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ともしび  作者: れとろそふと
第四章
31/37

全てはうまく回らない

 神奈は神さまに会いももせずにアパートへと帰ってしまった。その背中はとても見るに堪えないほど小さくなっていた。

「神奈ちゃん、何かあったのかな」

 神さまは彼女の方を見ているようだったが、すぐにこちらに向き直った。

 あたしは神さまに今回の一件について詳細に語った。

「へぇ、神奈ちゃんがそんな暴挙に」

「珍しいことなのですか?」

「いや、珍しいも何も、そんなにご乱心になるとは初めてのことだよ」

 それでも神さまはどこか気楽そうに言う。周囲に面白い話をするような口ぶりだ。「神奈ちゃん、心配だね」

「あたし、どうしたらいいでしょうか」

「どうすることもできないでしょ。ただ見守ることしかできないよ」

 開き直るように続ける。いざとなったら当てにならないな、この方は。

「最近は仕事のサイクルも早かったしだいぶ疲れてるのか、それがきっかけで心が不安定になってるのかな」

「それは神奈にしかわかりませんよ」

「そうだね。でも、今度からは通常のペースに戻すよ。怜香ちゃんも十分経験を積んだだろうし」

「はい……。わかりました」

 暗い影を落とす神奈に対して何もできないことがもどかしい。

「連絡ありがとうね。ご苦労様」

 おやすみ、と言って神さまはあたしを見送ろうとした。しかし、あたしはまだ家へと帰るわけにはいかない。神さまもその様子に気づいた。

「怜香ちゃん、まだ話があるの?」

 わかっているにも関わらず訊いてくるところがいやらしい。あたしは小さく語り始めた。

「『古賀巧巳』――あたし、知っていました」

「そうだろうね」

 あっさりと言われた。あたしの大切な記憶がもてあそばれているようで気分が悪い。

「それで、何がきっかけで思い出したの?」

「重波悠斗の婚約者――由加が、古賀と一緒にいたときのあたしにそっくりだった。力もないのにひたすらどうにかしようとしていて、それでも結局、何も変えられなかったところが」

 由加があの部屋に乗り込んできたのは誤算だった。まだ父親の会社へ転職していなかった重波悠斗は、転職前の会社で出張を命ぜられて、あのホテルに泊まっていた。当然一人での宿泊だ。だからあたしたちはその日を狙って命を吹き消してしまおうと考えていたのだ。

 しかし実は、出張先は由加の実家の目と鼻の先にあった。由加は一旦帰省し、重波の宿泊先を訪れる予定だったのだ。重波があたしたちを早く追い払おうと躍起になっていたのは、彼女と会える時間を無駄にしたくはないと思っていたからだった。

「なるほど。乗り込んできた由加にデジャヴを見たわけだ」

 あたしはうつむいて自分の手をぼうっと見ていた。確かにそういうことである。そしてもう一つ、重要なことを告げる必要がある。

「一つ、訊ねていいですか」

「……いいよ」

「巧巳の命を消したのは、神奈ですよね」

 あたしは不思議と他人事のように言えた。あのときの気持ちは鮮明に覚えているが、特に何の感慨も湧かないのはなぜだろうか。

 岩陰から身を乗り出したあたしは、古賀巧巳に向かって走り出した。倒れている巧巳のすぐそばにひざまずいていたのは、まぎれもなく神奈だった。暗い雲を背景に、神奈の手は確かに青く輝く灯を持っていた。

「その通りだ。あの仕事をこなしたのは神奈ちゃんだ」

「そのことをあたしに思い出させる――これは神さまの狙い通りですか」

「まぁ、そうだね。でも案外遅かったね」

 狙い通りでなければ、こんな風にふてぶてしくしていられないだろう。

 神さまに踊らされていたような気がする。しかし悔しいことに、記憶が戻ってしまった以上、後戻りはできない。

 そしてあたしは、この一件についてある仮説を立てた。もしもこれから言うあたしの予想が当たっていたならこの上ない酷い話だが、あたしは「神官」だ。避けては通れない。意識の奥深くで心を決めて、口を開いた。

「あたしに記憶を託した理由。神さまの目的は、神奈を消し去ることですよね」

 絶対にそんなことはあってほしくなかった。断腸の思いだったが、違うと言われることは必ずないとも確信していた。

「怜香ちゃんは聡明だね」

 神さまの褒める口ぶりが耳につく。

「その通り。次の仕事で、神奈ちゃんの命を吹き消してほしいんだ」


 神さまは初めてあたしと対面したとき、気づいたのだという。あたしを「神官」とすることが可変的な運命の一つであることに。

「あのとき、私は君を見捨てるよう神奈ちゃんに促すこともできた。神奈ちゃんは素直で実直だから、しぶしぶでも実行したことだろう」

 あたしを見捨てるか見捨てないかの話を淡泊にするものだから、寒気がしてきた。そしてこれから神奈を見捨てるか見捨てないかの話をするのだ。

「初めは私も連れてくるべきではないと思った。だけど突如、この子は預かることが最善の結果をもたらす、と理解したんだよ」

 神さまの気分であたしの人生がころころと変わってしまっていたわけだ。

「仮に私が神奈ちゃんに君を見捨てるよう強要したら、どうなっていたと思う」

 神奈が未来において悪いことをもたらす――

 ともに十年以上暮らしてきて、神奈はあたしのずっと成長を見守ってきてくれた。今に至るまでどれだけ支えてもらったことか。だからあたしは神奈を十分信頼しているし、本当に感謝している。だからこそ神奈が悪い何かになるとは、到底思えなかった。

「いえ、考えたくないです」

 わからないのではなく、生理的に思い浮かべたくない。だけど、少し興味も湧いてくる。短絡的な好奇心があたしを占めてくる。

「神奈ちゃんね、君を見捨てることで『神官』の立場に嫌気がさして、どこかに消失してしまうんだよ」

 嫌気――? 神奈は犯罪者のような人物になることはないそうだ。それはそれで少しホッとした。しかし、新たな疑問も生まれる。

「今まで多くの人を屠ってきた神奈が、たった一人の子どもの命が失われるだけで心を乱してしまうものですか」

 ――神奈はそんなに弱い人か?

「神奈ちゃんは、消えゆく古賀と固く約束したらしいんだ。『怜香の命だけは奪わないでほしい』と。君を親身になって育ててきたのは、そのことがかなり大きく関わっていると見て間違いない」

「神奈が、そんな約束を……?」

 初めて知った。かつてのあたしの記憶にも残されていない真実が、あたしの心を窮屈にする。きっと一緒にいた時間の中で、あたしは常に無意識に神奈を圧迫し続けていたに違いない。固い約束を盾にして。

「これは古賀から託された彼女の義務だった。それなのに怜香ちゃんを手放さなければならなくなった。約束を破る罪悪感と、自分の無力さを痛感したんだろうね。神奈ちゃんは『神官』の役割をも放棄してどこかに行ってしまう。『神官』を失い、新たな適合者が来るまでの間、可変的な運命はほったらかしにせざるを得ない。そんなこと、あってはならない」

「だから、あたしを『神官』にした。それが最も理にかなった判断だったということですか」

 あたしの存在にはそんな背景があったなんて。あたしの命は、実は思ってる以上に重たいものなのかも。

 あたしが思いを馳せている間にも、神さまは話を続ける。

「古賀は特異体質の持ち主だった。結果、もたらされる厄災もとんでもない規模だった。それが神奈ちゃんを追い詰めた原因だったのだろう。だけどね、どうやらもう一つ、何か理由があるらしいんだ」

「神奈の信念を折ってしまう何かが?」

「もしかして、今回の神奈ちゃんの態度もそれが原因なんじゃないかなって思うんだけど、一体それが何なのかは、私には見当もつかない」

 ホテルの一室で体を震わせていた神奈。見ていて心が痛んだ。神奈をここまで追い詰めて、しかも誰にも話せない事柄が、あの体の奥深くでうごめいている。

 明らかになった今に至る巧巳の呪い。こんなことは、優しかった巧巳自身も望んではいなかっただろうが、事実、あたしたちは過去に囚われっぱなしになったままだ。ひどくやるせない気分になる。

 そして、まだ一つ腑に落ちない点がある。

「なぜ、神奈の命を奪う必要があるんですか。すでに『神官』は二人います。仮に神奈がいなくなってもこの役割を果たしていけます」

 どう考えても神奈が命を奪われる理由はない。もしかして神さまは根に持つタイプなのか? もしもそんなバカげた理屈だったとしたら、あたしがねじ伏せてやる。眉間にしわを寄せているあたしを、神さまが見つめる。

「私は怜香ちゃんをみくびってなどいない。君はもう一人前で、十分やっていける」

 励ましてくれたが、神さまはまだ甘い、とも言う。

「君はまだ、自分は正しいことをしていると信じることを十分にわかっていない。まったく、私も困っちゃうよ」

 その言葉、神奈も言っていた。

「運命は循環であり、それは一つの理だ。運命を強引に変えるときには必ず命の灯が燃え尽きる。それは必ずどこかでつながっているんだ。そのことを怜香ちゃんも理解しておかなければならない。それが君の使命なんだから」

 わからない。どうして丸く収められない。心神喪失の神奈がもしもアパートに居なかったら、(非常に悲しくはあるが)それはそれで一向に構わないし、そうなれば神奈の命を奪う必要もなくなるはずだ。煮え切らないあたしは頭を掻きむしった。

「まぁ、いいや。しばらくは時間が空くから、気持ちの整理をしておくといい。だけど言っておく。神奈ちゃんを消し去ることは必須事項になるんだ。その覚悟は絶対にしていてほしい」

 神さまは強く忠告してきたが、あたしは返事をせずに立ち上がり、足場の悪い黄色の雲の上をさっさと歩く。神奈が心配だった。

 あたしは雲の端から地表を覗き込んで、落ちる。張り巡らされた灰色の雲を貫いて、神奈が待つ部屋を一直線に目指す。

 覚悟なんてできないし、きっと、する必要はない。結局あたしは甘いままだった。

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