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ともしび  作者: れとろそふと
第四章
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開かれる扉

 最近、神奈の様子がおかしくなってきていることには気づいていた。何がきっかけなのかはわからない。ただ、時々神奈の視線が急に遠くなることがある。まるで、もう手の届かない願いに思いを馳せるように。意識が囚われて現実に身を留めていられなくなるみたいで、見ていてこちらも息苦しくなる。

 どうにかしてあげたいが、神奈はそれをあまり望んでいないようだった。体調が悪くなるとフラッとあたしの前から姿を消す。あたしに心配をかけたくないとでも言うのだろうか。

 そんなの、互いに辛すぎる。

 でも、神奈にも神奈なりの考えがあってそうしているのだろう。きっと口出しをするべきではないのだ。

 それに、実はあたし自身も気を使っていられるほど余裕がなかった。神さまから力を授かった日、「古賀巧巳」ならぬ人物の話を聞いてから、神奈への敵視が強くなった気がする。まだ支障が出るほどではないが、若干の戸惑いは生じる。その事実を頭の彼方へ追いやるためにも常日頃から明るく振る舞うようにしてきたのだ。

 あたしは腕時計を見やった。午後七時前。もう行くべきだろう。

「神奈、そろそろ行こう」

 柔らかな口調で促すと、そうだね、と神奈はよろよろと立ち上がり、こちらに歩み寄ってきた。視線があたしに向けられる。

「大丈夫だよ」

 青白い顔でそう言われても信じられるものか、と口には出さない。

 雲の先端に辿り着く。灰色の雲のせいで境目がぼやけている。薄い雲ごしにジッと着地地点を捉える。

「あったよ」

 到着地点を見据えたまま、神奈の腕を探る。あたしの指先と神奈の指先が触れる。ひどく冷たい。

 その手を離さないようにグッと強く握って、思いっきり身を投げた。神奈を身に引き寄せてぐるぐると落ちていく。

 途中、神奈に呼ばれた。

「怜香。今日は、嫌な予感がする」

 神奈のそういう、悪いものを感知するセンサーはかなり精度が高い。あたしの身体に自然と力が入った。


 大きな窓には赤やオレンジ、それに蛍光灯の青や白の光が灯っていて、夜景が美しい場所だ。都内の絶景と表現されそうなくらいだ。とても立地のよさそうなビジネスホテルの一室に、あたしたちはいた。落ち着いた雰囲気を放つスタンドがほんのりと明かりを灯している。

 すぐ右の洗面台からワイシャツ姿の男性が、ネクタイを緩めながら姿を現した。あたしたちの存在に気づくと、目を丸くして、身を少し引いた。

「ど、どなたですか」

 優しく、品のある声で訊いてきた。どことなく純粋で子どものような人である。よく整えられた短髪に大きな瞳が、聞いていたのよりもずっとさわやかな印象を醸していた。

「重波悠斗、ですね」

 訊ねると、彼はあたしの顔を覗き、後ろにいる神奈を見据える。そしておどおどしながらもうなずいた。

「あなたたち、ルームサービスとかじゃないですよね。そもそも頼んでないし……」

 あたしたちへの質問というよりも、自分で自分に訊いているような妙な口調だ。それに彼の頻繁にきょろきょろする様子から察するに、どことなく内向的な性格であることが見て取れる。

「あなたたち、何でここにいるんですか。それに、何か変な感じがするんですけど。失礼ですけど」

「変な感じ?」

 何だそれ? あたしの中に沸いた疑問をよそに彼は続ける。

「こう、空気が重いというか……。とにかく、早く出て行ってもらえませんか。ここは僕が予約した部屋です。だから、早く」

 何なんだこの人。人をよく見ているのか、勘がよくはたらくのか。彼も悪いものを感知するセンサーを持っているようで、あたしたちを追い出そうとして、ひどく焦っている。突き放そうとしているのに不器用なところも神奈に似ているかも。

「もしかして――」

 彼の口はとどまることを知らない。「ご、強盗か何かですか」

 強盗――当たらずも遠からずかもしれない。あたしたちは命を盗む泥棒なのだ。

 それにしてもこの人はバカなのか、天然なのか。本物の強盗が「はい、そうです」と答えるとでも思ったのか。それに、もしあたしたちがそう返事したところで彼が何をするというのだろう。この調子では神さまの言うとおり、重波は人を動かす力量が不足しているとしか思えない。進路を強制される彼が不憫でならない。

 あたしの横柄な同情と彼の奇妙なテンポがかみ合わなくて、この場がだんだん嫌になってきた。神奈も嫌な予感がするというし、仕事を早めに終わらせてしまいたい。あたしは口を開いた。

「そうです。あたしたちはあなたの命を消しに来たんです」

 意地悪な口調、あたしは神さまに似てきたな。

「命を消しに……」

 重波の口が大きく開いて固まった。空想のような話にもかかわらず、彼はすぐさま事態を飲み込み、あたしたちを危険なものと判断したようだった。状況の不可解さとあたしたちの恐怖に目がチカチカと点滅している。

「僕の命を……? なぜ?」

 呟きながら後ずさりするも、部屋の壁と背中がくっついたところで動きを止めた。

 ――これであなたの不幸な未来を終わらせられる。

 あたしはその考えを傲慢だとすら思わなかった。ためらいなく右手を突き出して重波の命を取り出す用意をした。

「怜香!」

 背後からの強い呼びかけに体が強張った。手を引っ込めて、あたしを呼んだ神奈を見やる。神奈は部屋の入口をジッと見つめながら、再びあたしに言った。

「誰かいる」

 部屋と廊下を区切る純白の扉がとても遠くに見える。そしてそれは勢いよく開いた。

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