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ともしび  作者: れとろそふと
第四章
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心の衰弱

 怜香は強い。私の命じたとおり、突き立てた信念という名の芯はぶれずにしっかりとそびえたっている。もう支えはいらない。少しずつ私の元を離れて、広大な空へと枝を伸ばしていくのだ。怜香は心強くなるくらい成長していくのがわかる。

 だけど、それとは違う何かが芽生え始めていることにも気づく。その芽が何を導くのかはわからないが、不吉な予感がするのは確かである。この感じ、十と余年が経ったあの過去のときのものとそっくりだった。

 ――古賀巧巳。彼の呪いが体に染みついたまま消えていかない。なぜ今さらになって……?


 私はまぶたごしに照る朝日を疎ましく思った。しかたなく布団から起き上がる。じんじんと痛む頭をふと横に向けると、すでに怜香は布団の中にはおらず、代わりに穏やかな朝特有の物音が聞こえる。

「あ、神奈。おはよう」

 怜香のにこやかな挨拶が眩しい。私は小さく返事をしてダイニングの椅子に座った。

「今日の仕事で、あたしは六回目の出勤になるわけだね」

 やっと六回目だよ、と怜香は言った。そうかな。私はその三倍以上の仕事を果たしてきたが、どれもこれもあっという間に過ぎていった気がする。

 そういえば、怜香との生活を始める前は、ずっと神さまのいるところで時間を過ごしていたんだな。あの地ではことわざのように、時間はまさしく矢のように飛び去った。実際に時の流れが速いのかもしれない。

 ただやはり暇なものは暇で、眼下の家々をジッと眺めていたり、暇つぶしになりそうなものをいろいろ持ち込んでみたり、ときどき地上へ降りて散歩をしてみたりしたことがある。さっさと時間が進んでほしいと思っていたことが、怜香と私の日々の流れにギャップを生じさせているのかもしれない。

 これだけ緩いペースの暮らしは神さまに仕える前にもしていたはずだが、もはやすべて忘れてしまった。所詮、必要のないものだったのだろうと思うようにしている。だからか、今の生活には戸惑いがある。

「神奈。あたしってけっこういい線いってると思う?」

 怜香が用意してくれた朝ごはんをほおばっていると訊ねられた。正直、もう私がついていてやる必要はないのではないかと思う。身体は若々しくしなやかで体力面は問題ないし、精神面も随分強くなった。少なくとも、過去の悪夢に囚われたままの私なんかよりも。それなのに神さまは「まだついていてあげて」と言う。もういいんじゃないかなともどかしく思っていた。

 でも、それを口に出そうとしても、うまく言葉が出ない。

「……うん。まぁ、いいんじゃないかな」

 はっきりとせず情けない答えに怜香は噛みついた。

「まぁ……って、それじゃわかんないよ。でもいいや。ほどほどってことだよね」

 それ以上は追及してこない。そそくさと立ち上がって、手に乗せた自分の皿を流しに運んでいく。もそもそと細かく咀嚼している私の前には、まだ半分以上のおかずが残ったままだ。

「これ、お昼に食べるよ」

 私はそう言ってさっさと片付ける。怜香は私の体調を気遣うように目を向けたが、特に声をかけてくることはなかった。

 憂鬱な気分を払拭したくて、とりあえず散歩をすることにした。元々当てもなくふらふらすることは嫌いではなかったし、今回の仕事は夜からという予定だ。

 顔を洗って鏡に映る自分を覗き込む。くりくりとした黒真珠のような色の目には、やはり虚空の闇が浮いている。こんな自分が嫌いだ。

「怜香、ちょっと出かけてくる」

 思いのほか声は小さく、怜香に聞こえたかがわからなかったが、部屋の奥から「わかった」と返事が飛んできた。

 中秋が近くなり、空気はカラカラに乾燥していて、風が吹きすさぶたびに歩道に植えられている並木から落ち葉がこぼれてくる。快晴の空には水色のほかに茶色いコントラストが混じっている。過ごしやすい日和ではあるが、夕方にかけて厚い雲に覆われるらしい。

 怜香は部屋で勉強をしている。高校に通えなかった分、基礎知識はだけは学んでおきたいと私に語っていた。強い向上心――私にはそんな発想はなかったな。

 怜香は賢いし、のみ込みが早い。彼女はもう一人前だろう。それが嬉しくないわけではない。私は今まで怜香を成長させるために頑張ってきたのだから、私としては願ったりだ。

 しかし、肝心の私のその先のことは何も考えていなかった。私はこれからどこへ行こうとしているのか、行き先の検討すら思いつかないまま歩き続ける。「神官」という不名誉な烙印を取り除きたいのではと逡巡したが、それもパッとしなかった。

 いっそのこと――ふと湧いた思案を必死に振り払う。

 ――私はバカか。


 周囲には私たちがいる黄色い雲のほかに、薄い灰色の雲が充満していた。おそらく地上は影に覆われていることだろう。風が強く吹いていて、雲は次々と入れ替わっていく。

「今回の目標はね、三十代前半の男性だね」

 神さまが告げる。私は風に乱される髪の毛を掻き上げながら聞いていた。

 高学歴、エリートとでも喩えられそうなさわやかな雰囲気の男性だ。神さまがこの人の詳細を教えてくれた。

「残念ながら悪い人じゃないんだよ。才能もある。だけどその才能の使い方を間違えたってところだね」

 目標が犯罪者でなくとも怜香はもう反応しない。真面目に神さまの話を聞いている。

「私の意見としては、彼には教師とか、人の世話をする職業が合っていただろう。しかし、彼の父親が勝手に将来を決定してしまったんだ。父親が会長である会社の、しかも高い地位へと、強引に就かせてしまった」

 嫌なことでも否定できないなんて、悲しいと思う。だけど、よくよく考えてみれば怜香も否応なしに今の立場を強要されたようなものである。それに気づいたと同時に、怜香に対する申し訳ない気持ちが溢れ出てきて、自分が嫌になった。

「残念だけど、父親には経営の才覚があっても人を見る目はあまりなかったみたい。自分の息子なら大丈夫だとか勝手に思ったんじゃないかな。ある日、彼は就いた会社で重大な失態を犯してしまうんだ」

 望んでいない道で呵責を受けることになるとは、本人からしてみたら不条理である。

「そして問題なのは、その失態が思いのほか大きい影響を及ぼしてしまったんだ。一度立った波は徐々に波及していき、関連会社、下請け会社を揺るがして、路頭に迷う人々が急増していく。それによって景気も若干下降気味になるようだ」

「それは少し無理がありませんか。影響力の大きな会社がそんな簡単に崩壊していくものですか」

 怜香の質問に対して神さまは続ける。

「実状、今会社があるのは彼の父親の力量によるところが大きい。ワンマン、とは言わないがそれに近い。その息子がのうのうと会社に入ってきたら、みんなはどう対応するか。みんな意地悪だよね。まぁ、彼らから見たらずぶの素人が自分たちの指示をするなんていったら、胸が悪くなるだろうけどね」

 会社は彼を邪険に扱ったという。誰も彼に協力的ではなく、しかし責任だけはむりやり押しつけた。会社全体を揺るがすことになったのは、積もりに積もったそのツケが跳ね返った結果なのだそうだ。

 だから、そうなる前にその男性を消す――

「それっておかしくないですか? どう考えてもそれは彼の責任ではないですよね。彼を消す方が合理的とでも言うんですか」

 神さまの結論を素直には納得できずに、私は怒った。

「そう、合理的だ。少し考えれば簡単なことだよ」

 私の言葉に対し、神さまは叱るように言った。

「じゃあ、彼の父親を消す? 今、彼は社長である。会長になるのと同時に彼を会社に入れるからね。というわけで、父親はまだ会社の舵をとっている現役だ。舵取りを消し去ったら会社という船はあらぬ方向へと行ってしまい、結局不幸な事態を早めるだけだ。それともなにか、彼をないがしろにする社員を全員消すかい?」

 私の意見はただの安易な罵声程度にしか過ぎず、軽くあしらわれる。しかし、どうにもムシャクシャしてたまらない。腑に落ちない。ふと怜香を見ると、彼女は暗くうつむいていたが、やるせない現実を受け入れたかのか、目から強い意志を感じる。それに対して私はどうだ。

 ――いつから私はこんなに情けなくなっちゃったのだろう。

 結局私には「わかりました」と言って納得するように自分を仕向けるしか、できることが残っていなかった。

 私の存在はもはや支離滅裂だ。急に心が老いてきた気がする。外見は衰えなくても中身はすっかりボロボロになってしまっていたのかもしれない。こんな老人に示される未来などあるとは思えない。

 それなのに、神さまはなぜ怜香に私を同行させるのだろうか。

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