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「どうしたてかがみ、ずいぶん疲れておるな」
背後から聞こえた声にてかがみ座は飛び上がりそうになりました。このしわがれた声は間違いありません、長老ことおおぐま座です。長老はてかがみ座のご近所さんで春の星座の中でも一番の古株です。他の星座と比べて目立つことに興味がないのか、長老はてかがみ座にみんながしたような「お願い」をしてきません。てかがみ座が星座になって以来一度もないのですから、それはそれでとても珍しいことでした。
「みなさんの色々なお話を聞かせていただいていたんですが、なにぶんこんなに話したのは久しぶりで。少し風に吹かれたくなってしまいました」
ふだんは「少しでも成長したいから」とちい星がてかがみ座を代表して喋っているのですが、おおぐま座の前では一の兄さまか二の姉さまが話すことになっています。今回も例にもれず、二の姉さまがおっとりした口調で長老に言いました。ちい星は自分だったら「風に吹かれたくなった」ではなくて「疲れた」と言うだろうと考えました。二の姉さまは否定的な言葉をあまり使いません。二の姉さまの言う「心のうつくしさ」は、二の姉さまにとっては言葉づかいで表すものなのかもしれないと、なぜかふと思います。
「それは何よりじゃ。わしももうほれ、このように老いてしもうてな。孫を眺めるのだけが楽しみじゃて」
「この時期は近くで見られますから、とても嬉しいことでしょうね」
長老のいう孫とはこぐま座のことです。こぐま座は今日会ったおとめ座、やまねこ座、からす座、ふたご座、長老、そしててかがみ座自身とも違って、一年中夜空にいる星座です。こぐま座のしっぽにポラリスという名前の星があり、てかがみ座たちは空のてっぺんに輝くポラリスと、そのポラリスを持つこぐま座を特別なものとして大事に思っているのです。
いつも空のてっぺんにいるこぐま座とお話したことはありません。でも、さっき見上げたこぐま座はしっぽの先で光るポラリスを抱えて鼻唄をうたっていましたので、きっと機嫌が良いのでしょう。
「そういえばおぬし……今は二の嬢が話しておるのか。どれ、孫と年齢の近い若者の話が聞きたい。七の嬢よ、この爺と話してみんか」
急に呼ばれたちい星はびっくりして長老を見つめました。長老の見た目がいかつくても、しわがれ声が雷のようにびりびり震えていても、長老がとても優しいのはわかります。だけど自分には二の姉さまのようなていねいな話し方はできませんし、言ってはいけないことを言ってしまいそうなのです。
「なに、あんた怖いの? 臆病な子ねえ」
返事をどうしようか迷っていたちい星の耳に、六の姉さまのからかうような小声が届きました。ちい星はむっとして言い返します。
「怖くなんかない! 私だっていつまでも子どもじゃないもん、話せるもん!」
「そう、ならがんばんなさい」
売り言葉に買い言葉でした。ちい星はしまったと思いましたが、にやにや笑っている六の姉さまを前にいまさら「やっぱり無理」とは言えません。ちい星はがちがちになりながら、ゆっくりおおぐま座に向き直ります。
「こうやってお話するのは初めてです、七の星です。みんなからはちい星と呼ばれています」
「そうか、ちい星というのか。わしもちい星と呼んでかまわんかな、七の嬢」
改めて間近に見る長老の迫力はすごいものでした。体がそんなに大きいわけではありません。お孫さんのこぐま座は体よりもしっぽが長いので実際より大きく見えるのですが、長老さんのしっぽは全然ないと言ってもいいくらいです。もしかしたら大きさだけならてかがみ座と同じくらいかもしれません。光の強さも、おとめ座やふたご座に比べたらいくぶん劣るようでした。それでもずっと春の夜空を見てきただけのことはあります。するどい、けれど静かな目を前にちい星は背すじが伸びるような思いでした。
「……いい目だ」
「えっ?」
「気を悪くせんで聞いてくれ。ちい星たち……てかがみは他の者のうつくしさを映すのには役立っておるが、それ以外にこれといったものがないだろう。特にちい星のように若い者にとっては嫌なことだろうと思っておったのだ。うちの孫がああなだけに余計にな」
ちい星には長老の言うことがなんとなくわかりました。星として光っている時間はポラリスもちい星も似たようなものなのに、片やポラリスは春の星座どころか全ての星々から特別に思われている大事な星で、一方のちい星は他の星座の都合のいい時にしか見向きしてもらえないちっぽけな星。それも、ちい星どころかてかがみ座としてさえ、みんなの様子を見てあげる時以外はみそっかす扱いなのです。ちい星からしてみればおもしろくない話だろうと長老は言っていたのでした。確かに、なんでこんな地味な星座なんだろうと不満に感じたことはあります。おおぐま座の疑問はぴったり当たっていました。
「じゃが、一の坊も二の嬢も、もちろんちい星たち他のきょうだいも、てかがみ座のお前たちはいい目をしておるのだよ。いい目というのは器量の良し悪しとは違う。ちい星の内側からにじみ出るものだ。あるいはちい星という存在そのものかもしれんな」
今度はちょっと難しかったようで、ちい星は意味を理解するのに時間がかかりました。しばらくして意味がわかると次はとても嬉しくなりました。二の姉さまが教えてくれたことと同じだと思うのです。つまり、どうしてそうなったのかはわかりませんが、ちい星にも少しは心のうつくしさとやらが備わっているようなのです。
「ありがとうございます、すごく、嬉しいです」
「いや、なに。ちい星のよさはその真っ直ぐさなのかもしれんな。てかがみとして多くの星を見てきたことで、知らぬ間に自分の中の良さが磨かれる。……ほんに、いい目をしておる」
ちい星は照れで赤くなりました。きょうだい星たちが笑っているのが見えます。こんなにほめられたのは初めてでした。真っ直ぐなところがいいんだって。真っ直ぐって、私がいいなって思ったものをいいなって言うその気持ちが、いいんだって。ちい星は長老に認めてもらったその気持ちを大事にしようと、心にちかいました。
長老にもう一度お礼を言おう。
口を開きかけた、その時でした。
「長老さま――」
「大変だ、大変だ、大変だあっ!」
てえへん、てえへんと力の限り叫びながら、見覚えのある真っ黒な鳥が飛んできました。
「え……っ、からす座さん?」
「大変だてかがみ! ああっ、長老こんなところに! 探しやしたよ! とにかく大変なんです、今すぐ逃げてくだせえ!」
「逃げ……る?」
ちい星は突然のことに頭がついていきません。逃げるって何からでしょう。今日は月のない春の夜空。思い切り遊べる楽しい日のはずなのです。からす座だってちい星たちが様子を見たあと、機嫌良く遊びに戻ったはずではないですか。なのに、慌てて飛んできた瞬間から空気がぴりっとしました。さっきまで笑っていたきょうだい星も、優しい目をしていた長老も、みんなが怖い顔をしています。
「わしにもわかるように事情を説明しろ。いったいどうなっておる」
長老がぴしりと一喝しました。からす座は雷を食らったように震え、二、三度はばたいてから、思い切ったように告げました。
「ほ……星が! こぐまさんが、落ちそうなんですっ!!」