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8 【アベル】 思い返す日々

 既に深夜近くなった。

 アベルが歩き続けて三日間。そろそろ国境が近い。周囲にはろくに食べられるものもなく、動物と出会うこともなかった。

 鳴る腹を水で黙らせながら、アベルは黙々と歩いていた。

 時々周囲を見回すが、月明かりに照らされたその道には、アベルの知っている食べられそうな植物はなかった。

 黙って歩くアベルの手に持ったマントが、丸められたそれが不意に重みを増した。


「……?」


 開いたマントの中に、黄色い実のような塊があった。

 驚いて目を丸くしたアベルだったが、左右を見回しても誰もおらず、もちろん悪意ある魔法を受けた感覚もなかった。

 手にとってみたその黄色いものは、柔らかくいい香りがした。食べ物、果実のように見える。


「まさか……女神?」


 思えば服も水も、彼が望んだものが現れている。女神からの恵みなのだろうか。しかしそんなまさか、と少々信じられない思いではあったが、何より腹が減っていた。

 房になっている果物を一つちぎると、中から柔らかい実が覗いた。

 一口食べてみると柔らかく、甘くかぐわしい。アベルからため息のように吐息が漏れた。

 思えば牢を抜け出してから初めての食事であった。彼は食べながら歩き出すと、ここしばらくの出来事を思い出した。

 過去を振り返る度に、自分が本当に女神に祝福されているのか疑問に思う。

 手の中にある重みを感じながらも、アベルは物憂い表情で歩きを進めていった。




 * * * * * * * * * *




 事件が起こるまで、王城には、王と王妃ソランジュ、そして前妻エリスの第一王子アベル十七歳と、後妻の第二王子キリク四歳、そして多くの侍従達などが生活をしていた。

 アベルは生まれた当時に女神の祝福を受けたと聞いた。左腕にある天秤の形の痣のようなものはその証であり、運命は彼の味方だと、幼い頃に母が言った記憶がある。

 その言葉通りに、毒蛇に噛まれてもアベルの身体に毒は回らなかったし、誰もさわれなかった呪いの呪符と呼ばれていたものも、アベルはひょいと拾って破くことができた。また、数少ない魔法の使い手でもあった。

 家族にも恵まれていた。アベルが小さい頃に亡くなってしまったが母エリスはアベルをとても愛してくれた。父王もアベルをとても愛し、妻を亡くした悲しみを共に乗り越えた。……かに見えた。

 アベルが十二歳になったあるときに、遠く離れた小さな国の女王から妻を亡くした父に婚姻の申し込みがあったという。いつもは断るはずの父が、その女王の肖像に母の面影を見たらしい。一度セリドに来てはいかがかと彼女を招いたのだ。

 アベルも女王に会ったときに確かにその顔立ちは母に似ていたと思った。しかし何か違う……何かが恐ろしいとも思った。

 息子の忠告に、父は応じてくれた。女王と真摯に話し合い、断ってくれると父王は言った。

 けれども話し合いの後、父王は急に頑なに婚姻を推し進めて、アベルの反対も聞かずその年に結婚、弟キリクが生まれた。

 アベルもまたその周囲の多くも、強く反対したというのに進められた結婚は、確実に何かの歪みを生み出した。

 義母ソランジュは大変美しい女であった。緩やかなウェーブのかかった長い金髪に通った鼻筋、切れ長の深い空色の瞳。彫刻のように美しい義母は、いつも作り物の笑顔を浮かべているかのようで、アベルには寒気がした。

 ソランジュは四十を超えているらしいが、年齢よりもずっと若く見える。急に老けた父王と比べて、アベルの方がお似合いではないかとの言もある。しかし冗談ではない。あんな女、女狐のほうがまだ可愛らしい。

 あれは魔女だ。既に何世紀も前に駆逐されたはずの魔女だ。


 かつてこの地には男女問わず総称として「魔女」と呼ばれる存在がいた。

 一族内でつがい、濃い血を繋げ、悪魔の集会サバトを行い、生け贄を捧ぐ存在と言われている。

 今では千人に一人程度で、数が少なくなった魔法の使い手ではあるが、魔女がいた時代は殆どの人が魔法を使えていたらしい。魔女達はその中でも別格の存在、強い魔力の持ち主だったそうだ。

 しかし何世紀も前に魔女狩りが起こり、魔女は死に絶えたと伝えられている。

 だがソランジュの傍にいて、自らも魔力を持っているアベルには、彼女の内にある禍々しく大きな魔力を感じ取った。

 問い詰めても「魔法など使えませんよ」とソランジュは微笑むのだが、その目はまったく笑っていない。

 そうしてそこから、アベルに対する不自然な事故が続く。

 食事に混ぜられた毒葉、急に暴走する馬。剣の訓練中に空中から降ってきた大きな瓦礫。

 事故の時、常にソランジュは近くにいた。そう、微笑んで。


 魔女の証拠を得るために奔走するアベルやその支持者、そして父の寵愛と第二子の存在を盾に暗躍する義母ソランジュの戦いは、水面下で三年続いた。

 手に入れたと思った証拠は燃え上がったり、証人は口封じされたりした。アベルと義母ソランジュの仲は険悪さを増していった。そのたびに彼女は空々しく「アベルは反抗期で困りますわ」と微笑むのだ。

 父王は完全に魔女に操られている様子で、アベルとの会話をずっと避け続けている。

 一ヶ月前、ソランジュが悪魔の集会サバトを行っているとの情報を得て、アベルとその部下が押し入ったその場所には。

 骸骨の飾られた恐るべき光景と血まみれの祭壇がその場にはあった。しかしそこにはアベルとその部下以外、誰もいなかった。


「逃がしたか……っ!」


 そこにタイミング良く突入してきた義母の私兵達が叫んだ。


「王子が悪魔の集会サバトに参加していた!」と。


 アベルこそ魔女だという証拠が揃えられて、彼は投獄された。


「こんな茶番が、貫き通せる訳がない」


 彼はそう思ったし、信じてもいた。セリドの第一王子がかつて失われたはずの魔女だと、信じるものがどこにいようか。

 だが、裁判こそが茶番だった。

 彼と共に魔女の館に入ったはずの部下は別人が演じていて「そうです。我らの主アベル様こそが、魔女なのです」と証言した。

 エルベル。ユイン。アルゼ。三人とも別人だった。彼の信頼する騎士達は一体どこに消えたのだ。

 アベルが数少ない魔法の使い手であったことも裁判には悪影響であった。

 彼が集めていた魔女の証拠は、名をアベルに変えた上で提出された。盗まれることを想定しておいた複製であり、記されたアベルの名は不自然に歪んでいる。それなのに、何一つ指摘しない裁判などあったものか。不満を叫んだアベルは、周囲の護衛兵に殴り倒された。


「裁判の邪魔をするんじゃない」


 そう冷たく言う護衛兵の目は、どこかうつろで焦点があわず、遠くを見ているようだった。

 裁判長は宣言した。


「ここに、アベル王子を王位継承者から外し、魔女として処刑を決定する」


 馬鹿な、ありえないと叫ぶアベルは、両腕を捕まれたまま、引きずられるように裁判場を出された。

 裁判長の後ろで、義母が扇で口元を隠して、アベルを見ていた。

 引きずられていくアベルに、隠されているはずの笑みが見えた。


「残念ですこと。アベル、私の義理の息子よ」


 呟くソランジュを睨み付けて、アベルは叫んだ。


「黙れ、魔女め!」


 その言葉に、義母は目を細めただけだった。

 魔女と断じられてもなお、アベルに従うもの達は追放されたり投獄されたと牢の中で聞いた。




 * * * * * * * * * *




 彼は独りごちた。


「俺は運命の女神が本当にいるのなら、俺に運命があるのならば。父や友を守ることができると思っていた」


 その結果がこれだ。彼はたった一人で夜中に隣国へ逃亡せざるを得なく、そして彼の親しい人達は命すら知れない。今更女神が恵みを与えてくれたとしても、無邪気に喜ぶ気にはなれなかった。

 ただもし、もしも女神がいるのなら。


「俺ではなく……どうか俺の親しき人達に祝福を分けてくれ」


 一人、月明かりだけを頼りに歩くその姿は。

 不安と、悲しみを滲ませたまま、それでも進むしかなく。そして決してこのまま終わらせはしないと強い藍色の瞳が語っていた。



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