5.俺の初めての戦闘
地面の組み伏せられ後は死を待つだけ。と思っていたが何故かその瞬間はいっこうに訪れない。どおいうことか状況を知りたい。俺の上に乗っている魔物と思われる奴はただ低く呻っているだけ。っ?いや待て、そもそも何故襲ってこない。獲物が眼の前に置かれているというのに。警戒しているのか?何に?どうにかまともに思考し始めた俺の脳は疑問を解消すべく、視界に映るものから何が起きているのか理解しようとする。
よくよく見れば周囲にはいろんな魂が集まっているように感じる。村についた際、たくさんの魂が彷徨っていた。それが周囲に集まっているのだ。もしかして俺を助けようとしてくれているのか?そんなことあるはずないと自分に言い聞かせる。
この人たちは俺のせいで死んでしまったのだからそんな俺を助けようとしてくれるはずなんかないはずだ。もし仮にそうだったとしても俺にそんなことをする価値なんてないと言いたい。俺のことは放っておいていいから、と言いたくても魔物に押さえつけられて空気を吸うことも難しいくらいに圧迫されているため声を発することができない。
そんな俺の気持ちとはうらはらに魂たちが俺と魔物に近づいてくる。呻り声がいっそう強くなり俺を押さえつけている足に更に力を込められミシミシと俺の体は軋みをあげる。これ以上は体に負担がかかりすぎてグチャっと潰されてしまうのではと思う。
目と鼻の先まで近づいてきた魂に魔物はひるんだのか俺を押さえつける力が一瞬緩む。現金なもので俺の体はまだ生きたいと訴えているようで酸素を求めて大きく息を吸い込み横に転がるようにしてその場から離れる。
千載一遇のチャンスに体勢を整えて魔物の姿を捉える。暗くてよくわからないがそのシルエットから狼のような魔物だとわかった。どうして魔物かと思えたのかはその大きさだった。普通の狼のような人間と同じかそれより小さいくらいの大きさではなかったからだ。人間の大人の胴くらいの太さの逞しい四肢に人を丸々飲み込めるような大きな口と体。こんな生物は獣には存在していないと推察できる。
多くの魂が俺と魔物の間に割り込むように陣取り、魔物を近づけさせまいと威嚇しているように見える。どうしてそこまでするのか問いたいがそれは魔物を退けてからではないとゆっくり話ができそうにないようだった。いくら魂が寄り集まったところで物理的に何かできるわけでもないのだ。
魔物が俺に突っ込んできてその鋭利な牙で俺を噛み砕かんと大口を開けている。せっかく助けてもらった命を粗末にすることはできない。魂となっても俺を必要としてくれた村の人たちのためにもここは生き抜く。
スイレンで武装を試みたがなんの反応もない。ちょっと、えーーーーーー!!なんでなんでと慌てるが視界には魔物が飛び込んできたので横に緊急回避。
魔物の突進を横に転がるようにして回避してスイレンと彼女の魂がいる家まで走る。それに合わせて魔物も追いすがろうとして追ってこようとするがありがたいことに魂達が苦手なのかその足が止まる。
家の中になだれ込むようにして入るとスイレンが俺に飛びつく。彼女の魂も俺に寄って来る。
何故武装できなかったのか、もしかしたら俺の側にいないと武装はできないのかもしれない。それよりも魔物が怒り狂って家に突進してくるのを視界の端に捉えたためスイレンを武装して慌てて地面に飛び伏せる。
大きな塊が家を飲み込み、あっというまに倒壊する。運良く体を傷めることなくやり過ごすことができたようで開けた場所に移動する。あんな突進をまともに受けて日には明日の朝日を拝むのは難しそうだ。
乱れる呼吸を整える。俺の周りに集まりだした魂は寄り添いあうようにして重なりその大きさが増していく。その中に彼女もいた。この光景は見たことがある。スイレンと同じように。あっけにとられて眼をぱちくりさせる。魂とはこうも簡単に武装へと変われるものだろうか。誰か詳しく教えてほしいが後ろからガラガラと何かが動き出した音がする。前と後ろから非現実的な光景が広がっており夢であってほしいと思うばかりだ。
現実逃避をしたけれども命の危険が迫っているためぼさっとここにとどまるわけにも行かない。しかし目の前では新しい武装が誕生する可能性がある。この状況を打破するためにも、村の人たちの命を無駄にしないためにも目の前の魂に命を吹き込む。
徐々に人の形を成すそれに手を差し伸べる。俺は貴方達になにもしてあげられなかった。ただ貴方達の命が散ってしまっただけ。自分には止められたかもしれないのに。そんな俺に貴方達が力を貸してくれるというなら、もうそんなことが起こらないように俺に力を貸してください。
不思議な淡い光が俺を包み込む。誰かに抱きしめられているかのような温かさを感じる。うん?むしろ抱きしめられているような感覚?何か柔らかいような感触がして気持ちいい。そっと眼をあけてみれば人肌が飛び込んでくる。何かを言おうとするもフガフガと上手く声を発することができない。
「もう、暴れないでください。もう少しこのままでいたいのに。」
となんとも場違いなお言葉が。あれ~?
「それにあそこのワンちゃんも大人しくしてくれるといいのだけど。まったく盛りのついた雄は雌に腰でも振っていればいいものを。しっしっ!」
なんとも気だるげに言っている女性?は魔物が脅威と思っていないのだろうか?それは頼もしい限りなのだが身動きがとれないし柔らかいものが先程から顔全体を覆っており息が上手く吸えない。もしかして違った意味で死にそうになってる?空気を求めて女性を押しやる。ぷはっと大きく息を吸って元凶のもとを睨みつけて文句の一つでも言ってやりたかったが先に魔物だ。実際に戦うのは俺であって彼女ではない。武装は神に選ばれた者が使うことでやっと真価を発揮する。神に選ばれた存在以外では武装単体で命ある者に物理的に干渉することはできない。
魂の契りをせんと彼女に名を尋ねるが「貴方がつけてくれると嬉しいわ。」とスイレンの時と同じような返答が返って来る。胸をこれでもかと押し付けてくる彼女だがいちゃついている暇などないから後にしてくれというと。更に押し付けられてきた。もう何も言うまい。
目の前には魔物が呻りをあげて威嚇しているのだから。
しかし、なかなかこちらに近づこうとはしてこない。どうしてなのだろうか?首をかしげるて思案する。すると頭の後ろから肩にかけて柔らかい何かが乗っかったような感触。吃驚して振り向こうとすると後ろの左右から細い腕が伸びてきて俺の動きを絡めとる。
「早く私の名前を付けてくださらない?貴方が私の主人なのだから。ふふふ。」
背筋にゾクゾクと何かが走る。不快感とはまた違った感覚に戸惑うと反応が面白かったのか女性はクスクスと上品に笑う。なんだか馬鹿にされているようでムッとしてしまう。
目の前の魔物はじりじりと距離をつめてくる。早くしないとと焦るが抱きしめる力が強まる。それは苦しいというよりも大事に大事に包み込むような温もりを感じる。張り詰めていた緊張が緩むが気が抜けたわけではない。変に力が入っていた体中の力が程よくほぐれたように感じる。
「君の名前はキキョウ。エース=アルファザードが汝に名を授ける。剣、時には盾として我に仕えよ、さすれば汝に生を与えん。神に認められし器にてスイレンとの魂の繋がりをここに認める。これでいいかい?」
「キキョウ、ね。私の名前はキキョウ。ありがとう主様。」
横から覗いてくるキキョウの顔を見れば凄く綺麗に整っている顔があった。さっきは余裕がなくてよく見ていなかったけどすらりとした目鼻立ちでキリリとした目尻が特徴的だ。そして俺を見る眼がとても澄んでいた。全く淀みのない綺麗な明るい紫色。そしてふわりと俺の顔にかかった髪からはとても優しい匂いがした。
そんな俺たちに面白くないような声色で『おにーのえっち』とスイレンのトゲトゲしい言葉が俺を串刺しにする。ちょっとちょっと、えっちってこれっぽちも疚しいこと考えてませんよ!そんな言い訳じみたことを言えば逆効果の気がしたので「ごめんなさい」と謝る。そんな俺とスイレンに「あらあら可愛らしいこと」とまるで他人のようなキキョウに溜息が出る。
「話は後だ二人とも。キキョウ力を貸してね。スイレンはいつでも傷の回復ができるようにね。」
「私は主の剣。いついかなる時、主に仇名す者に魂の激鉄を与えましょう。」
恭しく俺に頭を下げるキキョウにわかったと答える。頼もしいことを言ってくれる。
「さぁ、反撃開始だ。二人とも行くよ!」
スイレンとキキョウを武装化する。左の腰にはスイレン右手にキキョウを携えて奴と向き合う。暗闇の中で大きなシルエットが揺ら揺らと動く。
しっかりと目を凝らして動きを見ろ。決して見失うな。足を止めるな。思考を加速させろ。これは神殿に居た時のような訓練じゃない。頬を伝う汗が気持ち悪い。心臓を何かに鷲掴みにされたように嫌な空気に圧迫される。
『落ち着いてください主。奴の目をしっかり見てください。ここからはこちらの弱味を決して見せてはいけませんよ。警戒はしているようですが獲物としか主を見ていないはず。その相手の油断を狙います。』
「無茶言うね。対人戦位しか経験ないのに運がないな。」
神殿では魔物を想定した訓練なんてなかったしそれ程熱心に指導されなかった。落ちこぼれという理由からではなく生きていく上で知らなくてもよいと判断されていたからだ。知識としても書物で数瞬しか気にとめることはなかった。こんな現実味が持てない状況にキキョウを持つ右手が震える。
魔物の息遣いが間近にある。それだけで死と隣り合わせだと自覚しただけでこのザマだ。なんとちっぽけで小さな命だ。
こんなのはガラじゃないんだけど、ここで熱くならなきゃ男じゃない。もしもここで俺が魔物にやられてしまえば人の味を更に覚えさせてしまうことになるし、人の多い国や都市に襲い掛かるだろう。そんな人に害にしかならない魔物はここでなんとか仕留めなければいけない。
動かない俺に焦れてきたのか涎と呻り声が大きくなっていき突如咆哮が鼓膜を揺らした。音と認識できずに耳から温かい何かが伝う。耳鳴りもガンガンする。油断していなかったのに一瞬で五感の一つを失う。スイレンが慌てて癒しのスキルで治療してくれる。予想できなかった攻撃に魔物面を食らう。たった一度の咆哮で身も心も折れそうになる。
『主様御気を確かに!体の傷はスイレンが何とかしてくれます。私は貴方の魂であり剣です。主の剣が折れそうになれば私も折れて消えてしまういます。』
えっ?ちょっとそれはダメだろ!
「ふざけんなーーーーーー!」
そんなことは許さないし許されないことだ。俺の中で何かがぶちきれた。
体が羽のように軽く魔物が俺を視界に捉える前に横を通り過ぎる。自分でも驚くべき身体能力に間が空く。魔物も俺がどこに行ったのか慌てている。その隙に魔物の背後をとってキキョウを下段から掬い上げるように上段へと一閃。左へと体重移動をした魔物の左足がズルリと体から離れて地面へと倒れる。バランスを崩した所に切り返しの横一線。魔物を二枚に下ろして戦闘終了。あっけない幕切れにさっきまでの空気が弛緩する。
『お見事でした主よ。早速私のスキルが役にたったようですね。』
「今のがスキル?なんの違和感もなかったんだけど。」
『私のスキルは思考加速と身体能力の上昇です。そもそも肉体へ関与するものですから違和感なく自然に戦闘できたことがその証拠でしょう。実際に体感してみて思い当たる節はあるはずです。今の一瞬の戦闘で的確に仕留めることができたのですから。』
「なんというか実感が持てないんだよね。なんというか時間的に一瞬ではなかった気がするんだけど。」
『まだスキルに体が馴染んでいないのが要因ですね。それはこれからどうとでもなりますよ。思考と体感のズレが無くなれば思うとおりの動きができるはずです。』
スイレンが一言も発していないのが気になって話しかけるとまだ俺の治療の途中だから話しかけないでと不機嫌気味でちょっぴり涙目。俺が悪いのか?嫌われた?
キキョウの武装を解くと急に倦怠感が俺を襲う。キキョウが言うにはスキルの代償だとか。思考の加速に脳がついていかず、体も無理矢理底上げしていることでそれがなくなれば動けば動いただけの反動が返ってくる。もっと詳しく話していた気もするが意識が遠のく。スイレンへと流れていく俺の何かが拍車をかけたのだろう。キキョウの柔らかい胸に抱かれながら意識を手放す。もう少し堪能したかったのに残念だ。