決意と躊躇いの天秤
「それは大変だったね。今はちゃんと傷を癒してね」
神さまが淡々と、いつもと変わらない口調で言った。
古賀巧巳に命を奪うことを懇願されたそのとき、遠くで起きていた銃撃戦が私たちのいた地域にも飛び火した。耳を破壊するかのような大きな音が炸裂したのを皮切りに、人々の怒号が鉛玉に憑依して響き渡った。砂埃がそれに呼応し、大きく高々と舞いあがって二人の間に壁となって立ちはだかった。私たちはもはや話を続けられない状況に立たされた。
古賀の影は見えなくなり、私は手榴弾の爆発に巻き込まれて吹き飛ばされた。そして、朦朧とした意識の中で撤退することを決めた。
「生きててくれてよかったよ。『神官』にいなくなられては、私も参っちゃうからね」
困ったそぶりを見せようとしたのか、ゆらゆらと揺れている。神さまはさらに豆知識をひけらかした。
「神奈ちゃんのケガ、普通の人間だったら完治するのに三週間はかかるらしいよ。君なら一週間も必要ないでしょ。よかったね」
「はい」
座り込んでいた私は、目線を上げずにぼそりと言った。スムーズに動いてくれない右腕を優しくさする。神さまに仕えている私ですら、身体に強いダメージを受けたら生きてはいられない。
古賀巧巳は人間だ。死なないなどと、にわかに信じられない。不本意だったが私は神さまに訊ねた。
「あの古賀っていう人、『オレは死なない体を持った人間だ』と言っていました。それって、どういう意味かわかりますか」
私は「下見が聞いてあきれる」と皮肉を言われるかと身構えたが、神さまはあっさり答えた。
「こればっかりは下見をしたからといってわかるものじゃないだろうね。教えてあげるよ」
神さまは見透かしていたようで、一つ忠告してきた。
「勘違いしているようだけど、別に私は煮え切らない君をいじめたいわけじゃない。ただ、仕事をきっちりとこなしてほしいだけなんだ。仕事の完遂において、君の感情的な行動が納得できないだけで」
私はうつむいた。恥ずかしくなって何も言い返せなかった。
私たちがいる地点よりも高いところにある雲が太陽の光を遮り、左の方から真っ黒い影が忍び寄ってきていた。そんな中、神さまは語りだした。
「古賀という人物は、銃弾で撃ち抜かれても、撃ち抜かれた直後に傷は癒され、出血する間もなく元通りになる。体を焼かれても、死んだ細胞の下から新たな細胞が生まれて入れ替わり、やけどの跡すら残らず再生する。水の中に沈めても、栄養も酸素もいらない仮死状態となり、いつまでも生き延びる。そういう人なんだ」
突拍子もない話をされ、つい「冗談ですか」と訊ねた。しかし、私の発言をバカバカしいとすら思わない様子で神さまは続けた。
「不死身の根底には、彼の異常な細胞増殖の速さがある。細胞が少しでも損傷を受ければ、その傷は瞬く間に補修される」
「そんなことが人間に可能なんですか?」
「彼の遺伝子はある特異点を持っている。当然、私も初めは信じられなかったが、ちょっと遺伝子が違っただけであれだけ異質な人間ができあがった。それは事実だ」
神さまの回りを漂う煙がにわかに集まり始め、手によく似た形を作りだした。そして、やけどを負った私の右腕を指さした。
「君にとっても夢のような話だろう。危険な場面であっても死なないとなれば、怖さなんてないんだろうな」
戦闘の中にいた時間を思い出す。――恐怖。死ぬことがないとは、一体どういう気持ちになるものなのだろう。彼が纏う空虚な雰囲気と何か関係があるのだろうか。
「死なないこと。人にとって喉から手が出るほど欲しい能力だろうね。でもそれは、決して開けてはいけない箱なんだよ。人は死ぬために生きるって、よく言うでしょ。これから話すことは、人間に限らず生命は、生きることに執着しすぎちゃいけないんだっていう教訓になるだろうよ」
神さまの声がいまだかつてないくらいに低くこもる。こんなことは珍しい。私はその異常な態度に息をのんだ。
「ある日、古賀はある研究所にサンプルとして捕えられる。その研究所は実験の末、ついに古賀の遺伝子の特異点の解明を果たすんだ。そして死なない人間の量産法を確立する」
大いなる達成には反動がつきものだ。これだけの自然を超越した発見が、結果的にどのような結末をもたらすのか。
「だけどね、この死なない人間、重大なリスクがあったんだ。まぁ、それは先進国の人口の半数を死なない人間が占めたころに判明するんだけどね。異常な細胞増殖は、遺伝子が欠損した細胞――エラー細胞の急激な増加につながった。つまり、がんの発症率が爆発的に増加したんだ。特に若年層で」
神さまは憂鬱そうな一拍の間を置いた。私はその態度に気圧されたが、それでも続きを催促した。「聞いて後悔はしないかい」と念を押してきた神さまに対して、私はコクンとうなずいた。
「私が発見した可変的な運命はここまでだ。でも、その先は容易に想像できる。先進国の人口は激減し、まず世界情勢は乱れる。また、人口が減る、と言葉にするのは簡単だが、これは死者が増えることを意味するよね。どこも死者であふれ、葬儀などの処理は間に合わなくなり、死体を遺棄する行為も増えるだろう。最悪の場合、ハエがたかり、異臭を放った状態で道端に捨てられることになるかも」
さしずめ地獄絵図のようだね、と神さまはたとえた。私は途中から話を聞くことに嫌気がさして顔をしかめていた。こんな絶望的な運命の話を、今まで聞いたことがなかった。
「死んだ者と生きる者は、同じ社会にいつまでも一緒に居続けてはいけないんだ。生と死の境目がぼやかされ区別がつかなくなって、生きる意味を見いだせなくなる。特に若者がいなくなってしまえば世の中に活気もなくなってしまう」
神さまはかつての記憶に思いを馳せたのか、若干の間、動きを止めた。そして吐き捨てるように「そんな未来、私は見たくないね」と言った。
そんな未来の訪れを未然に防ぐために、今のうちに古賀を消滅させておく。古賀の体は死なないのなら、「命の灯」を吹き消すことのできる私が彼を抹消するしか方法はないということ。
一面を覆っていた雲はいつの間にか流され、再び陽光が降り注いでいた。球体である神さまはその光を反射しつつ、暗い話は終わり、と締めくくった。
「ということだよ。今回の仕事は、迷うことなくちゃんと遂行できそうかな」
私は口を少し開けて、エメラルドに輝く午後の空を仰いでいた。未だに神さまの話を鵜呑みにすることはできなかった。あまりにも現実離れし過ぎている。あの男が原因で世界が崩壊の危機に立たされるなどと、この安らかな空の下で起こることが信じられなかった。しかし、古賀の存在を消すことへの躊躇いは、もう微塵も残っていなかった。それに彼自身も死を望んでいる。ならば私のするべきことは一つ。疑う余地はない。
涙ながらに死を懇願する古賀の顔が思い出される。なぜ彼はあれほど死ぬことを望んだのか、そこが腑に落ちなかった。歳は二〇代、死にたいと思うには早すぎやしないだろうか。
私はてっきり、「生に飽きた」というおこがましい考えや、「他人が死んで自分が生きる」という命の重みに耐えきれず、生きることに嫌気がさしたとか、そういう理由かと思っていた。でも、もしかしたら違うのかもしれない。
彼の願いと私の願い――といっても、私の願いをはっきり意識したことはないが――は、きっと似ているに違いない。その考えが頭に張り付いて離れなかった。
※注意
文中にエラー細胞とガンの発症に関係があるような描写がありましたが、この作品はフィクションです。
実際に関係があるか、作者は確認しておりません。ご了承ください。




