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ともしび  作者: れとろそふと
第三章
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田辺ばあちゃんの教え

 新井のときのような暴力沙汰はレアケースであることを、後に仕事をしていくうちに知った。大抵の人は死に対して冷静だったからだ。ただしそれは死を達観していたというより、無頓着なだけというのがあたしの意見だ。

「あぁ、死んじゃうんだ」とちょっと落ち込むだけだったり、「死んでみたい」という、あたしにとってバカバカしい好奇心を燃やす人が大半を占めていた。

 ――あなたたち、人間でしょう?

 あたしは命を吹き消す立場にあるが、そういう態度は癪に障った。

 神奈が神さまから聞いたという言葉がある。神奈にとっては苦い話であるようだったが、あたしには知っておいてほしいということで話してくれたものだ。

「死んだ者と生きる者は、同じ社会にいつまでも一緒に居続けてはいけないんだ。生と死の境目がぼやかされ区別がつかなくなって、生きる意味を見いだせなくなる」のだそうだ。

 生と死は、境目がわからなくなるくらいの絶妙な距離で世の中に氾濫していた。毎日事件、事故の話は入ってくるが、所詮身近ではないのだ。あたしは少し虚しくなった。

 しかし仕事において稀に、暴力沙汰にならないまでも死に抗ったり、自ら死と向き合う人もいる。人は実に多種多様である。億単位で存在するのだから当然か。

 田辺ばあちゃんの場合は、死にちゃんと向き合った結果だった。それは二回目の仕事のときであった。

 初めての仕事をしてからたった二ヶ月しかたっていないころに二回目の仕事を告げられた。神奈に言わせると「サイクルが早い」のだそうだ。たぶん、あたしに早く仕事の要領を覚えてもらうためだったのだろう。


 目標となる人は(失礼ではあるが)実に老い先短そうなおばあちゃんであった。

「この老人……いや、ご年配のお方が、今回の目標ですか」

 あたしは神奈を見やった。神奈は「こんなこともあるよ」と言う。

「この人はね、後に過去最大規模のホテル火災事故の原因となる人なんだ」

 神さまはそう言い、あたしは驚いた。てっきり将来における犯罪者とか――いわゆる悪い人が、仕事の対象になるとばかり思っていた。

「このおばあちゃん、放火魔なんですか?」

 無意識に大声で訊いていた。神さまはあっけにとられ、それから笑って訂正する。

「違うよ、怜香ちゃん。このおばあさんが放火するようなあくどい人に映った?」

「……じゃあ、何でですか」

 顔を紅潮させて改めて訊く。神さまはおかしそうにゆらゆら揺れている。

「原因は、彼女のたばこの不始末」

 ――たばこ。この年齢になってもたばこを吸い続けるとは見上げた根性だな、とぬけぬけとそう思った。

 しかも神さまによると、半世紀以上の喫煙経験にも関わらず、肺がんや脳卒中、脳梗塞の兆候は見られないらしい。奇跡的である。本人にとって喫煙はもはやこの上ない健康法なのだろう。

「配偶者を亡くしたおばあさんを心配した息子夫婦が、企画ツアーでの旅行に行こうと提案するんだ。だけど宿泊先のホテルは、表こそ雰囲気のいいところだが、裏はそこそこずさんで、防火装置の電源は光熱費節約のために切ってあるようなところなんだよ」

「そんなことしていいんですか?」

「悪いに決まってるでしょ」

 神奈がすかさず返した。この話に少しムッとしている様子が見て取れる。「そんな事故、前にもありましたよね」

「そう。防災設備の不備がより多くの犠牲者を出す原因となるわけだが、残念だけど神奈ちゃんの言うとおり、歴史は循環するからね」

 ――循環がどうのこうのって、前にもそんな話を聞いたな。

「神奈ちゃんの言いたいことはわかる。私だってそう思うけど、そこは仕方のないことなんだよ」

 神さまは落ち着いた様子で言った。

「わかりました」と神奈は返事をして、さっさと歩きだしてしまった。

「行くよ」

 神奈に呼びかけられて、「どこに行くの?」「もう仕事をこなしに行くわけ?」と驚きながらあたしもあとに続く。

「ねぇ、さっきの『神奈の言いたいこと』って、どういうこと?」

 走りながら訊ねた。顔は正面を向いたまま、しかしその質問には丁寧に答えてくれた。

「今回、あのおばあさんの命を消すことで、多くの人を守ることができる。だけど、実際にそれはただの先送りにしかならない」

「先送り?」

「今回の火災事故を未然に防いだとしても、ホテル側への責任の追及になるわけではない。同じ事故はこの先絶対に起こるよ。だから結局、私たちは可能な限り犠牲者の少ない運命に変更するしかできないってこと」

 若干息が詰まった。それって意味あるの? と怒りたくなったが、ある言葉が頭をよぎった。

「自分は正しいことをしている」。あたしは、そう思わなくてはいけないんだ。

 その後は、神奈の後ろを黙ってついていくしかなかった。沸々と湧く余計な事柄を考えたくなかったから。


 あたしたちの着地地点は、家でたばこを吸っているおばあさんの目の前だった。木造家屋の一室、季節を少し過ぎたこたつが未だに設置してあり、東側の大きな窓からはオレンジの陽光が降り注いでいた。

 おばあさんは予期しない来客に、茶色い歯を見せて驚いていた。

「田辺フサ、ですね」

 真っ先にする本人確認。これは決まり文句なのだろうか。

 考えてみれば当然か。まったくの赤の他人にあたしたちの情報をしゃべってしまうのはまずいし、勘違いとはいえ無関係の命を奪っておいて「間違えましたごめんなさい」では済まされない。確認は極めて重要である。

 田辺という人は、体中のあちらこちらにしわを溜め、顔の皮膚が垂れて目はこちらからほとんど見えないほどに細い。手の皮は厚く、指は太いが器用にたばこを挟んでいた。年の功を如実に形にしたような、ある意味威厳のある人だった。

「あんたたち、どっから入ってきたよ」

 正しい質問である。それを言うのと同時におばあちゃんの顔色がパァッと変わる。何かをひらめいたようで、ごもりながら訊ねてきた。

「あ、あんたたち、じいさんと会ったのか」

 謎の問いかけがたばこのにおいを含んで飛んできた。

 ――じいさん。どこからそんな話になったのだ。首を傾げていると、田辺ばあちゃんが必死に続ける。

「じいさんが、病院でちょっとばかし目を覚ましてあたしに言ったことがあったんだよ。『白い影が迎えに来てた』って。その後すぐにじいさんは死んじまったけどね。きっと、あんたたちだったんだろう?」

 あたしにもお迎えが来たのかね、と呟いていた。

 そんなわけはない。この仕事は基本的に目標が生き残ることはない。それに命を吹き消せばその人に関する記憶は消えてしまう。加えて、あたしたちはゆめくいのように夢に現れるものでもない。じいさんの幻想の真意はわからないが、とにかくあたしたちではない。

 そんな事情など知らない田辺ばあちゃんは、お迎えが、お迎えが、と繰り返し言っていたが、その表情は安らかでもあった。

「失礼します」

 神奈がそう言って、丸まった彼女の背中に優しく手を置く。

 青い光が放たれた後も、田辺ばあちゃんは眠るような格好で身じろぎせずにいた。命の灯が消えるまで、ずっと。


 あたしなんかよりもたくさんの生きるということを知っていたであろうおばあちゃん。やはり今回も気が引ける思いがしていた。いくら残りの寿命が短いからといっても、あたしにはこたえた。人生の大先輩を消してしまったのだから。

 だからこそ、今回の件は無駄ではなかった気がする。あたしたちが消し去ってしまった命を無下にあしらってはいけないんだという、覚悟のようなものが生まれ始めていた。

 運命という循環――その意味をおぼろげに、経験として理解し出していたのだ。

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