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Ep.1 Shelter From The Rain

男が語る「自称神の子の起こす騒がしい怪奇日常」


メンインブラックみたいだ、なんて言わないでっ!

 今日も終日酷く暑くなる――はずだった。

 午後三時を迎えようとした頃だろうか。天候が急変した。

 一つ二つと雨粒が落ちたかと思えば、素早く滑らかに降雨の音は大きくなり、併せて粒は雨に、雨は瀑布に、瀑布は弾雨になり、雷鳴と共に打ち捨てられた廃墟群へ突き刺さる。

 軒先が、雨に叩かれてバリバリと悲鳴を上げている。

 それでもまだ、雨は強さを増していく。

 埃が舞い上がり、弾けた雨粒は砕けて舞い上がり、靄へと姿を変え、落莫としていた廃墟街に灰白色の紗幕を掛けていく。

 明るいようで暗く、近いようで遠く、狭いようで広く、見えるようで見えない。雨音に混じり、微かに蝉の声が聞こえるようだ。だが、距離は分からない。もしかしたら気のせいなのかもしれない。酷く曖昧模糊とした――例えるならば霧深い幽谷の姿。

 普段の廃墟街からは想像も付かない。世界が変わったのではなく、表裏に接した世界が豪雨と共に姿を現した、そんなあり得ない(・・・・・・・・)想像すら浮かぶ。曖昧模糊と下世界に、理性が泥濘となったようだ。

 そんな人外魔境に小さく、何かが動いた。

 微睡みを晴らしながら目を凝らす。

 人影だ。小柄な人影が一つ……いや二つ。靄を掻き分けるように、瀑布を泳ぐようにこちらへ向かってくる。

「いたたたたたた! 痛い! 雨が痛い!」

 前を行く少女が声を上げて、軒先へと飛び込んでくる。

 狭い軒先に完全に体を隠すため、壁際にぴったりと体を寄せる。

「はぁ、助かった~」

 年齢は中学生ぐらいだろうか。均整のとれた細い顔は健康的に日に焼け、胸まで伸びる濡れて纏まってしまった黒髪と、すらりとした脚を包む黒いレギンスとのコントラストで、チュニックの白が一層輝いて見える。

 少女に遅れること数秒。麦わら帽子を被った少年が軒先に駆け込んでくる。頭一つ分ほど違う少女に習うように、壁際にぴったりと体を寄せて並ぶ。半袖に半ズボン姿。こちらは十歳前後と言うところだろうか。小脇にもう一つ、麦わら帽子を抱えている。

「こんな痛い雨、人生で初めて。タクはどう?」

 どことなく昂揚した口調で少女が尋ねる表情も若干ではあるが笑みが見えた。

 対して、問われた弟、タクと呼ばれた少年は落ち着いたものだった。すっかり濡れてしまった眼鏡を拭い、半ば面倒くさそうに答える。

「同じに決まってるじゃん、双子なんだから。それに、十年しか生きてないし……。ああ、レイ姉ちゃん麦わら帽子落としたよ。急ぐのはいいんだけどさ、気を付けなよ。無くしたらヨーコちゃんに怒られるよ」

 年齢相応の彼に対して、十歳とは思えない成長度の姉、レイを窘め、小脇に抱えていた麦わら帽子を手渡す。

「あ、泥ついてるじゃん」

 名前に反して礼の一つもなく、帽子を受け取るなりレイはクレームをつけた。

「お気に入りだったのに」

 口をとがらせ不満しきり、という表情を顔いっぱいに広げる。

 雨の中で落とせば当然のことだ。この辺りの道路は人通りも少なく、アスファルトの上に泥とも埃ともつかない物が堆積しているのだから尚更だ。

「だったら大事にしなよ」

 眼鏡をかけ直したタクが、あきれた口調で正論を宣う。と、レイは泥だらけの麦わら帽子をタクの鼻先へと突き返す。タクが「何?」と言う問いを発しようとするよりも早く、彼女はごく当たり前に要求した。

「交換して」

「え?」

 自然かつ単純過ぎる要求にタクは思わず聞き返した。レイは再度要求する。今度は先程よりも強い調子だった。

「交、換」

「うぇええ!? いやだよ! 汚れたの自分のせいじゃん!」

 彼は当然のように要求を拒否する。正論だ。

「『大事にしろ』って言ったのはどこのチビよ。大事にするんだから、大事にされるべき方を差し出すのがスジってもんでしょ?」

 彼女は当然のように正当性を訴える。暴論だ。

「無茶な……そういうの何て言うか知ってる? ドーカツっていうんだよ!」

「ドー……なら、あたしが甘いうちに、交換した方がいいんじゃない? ドーナツなだけにね!」

 言葉の間違いなどどこ吹く風、と、全力のしたり顔。失笑すら発生しないことすら意に介さず、(ささ)やかな胸を豪快に張る。

「それに、なにも『よこせ』なんて言ってるわけじゃないでしょ。交換だよ、交換。トレードだよ、トレード」

 清々しいまでの俺様っぷり。程なくして弟は文字通り脱帽した。

「ありがとー。さすが弟、話がわかるねー」

 サッと奪い取るようにして満面の笑みを浮かべる。嫌みも悪気も、只一抹の屈託も無く、まるで、青空を背にした向日葵のような笑顔だった。

 性別も性格も体格も違うこの双子。力関係は姉であるレイの方が上なのは明白だ。むしろ、力が上だから『姉』と認められているのか。

「そもそも『ツチノコを探そう』って何なのさ。大人の人たちが何十年も探して見つからなかったんだよ? 僕たちみたいな子供に見つけられる訳ないじゃんか」

「だから、見つけたら皆びっくりするんじゃん」

「夏休みの宿題で?」

「夏休みの宿題で」

 諦たのかタクはそれ以上の言葉を紡がなかった。対するレイは勝ち誇ったかのように余裕の表情を浮かべ、天気のことばかりを心配している。

 さぁっ、と冷たい風が吹いた。

「うう、寒い」

 身に付けた衣服が雨に濡れた薄着では尚更だ。レイが細い肩を抱いて身を震わせる。タクが衣服の裾を絞り上げると、スポンジを握ったのかと見まがうほどの水が滴り落ちた。

「どこか、風があたらない場所に移動して着替えるか、体拭きたいね。このままじゃ風邪引くかもしれないし、さっきから姉ちゃん、服透けてるし」

 言われてやっと自分の格好に気づいたレイが胸元を隠す。

「見んなよ!」

「見ないよ。何もないのに」

 呆れ声が癇に障ったのだろう、レイが発声されない怒声とともに、左腕で胸を隠しながら、右拳を振り上げ、いや、引き絞った。

「あれ?」

 突如引き絞っていた弩を降ろす。

 視線の先にはガラスのはめ込まれた扉がある。

 そこだけが綺麗に掃除されているかのようだった。ドア前には金属プレートが掛けられており、かすれてはいるが、「営業中」の文字を読むことが出来た。

「お店かな」

 壁に耳を当ててみると、微かだが物音が聞こえる。よくよく見てみれば、二人の雨宿りをする建物には、蔦や雑草があまり生えていない。埃も堆積していないのは掃除が施されているからだろう。ここには人がいるようだ。

「ちょうどいいや。雨宿りさせてもらおう」

 決断が早いか否か、レイは扉を押し開けた。タクの制止する声をかき消すように、蝶番が年齢相応の甲高い悲鳴を立てる。

 ――カラン、コロン

 出迎えるように、ドアチャイムが華麗な音を鳴らした。

 扉を開けた先には、薄暗い通路があった。一見して、アパートや雑居ビルの避難経路を想起させる。

 姉弟は扉から首をつっこみ、揃って様子をうかがった。

 明かり取りのためか、はたまた換気用か。天井付近に付けられた小窓から、かすかに光が差し込んでいる。とはいえ、この天気だ。やっと足下が見える、といった程度である。

 通路の先の方には、控えめな光が四角く空間を切り取っていた。どうやら扉がもう一枚有るらしい。

 躊躇無く通路に足を踏み入れたレイの腕を、タクが慌てて引き留める。

「ねぇ、怪しいよ。やめとこうよ」半ば睨み付ける表情のレイを不安げに見つめ、「ここは『末期地区』なんだよ」と、続けた。

 本来は松午地区と書く、県の再開発計画にすら忘れられた、廃墟区画である。

 高度経済成長期に強引な地上げで、元々住んでいた人々を半ば追い出し、住宅誘致をすすめていたが、近郊大都市へのアクセスが悪いうえ、欠陥住宅問題が発生し、やがて破綻。農地に還元しようにも、高く付いてしまった土地代のためにそれも出来ず、現在に至っている。

 一時期は浮浪者や不良のたまり場になりかけたが、車で20分ほどの距離にあるベッドタウンと中心街を直通で結ぶ電車が開通することで、それら仮初の住人も中心街へと流れた。

 残されたのは、区画整備された画一的な廃墟郡のみである。

 以来、地元の人々からは揶揄を込め、同音である『末期』地区と呼ばれている。

 不審者、犯罪者、幽霊や妖怪、UFOの目撃談などがまことしやかに噂され、そして、それが当然と受け止められている落伍の地。だからこそ、レイは自由研究の「ツチノコ探し」の探索場所に選んだ理由もそこにあった。

「やっぱり中に入るのは辞めようよ……」

 確かに光はある。話し声もする。誰かがいるのだろう。だが、その誰かが何者かは分からない。無計画に脚をつっこむのは躊躇されて当然だった。

 だが、姉弟とは言え、他人。他人の心を知る由がないのもまた当然だった。

 レイはタクの躊躇など毛ほども感じ取っていなかった。

 そこいらにあるコンビニエンスストアに入るのと変わらない足取りで、薄暗く不気味な通路をサクサクと進んでいく。

 主従関係に近い力関係のこの二人。タクに選択肢は残されていなかった。おそるおそる、タクはレイの後を付いていく。

 頭上からは驟雨が屋根を叩く音。一歩踏み出すたびにぐっしょりと濡れた靴から、水が噴き出すイヤな音がする。湿った足音が10を数えるころには、扉の中に人の気配をはっきりと感じることが出来た。

「よかった、人、いるみたいじゃない」

「お、お姉ちゃんお金持ってるの? 僕は持ってないからね」

 タクの声をかき消し、ギィ、と音を立てて暗闇を切り取った扉が開かれた。

 控えめに流される激しい音楽が姉弟をつつみ、薄暗く狭い店内で、六つの眼が一斉に姉弟に向けられた。

「おや、珍しい。新規さんじゃないですか」

 カウンター席に座った男が、方頬を引きつらせた笑みを浮かべる。中央のみ金髪に染めた頭髪を短く刈り込んだ、威圧感のある風体の男。男は椅子から身を乗り出し、姉弟と目線を合わせた。

「しかし、随分可愛らしいお客さんだ。どっからきたんだ――と、ズブ濡れだな」

 のんびりとした調子で語り口調は、ともすればドスが利いたようにも取れる低い声を、少年少女の体内に心地よくしみこませた。

「はい。だから、雨宿りさせてもらおうと思って」

 レイがまっすぐ男の目を見て答える。全くおびえる素振りは見せなかった。

「構わないよ。この喫茶店の信条は来るもの拒まず、去る者は追わず。どうぞご自由にお過ごし候、ってね。ねぇ、マスター」

 マスターと呼ばれた口ひげを蓄えた初老の男が、カウンター内でどっかりとイスに腰掛け、新聞を開き直す。入店した姉弟に一瞥もくれない。そこには接客の意識など微塵も感じられなかった。

「そうと決まればここに座りなよ。ああ、何か飲む? 何がいい?」

 男の隣の席によじ登るように座る二人に申し訳程度にメニューを見せ、満面の笑みを浮かべる。

「いや、あのう、僕たち、そのう、お金無いんです」

「ああ、いいよ。俺が出すから。ココアでいい? ここのココアはおいしいよ」

 言うが早いかカウンター内のマスターにココア二つと、早々と注文する。

 これまた聞くが早いか、マスターは湯気を立てるカップを二つ、無精に姉弟の前に差し出した。濡れた髪を拭くためだろう。タオルも無粋ながら差し出された。

「ここで会った何かの縁なんだ。うん、縁、そうだ縁だよ。不思議なことにね、この店ではいろいろな縁が絡み合うんだ。ねぇ、柚ちゃん」

 男はそう言って、テーブル席を振り返る。姉弟も男に倣って振り返った。

 黒い袋やアルミケースが山積みにされた、たった一つのテーブル席。荷物の中にはギターのケースが見える。どうやら全てが音楽関係の機材のようだ――と、その中心がのそりと動いた。

 サイズこそ小さいが、コンバットブーツを履いた人間の足のようであった。

 荷物に隠れて、いや、埋もれていた、小柄な女が荷物の隙間から体を反らせて顔を出した。Tシャツにデニムのパンツと地味な格好の女、出鬼(いでおに) (ゆず)は背もたれに首を乗せるように反らせる。頭の後ろで簡単に纏めた長い髪を床に束ねながら、面倒くさそうに男の方を睨み付ける。

「そういうの、あたし信じない。あんた知ってんでしょーが。バカワラ」

 机の上に脚を投げ出すという悪逆的な態度とは裏腹に、幼さすら感じさせる可憐な声でばっさりと男――葉河原(はかわら)千宗(ちひろ)の論理を否定する。当の葉河原は「そうだったねー」と優しげに笑い、目の前に置かれたカップに口を付ける姉弟へと視線を向けた。

「君達、イェイル学園の子だろう」

 まさかの発言に姉弟の肩がこわばった。

 男の口から二人の住む児童養護施設の名前が出たからだ。

「イェイル?」

 柚がタバコをくわえながら眉根を顰める。

「ほら、坂の上の、一方通行のとこにある――」

 葉河原の身振り手振りついた説明を、眉をひそめて聞いていたが、「アートグレイス団地」という単語で得心がいったように、「ああ~」と頷きながら、再び煙を肺に溜め込んだ。

 どうやらこの喫茶店にいる人間は全て自分たちのことを知っているようだ。

 ますます姉弟は身を固くした。

 夏真っ盛り。蚊の増加と共に不審人物が増える時期である。

 なれなれしい男。無愛想な老人。やたらと攻撃的な女。思えばこの喫茶店にいるメンバーはどれもこれも不信人物だ。しかも末期地区である。

 タクはレイの方をチラチラとのぞき見る。「いわんこっちゃない」と訴える弟の目を、冷や汗を書きかけながらも強い視線で姉が押さえ込む。だが単純な反骨以外彼女に話すすべがなかった。

 二人の動揺に気づいた葉河原が言葉を付け加える。

「あそこの先生、神宮先生とは知り合いでね。君達は知らないかもしれないけど、ちょくちょく遊びに行ってたんだ。ほら、たまにスーツとサングラスかけて――こんなかんじで」

 そう言ってサングラスを掛ける。

 がっちりとした体躯と奇抜な髪型を唯一和らげていた視線が、真っ黒なサングラスに隠される。スーツを着ていれば、裏世界の人間にしか見えないだろう。

「あ!」

 まだ動揺を隠せていないレイの横でタクが声をあげる。確かに彼らの面倒を見ている児童養護施設職員を尋ねてきていた。一度か二度、先生の不在を確認されたこともある。施設の子供達の間で「借金取り」と呼ばれている男だった。

「借金取りの」

「借金取り?」

 今度は葉河原がきょとんとする。代わりに、テーブル席から柚の大笑いが聞こえてきた。

「しかたないよ、あんた、それ鏡で見てみ。完全に『ヤ』の付く職業人だよ。ま、今回はあんたのその悪人面のおかげで、この子達も覚えていてくれていたみたいだけど」

 タバコをくわえ直す。それでも収まらないのか、クックックと苦しそうに笑うたびに、鼻や口の隙間から煙が漏れだす。花も恥じらう、という言葉は無縁のようだ。

 だが姉弟にはそんなことはどうでも良いことだった。最も重要なことは別、この店の中にいる人間は、すべて『先生』のことを知っているということだ。

『末期地区に入ってはいけない』

 学校でも、学園でも、どちらの先生にも、口を酸っぱくして言われていたことだ。

 もし、ここに来たこと自体を先生に知られたなら? 学校であっても叱られるのは想像に難くない。いわんや学園をや。

 学園の神宮先生がこの話を聞いたらば、相当な罰が――いや、罰、という言葉で収まるかどうかすら怪しい。

 彼らの脳裏に浮かぶ神宮先生は、既に鬼であったろう。寒い訳がないのに、音を立てんばかりのふるえが起き、暑いわけではないのに汗が止まらない。

 二人の異常に気づいた葉河原が、声をかけた。

「先生にチクったりはしないよ」

 ばっと姉弟の目が葉河原へと向けられる。視線に答えるように葉河原は「ただし」と付け加える「代わりに、何でここに来たのかが聞きたいな」

 そういって再び笑顔を浮かべる。

全てを許す菩薩の懐深さと、全てを愛で包むキリストの慈愛と、全てを隠す詐欺師の狡猾さを兼ねそろえた笑顔は、異口同音に『軟攻の人誑し』と評される男の、天性の、必殺の武器である。

またタチの悪いことに本人はその事を理解していない。それだけに、彼の武器には雑味がない。鋭いナイフのように他人の心に切り込み、切り裂き、切り開く。

二人の姉妹の心はパックリと完全に開かれた。小さな、しかし綺麗な瞳をまん丸くした。交換条件が正確に飲み込めたのはおよそ5秒後。

――川の藁だ。蜘蛛の糸だ。腐った人参だ。

「ええと、夏休みの自由研究で」

「そう、ツチノコを探しにきたの」

「ここならいると思って」

「僕は止めたんだけど、姉ちゃんが」

「止めてないよ! あんたがここならいるからって」

「言ってないよ!」

「言った! 絶対言った!」

 ともすれば協力し、そう思えば責任をなすりつけ合う。保身のための美しい弁明は、死地にて助けを求める人間、それそのものだった。

「まあまあ」

 今にもタクに掴みかかろうとするレイを柔らかい表情の葉河原が制す。

「なるほど、なるほど、事情はよく分かったよ。ツチノコね。確かに見つけて報告したら、大騒ぎにだろうね。みんな知っているけど、誰もやろうとしないし。自由研究にはもってこいだ」

 突拍子もない話であるはずなのだが、葉河原は感心した表情すら浮かべている。

「東北地方まで行かずに、ここら辺で探すなら確かに末期地区だね。君達良い勘してるよ。でも、残念だね。ツチノコのシーズンは春から初夏にかけてなんだよね。今の時期は、池の中に穴をほって夏眠してるんだよ。探すとなると、しっかりした装備とかが必要になってくるんだけど――」

 なにやら思案している呟きを、半ば裏返ったタクの声がさえぎった。

「ツチノコっているんですか?」

「いるのかって……君達、いると思ったから探しに来たんだろう?」

 きょとんとしたタクの質問に、きょとんとして葉河原が返す。

 バン! という大きな音を立てて、タクの背中が勢いよくのけぞった。

「痛っ!」

レイの平手が振り落とされたのだ。

「ほーら、やっぱりいるんだよ! 信じる者は救われるってね!」

ただでさえ情動のままに動き回る彼女だ。打ち下ろされる平手打ちが、一発で済むわけもない。一語一語発するたびに平手打ちがタクの背中に打ち落とされる。無論、タクの苦悶の表情などお構い無しだ。

「ねぇねぇ、ツチノコもいるって言うことは、やっぱり超能力者とか、妖怪とか、幽霊とか、宇宙人とか、そう言うのもいるんですよね!」

「ツチノコも河童も、幽霊も宇宙人も、超能力者だって……ああ、ほら、あそこに座ってるお姉さん、柚ちゃん、出鬼柚ちゃんは超能力者だよ」

体を捻り、「ほら、あそこの」と、柚の方を振り返る。とたんにジュゥ、という音と肉の焦げる臭いが煙と共に立ち上った。

「うおっちいい!」

 悲鳴と同時に本能に基づく避難行動により、盛大に椅子から転げ落ちた葉河原に対し、奇襲の根性焼きを行った柚は自分の攻撃で消えてしまったタバコに再び火をつけていた。眉間にしわを寄せ、悶える葉河原を睨み下ろす。

「なにすんのさ柚ちゃん!」

「なにすんの、はこっちのセリフだよ、バカワラ。課長に知れたら、怒られるのはあんただけじゃなくて、私もなんだからね」

「ん? ううん、大丈夫だと思うよ。課長、夏バテだし、そうでなくても最近、アンドロメダ系宇宙人のメジャーリーグ観戦問題でノイローゼ気味だから」

 あっけらかんとした言葉に、柚は呆れて諦めた表情を浮かべた。呑み込むように息を吸う。

「あんたは――」

 と、開かれかけた説教の火ぶたがは急に閉じられた。クイクイと柚の裾が引かれている。微妙に腰が見えてしまうほど短い丈のホットパンツ、その下でキラキラと目を輝かせた小さな二つの目が、柚を見上げていた。

「超能力者なんですか?」

思わず喉まで込みあがっていた説教が呑み込まれる。

「……さあね」

 答えたようなものだ。

「わかんないよ。僕はまだ信じてないよ。本物じゃないかもしれないじゃん」

 柚の整った眉がぴくりと動く。

 彼女自身は、超能力者と公言しているわけでもなければ、誇っているわけでもないが、偽物と揶揄されて黙っていられる性分ではない。

 カウンターの上に置いてあるカップを手に取った。

 レイによって、絶品のココアが飲み干されたばかりのごく普通のカップだ。

 左手で抓むように持ったカップを人差し指で軽くはじく。キーンと言う甲高い音が聞こえた。すうっと息を吸い、口を僅かに開く――と、同時にコップが彼女の手の中で自動的に砕けた。

 おそらく誰にも分からなかっただろうが、「振動数」を合わせたのだ。

 共振現象、つまりは自然現象を利用したに過ぎないが、カップの振動数と声の周波数を瞬時に合わすことは不可能だ。だが、その離れ業も、彼女にとって蚊を潰すレベルに過ぎない。

 彼女の超能力、その本質は音波により頭の中に恐怖心や快楽を与え、混乱や煽動を引き起こすこと。学術的には妖声者(セイレーン)と分類されている。喉を通した振動、つまりは声や歌を自由に操る超能力だ。

 そんなこと、想像だにしない小さな姉弟は、目を丸くして床に飛び散った破片を見つめた。そんな二人の正面で、大人気なく誇らしげに、大人とは思えない薄い胸を張る。

「480円」

「ん?」

 マスターが目を上げず、新聞を一ページめくる。

「弁償」

「ええ……勘弁してよ、マスター」

 野太くしっかりした言葉に、柚はその張っていた薄い胸をしょんぼりとしぼませた。

「本物だ……」

 きらきらとした眼がしょんぼりとした柚を射抜く。

 アニメや漫画の中でしかいないと思われていた、施設ではインチキだといわれ続けた超人が、ここにはいるのだ。

「やっぱり、君達は神宮先生から何も聞いていないんだね」

 神宮、という言葉に、柚がピクリと反応した。

「神宮って」

「そう」

 葉河原は、そう、と小さく反芻し自分のカップを手に取ったまま眉根を顰めて、なにやら思案をしはじめた。一見すると、この店、「茶虎」自慢の芳醇なオレンジペコの香りを鼻腔に染み渡らせ、品評でも行っているかのようにも見える。

 10秒ほどそうしていただろうか。

「自分の信じる道を歩く」

 そう小さく呟くと、香りと共に一息に紅茶を飲み干し、本来の柔和な表情で姉弟達の方へ向き直った。

「君達にちょっと話をしてあげよう。一般的には秘密にされている話なんだけど――きっと君達は気に入ると思うよ。君達にも関係有る、不思議男な話だ。もしかしたら、信じてくれないかもしれないけど、本当の話なんだよ」

 きょとんとした表情だが、きらきらした目を向けて、姉弟が頷いた。

「いいよね? 柚ちゃん」

「ああ、もう、わーったよ」

 がりがりと乱暴に頭をかく。葉河原の意固地さを知っているだけに、諦めたようだ。

「でも、私も混ぜなよ。ただ怒られるだけじゃ割に合わない。それに、あたしから話したほうが話が見えやすいでしょ。違う?」

 灰皿を引き寄せ、葉河原の隣へと座る。

「そうだね、柚ちゃんから話してもらったほうがいいかな。と、そのまえに、マスターお代わりをください。君達も、ココアのお代わりはどうかな?」

 姉弟達が答える前に、カップの中にココアが注がれる。湯気を立てた甘い香りが湯気と共に柔らかく広がった。小さな窓の外で夏の雨がバタバタと大きな音を立てていた。店内にかかる音楽と、テンポが重なったかのような錯覚を覚えた。単一のペースで叩く。ブラストビートの元、空いたカップを手にした葉河原が姉弟に話しかけた。


続く

次回更新はいつになる事やら……。


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