12 【アベル】 追っ手
アベルは木の上で剣を抱えるようにして、眠りについていた。ここ数日の疲労が溜まっている。彼は十七歳という若く健康的な青年ではあったが、一ヶ月前から怒濤のような日々で気の休まる暇もなかった。
それゆえ遠くから近づく人の気配に気付かなかったのも、無理はないと言える。
黒い服を着て闇に紛れた男は馬を止めると、十分な距離を取ったまま、遠くから目的の王子を見据えた。
彼は金で雇われた王妃ソランジュの私兵であった。かつて裏の仕事を請け負っていたこともあり、追跡や暗殺を得意としていた。かすかなアベルの足跡を辿り、報酬目当てに一人追いかけてきたのだ。
ソランジュは兵を国境の関所に配置し、「犯罪者アベル」を逃がすまいとしていた。
「生け捕りにできるならばそれで、無理ならば殺してしまっても構いません」
そう言って艶然と微笑んだソランジュに逆らおうと思う者はいなかった。不思議なことに自国の王子を殺すことに対する反対は私兵の誰からも出なかった。そしてそれを不思議だと感じるものもいなかった。
男は馬を下りて、ゆっくりと歩みを進めると、小さな短刀を取り出し、振りかぶった。
足でも手でも一部を貫けば捕縛出来る。もし当たり所が悪く殺してしまったとしても、彼は頓着しないだろう。
男が投げようとしたその瞬間、背折っていた袋に小さな重みが増した。
彼が違和感を覚えるよりも先に。
ジリリリリリリリリ!
けたたましい音が静寂の森に響き渡る。
その音に飛び起きるようにアベルは目覚めた。剣を鞘から抜くと、木の上から飛び降りて地面に降り立つ。
追っ手の男は自らの背で鳴り響く音に驚き、短刀は暴投となってアベルから遠く離れた木に突き刺さった。少し離れた場所にいた馬も、鋭く鳴り響く音に跳ねるようにして逃げ去ってしまう。慌てて背中の袋を毟りとった追っ手を視認すると、アベルは飛び降りた勢いのまま、走った。
「くそっ」
男は袋を地面に叩き付けて、応戦しようと剣を抜いた。だが遅かった。風のように素早いアベルの一閃が彼の剣先を払う。男の手から剣が飛び、がら空きとなった身体は、アベルの剣を阻むことは出来なかった。彼は殺そうとした相手によって切り伏せられることになった。
袋もまた地面に叩き付けられて沈黙し、森には静寂が戻る。
アベルは鋭く周囲を見回し、他に人が誰もいないのを確認すると息を吐いた。
「……さっきの音は、一体……?」
金属がかき鳴らされたような物音は、先ほど地面に叩き付けられた袋から出ていたようだ。彼は慎重に袋を開くと、その中には少量の簡易食や水、暗器のようないくつかの短剣、そしてなにやら見慣れない青い小さなものがあった。
その形は鳥に似ているが、腹の部分に大きな円形の穴のようなものがあり、叩き付けられたせいかひび割れている。円の周囲は文字のようなものが記されていた。呪具のようでもあり、細工物のようでもあった。少なくとも今までアベルが見たことのないものだった。
「これか……。生き物、ではないな。何故あんな大きな音が?」
その音に救われたことは確かではあったが、どのような仕組みで鳴るものか良く分からなかった。もしも持って行って隠れているときに鳴ってしまってはたまらない。また、壁を登り始めたところで鳴られても困る。
念のためアベルは地面を浅く掘ってそれを入れると、慎重に土を被せて埋めることにした。水辺があるなら沈めるのだが、土でも防音効果はあるだろう。
袋の中の短剣は持って行っても仕方がないため袋に戻した。これから壁を登るので出来るだけ身軽でありたい。最低限の持ち物として水と食料、そして剣だ。ただ当然だが、登っている最中に追っ手が来たとして、剣では応戦できない。
「最悪、他の人に見つかるのを覚悟で魔法で応戦するしかないがな……」
アベルはその袋を脇の茂みに投げて、鋸壁に向かった。
――いくつかの短剣が入ったはずの袋は、予想外に軽く、茂みにバサリと飛び込んでも金属音がしなかった。
アベルは壁から下がっているロープに手をかけると、その結び目を手がかりに壁を登り始めた。
夜陰に紛れて壁を登る彼の姿を見つめる者がいなかったのは幸いである。それも女神の加護であると言われたとしても、きっと彼は苦笑しただろうが。




