初夢フィーバー
正月の初夢の縁起物といえば、
1.富士 2.鷹 3.茄子
私の初夢にはお隣にお住まいの青年が出てきた。
同い年なので友達と言っていい間柄ではあるが、特に深い関係性はない。
その青年はぬくぬくとコタツに入って、茄子の浅漬けを食べている。もりもりと。
しかしそれよりも目が行くのは、彼の着ているトレーナーである。
やたら目力の強い鷹が、今にもトレーナーから飛び出してきそうなデザイン。
どうした。さては駅前のさびれた商店街の福袋か。
そんな声にならない突っ込みを無視して、彼はもりもりと茄子を食べ続ける。
彼の名は 富士山。
「初夢フィーバー」
縁起がいいのか非常に微妙な線である、おぼろげな夢を覚えたまま目が覚めた。
時計を見れば午前十時。
完全な寝正月であるが、誰も起こしに来なかったところをみると家族全員で寝正月なのだから問題はなかろう。
怠惰な一年のはじまり。ハッピーニューイヤー。
今年も怠慢によろしく。
しかしさすがに寝過ぎたのか、胃が空腹をつげる警報をならしたので、仕方なくのろのろと立ち上がった。
寝起きの母に雑煮を作ってもらおう。
布団から這い出るとまとわりつく冷気にぶるりと体がふるえる。
窓の外を見ればうっすら雪がつもっって白い。おかげで赤い色がよく目立つ。
どうりで寒いはずだ、雪が降ったのか。そういえば夕べ雷が鳴っていた…。
と、そこでふと気がついた。
雪が白いのはいいとして、赤?
寝ぼけ眼を必死に開眼しながら、再び窓の外をみる。
みればなにやら人だかりができていた。
ぎゃっと思って、寝癖だらけの髪をとっさにフードで隠しならこそこそと窓をのぞくと、どうやら赤い光は救急車のようである。
救急車が止まっている家は、夢に出てきた富士山さんのお宅であった。
「お隣の富士山君、大変ねぇ。年始から」
化粧までしてすっかり起きていた母は、帰って来るなりそう言った。そしてまだパジャマ姿の私を見て「理恵ったら、だらしないわねぇ」と小言を言った。
「いや、えっとなにかあったの」
聞けば父もすでに雑煮を食った後だという。
すでに冷えかけて固くなり始めている雑煮を自分で温め直しながら、私は興奮気味の母に問いかけた。
すると、先ほどの救急車で運ばれたのは件の初夢男であった。
「お餅をのどにつまらせちゃったんですって!」
餅を温め直している人間にはなんともタブーな話題である。
思わず火力を最大にした。もはや飲めるレベルまで溶かす。
「そんなお年寄りみたいな…」
「まぁ、若いから大口ひらいて、掃除機突っ込んで事なきを得たらしいんだけど。顎がはずれちゃったみたいで、家族も救急車よんじゃったし、せっかくだから病院へ、みたいな感じらしいわ」
みたいな、って。
年始からなにをやっているんだという脱力の話題である。
せっかくだから、という理由で顎のはずれた青年を乗せた救急隊員の心情が浮かばれる。
さぞかし迷惑な住人だと思っただろう。年始からお仕事ご苦労様です。
そしてすっかり日が高くなった昼過ぎに、富士山君は無事生還した。
「掃除機のさきっちょが汚れてて、別の病気にならないか心配だった」と生死の境をさまよった男は語った。
年末年始の大掃除って言うけど、一番掃除すべきは掃除用具かもしれないよなぁ、とのんきな声が続く。
そうだね、とくぐもった声で適当に相づちをうった。
私たちは今、近所の神社に参っている最中である。
徒歩15分程度の神社までの道のりは大変寒く、私は顔半分が隠れるくらい大判のマフラーでぐるぐる巻きだ。
対する富士山君は、ピスタチオ色のダウンにジーンズ、でかいボンボンのついた黒いニット帽という出で立ちだ。ダウンの色に関しては間違いなく福袋であろうが、その下に着ているであろうトレーナーの柄がきになるところだ。
「お、富士山の。きいたぞ、年始から災難だったな」
向かいから歩いてきた区長に声をかけられた。
さすがせまい町だ。もう噂は広まっているらしい。
富士山君は照れた様子で「言わないでくださいよ~」と笑った。
区長は隣の私に目をやるとにやりと笑った。
その先にある言葉を予測して、私はすかさず釘を打った。
「デート「ちがいます」」
つめてぇなぁ、理恵ちゃん。と区長は笑って「仲良くしろよ」と言い残して去っていく。
「おじさんって恋バナ好きだよね」
「だね」
男女連れだって歩く=デートという図式は分かるが、年始早々に餅をのどにつまらせた男にときめくはずもない。
ただ単に「朝からお騒がせしました」という謝罪にきた男に、母が「まぁまぁ大変だったわねぇ。いいのよ、無事でよかったわ。年始から災難ね。まだ初詣もいけてないんじゃない?」
そんな話題をふっていたところに、どろどろの液体とかした餅を流し込んだばかりの私が通りかかったのが悪かったのか。
まだパジャマ姿の私をみて、母の眉間にしわが一本。
「ちょうど良かった。うちの娘もまだだから、二人で初詣にいってらっしゃいな」
要するに、「寒空の下でしゃきっとしてこいや」という母の愛と鞭の言葉であると理解した。
ゆえに私は、年始早々縁起の悪い男と連れだっているというわけである。
「富士山君」
「ん?」
「いや、名前の割に災難な年始だね」
昨日の初夢に君がでてきたよ、と言おうとしたが区長の話題が話題だったのでとっさに避けた。
富士山君は「だよな」と納得したようにうなずいた。
「なんだっけ、富士山とトンビときゅうりがいいんだっけ」
「微妙に違うね」
鳥類と野菜ではあるがさすがにくくりが広すぎる。
それならば十人中七人は縁起のいい夢がみれるだろう。
1.富士 2.鷹 3.茄子
私がそう教えると、彼は繰り返した。
1.富士 2.鷹 3.茄子
「理恵はなんかでた?」
でたよ、君が鷹のトレーナーを着て、茄子の浅漬けを食べてた。
心でそう答えておいて、言葉は誤魔化した。
「富士山君は?」
「でてても、年始からこれじゃぁ御利益ねぇな」
彼はくははっと息を白くして笑った。
それからの富士山君はすごかった。
何がすごかったって、不幸がすごかった。
神社の境内で、彼はお賽銭用の小銭を盛大に落とした。
しかも今日に限って一円玉ばかりで、雪と一体化しそうな銀色の小粒は、砂漠でコンタクトを探すのに値するほど大変だった。
へとへとになって神社の鐘をならすと、まさかの、鐘が落ちてきた。
年末バラエティのタライが落ちてくるコントを彷彿とさせた。
神社の人が平謝りし、おみくじを無料で引かせてくれたが、これが見事に大凶で、木にくくろうとしたら大量の雪が落ちてきて真っ白になった。
対する私もすごかった。
なにがすごかったって幸運がすごかった。
彼の一円玉をひろうのを手伝って五百円玉を発見した。
富士山君に鐘が降ってきた瞬間、「あぶないっ」とイケメンに抱き留められた。
神社の人が平謝りし、おみくじは当然のような大吉で。
縁起がいいので持って帰ろうとしたら、先ほどのイケメンが(寺の人だったらしい)お守りを無料でくれた。
かたや福女、かたや厄男。
見事なでこぼこコンビで私たちは帰路についた。
「災難だったね…」
「おぅ…」
帰ってくる声は若干疲れている。無理もない。
彼はその後も、通りかかった犬に噛まれたり、車に水をはねられたりと不運に見舞われた。
だが、その隣にいる私に害はない。
こうなってくると、気になるのは初夢である。
たしかに御利益三連ちゃんではあった。
が、その御利益の一角を担ってくれたはずの男が不幸のどん底にいるというのはいたたまれないものがある。
「ねぇ、富士山君の初夢ってなんだったの」
帰り道、雪道で転んだおしりをさすっている富士山君にそうたずねると、彼はなぜか押し黙って「なんで?」ときいた。
今度は私が押し黙ってしまう。
いや、彼のことをそういう風に意識したことはない。
いや、全くの対象外というわけではないのだけれど、そういう目で見たことはない。
少なくとも今までは。
しかし、夢に今目の前にいるご本人がでてきたと、告げるのはなぜか大層恥ずかしい気がした。
いや、実際恥ずかしくて口にできない。
なぜかじんわりと、手袋の中の手が汗ばんでくる。
「理恵が、でてきた」
「へ」
唐突な言葉に、間抜けな返事が出てくる。
男がかぶるにしては大きな黒いボンボンが揺れている。
1歩前を行く彼の顔はみえないが、声だけが冷えた空気の中で白く溶ける。
「おれさ、大晦日に、父ちゃんに日本酒飲まされてさ」
「……へぇ」
なんの話だ、ときょとんとしながらも相づちを打った。
富士山君はゆっくりと、すべらないように慎重に歩いている。
「酔って、眠くなって、八時ぐらいから寝て、夜中の一時くらいに起きて。その間に初夢みた」
「……きっと初夢一番乗りだね」
ここらのお年寄りだってそんなに早くは眠らないだろう。
「私は寝たのちょうど1時くらいだったよ」
家族で恒例の紅白やら笑ってはいけない番組をみていたら、いつのまにか年を越していた。
「知ってる」
「え、なんで」
「理恵の部屋、俺がちょうど起きたぐらいに電気が消えたから。……って誤解すんなよ!別にのぞいてたわけじゃないぞ!」
冗談で足を止めてみたら、彼は狼狽してまた雪ですべった。
確かに私の部屋は互い2階にあり、窓が向かい合わせなのである。
距離があるので部屋の中までみえるわけではないが、夜ともなれば明かりがついているかどうかくらいなら分かるだろう。
とりあえず滑った男に手を貸すと、彼は顔を赤くして早口でまくしたてた。
「夢に理恵がでてきて、すげー不幸な目にあってた」
なんてこと言うのだ、と助け起こそうとした手を離してやろうとしたが、なぜかぎゅっと握られた。
「だからおれ、すっげーお願いしたんだよ。理恵の不幸全部俺が引き受けるから、理恵に幸せな夢みせてやってくださいって」
思わず開いた口からは言葉が出ずに、白い息だけが舞う。
今朝の赤いサイレンのごとく、白い雪景色の中に真っ赤な顔。
神社への道のりにすでに人影はない。
いるのは寝正月と朝から不幸を一身に受けてしまった二人だけである。
たっぷりと雪の積もった街路樹だけがじっと二人を取り囲む中で、沈黙を破ったのは富士山君だった。
「理恵、おれ……っうっぉわぁぁぁぁぁぁーーーーー!!!」
「へっ? っぅおわぁぁぁぁ!」
トン、と街路樹に触れてしまった厄男の方から不幸がなだれこんだのか、街路樹の雪が勢いよく富士山君に降り注いだ。
悲鳴によってさらに他の街路樹まで、雪崩の大盤振る舞いが起きた。
とっさに富士山君の手によって、雪崩からはじきだされた私は尻餅をついたが、柔らかい雪の上だったので外傷はなかった。
混乱したまま体をおこすと、富士山君は青いジーンズの上から雪に埋もれており、本物の富士山と化していた。
私は思わず笑い出す。
そして、富士山君を助け出すべく立ち上がる。
彼が雪の中から出てきたら言おう。
富士山君が夢にでてきたよ、と。
1.富士 2.鷹 3.茄子
おかげでとびきりの福女になったのだから、今年はこの厄男のそばにいて、不幸も幸福も半分こにしようと思った。