第1章 王位継承の花嫁
「・・・・懐かしいな」
デュレックは重たい目蓋を開けながら、ぼんやりとつぶやいた。
懐かしい夢だった。
あれから10年。
デュレックは20歳になり、見目美しい青年に成長していた。
人間、そして多くの種族が暮らす世界。
この世界は大きく三つに分かれている。
人間と動植物たちが住まうアルバニス大陸。
異形の者達が住まい、闇の魔力によって魔王が支配するバルデージス大陸。
そして、海に隔たれ遠く離れたこの二つの大陸を1000年に一度、陸でつなぐ奇跡の島ガリックシルバー島。
かつて、このアルバニス大陸にも魔法や魔術、そして、人間以外にも知恵を持つ妖精や精霊が住んでいた。しかし、それらは現在この大陸にはいない・・・・・・。
それらは、バルデージス大陸や奇跡の島と同じで、今や伝説の中でしか存在しなかった。
もちろん、ここバゼック王国でも例外ではない。
デュレックはこの国唯一の王子である。
幼い頃は母譲りの金髪と、父譲りの碧眼が美しい少女のように見せた容姿が、今は背も伸び、体には筋肉がついて逞しく成長した。
誰から見ても、皆が想像するような”理想の王子”になった。
「嫌な夢だった・・・・・・」
額に手をやると汗が顔を濡らしていた。
不快に目を歪めながら濡れた手から視線を外し、窓に目をやる。一瞬、まぶしい光に目をすぼめるがすぐに目が慣れてきた。
バゼック王国の夏の朝は今日も快晴で、雲ひとつない綺麗な青空だ。
大陸の中でも、古い歴史を持つバゼック王国。山と森に囲まれた広大な国はかつての戦乱の世でも天然の要塞のお陰で国内は大きく乱れる事もなく、長い歴史を持ちながら、建国当初から王家は変わらず、平和な国である。
大陸の中央部に位置し、三分の一を占める広大な領土を有していた。
王家の祖先はこの王都あたりの地域を支配していた豪族であった。いくつもの戦争に勝利し、あたりの豪族を支配していった結果、大国へと成長した歴史を持つ。
「殿下。おはようございます。今日もよい天気ですね。」
「おはようございます。デュレック殿下」
デュレックがぼうっと外を眺めている間に、侍女達が支度を整えるために部屋へと入ってきた。
ベッドから体を起こすと同時に、侍女達はテキパキとベッドの上にテーブルが用意される。そこに目覚めの紅茶が差し出され、飲んでいる間に、瞬く間に朝食の用意がされていった。ふっくらと焼かれたパンに、新鮮な卵。みずみずしい野菜やフルーツ。
いたって何時もとかわらない日常。
そんな、朝食をとっていたデュレックの部屋に来訪者を告げる声が聞こえた。
「おはようございます。殿下。ご朝食中、失礼致します」
「おはようございます。デュレック殿下」
そう言って入室してきた小柄な老人が先に礼をし、あとから青年が礼をする。
「・・・・・・おはよう、叔父上、ウィル」
デュレックはその来訪者の顔を見て、僅かにマユを顰めた。
それに、気付いているはずだが小柄な老人、大臣のバンドット卿は好々爺とした顔で笑った。
彼はデュレックの叔父にあたる人物であり、教育係でもある。
小さい頃からいつも側に居た人物で、今は彼の息子(一緒に入ってきた青年である)ウィルとともに優しくも、厳しく教育され今でも頭が上がらない人物である。
息子のウィルは従兄であり、幼い頃から一緒にいた、男兄弟がいないデュレックにとって兄のような存在だ。
実に真面目な男で、完璧主義。清廉潔白を絵に描いたような男だった。
が、近頃は毎日、朝から厄介ごとを持ってくる注意人物親子でもあった。
「叔父上。まだ、朝食の途中なんですが・・・・・・」
デュレックが面倒くさそうにわずかに顔を背けた。そんな様子に、バンドット郷はわがままを言う我が子を見るような優しげな目で少し眉をひそめただけだった。
「それは、失礼致しました。しかし、甘えは許されませんぞ。今、この国は貴方様にかかっておいでなのです。陛下が床に伏しておられるのに・・・・・・」
「そんな事は分かってる」
思いがけず、デュレックは大声を出してしまった。それに驚き、側で給仕をしていた侍女はビクリと震える。だが、デュレックはそんな事を今、気にしていられるほど余裕がなかった。
現在。この国の王。つまり、デュレックの父アーゲリオンは病により長い間、床に付していた。
体の調子を崩したのは一年ほど前。まだ、最初の頃はかるい風邪のような症状で、王は薬を飲む程度で普通に政務を行っていた。だが、日に日に症状は悪化。体は見る見るうちに衰弱し、ついにはベッドから出られなくなった。
そんな状態になっても、王はベッドの中で政務をとり続けていたが、ついに2ヶ月前にそれもまま成らないほどに体調は激変したのだ。
デュレックはつい先日、父の寝所を訪れた時の事を思い出し手元に目を落とした。
かつては軍人のように逞しい体で、豪快に笑っていた父の姿はそこには無かった。逞しかった腕は、側にいる母達の腕よりやせ細り、骨や血管が浮き出ていた。そんな状態でも、父は心配かけまいと快活に笑おうとしていたが、その笑顔が、勇ましかった王の衰弱を克明に伝えた。
だが、国王が床に伏しているからといって政務を止めるわけにはいかない。
政務は全てデュレックが代行することとなった。
元々、幼少の頃より教育を受けており、16歳で成人の儀を向かえてからは実際に政務を手伝うようになっていた。
とはいえ、まだまだ未熟な身。いきなり完璧に国王の代行ができるわけでもなく、デュレックは日々、周りの者達の助力を受けているも、己の力の全力以上を求められる中で政務に励んでいた。
だから、デュレックは政務以外に気持ちを割いてやる余裕もない。だが、大臣たちはそういう訳には行かせてくれなかったのだった。
大声をあげたデュレックにバンドット郷は少し哀れみの目を向け、頭を下げた。
「申し訳ありません殿下。私の失言でございました。しかし、この状況だからこそ、こうして私は参ったのです」
その言葉にデュレックは内心ため息を付いた。彼はこれからここ最近、デュレックが一番聞きたくない言葉を言うからだ。
そんな、彼の心を知ってか知らずか、バンドット郷は至極真剣にデュレックに告げた。
「第一妃になるご婦人を決めていただきます」
「・・・・・・」
デュレックは思いため息をついた。分かっていたにも関わらず、思わず心のうちで溜めていたものが出てしまった。
バンドット卿とウィルの後ろには、いつの間にか、重そうに何枚もの木の枠組みをもった侍従達が立っていた。見なくても分かる。おそらく、国中の貴族の娘や近隣諸国の姫たちの肖像画だ。
王が病に倒れ床に入り始めた頃、大臣たちは最悪の事態を想定し始めた。
すなわち、王の死。
王が病にかかってから城内や、噂で聞きつけている国民は表には出さないまでも、不安を隠し切れないでいた。いくら、デュレックが必死に政務を行おうと、やはり国王の穴は埋められないのだ。
そんな状態で、王が死ねば、少なからずも国内は混乱するだろう。ならば、その前に正式にデュレックに王位を継いでもらい、国が磐石である事を示さなければならない。大臣たちはそう考えたのだ。
デュレックはこの国のたった一人の跡継ぎだ。
彼には腹違いの姉妹を含めて上と下に10人。デュレックは第22子であり、第1王子。男の兄弟は一人もいない。そして、この国での姫への王位継承は認められていなかった。
一人でも多く跡継ぎである男児を生むため、王家は一夫多妻制である。現国王には7人のお妃がいた。ちなみに、デュレックの母は第6妃だ。
不思議なことに皆、仲がよく、唯一の男の子を産んだ第6妃は虐めに会うこともなく、むしろ皆に尊敬され、デュレックは全ての妃たちに次期王位継承者として、我が子のように可愛がられて育てられた。
そして、その王位継承のためには結婚している事が国の法の一つ『王典』で条件となっている。
だが、デュレックは現在独身だ。
本来はすでに結婚していても可笑しくないのだが、彼はまだ結婚していなかった。
一夫多妻制ではあるがバゼック王国において王妃達の差はない。しかし、第1妃は他の妃と少し役割が異なった。
そのため通常、第1妃候補の娘は幼少の頃より、婚約者として王城の敷地内で育てられる慣習があった。
第1妃となる者は、外国に対しては正式な王妃としての役割を持っていつ。つまり、外交官として、また王妃の代表として扱われる。他の王妃と違って政務も行うため特別な教育が必要なのである。
が、デュレックに現在、その婚約者に値する女性はいなかった。
そのため、デュレックの王位継承話が出てから彼の元に、自分の娘を売り込むために大臣や貴族達がやってきた。
政務で必死になっているデュレックに、大臣たちは煩わしいほどに娘を売り込んでくる。さすがに、鬱屈とした怒りが爆発しそうになった。それを見てか、彼らの対応をバンドット卿が一挙に引き受けてくれたのだ。初めのうちは、彼も適当に話を流してくれていた。
だが、王が完全に床に伏してからは、バンドット卿も流石に彼らの話を流す事もできなくなり、今では彼がこうして毎日、代表して話を持ってくるようになったのだ。
大陸中の娘の似顔絵を書かせているのではないのかと思えるほど、バンドット卿は見合い用の似顔絵の山を持ってきていた。
「俺はまだ結婚する気はない」
「そんなことを申されましても・・・・・・、殿下も分かっておられるはずです」
バンドット卿は皺だらけの顔をさらに皺を深くして言った。彼も言いにくい事であるのは表情で分かる。デュレックの結婚を急ぐと言う事は、つまり国王の症状が良くないこと。そんな彼の気持ちもわかるが、隠し切れないデュレックは苛立ちがでて、語調を強く言った。
「前にも言ったでしょう。俺はまだ結婚しない」
「しかし、・・・・・・国のためを思えばこそ、第1妃となる姫を選んでいただかなければっ」
「父上は、必ずご回復なさるに決まってはいないだろ。それに・・・・・・」
そう、言ってデュレックは黙り込んだ。
今でも忘れられない。目蓋を閉じれば彼女の後ろ姿が浮かぶ。
もう、10年も前なのに今でも夢に見るのだから。
黙り込んだデュレックを見てか、バンドット卿は自身も苦しそうに眉を寄せて顔をふせた。しばらく、気まずい雰囲気が場を包んだ。
「あの女性はもうこの国にはいらっしゃらなかったでしょう」
沈黙を破ったのは、それまで黙って事の成り行きを見ていたウィルだった。
ウィルの言葉にデュレックは、目を開けて彼を見た。ウィルは感情の見えない顔で淡々と言った。
「もう、忘れたらどうですか?ジャンドーク公爵令嬢アンジェリーナ嬢が王城から姿を消して10年になります」
「・・・・・・そうだが」
「あれから、殿下も嫌というほど探したでしょう?大陸中の修道院や人身売買、娼館までも捜したのですよ。それでも見つからなかった。10年も探して見つからない方よりも、今は国を第1に考えてください」
デュレックはウィルから視線を外して再び俯いた。
国の安定のため、結婚をしなければならないのは頭では理解している。だが、頭で理解していても、どうしても踏ん切りがつかなかった。
デュレックの婚約者であった、アンジェリーナ。
王家とは遠縁にあたるジャンドーク公爵家の令嬢であり、彼女は未来の第1妃となるために幼い頃からこの王城の敷地内で暮らしていた。
そんな、彼女が10年前、忽然と姿を消した。
何の前触れも無く、朝、侍女が普通どおりに起こしに行くと部屋はもぬけの殻だったという。その日、城は騒然となった。
初めは、彼女が広い王城のどこかにいるのではないかと騎士達や侍女、侍従、女官が総動員して探したが、一日探してもどこにもいなかった。まさか、警備が厳重な城から出て行ったのかと、王都中を探すも見つからず、王都近くの修道院や、人攫い、人身売買、盗賊なども次々と摘発し、最後には娼館も探したがとうとう見つからなかった。
そして、後日、彼女の部屋から女官が彼女の手紙を見つけたのだ。それは、彼女が自ら出て行ったことの証拠となった。
数年後、彼女はやはり見つからず、国王は法的に彼女の死亡を決定した。だが、デュレックは信じなかった。
アンジェリーナが残したその手紙が呪縛となって今でもデュレックを縛り付けていた。
「俺は彼女にけじめをつけなければ・・・・・・」
「もし、アンジェリーナ嬢を見つけ出されても、きっと殿下の元には戻られません。家出なさった時のお手紙には、殿下とは結婚できないと書かれていたでしょう」
「ウィル!」
バンドット卿は息子の思慮の欠ける発言に声を発した。だが、ウィルはその父には一切目線を向けず、真摯にデュレックの方を見ていた。
ウィルになおも言い募ろうとするバンドット卿をデュレックは手を向けて静した。
「叔父上。ウィルの言っている事は正しいです」
「しかし・・・・・・」
バンドット卿もデュレックの心を慮っているのは分かる。
ウィルも僅かながらに労わるような顔つきになった。
それもそうだろう。10年前の俺の落胆ぶりをこの二人は側で見てきたのだ。それに、ウィルは彼女がいなくなった原因を知っている。
アンジェリーナが姿を消す3日前の出来事。
あの頃のデュレックは分け合ってアンジェリーナを避けていた。そして、彼女の取り巻きたちに彼女の悪口を言ってしまったのだ。
アンジェリーナは羨ましがられ、尊敬される反面、その立場上、年若い者達には嫉妬の対象でもあった。取り巻き立ちは喜んでその話を聞いていた。デュレックは内心、その態度を不愉快に思いながらも一度飛び出した言葉は引っ込められなかった。
そして、彼女がいなくなって数日後。
デュレックはウィルから衝撃の事を聞かされた。
あの時、あの場所近くの柱の影から彼女らしき少女が走っていく姿を見たという。
彼女に聞かれていたのだ。
それを決定付けるかのように後日手紙も見つかる。
彼女が、王城から姿を消したのは紛れもなく、デュレックの小さな虚勢と利己心のせいだった。
今朝も夢にでた。10年間、見続けるあの日の悪夢。
何度あの時に戻り、あの言葉を消し去りたいか。
再び、あの時のことを思い出しデュレックは顔を手で覆った。
ウィルは先ほどと違って少し労わるように静かに言った。
「・・・・・・、つらい事を思い出させてしまい申し訳ありません。心の余裕がないのも分かります。ですが、どうか、国のために、民の将来のためにも、花嫁を決めてください」
バンドット卿や他の大臣達、国を思えばいつまでも結婚をしない、つまり王位を継承しないのはありえない事だ。しかし、彼女をあきらめ切れない想いがデュレックの答えを否と言わせていた。
結局、その日の朝食はそれ以上進まなかった。
それからしばらく、バンドット親子は結婚の話を持ってこなかった。
再びその話が持ち上がったのは数日経った、昼過ぎの事であった。
それは、午後の政務に取り掛かろうとする直前のこと。
「殿下、私からいい提案がございます」
「提案?」
政務机に向かっていたデュレックと資料を片手に側にいたバンドット卿は、突然のウィルの発言にそろって首をかしげた。
ウィルはそれを意に介さずに淡々と話を続けた。
「はい。第1妃候補を探す手立てです」
「また、その話か・・・・・・」
再び、持ち上がった話にデュレックが顔をしかめる。また、あの時の繰り返しだと思っていると、ウィルは今までとは違う話を持ち上げてきた。
「これまで、姫君の肖像画を見せても殿下のお心をつかめる事はできませんでした。ならば、古き国の風習に則って花嫁を決めては如何かと思いまして」
「古き国の風習?」
そんな物があっただろうかとデュレックが眉を上げると、横にいたバンドット卿が驚愕したように声を上げた。
「まさか、魔女の占いか?」
バンドット卿の言葉にデュレックは目を見開いてウィルを見返す。
はるか昔、まだこのアルバニス大陸には、人間以外にも精霊や妖精など多くの種族が暮らしていたと言う。そして、人間の中には魔力を持った多くの魔女達が存在していた。
彼らは、その力を使い人々の生活を助け、時には侵し、尊敬と同時に、畏怖の存在でもあった。
かつて、彼女らが大陸から姿を消す以前。
バゼック王国の王族は王位継承のための花嫁、つまり第1妃を魔女の占いによって探していたという伝説が残っている。しかし、現在はこんなことは行われていない。それ以前に、伝説の存在である魔女の占いなど、もはや物語の世界の話。国の子供たちも知っているような国の伝説物語である。
デュレックも幼い頃、姉達に聞かされたくらいだ。
現に国王も、その前の国王も、その前の前の国王も第1妃は国が定めた婚約者であった。
そんな、伝説みたいな、物語みたいな話をまさか、真面目なウィルが言い出すとは。
デュレックは驚くと同時に心配になって言った。
「どうしたんだ、ウィル。お前らしくも無い。そんな古い風習、というか、伝説みたいな話で妃を決めるなんて、馬鹿げているだろ」
「ええ、ですが、私独自の調べでは本当のことだったようです」
ウィルは至極真面目にそう言った。
連日の激務のせいで頭が可笑しくなってしまったのかとデュレックはウィルを心配そうに見た。バンドット卿も息子の異変に口をあけたまま呆然としている。
デュレック達がよほど、心配そうに見ていたのか、ウィルが苦笑した。
「私は頭がおかしくなどなっていませんよ。ご心配なさらず。殿下よりも休息を取っていますし、食事もちゃんと取っております。文献の調査の上で申し上げているのです」
そう言って、彼は一冊の古い書物を持ち出してきた。
「それは?」
「フェリス王の時代の大臣の手記です」
フェリス王とは今から500年ほど前の国王だ。バゼック王国の歴史の中でも穏健な王として知られている。
ウィルはその書物のページを開き、デュレックに示してきた。中は多少、古めかしい字で書かれているが読めなくもない。
「こちらをご覧ください。この当時、すでに魔女達は伝説の存在だったはずですが、ここに『四人の魔女が奇跡の島より帰還した』と書いてあります」
そういわれ、デュレックは指し示された箇所を読む。確かに書いてある。横にいるバンドット卿も呆然と見ていた。
アルバニス大陸にいた魔女達は、その力によって、人々からは徐々に差別の対象となり、次第に大陸での居場所をなくしていった。
そんな、時代の中。今から700年ほど前、伝説と言われている1000年に一度現れる奇跡の島、ガリックシルバー島へ続く陸が海に現れたと言う。
魔女達はその奇跡の島に居場所を求め、こぞってその大陸に移住し、大陸から魔女が姿を消したといわれている。
この手記には、その島から4人の魔女が帰ってきたことが書かれていた。
「続きをご覧ください。どうやら、王は彼らの帰還を受け入れ、其々に館を与えたそうです。南の山脈、西の湖、東の渓谷、そして北の森。その中でも、王は北の森に館を与えた魔女をいたく気に入り、200年前に行われていた風習にのっとり彼女に第1王子の花嫁を探させたとあります」
ウィルの言うとおりに確かに書いてある。だが、直ぐには信じがたい内容であった。
「本物の手記なのかこれは?」
「はい。城の書物庫に保管されていたものなので間違いはないかと。念のため、家紋や当時の大臣の筆跡を比べ調べましたが確かに当時の大臣のものでした」
「その大臣が創作で書いた可能性は?」
「このページ以外は、至極まっとうに城の記録と同じ事がかかれていましたから間違いないかと」
「では、何故、そのことは城の記録に残っていない」
それまで、呆気にとられていたバンドット卿がやっと復活したらしい。が、まだ僅かに声は動揺していた。
そんな、父の様子も気にせず、ウィルは答えた。
「その理由もこの手記に。どうやら、魔女達が自分達の存在は秘するように頼んだそうです。そのため、城の記録に残さなかったと」
そう言って、ウィルは記されたページを指し示す。確かに書いてある。
信じがたい情報ではあるが、どうやら本当らしい。あの真面目なウィルが言っているのだ。
伝説の魔女が実在し、昔、風習が実際にあったことは納得せざるを得ないみたいだ。
だが、ここで、デュレックは根本的な重要な事を口にした。
「だが、ウィル。これは500年前の話だ。今、現在は魔女も魔法使いもいないだろう」
500年前の人間が生きているとは思えない。デュレックがそう言うと、ウィルは自身ありげに口の端を上げた。
「私もそう思い北の森とその周辺を調べました。すると、近隣の住民から話を聞きだしたのです。『北の森に魔女が住んでいる』と。私も、初めは住民達の迷信かと思ったのですが、実際に彼女に会ったという者が多くいました」
「本当に、本人なのか?」
「本人はそうとは言わなかったらしいのですが、住民達の話を聞くと彼女は年若く、仮面で顔を隠し、美しいドレスを身に纏っているそうです。時々、村に食べ物を買いに来るとか。彼女は食べ物を貰う代わりに、日照り続いていた時に雨の日を当てたり、不治の病と言われた患者を治したり、また長年見つからなかった失せものを探し当てたりと。まさに奇跡。まるで、魔女そのものだとか」
「・・・・・・だが、500年前の魔女が生きているわけないだろう」
「まあ、それは魔女です。伝説でも魔女は不老長寿のようですし、その魔力を使って、長く生きながらえていても可笑しくは無いでしょう」
「つまり、お前は・・・・・・」
「本人かどうかはともかく、魔女は現在存在するということです。ですから、彼女に花嫁を探してもらいましょう」
まるで、今日の服はこれにしましょうと言うように、あっさりとウィルは言った。
まったく馬鹿げているとデュレックは呆れたようにウィルを見た。だが、目に映るウィルは至極真面目そうに言っている。
あまりの事に、バンドット卿も驚きを通り越して落胆しているようだった。
たしかに、ウィルの言っていることは理論的で、彼が調べたからには真実なのだろう。だが、しかし、直ぐには信じられない事だ。
デュレックは小さくため息を付きつつ、真面目に言った。
「ウィル。お前の言うことは信じるよ。だが、馬鹿げてる。今のこの状況で、魔女の占いで悠長に第1妃を探し出そうなんて、頭が可笑しくなったと思われる」
「そうだ。ウィル、花嫁探しに魔女の占いで決めるなど・・・・・・」
バンドット卿も息子の異常な発言に声を載せるが、ウィルは引かなかった。
「しかし、殿下、父上。殿下はアンジェリーナ嬢でなければ納得せず、しかし、国のためには結婚しなければならない。ならば、その者が本物の魔女どうかは関係なく、彼女を探し当てればよいではありませんか」
「かの、じょ?」
ウィルの言葉にデュレックは一瞬言葉を詰まらせた。
「はい。その魔女は失せもの、つまり行方不明者を何人も捜し当てたそうです。もしかしたらアンジェリーナ嬢の居場所もわかるかもしれませんよ」
「彼女の、居場所・・・・・・」
デュレックはウィルの話に心が揺れた。
もし、本当に魔女が居るのであれば彼女の居場所がわかるかもしれない。
10年間、捜しても見つからない彼女が見つかるかもしれない。
「ただ、魔女は森から殆ど出る事も無く、彼女に会うためには依頼する者が代表一人が行かなければ会ってくれないそうです。ですから、殿下一人で森に入っていただく事になります」
バンドット卿は背の高い息子に向かって眉を顰めていった。
「ウィル。殿下の身になにかあったらどうする。それに、今、城を空けるわけにはっ」
「城のことは、我々で何とかすればよいでしょう。長くても1ヶ月ほど。他の大臣達の説得も私がやります。それに、殿下は剣の腕もまあまあいけますし。北の森は近くの住民があるけるほどで、危険な森ではありません。周辺住民達に地図を作らせておりますのでご心配はありません」
ウィルの用意周到な答えに、バンドット卿は言葉を詰まらせた。デュレックは顔を上げた。
「ウィル。叔父上の言うとおり、今俺がこの場を離れる事はできない。父上が動けない今、俺がやるしかないのに」
「それでしたら。幸い、今は急ぐ案件もございません。それよりも、殿下には一刻も早く第1妃を探していただかなくてはならないかと存じます」
ウィルはジッとデュレックの目を見つめて言った。
たしかに、忙しいといえ、政務は落ち着いてきてはいる。ウィルの言うとおり、あとは国民や大臣達の不安要素を除くため、デュレックが結婚することだ。
だが、それをデュレックは拒んでいる。
バンドット卿もまだ迷いがあるようではあったが、ウィルの言うことも分かるのだろう。なにも言ってこないところを見ると、最終判断はデュレックに委ねるようにじっと見つめていた。
「いかがなさいます。殿下」
ウィルは静かに、デュレックに問うた。
デュレックは壁にかけてある大陸地図を見た。大陸の中央に広がるバゼック王国。
バゼック王国の北部に国境を沿うように大きく広がる森。
あそこに彼女を見つけられる魔女がいるかもしれない。
「殿下。私も魔女や魔法使いは今更馬鹿げていると思いますが、殿下のお気持ちと国の事を思えば最善の策かと」
ウィルが最後の一押しとばかりに言った。
「北の森の魔女か・・・・・・」
デュレックの頭にはアンジェリーナの最後に見た笑顔が浮かんだ。
また、彼女に会えるのならば、どんな事でもしようと考えていた。今でも、その気持ちは残っている。
父のこと、国のこと、政務のこと、結婚の事。そして、アンジェリーナの事。
城を空けることに心配はあるものの、自分の結婚が急務な事も確か。だが、彼女を忘れられないのも確かである。
デュレックはもう一度、ウィルの顔を見た。
そして、横にいるバンドット卿の顔も見る。二人とも自分の事を考えてくれている。
何時までも、問題を先延ばしにすれば、いずれは国の問題になる。
それが、王家の王子として生まれたデュレックの立場だ。
いままで、悠長に悩み、先延ばしに出来たのもこの二人が守ってくれていたおかげである。だが、そろそろけじめをつけるべき時が来たのかもしれない。
北の森の魔女に会いに行こう