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ともしび  作者: れとろそふと
第二章
12/37

二人での旅路

 黄色い日差し満ちた外の世界にすでに砂埃は舞っておらず、出歩きやすい環境となっていた。ぴったりと張り付いて離れない女の子に対し「歩きにくい」と若干疎ましく思いながらも、その小さな肩をしっかり抱いてあげた。

 ぶっきらぼうに歩いていると、いくつか質問しておきたいことが出てきた。わからないことが大半であろうが、とりあえず訊いてみよう。呼びかけようと口を開いた瞬間、声が詰まった。

 ――あれ? この子、なんて呼べばいいんだ。

 迷いながらも、たどたどしく話し始めた。

「えーっと、ね、ねぇ君、名前はなんて言うの?」

 彼女は口を閉じたままの無表情で、ジッとこちらを見上げた。その様子は可愛げがあるのかないのかわからない。

「名まえ?」

「そう、名前」

「れーか」

 ――れーか。何だか寒そうな名前だな。

 咄嗟に「零下」という単語が頭に浮かんだ。空を仰いでうなずいていると、れーかがいきなりオレの手を振り払った。

「あたし、字、かけるよ」と言ってしゃがみこみ、砂の上で何かをし始める。

 しばらくして立ち上がって、ほら、と地面を指さして見るように促すと、そこには「怜香」という字が大きく書かれていた。

「『怜』って字には、かしこいっていういみがあるんだよ」

 とろけそうに微笑む怜香は、オレにも同じ質問をしてきた。

「名まえは?」

「あ、オレの?」

 なぜだか少し照れくさくなりながら、腰に手をついて反り返り、おどけてみせた。

「オレの名前は、古賀巧巳だ!」

 それを聞いた怜香はみるみる口角を上げて、「たくみだ、たくみだ!」と言ってぴょんぴょんと嬉しそうに跳ね回る。よかった、喜んでくれて。つられてこちらもにっと笑いたくなる。常に張りつめていた心が緩んでいく。こんな気持ち、心のずっと深くに封印していた。久しぶりに対面したその感情は、目のふちから溢れ出そうになった。


 オレたち二人は数時間ほど砂地を歩き続けた。その間、怜香は文句の一つも言わなかった。訊くと「すでになれっこだ」と答えた。本人曰く、廃墟になった家に忍び込んでは食べ物を探し歩いて生きてきたという。そのため、歩くことは苦にならないそうだ。近くで銃声が聞こえたときは、できるだけ狭く見つかりにくい隙間を探して身を隠し、息を止め、嵐が過ぎ去るのを待った、とも言った。子どもが生きるにはあまりに壮絶な環境だったはずだ。

 オレが廃墟と砂にまみれた土地を訪れる以前は、もう少し緑に満たされた大地を歩いていた。怜香が生きる環境が少しでも変わればと思い、彼女を連れて再びその地を目指すことにした。依然として食べ物には困窮するだろうが、幾分かは過ごしやすいだろう。

 歩くうちに、付近にちらほらと乾燥に強そうな草を見かけるようになった。怜香はこんなところまで遠出したことがないようで、オレにぴったりとくっつき、きょろきょろと周囲を見回して警戒している。そのうち日が暮れかけてきて、前方に見えてきた山にオレンジ色の斜光が射しかかっていた。


 日没の時間が迫っていた。できれば暗くなる前にたどり着きたい。

 ――確かこの辺で。

 そっと耳をそばだてて、周りに漂う微かな音を捕えようと試みる。しょぼついた目をこすっていた怜香も、見よう見まねでオレと同じポーズをとっていたが、きっと、何をしているかなんてわかっていないだろうな。そしてオレは目的の、柔らかく潤う音を聞き分けた。

「こっちだよ。怜香」

「……うん」

 呼びかけると、鈍い反応を返してきた怜香が元気のない足取りでふらふらと近寄ってくる。さすがに疲れてきたか。

「あともう少しだよ」

 元気づけると怜香はスンとうなづいて、オレのそばを黙々と並行して歩いた。

 五分くらい経ったところで、疲労に負けてうつむいていた怜香が唐突に顔を上げた。小さなせせらぎが彼女にも聞こえたらしく、太陽がほとんど隠れて暗くなっているにも関わらず勢いよく駆け出した。小さい影が闇の中へと突き進み、消えていく。これはまずい。

「怜香、待て! 危ないぞ!」

 オレもあわただしく走り出した。背中のザックがわっさわっさと大きく揺れている。はやる気持ちはわかるが、道中での警戒の心意気はどこいった。文句は次々と溢れ出てきたが、口には出さずにただ走る。

 と、いきなりスゥッと足が空振りした。ビクッと体が前に進むのを拒否したものの勢いは止まらず、オレは前方に一回転するように転がって滑り落ちた。石がオレの皮膚を擦っていく。

 しかし少しすると、滑る体が次第に勢いを失くしてきた。全身に走った痛みをこらえながら、ふさふさと草が生い茂る地面があることを手で叩いて確かめた。自然とため息が漏れた。転がったときについた傷は、気づいたときにはもうふさがっていたが、怖いものは怖いし痛いものは痛い。

 何が起こったのかと顔を上げると、そこは一メートルくらいの反り立つ壁となっていた。周囲が暗くなっていたために、オレはこの地形に気づかず足を踏み外したということか。ボーっと逡巡していたが、それどころではないことを思い出して起き上がる。

 ――怜香はどこだ。

 首をぶんぶんと振り回していると、無邪気な声が響いた。

「ふふっ。たくみ、かっこわるいね」

 怜香が後ろに手を組んでこちらを見ながら、にやにやと笑っている。

「あっちにね、川があったよ」

 闇の中を指さした。よかった、実際、たどり着けるかどうかは不安だった。まぁ、ここからでは全く見えないが。

 まずは一安心、ということでオレは再び仰向けに寝っ転がった。それを見ていた怜香がいきなり楽しげに飛びかかってきた。みずみずしい草の上に滑り込んだ彼女は、オレを見ては、真似するように後頭部に手を添え、ポッカリと浮かぶ月を仰ぎ見た。

 周囲のあらゆるもの、そしてオレたちを、月は余すことなく青く照らす。大きく塗られた群青色の中に埋め込まれた星々は、チラチラと瞬く。何だか現実離れした幻想的な風景だった。水分を大量に吸った草花は、触れている肌にひんやりとした心地良い触感を与えてくれている。オレは薄く口を開いて言った。

「なんだか――」

 並んで横たわっていた怜香がオレの方を向く。彼女と視線を合わせる。

「なんだか、世界に二人だけしかいないように思えないか?」

 緩やかな風が吹いて、二人の肌をくすぐる。

「ふたり、だけ?」

 怜香が訝る。

「あたしは、ずっとひとりだったから、よくわかんない」

 ああ、そうか。オレは、他人を見ることで自分の特異性がより鮮明になるのが嫌で、怖くて、あえて人を避けてきたんだった。でも怜香は誰かと出会いたくて、打ち解けたくて、そういう人との絆を探しさまよっていた。それでもずっと独りぼっちだった。

 寂しさで固められた彼女の言葉は、オレの心をちくりと刺した。しかしそんな痛みを癒してくれたのも、怜香の言葉であった。

「でも、ふたりだけって、いいね。なんにもこわいものがないから」

 怜香が言い放った言葉に、寂しさのかけらは残っていなかった。

 その後はどちらも口を利かずに、茫洋とした夜空に身を預けた。そのうち怜香は眠ってしまい、オレは物思いにふけった。

 今までも、これからもずっと不幸な思いに囚われた生き方しか残されていないと絶望していた。でもそれは、きっと間違いだったんだ。怜香との巡り合わせは、オレの心に生きるための希望の火をそっと灯していた。


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