第2章 北の森の魔女
『分かりまして?それでは、いってらっしゃいませ。ご無事のご帰還お待ちしておりますわ』
王城でその言葉を聞いていた時に戻りたいと、デュレックは今、切実に思っていた。
ウィルや護衛の騎士達に北の森の入り口で見送られて1時間。
デュレックの姿はすでにボロボロ、という表現が様になっている状態であった。
生まれて20年。
唯一の王位継承者ということもあり、今まで1人で城の外に出る事だってあまりないような生活をしてきた。20歳にもなって、しかも男ではあるが単独で外出するのですら心もとないのはたしかである。
それでも、避暑地に行った時はウィルと二人で馬に乗って野掛けに出かけたりもして、森の中を歩き回るのは慣れていると思っていた。それに、北の森は地元の者達も来るほど危険な森でもない。
北の森の魔女の元に向かうと決めてから、デュレックは残りの政務を速やかに進めていった。その間に、バンドット卿とウィルが大臣達を説得してまわり、一体どうやったのか大臣達の許可は直ぐに下りた。
そのため、話が出て僅か2週間あまりで出発する事ができたのだ。
といっても、実際はもっと早く出発も出来たのだが、断固として反対する人達がいた。
母である王妃達とまだ城にいる嫁入り前の妹達である。
事の説明をデュレックがした時は、なにかの冗談だと思って聞いており、第1妃や生母である第6妃は『王がこんな時に何事か』と呆れていた。が、デュレックが本気と知ると7人の王妃達は皆大反対であった。もちろん、妹達も行くなと泣きついてきた。
その中でも同じ母を持ち、一番懐いてくれている末の妹姫は『兄上は何を考えているのですか?』と、デュレックよりも10歳は年が下であるのに、まるで聞き分けのない子供に切々と言い含めるように説得してきた。
家族を心配させているのは承知で、デュレックは正直に自分の気持ちを話した。アンジェリーナの事でデュレックが思い悩んでいるのを一番よく知っているのは家族達である。だが、現在の状況を考えてくれとばかりに王妃達は断固として反対したのだ。
ついに3日間、王妃達を説得できず。諦めようかという雰囲気になりかけていた時、思わぬ加勢をしてくれたのが、それまで反対していた末の妹姫である。
『母上様方。兄上は本気です。城の政務も落ち着いているとの事。それに、兄上の結婚も大事な政務ではありませんか』
そう言って、渋る王妃達を説得してくれたお陰なのか、なるべく直ぐに戻る事を条件に王妃達からの了承を得たのだった。城を出る際、王妃達と妹達に挨拶した時には王妃達や妹達が体の心配や、無事の帰還をにする中。末の妹だけはこう言った。
『良いですか兄上。一人で城の外に出た事がないのですから、森で迷子になったら直ぐに引き返して帰っていらっしゃるのよ。分かりまして?それでは、いってらっしゃいませ。ご無事のご帰還お待ちしておりますわ』
と、少しずれた方向に心配をしてくれていた。この時のデュレックは大の男が迷子になんかなるかと末の妹の額を小突いていた。
が、末の妹はデュレック本人よりも彼のことを理解していた。
妹の言葉どおりに動いていればこんな事にはならなかったのかも知れない。
デュレックは森の中に入って数分もしない内に道に迷った。その時、来た道を元に戻ればまだ、森の入り口に戻れたかもしれないのに、一人で出歩いたことのないデュレックは手元にある地図を見て前へと進んでしまったのだった。
その後、乗っていた馬にはなぜか逃げられ、草の影から現れた大きな正体不明な獣(実際は影が大きく写っていた狐だったが)に追いかけられたりと、案の定散々な目にあっていた。
現在、手元にあるのは短剣と長剣が一本づつ、地図と方位磁石。といっても、森に入った瞬間に磁場のためか方位磁石は全く役にたたなくなった。
その他、あえて言えば着ている衣服というべきだろうか。食料や着替えの衣服、野営に必要なものは全て、逃げられた馬に乗せてあったために手元にはない。
馬に逃げられてから、妹の言葉を思い出したが時はすでに遅く。戻る道すら分からなくなった。結局、持っている地図を頼り(実際は予測しながら歩いていたのだが・・・・・・)に歩きなれていない獣道を進みに進んだ。そうして、森の中を進んでいった結果。今はいかにも落ちそうなつり橋の目の前に立っていた。
「ここは何処だ・・・・・・」
デュレックはつり橋を目の前にして、先ほどから手に持っている地図を必死に見つめていた。川につり橋が架かっているところを探しているのだが、どこをどう見ても地図には川すら載っていない。
「いったいどういうことだ?さっきから滝やら、川やら、沼やら谷やら通ってきたのに、一切載ってないないんて」
この地図はウィルが地元の者達に作らせたものである。
デュレックはこの森に来る数日前。
一晩の宿にと拠った宿場町で、やっとできあがったと、この地図を作った地元の者達から受け取ったのだ。地元の者達は国の唯一の王子に地図を作るとあって若干浮き足だっていたようだが、その時、見た限りでは、地図は立派なものであった。
しかし、実際は森に入った瞬間から地図の通りに進んできた(つもり)が、デュレックは迷っている。といっても、デュレックが迷子になっているのは自己責任であると考えてもいい。が、流石に地図に載って無いものがでてくると地図が怪しくなってくる。
だが、デュレックはもう一つ思い出した事があった。
ここに来る途中の宿での夜のこと。
寝ようと床についたデュレックに森に入るまで同行するといって付いてきたウィルが言った。
『殿下。地図はちゃんと持っていてください。先ほど地元の者達から聞いたのですが、森の中は魔女によって地形が変えられる事があるそうです。この地図は最新のものですがご注意ください。もし、迷ってしまったら大変ですから・・・・・・』
そのウィルの言葉を信じるならば、地図は正確なのものであるが、現在、魔女によって地形を変えられたと考えるのが一番だろう。どちらにしても、地図は現在、役立たずである。
デュレックはため息をつき、地図を上着のポケットにしまった。そして、先に広がる崖を覗き見た。
つり橋が架かっているここは深い谷になっており、はるか下には川が流れていた。その川も大分流れが速い。目の前のつり橋は、いったい何時架けられたのか、橋桁は脆そうで、ところどころ崩れ落ちている。今にも落ちそうだ。
だが、ここに橋が架かっているという事は人が通る証拠である。デュレックが橋の先に目を向ける。
谷の対岸はどうやら一本道のようだった。
戻っても着た道が分からないのであれば、先に進んでみるしかない。
デュレックは意を決して一歩、ゆっくりと橋の上に歩を進めていった。
踏み出した瞬間。ギシっと嫌な音が響いたが、落ちる気配はない。口が渇くのを唾を飲み込んでやり過ごし、二歩目を前に進める。一歩一歩前へと歩くたびに、嫌な音が鳴るが今は気にしないことにした。
何とか順調に橋の中間くらいまでは辿りついた。後もう少しと息を吐いた時だった。
突然、ブチっと今までとは違った嫌な音がデュレックの耳に届いた。
頬を冷や汗が流れる。
しばらく動きを止めるが何も起こらない。嫌な予感がしつつも、デュレックはまたゆっくりと一歩づつ歩き続けた。
だが、もう少しで渡りきろうとした時。またブチブチと後方、つまりデュレックが来た方から音が聞こえた。鳴った回数がはるかに多くなっている。
デュレックは動きを止め、ゆっくりと後ろを確かめようと振り向いた。
が、その瞬間だった。
突然、ガクンと足元が動いたかと思った瞬間、急に体が浮遊感を伴った。だが、それも一瞬の事であり、それを自覚した時にはすでに体が踵から下へと引っ張られていた。
橋の片側が落ちたと自覚したのはすぐだった。
デュレックはとっさに橋につかまった。
橋は唯一繋がっている縄側、つまり、デュレックが向かっている側の岸にぶら下がった状態になった。
対岸に橋がぶつかる時に衝撃で振り落とされそうになるも、デュレックは必死につかまった。
対岸の地上とは比較的に近い位置にぶら下がっている。
一人で城の外に出る事はないが、剣術などで体は鍛えている。2対も帯剣してはいるが、これくらいの重さなら十分に支えられた。だが、いつまでもこの状態でいる訳にもいかない。
デュレックは上を見据えて、上ろうとつかまっている手に力を込めた。
しかし、それがいけなかった。
デュレックを支えていた縄はさらに加えられた力によってあっけなく切れてしまった。
落ちると思った瞬間、デュレックは水に叩き付けられていた。水に落ちた衝撃で一気に肺から空気がなくなっていく。受身も取らずに水に落下したため体中が痛い。あまりの水の速さに足も腕も動かせない。
意識があったのはそれからほんの一瞬までの事であった。
デュレックが最初に感じたのはユリの香りだった。誰かが側で何かを話している。
「・・・・・・ぃ、薬じゃ・・・・・・、あの薬草を・・・・・・」
「先せ・・・・・・、これじゃ駄目で・・・、・・・ん生の力で治癒力を・・・・・・」
女性の声だろうかとデュレックはぼんやりと薄眼をあけた。
「おや、目・・・・・・たか・・・・・・、だが、まだ・・・・・・」
誰かが顔を覗き込んでいる。そう思うも、デュレックは目蓋がそれ以上重過ぎて上がらなかった。体が重い。どこかに沈んでいきそうなくらい重い。
それから、デュレックは再び意識を手放した。
再び、意識を取り戻させたのも、ユリの香りであった。
ゆっくりと目蓋を開けると、そこには見た事もない天蓋があった。
「ここは・・・・・・、どこだ・・・・・・」
頭がまだぼんやりとしている。が、徐々に意識ははっきりとしてきた。寝ぼけながらもゆっくりと起き上る。
起き上がるのに付いた手に滑らかな布の感触を感じた。
どうやらベッドに寝かされているのだと分かり、回りを見回す。
住み慣れた城の自室ではない。まして、避暑地の私室でもなく、見た事もない部屋であった。ふと窓のほうに目を向ける。部屋は1階にあるようで、窓は大きく開け放たれており、庭に出れるようであった。
庭では蝶が飛んでいる。薔薇やチューリップが遠くのほうに見える。窓のすぐそこに、風にゆれるユリが植えてあった。
「あの匂いか・・・・・・」
先ほどから鼻をかすめる香りが分かったところで、デュレックは再び状況を整理しようとした。
部屋はよく見てみれば、どれもこれも上等な家具が置いてある。寝ているベッドも相当広く。城にある王のベッド位はある。どうみても、貴族か王家の屋敷のように見えた。
しかし、どうゆう事なのかとデュレックは首をかしげた。
意識を失う前、たしか北の森で道に迷い、それから谷にかけられたつり橋を渡ろうとして橋から落ちた。あれから、川に流され意識を失っている内に森から出てしまったのだろうか。すると、ここは森の近くを所有しているどこかの貴族の屋敷なのだろうか。
「意外に目覚めるのが速かったな」
熟考していたデュレックの耳に、突然、側から女の声が聞こえた。
驚いて振り向いて、デュレックは目を見開いた。
そこには、部屋の扉のところに一人の女性が立っていた。
飾り気は無いがどう見ても上等な黒いドレスを身に纏った女性だった。しかし、目を惹いたのは彼女の顔だった。顔の半分、鼻から上はまるで仮面舞踏会で使われるような黒い仮面をかけていた。
デュレックは目を見開いたまま硬直していた。その見た目にも驚いたのだが、彼女の身に纏うこの独特なオーラから目を逸らせなかったのだ。
恐ろしいような、しかし、儚くて美しいような。顔はわからないが、その仮面の下はさぞ美しいのだろうと直感した。
「私の顔に何か?」
デュレックが何も言わずにじっと見ていたせいだろう、少し不快そうなその声は女性にしては少し低めであったが魅力的な深みのある声であった。
その声にも気を取られ反応できなかったデュレックに仮面の婦人はもう一度言った。
「私の顔に何かあるのか?」
それでやっと、デュレックも慌てて居住まいを正した。
「っあ、失礼致しました。少し、ぼうっとしておりました。あの・・・・・・あなたが私を助けて下さったのですか?」
相手が誰であるかも分からない。ただ、まだぼうっとしている頭でもデュレックは外用の王子様の風体を取って丁寧な言葉で話した。
「いや、私の・・・・・・弟子、が、川で見つけたそうだ。今、薬草を取りに行っている。時機に戻ってくるだろう」
そう言って、彼女は立っていた扉からデュレックのほうに近づいてきた。手にはお盆を持ち何かの飲み物だろうか、ポットとカップが載っている。
彼女が側まで来るとふわりといい香りが鼻をかすめた。どこかで嗅いだことのある匂いだと思い考えすぐに思い出す。一度目にうっすらと目を覚ました時に嗅いだ匂いだ。
ユリをベースにしているのだろうが、どこか深みのある匂いだ。
彼女はベッドの側まで来ると脇にあるサイドテーブルにお盆を置き、カップにポットの中身を注いでいた。
カップに注ぐその仕草。その動作にデュレックは目を引き付けられる。
その手の動きの細かなところまで美しかった。まるで優雅にバレエを踊っているかのようだった。上品で優雅。あきらかに、貴族の女性の教育を受けている。
姉、妹、王妃含め、周りに27人もの女性と常に生活していたためか、デュレックは貴族の女性が生活の細かな仕草、所作にまで教育を受ける事を知っている。もちろんデュレック自身も、というか王侯貴族の男性も所作の教育は受けるが女性ほどでもない。姉や妹達が苦労しているのを間近で見てきた。
だから、一目見れば分かるのだ。
彼女の所作は完璧だ。先ほど歩いてくる姿も、先ほど何気なく立っていた姿も、社交界に出ていたらさぞ注目を浴びている。
ふと気が付くと、彼女はデュレックにカップを差し出していた。
「気付け薬だ。飲むといい。まだ、ぼんやりしているのだろう」
デュレックはカップを受け取った。たしかに、まだ頭が重くぼんやりしている。カップの中を覗くとなにやら綺麗な青色をしていた。
見た瞬間、思わず眉を顰めた。生まれてから一度も青い飲み物など見た事無い。それに、なぜか飲もうとは思えない。デュレックが躊躇っていると横から彼女が言った。
「毒ではない。だから安心して飲むといい」
よほど疑い深そうに見ていたのか、声の調子が少しからかいが混じっている。デュレックはその薬を恐る恐る口に運ぶ。
一口飲んでみて驚いた。青い色をした見た目とは違い、口の中はみずみずしい果実の風味で一杯になった。ほのかにミントとレモンの香りもする。だんだんと頭もすっきりしてくる。
「ありがとう。とても気分が良くなった。それと、助けていただいて感謝します」
そう言うと、女性は少し口元を弓形に曲げた用に見えた。だが、一瞬の後に無表情な顔になった。愛想のない声ではあるが意外と感情は豊なのかも知れない。飲み終えたカップをサイドテーブルに置きながらデュレックは聞いた。
「ところでここは何処でしょうか?」
「私、の館だ」
彼女は不自然に言葉をきって話したがデュレックは気にせずに話を続けた。
「あなたの?では、ここは北の森ではないのですか?」
「・・・・・・間違いなく北の森だ。・・・・・・デュレック殿下」
彼女の最後の言葉にデュレックは目を見開いた。
(今、殿下って言ったか?)
バゼック王国の王家は、比較的国民達と接する方だが、それでも近くで会うわけではない。
王家の顔を知っているのは、貴族か、王城で働く使用人達だけである。というのも、王家が国民と接する事はあっても、間接的に接するのであって、直接会う事は無い。国に肖像画が出回っているわけでもないので一般国民が王族の顔をよく知る事はない。
デュレックの見た目も、特別変わった所は無い。
そのため、森に来るまでの旅で街を通ってきても、気にはされているがどこかの貴族の坊ちゃんとしか見られていなかった。
彼女の服装や、部屋の内装から見ても貴族のようである。どこかで会った事があるのかもしれない。が、こんな偏狭の北の森にいる貴族の娘とは考えにくい。もしかしたら、世間体を気にして密かに暮らしているのかもしれないが、しかし、北の森に人が住んでいるとは聞いた事がなかった。
「どこかで、お会いした事がありましたか?」
「・・・・・・・」
彼女は少し動揺したように見えたが、すぐに感情が見えなくなった。
「私がなぜ、あなたの名前を知っているのか不思議なのか?」
「はい。どうして、私が王子だと・・・・・・。もしかして、王城で?」
「以前、王家の方に会った事がある・・・・・・。その方に顔が似ていたのでな」
確かに、バゼック王家は代々似たり寄ったりな顔をしている。やはり、貴族なのだろうかとデュレックは話を続けた。
「しかし、貴族のご令嬢が、どうして、こんな森の中に?」
「・・・・・・私は貴族ではない」
「では、あなたは・・・・・・」
「あなたが、探し求めている魔女と言ったら?」
「!?」
デュレックは驚きと共に自分の馬鹿さに失望した。
よく考えて見ればわかる事だった。普通に考えれば、か弱い貴族のご令嬢が北の森に住んでいるわけが無いのだ。そして、もし、女性が住んでいるとしたら、それは、捜し求めている魔女だけである。
「じゃ、あんたが、北の森の魔女?」
思わず動揺して、デュレックはすっかり丁寧な言葉遣いを忘れて、素の言葉で聞き返した。
対照的に魔女と名のった女性は至極冷静に答えた。
「間違えなく私が魔女だ。デュレック王子」
その言葉を聴いて、デュレックは再び驚きに目を見開いた。
目的の人物が目の前にいることの驚きと、本当に魔女がいたのだという驚きが彼の思考を停止させた。
ここまで来るのに本当に大変だった。道に迷い、馬に逃げられ、服はボロボロ、大きな獣(注:狐)には追いかけられ、挙句の果てには谷から落ちて川に流されたのだ。だが、ようやく会えた。
と、ふと彼はその原因を思い出す。
一気にいままでの夢見心地だった気持ちは、怒りに気持ちにかき消されてしまった。
自然と握った拳がぶるぶると震えた。
「じゃ~、あの、地図に無かった川や、谷や、滝や、沼はあんたの仕業か!大変だったんだぞ!」
「・・・・・・何を言っている?」
本当に何を言われているのかわからないのか、冷静に魔女の声が聞いてきた。
それに構わず、デュレックは彼女に畳み掛けた。
「とぼけるな!森の地形を変えただろう!」
デュレックは完全に地の性格丸出しでまくし立てる。
しかし、怒りをぶつけられている彼女、魔女は仮面に隠れてはいるが本当に不思議そうな顔をしているようだった。
「・・・・・・なんの事かは分からないが、私は森の住人達に迷惑をかけるような事をした覚えがない。確かに、地形を変える事はできるが、北の森の地形を変えた事は一度も無い」
「じゃー!あの滝や川や谷は何だ?」
「あれは、元々この森に在るものだ。少なくとも私がこの森に来る前から」
至極冷静に返された反応に、デュレックも徐々に思考が冷静になってきた。
「・・・・・・本当に?」
「ああ」
彼女は嘘を言っているようではなかった。
デュレックは拍子抜けして、少し居心地が悪くなった。
しかし、魔女の言っていることが本当なら、地図が初めから間違っていた事になる。魔女に確認してもらおうと上着のポケットを探るが、その時、初めて自分の姿に気がついた。着ている服は元々来ている服ではなく、寝間着を着せられていた。
慌てて周りを見てみるとベットの脇に綺麗に畳まれている服と剣が置いてあった。急いで上着を探るが、何も入っていない。
「なあ、地図が無かったか?俺が持っていた」
「地図?見つけたときには持っていなかった。川に流されたのではないのか?」
確かに、あの急激な流れだ、地図が無くなっていても不思議ではない。もう、二度と確かめる事は出来ない。だが、魔女の言葉を信じて地形が変えられてないとすると、地図が初めから間違っている事になる。なぜ、間違った地図を渡されたのか。
デュレックは眉を顰めた。その様子を魔女はじっと見ていたが、しばらくして扉の方へ踵を返した。デュレックはハッと思考を止めて、呼び止めた。
「あ、おい」
「少し熱があるようだが、安静にしていれば大丈夫だろう。ゆるりと休め」
そう言って、魔女は少し振り返り、再び扉へと歩き出した。
デュレックは再びあわてて呼び止めた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ俺はここに・・・・・・」
「王位継承の花嫁を探しに来たのだろう?安心しろ、これも何かの縁だ。探してやる」
「ああ、それもそうなんだが・・・・・・。それよりも先に頼みたいことがある」
「・・・・・・なんだ?」
魔女が扉の前で立ち止まり、デュレックを振り返った。仮面越しにじっと見ているように感じた。今までとは違いデュレックは気を取り直し真面目に言った。
「ある、女性を探してほしい」
「・・・・・・名前は?」
「ジャンドーク公爵家の娘、アンジェリーナだ」
気のせいだろうか、魔女が一瞬、動揺を見せ息を呑んだように見えた。
「分かった」
気のせいだったのか、魔女は先ほどと、なんらかわらない態度で部屋を出て行こうとする。
そんな、魔女をデュレックは再び呼び止める。
「なあ、名前くらい教えてくれ。北の森の魔女」
魔女は一瞬、迷っているようだったがヴァジャックがじっと見ていると小さくため息をついて答えた。
「・・・・・・ヴィヴィだ。ゆるりと休まれよ。デュレック王子」
そう最後に言って、今度こそ本当にヴィヴィと名乗った魔女は部屋を出て行った。