後悔
始めは、高ぶった感情のまま私自身を動かして、さっさとこの件にけりをつけたかった。そっちの方が躊躇いがないと思ったからだ。しかし数日ぶりに見た古賀は、まるで別人のような明るさをたたえて、年相応の若々しさを持って、そして「生きたい」と言う。私の決意が鈍るのと同時に、神さまが警告していた過度の干渉が顔をのぞかせた。
――人の証明。彼は死なないという苦痛の中、ずっとその証明のためだけに生きてきた。私が彼の前に現れたことがどれほど僥倖であったかは想像に難くない。
その彼の心に、怜香と言う子どもが何かしらの変化をもたらしたのだ。古賀が再び語り始めた。
「怜香は、オレとは違った苦しみを背負っているのだと感じた」
古賀がスッと、柔らかな目で後ろを覗いた。岩のそばに小さな影がちらちらと見える。
「オレは人と会うことを拒否し、ただ死ぬことを探していた。だけど怜香は、誰かと一緒に居たくて、繋がっていたくてさまよって、生き続けてきたんだ。オレなんかよりもずっと、人に愛されるべき存在なんだ」
彼は彼女への思いを打ち明けた。彼女をどれだけ大切にしてあげたいか、守り続けていきたいか。
「あんな閑散とした、砂と廃墟しかないところで彼女が人に愛されると思うか。そんなの無理だろう。だから、オレが彼女を愛していこうと決心した。ただ空虚に消耗される命なら、せめて彼女を幸せにするために使おうと思ったんだ。それも悪くないかなって」
そして照れながら「もしかしたら、ただの気まぐれだったのかもしれないが」と古賀は呟いていた。
私は彼の、感傷に浸っている様子にもどかしさを覚え、口を挟もうとした。
しかし、でも――と彼は平然と続けた。雲に遮られ、太陽の光が届かなくともその眼は輝いていた。
「一緒に行動しているうちに、オレの中に満たされるものを感じ始めた。屈託なく感情をあらわにして、笑ったり走ったり、ともに過ごしていくうちに、ほの温かいものがじわじわと広がり始めたんだ。それが、オレがずっと忘れていたものだったことに気づくまでに時間はかからなかった」
古賀の実直な視線が私を捉える。強い風が丘から滑るように吹き、湿った空気を押し出していく。私はその勢いに押されて咄嗟に手をかざしたが、彼はぶれることなく立ち続けていた。
「『生きている』っていう実感だった。一つの命として、一人の人間として」
彼に眼に淀みは見られなかった。怜香を、怜香の与えてくれた真理を信じて疑わない確固たる信念だけが潜んでいた。
「怜香との出会いがオレに、本当の『人としての証』を再認させてくれた。命のやり取りや、ましてや死ぬことでの証明が正しいと考えていたことが、なんと短絡的なものだったのかと思い知らされた」
彼の強い意志がひしひしと伝わる。
「もうオレには死ぬ理由が残っていない。そして、怜香とともに生きていたい。だから、あのときのオレの言葉を取り消してほしいんだ」
私は激しく後悔した。古賀の異様な行動を「なぜ」と考えてしまったことで、彼の生きる決意を知ってしまった。正直、狼狽した。
彼の灯を吹き消すことがこんなにつらいことになるなんて想像していなかった。そして「遂行しろ」という神さまのプレッシャー、最悪の運命、全ての重みが私の心を板挟みにして、身動きが取れない。不吉な予感が的中してしまったことを確信した。
自分の髪の毛を乱暴に掴み、勢いよく首を振り回す。私を囲む重責やら苦痛やらを必死にすり抜け、ある言葉を発した。
「……ダメなんですよ。あなたは、ここで死ぬべき人なんです」
体の芯から絞り出したなけなしの訴え。それに対して古賀は当然の疑念を口にした。
「オレが死ぬべき人……。ずっと疑問だったんだが、神奈さんがオレを殺す理由って、一体なんなんだ。なぁ、教えてくれよ」
あなたが生きていることで世界は滅亡の危機に立たされる、などと言えるはずがない。信用されるはずがない。
さんざん悩んだ挙句、苦し紛れに言った。
「ごめんなさい。それは、言えない」
ひたすらあやふやにした答え方に、当然彼は納得していない風だった。
もはや「人間の証明」を手にした古賀を、言葉で屈服させることは無理だと悟った。ならば、どんなに無様な方法であろうが、運命を変えるにはこの手段しか残されていない。
後ろめたさを断ち切り、揺るがない決意をするために深呼吸をした。考えるのをやめ、ただ目的のためだけに動く機械にでもなった気分だった。
私の生気が薄れゆくのを感じた古賀は若干警戒し始めた。
全身に纏う冷たい空気と、たわむことない私の緊張が、身体中に震えを巡らせる。それに負けて声が震えてしまったら、古賀に悟られてしまうかも。
「これを……」
ぼそりと小さく言った。私は古賀から目を逸らし、しゃがみこんで足元に転がっていた石を左手でつかんだ。そして彼が、つかんだ何かを確認する間も与えず、それを上空へと高く放り投げた。ゆっくりと弧を描いて彼方へと消えていく。古賀は不意に投げられ石に一瞬気をとられ、そして気づいた。これはまずい、と。
彼が咄嗟に目線を戻した矢先、突進していた私は三歩ほどで古賀との距離を詰めていた。構えていた右手を、掌底を当てるように突き出し、彼の心臓あたりに触れた。




