茶番と敵視
あたしが中学二年生になったころ、心情が少しずつ変化し始めた。ただ、一般にいう反抗期とは全く違うものだった。風華をはじめとする友人たちは「親が何事にも突っかかってくる」だの「親が無視する」だの、毎日絶え間なく溢れる愚痴をこぼしていた。あたしは、一体どっちなのだろうと首を傾げながら、彼女らの話を淡々と聞いていた。
「そう思うよねー、怜香」
なぜ同意を求めるのだろう。あたしは実は、そんな風に大人を煙たく思ったことがない。
彼女らの口々から出てくる「親」。あたしの「親」にはたぶん神奈が相当するのだろうが、別に彼女を突き放したくなる思いに駆られることはない。普段通り家に帰って、夕飯を食べて、寝る。その中のどこに文句を言う要素があるのか。
「そうだよねー。あたしもそうだもん」
とりあえず、不思議に思いながらも話を合わせた。
学校が終わり家に着くと、神奈は机に肘をついてテレビを見ていた。本当に「神官」なのかと疑いたくなるくらいの自然な姿。彼女は神さまからの命ぜられた仕事で、何回か人の命を吹き消したことがあると言っていたが、あたしはその場面を見たことがないし、そんな恐ろしい影は彼女の背中からは微塵も感じられない。
「怜香、おかえり」
あたしの気配に気づいた神奈が言った。
「ただいま」
「夕飯の準備をするよ。手伝って」
「うん」
私は通学バックを片付けて部屋着に着替えてから、台所で今日食べる野菜を洗い始めた。
すると、ある思案が頭をよぎった。風華たちは何であそこまで親に怒るのかはわからないけど、もしかすると怒ったふりをすれば、少しはその気持ちがわかるのかな。
怒るきっかけを少し考えた。手元にはみずみずしいキャベツがある。何か妙な話になりそうだけど、試してみようか。
「……ねぇ」
トーンを落として凄みをつけたつもりだったが、いつも使わない声だったからか、ずいぶんと間抜けな音となって漏れた。
「声が変だよ。風邪でも引いたの」
神奈がチラッとこっちを見て言った。
――違う。思わぬ一言に少し怯んだが、気持ちを立て直して茶番を続ける。
「このキャベツ、外側はどうしたの。まだそんなに青くなかったよね。捨てたの?」
神奈の視線が不審がるものへと変わっていく。
「捨てたよ」
「なんでよ」
なんで――? あたしの唐突な言動に、神奈はわけがわからないという様子であった。当たり前だ。意味なんてないも同然なのだから。
「食べられそうになかったからだけど、ダメだったかな。ゴメン」
小さく呟いた。そしてこっちに向き直りあたしの顔をまじまじと覗く。
「やっぱり風邪ひいたんじゃない? 言ってることが何か変だよ」
あたしは肩に触れようとしていた神奈の手を振り払った。
「風邪なんかじゃないよ! もう!」
上目づかいに神奈を睨みつける。
日が沈んで、ほのかな蛍光灯の明かりがついている台所以外は闇に包まれていた。蛇口から水滴が一定のリズムで、柔らかな音を奏でる。奇妙な静寂が辺りを包みこむ中、神奈はあたしを見下ろし、ぽつりと言った。
「うん、私が悪かった。きっと怜香はキャベツの外側を大切にしてたんだね。ゴメン」
普段と変わらない淡泊な口調で謝罪してから、神奈は野菜を切り始めた。
「気分が悪いなら寝ててもいいけど」
「いや、大丈夫って言ってるじゃん」
あたしは再びキャベツを洗う作業に戻った。実際、急ごしらえの支離滅裂な愚痴に、自分でも何が言いたいのかわからず、内心吹き出しそうだった。
結局食卓に皿が並ぶころには、部屋の中はいつも通りの雰囲気に戻っていた。
――神奈に怒りたいとは、やっぱり思えないな。
あたしは布団をかぶって横になりながら、まるで窓枠に沿って切り取られた一つの写真のように動きを止めた景色を眺めて、考えていた。
キャベツの一件はどう見てもただのあたしのおふざけで、好奇心が生んだ恥ずかしい出来事でしかなかった。
しかし、その茶番のおかげで薄々わかったことがあった。反抗することって、相手を十分信頼していなければできないんじゃないのかと。信頼している人に怒ることと、信頼していない人に怒るのとでは、感情の入れ方が全然違うはず。風華たちの反抗は、きっと前者である。
風華たちが言う親とは、家族とは、所詮別個体の人であっても垣根なしに信頼しあえる存在なのではないだろうか。それは、他人との絆とはまた別次元の、とても強いもの。かけがえのない信頼があるから、自身の弱みをさらけ出して罵倒しても大丈夫で、こじれた関係もあっという間に修復できて、またいつも通りの生活に戻れる。それこそが、家族を結ぶ血のつながり。
このあたしの考えが正しいかどうかなんてわからないけど、そう感じた。
つまりあたしは、神奈に対して反抗する気にもなれないだけなのか。家族ではないと言い切る神奈は、あたしにとって信頼に値する人間ではないと。それは否定するべきなのだろうが、否定する根拠は見つからない。むしろ神奈に欠けているものがあると常々感じていたことが、信頼していないと納得せざるを得ない理由になってしまった。
――あたしは本当は、心の底で神奈を信頼してない?
振り切れない黒い霧はあたしを取り巻いて離れない。あたしは布団の中で何度も寝返りを打った。
余熱を帯びた夏が完全に過ぎ去って、空気が乾燥し始めたころのことだった。
その一件以来、あたしは周囲から「大人びてきた」とか、悪く言えば「ませてきた」とか、そういう評価がされるようになった。あたしの中で、早く成長したい、一人前になりたいと思いが芽生え始めたことも、そしてあたしの神奈に対する見方が少しずつ変わり始めたことも、それとほぼ同時期だった。
神奈に対する見方――どう形容すればいいのかわからなかったが、最もあう言葉を選ぶとするならば――敵視。
実際はそんな仰々しいものではなく、微かな違和感程度のものだった。日常生活に影響を及ぼすものではないし、あたしは神奈を好いている。それでも「敵視」は、あたしの中に確実に存在した。




