8.俺の新しい居場所
どれくらい意識を失っていたのだろうか。ふと、目をあければ見慣れた天井と窓から入ってくる日差しが少し眩しい。覚醒していく意識の中で鮮明に蘇ってくるヒディアさんの血だらけの姿。そこでベッドから飛び出すが床に足を着いたところで体の力が抜ける。
「あれ?」
間の抜けた声が部屋に響いた。そうだ祝詞を使った治癒をしたからだったな。けどこれくらいで済んでよかった。…良かったんだよな?
自分のしたことの重大さにようやく気付いた。
あちゃー。皆の前で力を使ったんだよな。マスターにどやされるか?
そんな心配をしているとドタドタと足音が部屋の外から聞こえてくる。もしかしなくもないが倒れこんだ拍子の物音で誰かがこの部屋に来ようとしているのが予想できた。
できればマスターじゃありませんように。
「エース!?」
大声とともに部屋に飛び込んできたのはなんと先程鮮明に思い出したばかりのヒディアさんが俺の視界にドアップで入ってきた。と思ったら柔らかい感触が顔全体に広がる。
「ふぁ、ふぁにが!?」
「もう心配させないでおくれ。私のせいで坊やが危ない状態だって聞いたよ。どこか痛いとか気分とか悪くないかい?私がしっかり看病してあげるから遠慮しないでなんでも言いなさい。」
視界が暗くてよくわからないがなんだか気持ちいいな。そして後遺症なのかヒディアさんが何か言ってるけど聞き取りづらい。なんだかこのまま眠ってしまいそうな感覚になってしまう。意識が飛びそうになったところで視界がクリアになり聞こえにくくなっていた音も耳に入ってくる。
頭を押さえて丸まっているヒディアさんが目の前に、そしてその後ろにはクレイジオさんがちょっと怒っているのか眉間に皺が寄っていて思わず「ひい」と俺の声から悲鳴が漏れる。
朝の目覚めは少し刺激だったとこの日の日記に書き記した。
「エース君の治癒のおかげで今のところヒディアさんの命に別状はないかと思いますマスター。」
「そんなことは見ればわかる。」
ですよねーなんて言葉はこの場の空気では口が裂けても誰も言えない。目を閉じたマスターの顔は迫力満点で隣にいる秘書さんは口が引きつってるよ。俺を抱いて椅子に座っているヒディアさんは終始ご満悦。そんなヒディアさんをマスターが睨がどこ吹く風で俺が睨まれていないのに俺が睨まれているように錯覚してしまいビクビクしてしまう。誰かこの状況どうにかしてくれと体中から吹き出る汗でアピールを試みているがクレイジオさんは俺と視線が合うも苦笑い、ナイルさんは俺に含みのある視線でアハトさんは窓の外を見てホッコリ、ジークさんは目を瞑ったまま事が終わるのをじっと待っている。これでは話が進まないとがっくりと肩を落とすマスターだがその顔には陰りがあった。
朝の一騒動が終わって直ぐに俺はギルドマスターがいる部屋に直行した。そしてヒディアさんの報告も兼ねて会議が始まると部屋の空気が段々と刺々しくなっていく。
「私と新人の二人で依頼自体はすんなりと終わったわ。簡単な魔物の討伐だったから油断はなかった、とは言えないけどその新人に後ろからばっさりやられたわ。いきなりのことだったから混乱したんでしょうね、応戦したけど全部完封されてしまったわ。まさかこの私が遅れをとるとは思わなかったわ。」
喋り終わると同時にナイルさんからもの凄い殺気が放たれる。またしても俺は「ひい」と無様な声をあげてしまう。ナイルさんは序列九位で普段は温厚で尊敬できるお兄さんなんだけど、ヒディアさんの事が絡むと話が変わってくる。ヒディアさんとナイルさんは所謂幼馴染で一つ年上なのだ。そしてナイルさんは幼い頃からヒディアさんを本当の妹のように扱っていた。それでこのようにお怒りなのだ。誰でも身内が殺されそうになったらこのようになるのはわかるが、今だけそれを押さえてほしいものだ。
怒りはわかったから落ち着いて最後まで話を聞けとマスターから一声かかる。小心者な俺の心臓は落ち着きを取り戻しはしたがふと視線を周りに移せば部屋の住人たちは皆ギラギラしたオーラを身に纏っている。マスターの一声なんか意味ありませんでしたよ。
「して、そやつの目的はなんなのかがわからんな。ギルドの評判を落としたいのか、どこかのギルド連中の差金か……それとも。」
言い淀むと同時に俺とマスターの視線がかち合った。もしかしたらそもそも俺が原因かもしれないという予感で目の前が真っ白になる。もしかしたらこれがきっかけでここから出て行かなければと頭を過ぎる。また神殿にいた頃のように孤独になってしまうんだろうか。でもそれで皆に迷惑がかからなくなるなら俺は出て行かなければ。
もし、という事を考えているとヒディアさんの抱きしめる力が増した気がした。そしてはっと前を見るとマスターが微笑んでいるのがわかった。
「今回のこともあるから皆にも話しておかなければならんな。でもなエース、お前はもうギルドの一員だ。それだけは先に言っておく」
俺はここにいていいんだと直接言われたわけじゃないけどそう言われたような感じがした。
それからマスターをはじめとしたランカー、ギルドの皆に集まってもらい今回のヒディアさん襲撃事件と俺の事情について話をすることになった。そしたら皆して誰も嫌な顔をせず温かく迎えてくれたがヒディアさんを襲った奴は見つけ出したら血祭りにあげるということになった。
そして俺はこの日から『黄昏の森』へ正式に入ることになった。今までは名目上『孤児を保護』していたためギルドカードなんか持っていなかった。そのため俺に何らかの被害なりなんなりが発生してしまうと身の上が神殿や他のお偉方にばれてしまう可能性があったので身分証明書となるギルドカードを発行してもらえなかったのだ。そもそも身元のはっきりしない奴は犯罪者や奴隷といった者がほとんどを占める。そんな人間をギルドに入れないようにと法が敷かれているらしい。しかし、孤児がギルドで三ヶ月生活する間に何も問題はないとそこのギルドマスターが判断すれば晴れてギルドの一員になることができるそうだ。なんだか緩い法だなと思ったが更にそこから面倒な条件が発生するらしい。
一つ、其の者が成人となる十七の歳を迎えるまでは報酬が発生しない
二つ、其の者がギルド、国に害するような事案を起こした際は奴隷身分とする
三つ、其の者の報酬は発生しないが給金として月に三万Gを支給される
四つ、其の者の身元保証人としてギルドマスターが請け負うこととする
五つ、其の者の消息が断たれる事となった場合はギルドマスターはギルドマスターを解任することとする
六つ、其の者が他ギルドへ、もしくは他ギルドから何らかの問題を負った場合奴隷身分とし、当ギルドマスターはギルドマスターを解任することとする
七つ、其の者、ギルドからの依頼以外で活動することを禁ずる
といったものが俺がギルドに入るにあたっての条件となる。要するに俺が良い子ちゃんにしていればなんの問題もないのだ。でも給金が貰えるとは思わなかったので大喜びだったのだが、三万Gなど装備の整備、アイテムの購入、衣食住ですぐに無くなってしまうんだとかで手元に残るものがないと後で計算して知ることとなる。
それでも自分のギルドカードが出来上がって手元にあると自然に頬が綻んでしまう。そして俺と同じような境遇で孤児として、ここ『黄昏の森』で育った者が何人かいる。そんな人たちの憧れの存在がヒディアさんとナイルさんでこの二人は孤児からランカーまで上り詰めた、まさに俺の先輩で姉と兄なのだ。血の繋がりはないがこの二人とは本当の家族のような思いを抱いている。
「どうしたの坊やそんなだらしのない顔しちゃって。」
「ヒディアはわからないのか。俺もギルドカード見てそんな顔してたんだろうな。」
「うーん。そうだったっけ?私もギルドカード貰って素直に嬉しかったけどこんなになった覚えはないわね。それよりこのふにゃっとした表情も可愛いわね。」
ぷにぷにとなにやら突かれているが気にならない。やっと俺も『人』としての証が貰えて、他人からも認識されるようになったのだと思うと何か満たされるものがあった。俺が俺である証。『黄昏の森』の誇りがこのギルドカードなのだ。それを俺が持っている。
「あらまあ、更にだらしのない顔しちゃって。私の見てないところでナイルもこんな顔してたんだねえ。」
「いや、さすがにここまでは…。」
二人とも引くぐらいの顔をしていたようだ。ふうそろそろ切り替えて二人に話をしなくては。
「お金貸してください」
清清しい顔で言ってやった。まだ半月も経っていないのにもう残りが一万Gをきっているからだ。武器はなんとでもなるが防具をそろえることで財布を圧迫しているのだ、このまま行くと餓死してしまう可能性がある。すると二人は苦笑いでやっぱりと言われた。先輩二人も通ってきたことなのでどうにかしてやりたいのはやまやまという雰囲気だがあの長ったらしい法のせいで手を貸すことはできないらしい。俺は財布から悲鳴があがったように聞こえた。そして俺の悲鳴はちゃんと二人には聞こえてしまったようだ。
燦燦と太陽が俺を照りつけている。頬を伝う汗が鬱陶しいが拭いたくてもそそれどころではない。視界に写る銀の揺らめきが反射するたびに目を細めてしまう。それを視認して身体を動かしていくが避けることができずに何度も打ち据えられる。諦めずに反撃しようものならカウンターの『近接格闘術桜花』が炸裂するためただ避けることに徹する。関節からはギシギシと筋肉はビキビキと嫌な音を立てる。息つく暇もなくしだいに景色が霞んできやがった。酸素を求めて口を開きたくてもできない。ギリッと歯を食いしばって我慢する。怒涛の銀線が四方八方から迫る。そして左膝から力抜けそうになり気合で踏ん張ろうとした所で右上方から振り下ろされる打刀。そこで意識がプツリと切れた。
「うん、結構良くなってきてるよエース。最初なんかただの的だったけど今じゃしっかりと僕の打刀も目で追えてるし。」
「ナイルさん、目覚めの一言がそれですか。もっと心配してくれてもいいと思うんですが。」
「えー。それは僕じゃなくてヒディアに言いなよ。喜んであの大きな胸の中で甘やかしてもらえるよ。よかったねー。でもあの大きな胸の中だと労いとともに永眠しちゃうかもだけど。」
たしかにヒディアさんの胸は気持ちが良い。だがあそこは誰も立ち入ってはダメな場所だ。何度誘惑に負けて窒息死しそうになったことか。タップする間も無くあまりの心地よさに意識が無くなってしまうのだ。
しかし、ナイルさんにも言われたとおり思うように体が付いていけてる。ほんの一月前まで浮かれていた俺が懐かしい。ギルドの一員になれて浮ついていた俺に修練と称した地獄の基礎体力向上プログラムが組まれた。その時まで何もまともに体を動かしたことがなかったので開始三分でぶっ倒れた。言わずもがなのんべんだらりとした生活していた俺に理不尽な現実が牙を剥いた。
俺の体力の無さは折り紙つきの様で今でも直ぐにばててしまう。そこで動きの最適化を行うため地獄の基礎体力向上プログラムから開放された。でも少しは体力はついたと言い訳を述べさせてもらおう。最初なんかナイルさんも言っていたようにただの的で動き回っての修練なんてできなかったのだからちゃんとした成果は出てきているのだから。
「これから依頼も受けていくことになるんだからもっと厳しくなるから覚悟してね。」
僅かばかりついた自信がもうはや風前の灯なんですが。これ以上追い込まないでくださいと懇願しても薄笑いを浮かべたまま打刀で俺を凧殴りにしたナイルさん。この日から俺の中のナイルさんの印象がちょっと変わることとなる。優しい笑顔のお兄さんから薄笑いのドSお兄さんに替わった瞬間だった。懐かしきかな一月前の純真無垢な俺。
「ところで初依頼は何にするか決めたのかい?この時期の依頼は魔物討伐がほとんどだからパートナーとしっかり相談して事前準備はしっかりするようにね。」
「魔物討伐がほとんどって言うけどそれしかないじゃん。そりゃうちのギルドの専門がそれだから仕方ないけど街の中での依頼もあると思ってそれ受けようかと考えてたのに。」
「そういう依頼もないわけじゃないけどそういうのはたくさん依頼をこなして尚且つギルドからの信用が高くないと回ってこないよ。それこそ俺達ランカーやそれに近い人しか依頼を受けることはできないのが現状かな。責任の伴う依頼に分類されてるけどだからといって討伐系の依頼だってちゃんとした依頼だからそこら辺は理解しときなよ?
街からの依頼は依頼を出す方も慎重になるしエースだって見ず知らずの人に依頼して報告がきてみれば失敗だなんて目も当てられないだろ?街から回されてくる依頼はデリケートで何か問題が起きたらそれに対処できる能力がないととても新人には任せられることは少ないんだよ。俺だってそういう依頼を受けるようになったのはここ最近だよ。まあそれだけギルドも慎重にならざるをえない依頼の一つなんだ。」
依頼にも色々あるんだな。俺はどんな依頼でも最後まで責任を持ってやるつもりの気持ちでいたので自分が失敗すること前提では考えていなかった。もし自分じゃ手に負えないくらいの問題が起きてしまったのなら一緒に依頼を受けたパートナー、ギルド、依頼者、その他諸々依頼に関係のある人に迷惑をかけてしまうことを想像する。漠然と考えていた今さっきの俺命拾いしたな。いや、もしもの事ばかりを考えてたら依頼なんて何を受けても失敗してしまいそうだ。早く切り替えて魔物討伐の何にするかパートナーと相談しよう。
「なんだか気落ちさせたみたいで悪いね。でもこれからギルドの一員として依頼を受けてもらうからにはきちんとした心構えでいてもらいたいからね。それじゃ今日はこの辺で修練はおしまいにしとこうか。」
「今日も指導ありがとうございました。」
あいさつをするとナイルさんはゆったりとした足取りで修練室から出て行く。そしてどんな依頼を受けようか修練室に残り考え込む。俺のパートナーは何故かヒディアさんで、あの一件以来ギルドマスターに俺とパートナーを組めるようにとお願いしたらしい。俺からしたらランカーとパートナーを組むことができるなんて思っていなかったからかなり驚いた。ヒディアさんは何故か俺にべったりになってしまい他の人と組むなんて嫌だと涙ながらにマスターに訴えたらしい。マスターも最初はだめだと言っていたけど女の涙には勝てなかったようでヒディアさんが泣き始めるとそれにオタオタしてしまいそれ以上強く言うことができなくなってしまったとのこと。何やってんだよ爺。マスターの威厳も糞もねー。
最近考えることが多くなってきて少し胃が痛い。はあ。とにかくヒディアさんと依頼をどうするか相談しないと一向に話が進まない。モヤモヤした感じがするのでもう少し体を動かしていこう。二振りの刀が顕現し魔法具とはまた違う神々しい存在がそこにあった。見ただけでわかる、人の手で生み出されることは絶対にないであろう武器を手に黙々と体を動かす。