたって、この状況が変わることはないのだ。
無力でも、それでも、せめて少しでも魔界軍が進軍するのを止められれば。そう考え、足に力を込めて立ち上がろうとした刹那、ぶわりと風が吹き、目の前に誰かが降り立った。
突然のことで一瞬固まったが、すぐに剣を構え数歩後退る。そして誰かの方へと目を向けると、そこには、ひとりの男が立っていた。
こんな状況だというのに、綺麗だ、なんて馬鹿な考えが浮かんだ。
僕の、天使の__いや、堕天使の羽なんて比べ物にならないくらいの大きな背の羽と、ふわりとして緩く巻かれた肩位までの長さの髪は黒というより漆黒で。まるで吸い込まれてしまいそうな瞳は黒色だが、魔法なのだろうか、光に反射する度に目の中が右は暖色、左は寒色が混じっているように見えるオッドアイはきらきらと煌めいていた。
敵なのに、この整った顔立ちが、天界では禁忌の「黒」が、黒を纏う男が、なぜか僕にはとても綺麗に見えた。
「……あ」
ふと、我に返り男の背後に視線を移すと、魔界軍のやつらが皆一様に平伏していた。__まさかこの男が、魔界内の最強であり最高権力者である魔王なのか。でも、なんで魔王がここに、前線に?
訳が分からずに困惑したまま男を見ると、僕と目が合った男はまるで品定めをするかの様にオッドアイの目を細めた。僕の全てを見透かされているような、何とも言えない怖さで背が凍って、息が詰まる。まるで蛇に睨まれた蛙の様に、僕は男から目が離せなくなった。
それからどれ程経ったのか、__きっと数秒だったのだろうけど、僕には数時間も男と目が合っていた様に思えた__男の口元がゆるりと弧を描き、ふ、と優しそうな顔で微笑んだかと思うと、こちらにゆっくりと近づいてきて、僕の頭に手を置いた。
優しそうな目だった、けれど、きっと僕はこのまま為す術もなく殺されるのだろう。まだ、死にたくはないけれど、この男から逃げられるとも勝てるとも思えないし、僕は未だ体が固まったように動くことができなかった。
ぽん、と一度頭を軽く叩かれて肩が跳ねる。一回瞬きをして男の顔を見れば、そいつは僕を見ながら微笑んでいた。
「疲れただろう。ゆっくり、眠れ__」
男の声が頭に響いて、瞼が重くなっていく。__ああ、これは、もしかして安楽死だろうか。痛み無く殺してくれるあたり、この男、多少はいいやつだったのかもしれない。
戦争も、僕のいままでも、長かったけれど、終わりは随分とあっさりしてるなあ。
今思えば、僕も皆も、時間も関係なく、休むことも無く、ひたすらに剣を振り魔法を使っていて、随分と疲れていたのだ。きっと、仲間は堕ちたことを免罪符に消滅して、はやく戦争から抜け出したかったのかもしれない。そうして、楽になりたかったのかも。
はは、と笑みが漏れたのは、自嘲だったのか、安堵だったのか、分からないけれど。
沈んでいく意識の中で、僕はふと、なんだか永い夢を見ていた様だったと思った。




