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ともしび  作者: れとろそふと
第五章
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受け入れること

 怜香と神さまはすでにいて、私が来るのを待っていたようだった。神さまは歩き寄る私に気づいて声をかけてきたが、怜香はというと、そっぽを向いたままだ。

「神奈ちゃん。怜香ちゃんの付き添いは今回の仕事で最後になると思う」

 怜香が顔をしかめて神さまを見る。

「ま、仕事の詳細は怜香ちゃんに伝えてあるから」

 神さまはきつい視線を気にも留めずに話を続けている。

 私は怜香の横に正座する。チラチラと怜香の様子を確認するも、彼女はまるで私が見えていない風な態度を貫いている。その反発のせいで怜香に言葉をかけづらくなり、先に神さまの話を進めることにした。

「……この仕事の後、付き添う必要がなくなれば、私はこれから何をすればいいのでしょうか」

 うーん、と神さまは唸るが、さして困っているようには見えない。

「先のことは特に考えてなかったよ。ゴメンね、後で考えておく」

 そうですか、とぽつりと呟く。他に訊くことは何もなく、乾いた風が渦を巻きながら鳴らす音だけが辺りを包む。得体の知れない居心地の悪さに肌がむず痒くなり、腕を掻きながら苦笑いする。

「神奈」

 いきなり呼びかけられてびっくりした。声の方を振り仰ぐと、怜香が重い空気を押しのけて立ち上がっていた。数日ぶりに目が合う。怒りの感情はすでになく、むしろ奇妙な優しい眼差しが浮かんでいた。

「行くよ」

 凛々しく私を呼び、ゆっくりと音すら立てずに、かつ大股で雲の端へと歩き始めた。私は怜香の寂しそうな背中を追いかける。

 雲の先端から身体を乗り出して見下ろしてみると、どこか見覚えのある街並みが広がっていた。駅に向かう大通りには川を跨ぐ大きな橋がかかり、脇道に逸れてすぐ先に小さな山がある。背後にたたずむ月に照らされて、山の緩やかな曲線が克明に浮かび上がる。

 ここは十数年前に、小暮正雪というかつての仕事対象を消し去った場だ。木が鬱蒼と茂っていて光は遮られ、人の侵入を拒むように暗く湿っている。あの一件以来、私の体中に神さまへの疑念が蝕み始めたのだ。私にとっての苦い過去が潜む場所。

 ――あまり行きたくないな。

 拒否反応から無意識に後ろへ下がろうとする私の腕を、怜香が突然掴んだ。その手は少し汗ばんでいて、私を力強く引き寄せる。雲から蹴り出して落ち始める寸前、彼女の腕を目で辿っていくと、そこにはこちらを見ることなく顔を眼下の山を見続けている、表情のない怜香の横顔があった。

 首が無気力にカクンと動き、流されるように体が引っ張られていく。一体となって、闇を裂きながら突き進む。


 あのときと何ら変わっていない気がする。確か季節も同じころだったろうか。

 私たちは薄暗い山道にたどり着いた。湿った足元には、踏むとパリパリと音を鳴らす落ち葉が敷きつめられていて、見上げると木々の隙間を縫って紺色の空が覗く。

 今回の仕事の場所が、かつての仕事の現場とかぶるなんて、たまたまだろうか。怜香は森の奥へと迷いなくどんどん進む。私の中には訊きたいことが溢れるほど込み上げていたが、ぎこちない雰囲気に蓋をされ、口に出すことなくあとに続いた。

 現場がかぶることが偶然ではないとするなら――と黙々と考えられる可能性を模索する。

 小暮正雪のしたことや存在はすべて洗い流され、かつての仕事の記憶を残しているのは私と神さまだけ――

 痛みに近い微かな違和感が目の前に現れる。

 ――神さまだけ? もしかして、今回の仕事に神さまが関わっているのかもしれない?

 脳に血流が巡り、頭が熱くなって思考が明瞭になる。私が知っている事実の形状が瞬時に合わさって繋がり、体中に電気を流す回路となっていく。

 怜香だけが今回の仕事の詳細を知っているだなんて、何やら不自然だと思っていた。確か怜香に「神さまに仕える立場はどうあるべきか」と訊かれたのは、仕事があると告げられた直後だった。怜香の態度が急変したのは、聞かされた仕事の内容によるものと考えられる。

 それに「最後の仕事」と言った神さま。あの皮肉屋らしい物言いだ。やはり神さまはこの件に関係していると予想できる。

 この仮説が正しいとするならば、怜香が「神官」になれた理由――合理的な結論が鮮明になり、納得できる形へと変わっていく。私の負った義務が可変的な運命の一部だったのだ。

 全ては憶測の域を越えるものではなかったが、無意識の確信が芽生えてきた。

 ――あぁ、そういうことだったのか。

 翳りに満ちていた視界が一気に広くなって、闇が覆う森の奥までが見渡せるようになった気分になる。そして、この先に横たわる真っ黒な結末も。

 山道を歩き続け、ついに木々がひらけた場所に出ると、かつての記憶が鮮やかによみがえる。いつもより大きく映る月も、何一つ変わらず緩い斜面を照らし出していた。

 怜香が足を止めた。私がついてきているのを確認することなく、この寒色の景色をぼうっと眺めて、ひとつ残らず目に焼きつけている。その怜香を追い越し、私は首をよじって一瞥した。その視線に気づいた怜香はビクッとして顔を強張らせる。その反応に構わず私は進み続けて、広場の中央に立った。

 安らかな月明かりを浴びて、うごめいていた淀みが洗い流される。恐怖も後ろめたさも何もかもが私の中から染み出して、ポトポトと落ちていく。

 ――これが私の最後の役目ならば、まっとうしよう。

 しがらみから心が解き放たれていく。肺からこぼれるぬるい息と冷たい空気が入れ替わって、いまだかつてないほどに体を軽く感じる。

 ――怜香。

 背中に優しいぬくもりを感じた。指先から徐々に体温が冷えていき、力が抜けていく。まぶたが重くなって視界が暗く、狭くなる。でも、後悔はない。

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