1話 身の上話
前から見てくださってる方に謝ります。思ったより多くの人に読んでもらってたので、大幅に改稿することにしました。といってもキャラや筋が変わるわけじゃないので、問題はない…はずです。
あれはいつのことだったか。幼い時分、僕が読書に励んでいると、なぜだか強烈な既視感に襲われることがあった。その時読んでいたのは、確か、軍記ものか歴史書であったか。記憶が定かではないが、自分が今ここに存在することに対して恐ろしいほどの違和感を感じたことだけ印象深く覚えている。そんな感覚が僕は嫌いじゃなかったから、何度も同じ本を読んで、何度も心の中で「これじゃない感」を味わって楽しんだものだ。
その結果結構な数の本を読むことになり、そのせいか物心付くのも早かった。二歳のころには並の低級生(ここでは魔法低級生。魔法を習うための準備期間で、主に読み書きを学ぶ。通常4歳から6歳)より頭は良かったし、無論独学で使用言語をマスターしていた。もっと知識を、もっと知識をと追い求めて、剣や数学、異民族言語にいたるまで積極的に学んでいった。
先生に欠くことはなかった。なぜなら僕の周りには、教養のある知識人がたくさんいたからである。つまり、自分の立場を利用したのだ。
僕は自分の生まれについてしっかりと理解していた。生まれた場所は大陸の列強ガレオス帝国の帝都で、母は平民の出、父は帝国で1,2を争う有力貴族。皇帝と競り合って権力闘争を繰り広げていたというから、父が切れ者であったことは想像に難くない。色々と汚いこともやっていそうだが、僕の見てきた父はただただ優しく、そして自分に厳しい人だった。寡黙な父を傍らで支える母は慎ましく、落ち着いた雰囲気の美しい人で、幼いながらも言葉を操る僕の話し相手をよくやってくれた。僕はそんな両親が大好きだったし、どんなことを裏でやっていたとしても、彼らへの感情が変わることはない。
たとえ、どんなことをやっていたとしても、だ。
4歳になった時、父の書斎に今までに読んだことのない本が置いてあった。僕は家からほとんど外出しないから、両親が与えてくれる書物しか読むことができない。家の中にある本をあらかた読み終わっていた僕は嬉々として、その置き忘れられた本を手に取った。
本を開く。表紙の裏に書かれていたのは、丸に囲まれた五芒星だ。見たことのない言語が円状に、恐ろしく精緻に書き込まれている。読むことはできないが、重要な意味を含んでいることは明らかだ。
僕は歓喜した。それは夢にまで見た魔方陣に違いなく、この本を使えばいまだ許されていない魔法学を修めることができるかもしれないからだ。
魔法には危険がつきもので、両親はそれが心配だから自分に魔法学を教えない。それは分かっていたが、僕は優秀な自分に限って失敗などするはずがないと信じていたのだ。一つ成功例を示せば、父上も母上も認めてくれるはずだ、と。
今なら、両親が魔法学を禁止した理由がわかる。
僕が魔方陣に触れた瞬間だった。
「貴様を地獄の果てまで…グゥオオオ!!」
「呪い殺してやる!永遠に、永遠に許さない!」
「なぜ殺した!まだ子供なのに!」
「死ね…死んでくれ」
目の前に展開するのは目まぐるしく入れ替わる数々の場面。人物、場所、それぞれに連続性はなく、ただただ頭の中に魔法書の魔力と記憶がなだれ込んでくる。
頭が割れそうなほどの激痛に、たまらず僕は魔法書から手を離した。だが恐ろしいことに、魔法書はさっきまで手に持っていた位置から動かず、空間に張り付いたように浮いたままだ。僕がその場から逃げ出そうと必死に体をよじらせても、魔法書からの記憶の放流は容赦なく僕を捉える。
「お前のせいで俺は…」 「また根絶やしにするのか?まだ足りないのか!」 「殺せ。それで全てが終わる」 「やめてくれ!許してくれ!」 「お前は死ぬべきなのだ」 「止めを…止めをさしてくれ…」 「お前は一体何がしたいんだ…!」 「恐ろしい男だよ、お前は」
(やめてくれ…なんで…なんで…!!なんで皆、俺をそんな目で睨むんだ…!)
いつの間にか一人称が俺になっていることを、僕は自覚していた。魔法書から流れ出る記憶と共に、なにか大きな感情が自分を支配していくのだ。それは怒りや、絶望に近いような、途方もない虚無感を伴う感情で、この記憶の主と自分の記憶の境目がわからなくなるほど、僕は追いつめられていく。
(だめだ…もうだめだ…俺は生まれるべきじゃなかった…こんな思いをするくらいなら!俺は!)
自分の言葉の意味も分からず、心から漏れ出る悲痛な叫び。僕の存在を肯定してくれる記憶が、どんどん俺に覆いつぶされていく。一体なんなのだろう、僕を闇に取り込むこの感情は。
悲しみ…? いやこれは
「寂しいのかい?冥王」
心を蹂躙する嵐の中で、確かに聞こえた澄んだ声。果てしなく広がる闇の中で、その声はまばゆい光のように、俺の足元を照らした。
(お前は…)
俺は、そいつを知っている気がする。お前は、お前の名は――
(サ――)
魔法書に魅入られた少年を貫く、朱い光の矢。少年と魔法書の間に展開されていた膨大な魔力は、その行き場を失い流れを止め、辺りに突風を巻き起こしながら発散する。
崩れ落ちる少年を、魔法の矢を放った人物は優しく抱き留めた。そして語りかけるように、誰も聞いていない独り言を呟く。悲しみと、憐れみを含んだ声で。
「マゼラン…世界はあなたを、許してくれないのね」
僕の名前はマゼラン・ユーリッヒ。僕の数奇な人生は、この日から始まったのだ。