初めての仕事
「卒業おめでとう、怜香ちゃん」
神さまはそれなりに祝ってくれた。横にいる神奈は特に表情を変えるでもなく、ただ話を聞いていた。
「そろそろ、仕事に同行しても差し支えないくらいにはなったんじゃないかな」
「それを判断するのは神さまだと思いますが」
神奈は強く反対することなく返事をした。それはつまり、神奈はあたしを同行させても構わないということではないのか。
「そうか。じゃあ神奈ちゃん。次の仕事は怜香ちゃんに同行してもらって、一連の流れを経験させてやってくれる? まだ命を吹き消させる必要はないと思うから『力』は与えないけどね」
話には聞いていた仕事。目標となる人の命を取り出して、存在しなかったことにするらしいが、どうしても恐怖を感じないわけにはいかなかった。
二人はただ仕事をするとしか言わないが、人の命を扱うのにこんなにあっさりしていていいのだろうか。やはり神さまや「神官」としての神奈は、普通の人より一味違うのだろうか。あたしも、きっとこういう芯の強い者にならなくてはいけないのだ。
改めて気合を入れたあたしを、神奈は暗い顔で一瞥した。
「それで、今回の目標は……」
「今回の目標は二十代半ばの女性だよ」
二十代半ば――まだまだ若く、しかも女性。気合を入れたのも束の間、あたしは少し気後れした。神さまはその様子を気づいたのだろうか、ちょっと視線を感じた。
「彼女は将来、結婚詐欺の常習者になる人なんだ。高給取りばかり狙って、巧みな話術で相手から金を根こそぎ奪っていっちゃうんだ」
――あさましい人。純粋にそう思った。
「ただ、ここからが問題だ。その詐欺の被害者の中に、今後立派に国をけん引できる優秀な素質を持った人がいるんだが、財産の大部分を持っていかれて没落してしまうんだ」
「優秀なのに詐欺に引っかかっちゃうんですか?」
あたしは特に意識せず訊いた。正直、騙されるなんてカッコ悪いと被害者をバカにしていた。そんな浅はかな態度に神さまは「わかってないな」とあきれるそぶりを見せる。
「こういうのは、言ってしまえば運なんだよ。彼には実力があっても運がなかったという、たったそれだけのことなんだ。この女性と出会ってしまったこと、話をまともに聞いてしまったこと、相談できる人がいなかったこと、疑うきっかけがなかったこと。この中の一つでも当てはまらなかったなら、彼は騙されなかっただろうね」
そして、神さまが声を強めて続けた。
「それ以上に私が許せないのは、この女性の悪行がどれだけの損失をもたらすのか、彼女自身が自覚できないという点なんだよね。彼女は、国の将来をも捻じ曲げてしまうことをしているなんて思いもしていない。人を騙して嘲笑っているだけで、それがどれだけの多くの人を不幸に陥れるかだなんて、死ぬまで知ることがないんだ」
再び神さまに「現実感という影」を見た。
「まぁ、それを運命っていうんだけどね。運命っていうのは、ある種の循環だから」
神さまは、ハァといかにも仰々しくため息をついた。
哲学くさい話で、今のあたしにはちっとも理解できなかったが、きっといつか思い知ることになるのだろうなと、漠然と考えていた。
「わかりました。今回の件は早急に処理しておきます」
この話を聞いた後でも神奈は冷静な返事をした。あたしなんかコロッと考えを変え、この女性に同情の余地はないなどと、怒りに任せて躍起になり始めていたというのに。
「怜香、家に戻ろう」
神奈は先に立ち上がってこちらに手を差し伸べる。あたしも立ち上がろうとしたそのとき、横から冷たい声がした。
「神奈ちゃん、今回は下見をしないんだね」
その言葉は神奈と神さまの間に横たわる空間を凍らせ、神奈の動きを止めた。
「まだ引きずっているんだよね」
神奈はキッと神さまを睨んであたしの手を乱暴に掴むと、雲の端へと強引に引っ張っていく。あたしは戸惑いながら、よろよろと起立した。
そのときの神奈の顔は見たことがあった。あたしが両親について訊ねたときの、大きく目を見開いた表情だった。
外では雨がしとしとと、ツンと鼻を刺すにおいを伴いながら降っていた。そのせいで部屋の中も薄暗い。
神さまが今回の目標の特徴を伝えてくれた。その容姿からは、なんだか性格のキツそうな人という印象がにじみ出ていた。
神奈は部屋の隅で膝を抱えたままジッと動かない。あたしも張りつめた空気に身動きすることがはばかられた。時間は意地悪くゆっくりと流れ、不穏な影を充満させていく。
どれくらい時間が経っただろうか。目を時計に向けると午後七時を過ぎていた。そろそろ行くべきではないのか、と思い口を開けたとき、一歩早く神奈が言った。
「もう、時間かな」
神奈はいつの間にか立ち上がっていた。「行くよ」の言葉とともに軽く身を翻して部屋を出ようとしている神奈を、あたしは慌てて追いかける。
目標のいる地点に行くには、神さまのいる黄色い雲の地を経由していくしかない。雨雲のさらに上に位置するここには雨は降っておらず、辺りは明るい月に照らされていた。どこか見覚えのあるきれいな光だ。
「よく経験を積んでくるように。それと、無理はしないでね」
神さまはあたしたちに激励してくれたが、神奈は神さまを見もせずに黙ったまま、着地地点を見据えていた。あたしは神奈の手を握って身を委ねた。体が浮く感じがして、鋭く落ちていく。
緊張で体が強張り、心臓が高鳴る。覚悟は決めたはずであったが、若干の不安も心の中に残り続けていて、落ちている間せめぎ合いをずっと繰り返していた。




