第4章 城へ
庭を後にして、デュレックはファミットと共に急いで部屋に戻って、準備を始めた。といっても、持ち物はほとんど失くしたため着替えるだけで出発の準備は直ぐに終わる。
デュレックが元々着ていた衣装は綺麗に洗濯され部屋の衣裳部屋に置かれていた。ところどころ破れていた部分は元の状態のように綺麗に直さている。
ファミットに手伝ってもらって着替える。久しぶりの自分の服の所為か、妙に体がしっくりと馴染んだ。むしろ、出発のときの状態より新品に近い、心なしか着心地が良くなっている。
不思議に思って服をみていると、側にいたファミットがニコッと笑った。
「どうだ~、着心地は?」
「ああ、前よりいいよ。ありがとう、綺麗にしてくれて」
「どういたしまして~。どうやら、王子の体と少し肩周りと腰の部分のサイズが合っていなかったとみたいだのう」
そういわれ、デュレックは腕や腰を動かしてみる。王族の衣服は国一番の仕立て屋が全て作っているのでサイズが合っていなかったというのもおかしな話だ。だが、たしかに以前より断然動きやすい。
「本当だ。たしかに、前より動きやすいよ。仕立て屋に言わなきゃな」
「それは無理じゃろ。人の手で作ったにしては最高の出来の服じゃよ。アレくらいのサイズの誤差しかない事はむしろ素晴らしい腕じゃよ」
「そうなのか?でも、サイズなんてよく分かったね」
「ああ、魔法でちょちょいと、デュレックのもっとも動かしやすいサイズに合わせるように少し呪文をかけたからのぅ」
「呪文?魔法かけたのか?この服に?」
デュレックはまじまじと着ている服を見た。どこも、変わった様子は見られない。
実のところ、屋敷に着てから昨日までずっと寝込んでいたため、魔法を実際に一度も見たことがない。
その様子を見て、ファミットが可笑しそうにクスクス笑った。
「この魔法に害はないから安心せぇ。じゃ~、ファミットは、せんせ~の準備の手伝いしてくるから。デュレックは玄関ホールで待ってるんじゃよ~」
そう言って、ファミットはデュレックの答えを待たずに部屋を出て言った。その後、唯一の持ち物と言っていい剣を腰につけデュレックは部屋を出る。寝ていた部屋と、その部屋から出れる庭以外は屋敷の中をあまり歩いたことがなかったが、迷うことなく玄関ホールまで着いた。
ここに来るまで、デュレックは改めて屋敷を観察した。廊下の窓ガラスは気泡の入っていない高価なものであり、ところどころはステンドグラスがはめ込まれていた。いろんな季節の花々が描かれ、日が入ると壁に映し出され美しい。窓のないところは暗くなりすぎないように蝋燭が等間隔で点されている。
屋敷の中はしんと静まりかえっていた。なんとなく分かっていた事だが、この屋敷にはヴィヴィとファミットしか住んでいないようだ。
女性二人、しかも一人は少女(見た目は)で暮らすには少々大きすぎる屋敷。恐らく、500年前にフェリス王が与えた屋敷だ。500年経っているとは思えないほど、丁寧に手入れをされているのが一目で分かり、清潔に保たれている。
だが、デュレックが一番気になったのは部屋の家具や洋服だ。起きてからファミットが用意してくれたデュレックの服は仕立てのよい、立派な服だった。
屋敷に関しては、500年前に王から授けられたものだとしても、ヴィヴィ達が着ているドレスや家具類は、現在の貴族達の流行に合ったものだった。それも、かなり値打ちのあるものだ。
ヴィヴィやファミットの会話から察するに、森の外へは出ているようだが、こんな家具や洋服を用意できるような街中まで出ている様子はなかった。
先ほどの話からするに魔法で用意したのだろうとも考えられる。
だが、デュレックは妙に腑に落ちなかった。
いったいどこで、現在の流行などを知るのか。これも、また魔法で知っているのだと言われればそれまでだ。デュレックにとって魔法はまだ夢物語の域からでていない。実際、見ていないのでなんとも言えなかった。
それに、出会ってまだ1週間ほどであるが、デュレックにはヴィヴィが流行を気にするような女性には見えなかったので妙な感じがした。
と、そんなことを考えながらしばらく玄関ホールのところでデュレックは待った。静かなホールに壁際にある柱時計の音だけが響く。ヴィヴィはなんの準備をしているのか、なかなか来なかった。
静かに待っていると、現在の状況を思い出してデュレックはじっとしていられなかった。むやみにホールを右に左にと移動する。
国王が薬を盛られてずっと殺されそうになっていた。
騎士のように逞しく、口元の顎鬚を震わせて豪快に笑っていた国王。国王としても、父としても、誰からも尊敬できる人物だ。
いったい何時、何処で毒を盛られていたのか。国王という立場上、食事は全て毒見をしていたし、不信なものがないか常に気を配っていた。
常に側にいたのに、気付かなかった自身にデュレックは唇を噛んだ。
城をでてきた時には、国王は起き上がる事も出来ない状態で、時々目を覚ましては少し会話する程度だった。顔色も悪く、逞しい体はやせ衰えていた。
ヴィヴィの言う事を信じれば、まだ希望はあるのだろうが、一国も速く毒を体から抜かなくてはならないだろう。それに、いつ犯人が強行手段に出るとも分からない。母達や妹達に危害が及ばないとも分からない。
現在、城はバンドット卿とウィルに任せているが彼らにも危害が及ぶ可能性もある。
一刻も早く帰らねばならない。
気持ちだけが急いていた。
「準備はいいか?」
「あっ、ああ」
何時の間にきていたのか、ヴィヴィとファミットがデュレックの側に立っていた。
ヴィヴィの姿を見てみれば、仮面は相変わらずつけている。来ている服は、いつもと変わらず黒かったが先ほど着ていたドレスよりも旅装用に動きやすいデザインのものだ。だが、来るのが遅かった割に荷物を持っていなかった。
傍らのファミットも何も持っていない。それに、身なりは先ほどのままだった。
「荷物はどうした?薬なんかは持っていかないのか?」
「ああ、どんな症状か分からないからな。全部運んでいたら馬車が幾つあっても足りん。国王の症状を見てから、あちらで薬を作る」
「そうか。ファミットは?」
「ファミットはお留守番じゃよ~。向こうで、用意できないようなものがあったら、こちらから魔法で送る事もできるからのう。そのために残るんじゃ。じゃから、王子とはここでお別れじゃのう・・・・・・。でも、また会えるかのぅ?」
そう言って、ファミットが妙にワザとらしく寂しげにつぶらな瞳でデュレックを見上げてきた。
そんな、ファミットにデュレックは苦笑しつつフェミットの頭に手を載せた。
「ああ、必ずまた会えるよ。この仕事が終わったら城に遊びに来るといい。妹達にも会わせたいし」
「おお。それは楽しみじゃ~。一度、ちゃんと王都に行ってみたかったんでのう」
そう言って、ファミットは先ほどの寂しげな様子は直ぐに消え、後の楽しみに思いをはせ笑っていた。
デュレックはもう一度苦笑いし、ヴィヴィとお見送りをするというファミット共に外に出た。門の外をみると細い道があるが完全に森道である。
デュレックはヴィヴィの姿を見て、もう一度森の方を見た。
「ヴィヴィ、城までどう行くつもりだ?」
いくら旅装の格好をしていても、この格好で森の中を歩くのは如何なものなのか。
ヴィヴィとファミットが森の外に買い物に出かけると話していたから、そう時間もかからずに森の外へは出られるはずである。
それに、この森を歩いて出たとしても、周辺の村や町を離れれば、次に街や村があるのはどれも半日以上かかるところだ。王都までは馬を急いで走らせても10日くらいかかる。
魔法でも使うつもりなのかと、ヴィヴィを見るがそんなそぶりは一切ない。そんな、ヴィヴィはデュレックの質問に当たり前のように答えた。
「もちろん、馬で行く」
「馬?この館には馬がいるのか?」
「いや。馬は飼っていない」
「だったら、どうやって・・・・・・」
「お前の馬に決まっている」
「はぁ?」
デュレックの乗ってきた馬は森に入った時点で逃げられている。「何、馬鹿なことを言っている」と言おうと口を開けたデュレックの目に、いつの間にかいなくなっていたらしいファミットが庭の向こうから馬を連れてくるのが見えた。
「連れて来たぞ~」
目の前まできた馬にデュレックは目を見開いた。綺麗になっていたが、まさしくデュレックの馬である。
それに、馬に付けられている荷物もそのままだ。
「ど、どうして?」
「・・・・・・ファミット、が、薬草を取りに言っている時に、迷っているのを助けたのだ」
ヴィヴィがそう言うと、ファミットはエッヘンとするように胸を張った。
「ありがとう。ファミット」
そう言うと、ファミットは得意げに口角を上げた。大人びているのに、時々こうして見た目どおりに子供らしいところがある。
そう思って、デュレックがファミットを微笑ましく眺めていると、横ではさっさとヴィヴィがすでに馬の上に乗っていた。
デュレックはそれを見て、思わず口が引きつる。
「おい、まさか、馬一体でいくつもりか?」
「ああ、こいつしかいないしな」
「まさかとは思うが、俺が馬を引いて行くのか?ヴィヴィ、俺は急いで帰りたいんだ。そんな悠長に帰ってはっ」
「分かっている。一緒に乗れ」
そう言って、ヴィヴィは自分が乗っている前のほうを指す。
デュレックはあまりにもあっさり言った言葉に一瞬固まってしまった。しかし、直ぐに無謀なことだと思い出しヴィヴィに言った。
「い、いくらなんでも、大人二人と荷物を乗せて10日間も馬一体で走れないだろう。無理だ」
ヴィヴィとデュレックだけならまだ行けたかもしれないが、馬には元々デュレックの旅用の荷物が積んでいる。その荷物も大人一人分の重量がある。いくら筋力が人間の何倍もある馬でも、大人三人分の荷物を載せて、10日間も走りぬけるのは無謀に思えた。
だが、ヴィヴィは何でもなさそうに言った。
「大丈夫だ。馬の体力を一時的に魔法で伸ばした。他の馬よりも早く走れるし、力もあるし、持久力も上げた」
魔法の力なら可能なのだろうか。不安に駆られるデュレックにヴィヴィからは早く乗れといわんばかりの雰囲気が漂っている。
渋々ではあったが、デュレックも観念しヴィヴィの前に乗る。デュレックが乗ったのを確認し、ヴィヴィが側にいるファミットに言った。
「それでは・・・・・・、ファミット。後は頼みました」
「おう!気をつけるんじゃよ~」
デュレックもそんなファミットに笑顔で言う。
「じゃーな、ファミット。元気で。よし!!行くぞ、ヴィヴィ」
「ああ」
手綱を引くと馬は予想以上に力強く軽々と走りだす。と、勢いが付いたためか、後ろに乗っていたヴィヴィがとっさにデュレックに抱きついた。ふいに背中に柔らかで暖かい感触がして、デュレックの胸が高鳴る。
ヴィヴィは慌てたようにデュレックの背中から離れた。
「すまない」
「いや、急ぐからそのまま掴まれ。その方が安心して行ける」
実際、一刻も早く馬を走らせて城に向かいたい。後ろを気にしながらでは無理だからつかまっててくれるのはありがたかった。けして、下心があるわけではない。
デュレックがそう言うと、離れていたヴィヴィは恐る恐るといった感じで再びデュレックの背につかまる。それを確認して、デュレックは馬を急がせた。
「いってらっしゃ~い!!」
遠くのほうから、ファミットの元気な声が聞こえた。
馬はヴィヴィの言ったとおりにまったくばてずに走り続けている。
出発してから、デュレックとヴィヴィはまったく会話もしないまま、沈黙で走り続けた。
実を言うとデュレックはずっと話かけようとしていたのだが、ヴィヴィがそんな様子ではなかった。
デュレックの腰にずっとしがみ付いているヴィヴィはなにか考え事をしているのか、話しかけるなという雰囲気が漂っている。それに気のせいか、ヴィヴィの手から妙に緊張が伝わってきた。そのせいで、デュレックも妙に緊張していた。
沈黙の姓で、妙に背中を意識していた。
母達や姉妹達と幼い頃は抱き合ったり、一緒に寝たりと女性とくっつく事はある。それに、社交界に出てからも、貴族の女性達とダンスを踊るのに密着する事だってある。
だが、こんな風に長時間抱き付かれるのは大人になってからは皆無だ。
そおっとデュレックは後ろのヴィヴィを盗み見た。仮面で隠してはっきりとはわからないが、ヴィヴィはやはりかなり若い女性に見えた。もしかしたら、本当にデュレックよりも若い可能性もあった。
体は細く、腰に回っている腕もかなり細い。手もシミ一つなく真っ白で、皺の一つもない。
香水なのだろうか、ほのかにあの時とは違う甘い花の香りがヴィヴィからしていた。
そう思っていたら、突然、ヴィヴィが顔を上げた。こんなに近くにいても仮面で隠れて目が見えないが、目が合った気がした。ヴィヴィが驚いたように少し離れた。
「・・・・・・前を見ろ。危ない」
声を落としていたく冷静にヴィヴィは言った。その声にデュレックも慌てて、目を外して前を見た。
「わ、悪い」
声を出してみるとちょっと震えていた。かなり動揺しているのが自分でもわかってしまうほどだ。
ヴィヴィはそんな、デュレックに気付いているのか、いないのか。それから、黙り込んでしまう。また、二人の間に妙な沈黙が包んだ。すると、ふいにヴィヴィがゆっくりと前方を見た。
「馬を止めろ」
突然、そう言われて、デュレックは慌てて馬を止める。目の前には1週間前にデュレックが落ちた橋のある谷だった。
「ここは、俺が落ちた橋のところか・・・・・・」
橋はすっかり無くなっていた。かろうじて、両岸のところに縄とそれをつなぐ木の柱が残っている程度だ。
ヴィヴィは馬から下りて、橋の架かっていた谷の淵のほうまで行った。デュレックも馬を下りてヴィヴィを追う。
谷の下を覗くと川があの時と同じように激しく流れていた。よくこの高さからあの川に落ちて助かったものだ。今更ながら、デュレックは見つけてくれたファミットに心の中で感謝した。
ふと、横を見ればヴィヴィはまだ残っている縄を見ていた。
「どうしたんだ?」
「見てみろ」
そういわれ、ヴィヴィが持つ縄を見てみる。いたって普通の切れた縄だが、よく見てみると縄の切れ目はナイフで切ったような鋭いものであった。デュレックが目を見開く。
「人為的に、橋が落ちるように細工されていたようだ・・・・・・」
「・・・・・・どういう事だ?」
「恐らく、お前も狙われていたんだろう」
「俺も?」
ヴィヴィは縄を観察しながら言った。
「たしか、ここに来るまでに地図に川や谷が載ってなかったのだろう?きっと、それもこれをやった奴等と一緒だろう。いくら危険があまりないとはいえ、今まで、まともに一人で出歩いた事がない者が森の間違った地図を見て無事で済むはずが無い。しかし、これで犯人が絞り込めるな」
デュレックの背に嫌な汗が流れた。国王だけではなく、王子である自身も狙われている。良く考えると当たり前のことであるが、意識すると少し怖かった。
それに、地図を用意していたのは・・・・・・。
嫌な予感を打ち払うようにデュレックは頭を振った。頭のいい彼が、自身が疑われるような事を計画するはずがない。
ヴィヴィはそれをじっと見ていたが、何も言わず、さっと立ち上がりドレスのすそを払った。
「・・・・・・とにかく急いだほうがいいかもしれない。上流に向かおう。そこにもたしか橋を架けていたはずだ」
デュレックはそれに頷くと馬のところに戻り、自身が先に乗ってヴィヴィを引き上げた。
馬を急いで上流に向かって走らせる。
家族のことも、国のことも心配でたまらない。
(早く、早く帰らなければ)
デュレックは信じたくない気持ちを抱えたまま人生で初めて嫌な予感というものを感じていた。
デュレックがヴィヴィの館を出発して数日たった頃。
バゼック王国の王都の夜は嵐に見舞われていた。この時期に嵐は珍しい。雲は立ちこめ、月がない夜よりも一層に闇を濃くしている。その闇の中、強風に窓は振るえ、雷が遠くで光っては鳴っていた。
暗い城の廊下は、使用人達でいつも賑やかなのに、今はシンと静まりかえっている。時折、どこからか吹く風によって蝋燭が震えるくらいだ。
その廊下を20番目の末姫、ジュエルは一人で歩いていた。
今しがた、父である国王の寝室に行っていたのだがあまり状態は芳しくなかった。
デュレックが出発してから数日後に国王の容態は急に悪くなった。デュレックが出発する前はまだ起きて少し話せる余裕があったが、いまでは目を覚ます事もなくなったのだ。
大臣達はいよいよだと口々に言う。
ジュエルはひたすらに兄の帰りを待ち望んでいた。
ジュエルは北の森のある方角の窓を眺めた。
デュレックが出発してすでに二週間を過ぎた。早けれればそろそろ帰ってくる頃だろうとジュエルはこの頃毎日、北の森の方角を見ていた。
7人いる母達は、国王に交代で付きっ切りに看病しているし、19人の姉達は今まで見たこともない父の様子におろおろしたり、心配しすぎで寝込んでしまったりと疲労が頂点に達していた。
たった1人の頼りであった兄が突然、花嫁探しのため城からいなくなってしまったので、余計に城内は不安になっていた。
初めは反対していたが、結局最後の後押しをしたのは自身であるだけに、ジュエルは妙に責任を感じてもいた。そのせいもあって、ジュエルは母達や姉達、そして使用人や大臣を励まし続けた。
そして、先ほど侍女から心労で倒れたと聞かされた15番目の姉の様子を見に行こうと、ジュエルは夜の城内の廊下を一人で足早に向かっていた。
本当は、城内とはいえ侍女や女官の一人くらいつけなけなければならなかったが、皆、疲労が頂点に達していたため、命令だといって無理やり下がらせた。
蝋燭に照らされているとはいえ、暗い廊下の先を見るとジュエルは少し怖気ずいていた。一人で歩いている所為か、それもと嵐の所為で風が窓を揺らすためか、いつも歩いている廊下が恐ろしく感じる。
幽霊と言うものを信じているわけではないが、それでも、言い知れぬ恐怖がこみ上げ、ジュエルは一層足を早く動かした。
あの角を曲がればもう少しで、目的の部屋に着く。と、角を曲がろうとして、ジュエルの目に奇妙に動く影が見えた。
「なっ、何ですの?」
とっさにジュエルが角に身を隠す。そおっと、角から除き見ると暗闇の中、複数の人影が妙にこそこそとある部屋に入っているのが見えた。
「たしか・・・・・・あそこの部屋は・・・・・・」
人影が入っていった部屋。ジュエルの記憶では昔、何代目前かの王妃の一人が自害した部屋でいろいろと曰く付きの部屋。現在は使われていないはずであった。
「あの部屋に何故?」
ここは王宮の中でも王族の私室がある私的な空間だ。
今、入っていった人影は明らかに男性だ。王家の男性は一人は床に伏せ、一人は城にいない。使用人達はあの部屋に入る事はない。明らかに怪しい。
ジュエルは全員が入っていくのを確認してから、そおっと角から身を滑り出しその部屋へと近づいた。
物音を立てないようにドアに耳を近づける。すると、室内から声を潜めるように男の声が聞こえた。
『王には今日も薬を飲ませたんだろうな?』
『そう、毎日確認せんでも飲ませておりますよ。国王もそろそろ息絶えるでしょう。デュレックももう戻ってはきませんし』
『そうか・・・・・・。ならば、そろそろ民に王子の死を公表するか・・・・・・』
「っ!?」
声が出そうになるのをとっさに自身の両手で抑えた。
(兄上が死んだ!それに、王に、父上に薬ってなんですの!?)
ジュエルの耳には兄が死んだという連絡は一切来ていない。それに、そのような事は家族である母達に真っ先に届くはずである。声を出さないように手で押さえ、動揺しながらもジュエルは耳を傾ける。
『しかし、もしデュレックがっ』
『何者だ』
話の途中での突然のことに、一瞬ジュエルは自分が見つかったと思った、が違ったようだった。
『私ですよ』
『お前か、どうした・・・・・・』
新たに部屋に何者かが来たようだ。
『実はデュレック王子が北の森の魔女とともにこちらに帰ってきているようですよ』
『何!?』
(兄上が生きている!しかも、城に向かってきている!)
ジュエルは安堵で息を吐いた。しかし、次の瞬間には再び緊張が走った。
『まったく、なんたる事だ!どうするつもりだ!』
『それはもちろん。すでに、手は打っております』
『ふん。当たり前だ!とにかく、殺せ!』
『落ち着いてください、皆さん』
その声は始めて聞く声だ。騒いでいる男達の中で妙に一番落ち着いている声であった。
そして、ジュエルもこの声には妙に聞き覚えがあった。
その男の声は一瞬で部屋の中を静かにさせ、そして、話し始めた。
『落ち着いてください。国民は王子の顔を良く見たことがないはず。王子がこの王都に着く前に死んだと伝えれば、国王や王妃様方、姫様方、それに国民は信じるでしょう。その後に殺してもまだ間に合いますよ』
男の声は至って落ち着いて話している。
まるで、小説の内容を話すような雰囲気だ。だが、ジュエルにとってはまるで悪魔の囁きのように聞こえた。無意識に鳥肌が立ち、震えがとまらない。
部屋の中では、そんな男の言葉に賛成する声が聞こえた。
震える体を叱咤して、ジュエルはもっと聞こうと耳をさらに近づけた。ジュエルが近づき気付かない程度にドアが軋んだ。
その時、ふっと部屋の中の声が止んだ。
息を潜めるような様子に、ジュエルは眉を顰める。と、突然部屋の中で、誰かが立って歩き出すような音が聞こえた。
足音が扉に近づき、前で止まる。
(見つかってしまいますわ!)
そう思って、慌てて隠れようと体を扉から離す。カチャリと扉の取っ手が動く。すると突然、ジュエルはいきなり体を強く後ろから引っ張られた。叫びそうになる口を大きな何かが覆いかぶさった。
次の瞬間、部屋の扉が開き、中から一人の男が出てきた。男は確かめるように廊下を見回す。
しばらく注意深く周りを見ていたが、やがて静かに部屋へと入った。音も無く扉が閉まる。
「・・・・・・ご無事ですか?ジュエル様」
そうジュエルの頭の上から囁くように男の声が聞こえる。その声を聞いて、ジュエルはホッと口から息を洩らした、それに気付いて、男はジュエルの口を押さえていた手をどける。
「大丈夫ですわ。ありがとうガース」
そう言って、ジュエルは後ろにいる大男、騎士のガースに微笑んだ。どうやら、間一髪のところで側にあった大きな彫刻の影にガースが引っ張ってくれたようだ。
彼はジュエル付きの護衛騎士だ。180はあろうかという筋肉質な大男で、茶色の瞳と国では珍しい同色の短髪をしている。顔はメイド達に黄色い声を上げてもらえる位の容姿はしている。
平民出身ながら、幼少の頃に当時の騎士団長に見込まれて騎士見習いとなり、僅か17歳で騎士として称号をもらい、20歳の頃にジュエル付きの近衛となった騎士の出世頭である。
今日、彼は非番だったはずなのでこんな処にいるはずがない。
ジュエルがガースを見上げるとガースは少し怒った様子だった。
「今日は非番ではなかったのですの?」
「はい。非番でした。が、ジュエル様付きの侍女が、部屋にいないと慌てて私を呼びに来たのですよ」
「まあ。今日はもう下がりなさいって言いましたのに」
そうジュエルが言うと、ガースはより一層怒ったように、眉間に皺をよせた顔をする。侍女た女官達はこの顔が男らしくて素敵だというが、幼い頃から見ているジュエルにとっては怒られる時の顔としか思えなかった。
ガースは一度息を吐き出すと言い聞かせるみたいに言った。
「いくら王城といえども一人で出歩かないでください」
「少し、お姉さまのところに行こうと思っただけでしたから・・・・・・」
「それでも、一人では絶対に出歩かないでください。あなたは王族なんですよ。淑女としても恥ずかしいでしょう」
「でも・・・・・・」
「でも、ではありません。現に今、危険な状況だったのでしょう」
その言葉に、ジェルははっと彫刻の影から扉を覗いた。ここからでは声は聞こえない。
「今、扉から出てきた人の顔を見まして?」
ジュエルは口を押さえられていたため中から出てきた男の顔が見えなかった。だが、ガースは申し訳なさそうに首を横に振った。
「すみません。顔は見えませんでした。しかし、家紋ははっきりと見えました。あれは、薔薇の紋章。しかし、どうして・・・・・・」
ガースの言葉にジュエルは目を見開く。
「薔薇ですって?間違ありませんの?見間違いではなくて?」
「はい。間違いありません」
ジュエルはあまりにも見覚えある紋章を思い浮かべた。そして、先ほど聞き覚えがあると思った声。
ジュエルの手に汗が浮かぶ。
薔薇の紋章は父の妹、叔母が嫁いだ先の家の紋章。
そして、兄上を一番側で支えていた者達の紋章でもある。ジュエルも幾度となく世話になり、信用していた人たちだ。
「まさか、バンドット叔父様が・・・・・・」
気はやさしく、兄のことを、そして、国の事を一番に考えていそうな温和な老人の顔が浮かぶ。ジュエルに祖父のように優しくしてくれた人だ。
「姫様どうなさいました?」
顔を青くしたジュエルにガースは心配そうに顔を覗く。手が震えそうになる。先ほど聞いた言葉が嘘で鳴ければ、あの優しかった叔父が、父と兄を支えていた人が、国を思っていた人が、二人を殺そうとしているのだ。
ジュエルは唾を飲み込み、必死に頭を巡らした。小刻みに震えだした手をガースが強く握る。
ジュエルはガースを見た。まっすぐに心配そうなガースが見つめている。
ジュエルはもう一度唾を飲み込んだ。
自分が、自分が止めなくては
ジュエルはもう一度、ギュッとガースの手を握る。震える口をギュッと噛み、小さな声だがそれでも力の篭った声で、ガースに言った。
「急いで、私を兄上の元に連れていってくださいませ!兄上が、兄上が殺されてしまいます!」




