天板のアイドル
夢みたいなピンクの髪。レースがたなびくパステルブルーのドレス。
蛍光灯がスポットライトに変わり、まっすぐ下を白で照らす。
イントロの盛り上がりに合わせ、ステージがせり上がっていく。
ストリングス入りのバンドを背に、わたしのアイドルは踊りだした。
「はなちゃん!」
最前列でわたしが声を放つのと同時に、彼女はくるっとターンを決めた。
きらめきをまとった歌声がマイク越しに広がる。
ペンにセロハンをかぶせた手作りのサイリウムを、ぶんぶんと振った。観客席はファンで埋め尽くされている。歓声でうなじが震えた。
サビがはじまった瞬間、銀色の紙吹雪が舞った。
わたしは、はなちゃんに合わせて歌い出す。
目線が高い。いつしかわたしは、はなちゃんの視点になっていた。ここからなら一人一人の顔が見渡せる。見つめる顔、はしゃぐ顔、うっとりした顔。
光をドレスに反射させながら、はなちゃんでもあるわたしは懸命に踊る。サイリウムの流れ星が視界いっぱいに描かれる。
ステージがぐるっと回って、わたしは観客席のすぐ前に躍り出た。伸びてくるファンの手が届きそうなくらいに。
最後のサビに感情を込めた。ストリングスの余韻が拍手に溶ける。
わたしはスカートの裾を持ち上げて、深々とお辞儀をした。
顔を上げる。
こたつの天板に、プラスチックの人形が立っていた。天板は斜めにずれ、ぎりぎりのバランスで木枠に載っている。まだ慣れない畳の匂いが鼻に届く。
後ろで足音がした。
「まったく」
おそるおそる振り返ると、ママの呆れ顔があった。
「もうちょっと静かに遊べないの? あー、またペンとか折り紙とか持ち出して。あったとこに片付けといてよ」
人形を拾い、パパの出張みやげだったクッキー缶の中央にそっと置いた。唐草模様が描かれた宝石箱みたいな缶だ。
「いくつになっても、ごっこ遊びが好きねえ」
「……ごっこじゃないよ!」
「はいはい、アイドルになれるんだもんね」
ママは笑いながら、大きくなったお腹をやさしく撫でた。
あの頃わたしは、魔法が使えた。
引っ越し先の古い一軒家の、奥の和室。そのこたつの上で、「はなちゃん」と一緒に理想のステージをつくることができたのだ。
ほんとの、ほんとに。
転校したばかりの小学校はよそよそしい。今朝も、挨拶してくれたのは先生だけだった。
教室に入ると、隣の席で中町さんと江藤さんが笑い合っていた。中町さんは椅子の背もたれに肘を預けて、前のめりな江藤さんと向き合っている。
まっちー、昨日の『ミュージックイン』観た? 観た観た!
ランドセルから教科書を出しながら、思わず聞き耳を立てる。
イグナイトの新曲やば! いいよねショウくん。まじかっこいい。
わたしもそのバンドが出演するテレビ番組を観ていた。大好きな姫川花ちゃんも収録コメントで出るから。
話に入ろうか迷って、舌の上で言葉を転がした。
「あの……」言いかけた瞬間、授業開始のチャイムが鳴った。入ってきた先生が、出席簿で机を叩く。二人はわたしの声に気づくことなく、笑みを引きずったまま先生の方に向き直った。
二時間目が終わったあと、放送委員の男子が黒板の前に立った。
「リクエスト放送でかけたい音楽あるひとー」
ぼそぼそした彼の声は、ゲラゲラ笑う女子たちの声にかき消されそうだった。
わたしは、姫川花ちゃんのシングルCDを持ってきていた。おそるおそる彼に渡す。「……これ、いい?」
彼は、フリルの衣装をまとった女の子のCDジャケットとわたしを交互に見ると、うなずいて受け取った。
わたしの好きなアイドルを好きな人がクラスにいるかもしれない。音楽が流れたときはしゃぎ出した子がいたら、いや、嬉しそうな顔をした子がいたら、今度こそ勇気を出して話しかけよう。
「いただきます」の斉唱からすぐ、スピーカーから聞き慣れたイントロが流れ出した。きょろきょろしながらコッペパンに口をつけた。
「だれこれ?」
「知らなーい」
「聴いたことあるかも」
離れた机の島から聞こえる声に耳をそばだてる。
「なんかオタクっぽくね?」
教室の空気は、よくお笑い芸人のマネをする男子の一言で決定づけられた。
「それな」
「びみょう」
「てか持ってきたのだれ?」
給食のトレイから目線を上げないようにした。曲の続く四分二十五秒が、早く過ぎ去ってほしいと心から願った。
昼休みを告げるチャイムが鳴り、廊下へ男子たちが飛び出していった。
「林さん、だよね?」
本を読んでいるふりをするわたしの頭上から中町さんの声がした。顔を上げると、隣で江藤さんもこちらを見ていた。
「え?」
「あのアイドルのCD持ってきたの」
「う、うん!」
鼓動が速くなるのを感じながら返事をした。
「度胸あるね、ああいうの流す人いないもん」
「そういえば、林さんっていつもフリフリの服着てるもんね」
口の中が急に乾く。中町さんにかぶせるように江藤さんが続ける。
「服、親の趣味かと思った」
「本人的にアイドルのイメージだったんだぁ」
「まっちー、それアイドルに失礼だって」
鼻の奥がつんとする。
「それって……」
どういう意味なの。続く言葉は、喉がきゅっと閉まったせいで出なかった。
休符が一拍ずれたみたいな静寂が挟まる。
「目こわ!」
中町さんがふざけて言い、後ろを振り向いた。「ジョークじゃん!」
「あ、わたしも校庭行くー」教室の扉から出る中町さんを、江藤さんが追いかける。
振り向く一瞬前の、二人の吊りあがった口角が目に焼きついた。
地面を見つめながら帰った。もやもやとぐるぐるで頭がいっぱいになっていた。当時のわたしは、気持ちに名前をつけるのが下手だった。
踵同士をぶつけて靴を脱ぎ捨てる。
和室へ駆けて、クッキー缶から「はなちゃん」を取り出した。
早くライブ会場に逃げ込みたかった。
「はなちゃん……」
あれ? おかしい。
「はなちゃん」はいつまでたっても動き出さない。
天板はステージに変わらないし、部屋の灯りもスポットライトに変わらない。じっとり手のひらに汗がにじんで、シャツの裾でぬぐう。
一所懸命に天板の上で人形を揺らすけど、肩と股の関節がくるくる回るばかり。描かれた黒目は、まばたきすることなく見開かれている。
突然、手のひらの人形を重く感じた。
わたしは、見ないようにして人形をクッキーの缶に入れた。
輪ゴムをかけ、クローゼットの奥に押し入れて、家電の空き箱を重ねた。垂れ下がったコートの裏に、缶はすっかり隠れた。
そうやって、はなちゃんはわたしの中からいなくなった。
五年が経った。わたしは、周囲に合わせることがちょっとだけうまくなっていた。「好きなタレント」は、聞かれるたびモデル出身の俳優になったり、デビューしたてのバンドのボーカルになったり、たまにアイドルの女の子になったりした。
塾から帰宅し、いつもみたいに妹のいる和室へ向かう。(わたしが絶対勝つ)ボードゲームで遊ぶか、(でたらめに登場人物が増える)絵本を読んであげようと思いながら。
不意に、廊下に高い声がこぼれてきた。
「きらきらー!」
妹のミカは、こたつの前で立ち膝になって人形を掲げていた。
手の中にある人形を二度見した。
あんな奥に隠したものを、どうやって見つけたんだろ?
ミカは天板の上で人形を跳ねさせている。彼女は声色を変えて聞き覚えのあるメロディを歌い出した。瞳が、人形の先にある何かを捉えて輝いている。
わたしは、はっとした。
妹は、あの魔法が使えるんじゃないか。
きっと見えているんだ、歌って踊って輝きを振りまくアイドルの姿が。あの頃のわたしみたいに。
「あ、おねーちゃん!」
「……ミカ、ごっこ遊び楽しい?」
「うん! すごいんだよ、この子、ダンスしてうたうの」
「……ふーん」
「おねえちゃんも、いっしょにみよー!」
わたしに見えるのは、振り回されるプラスチックの人形だけだった。
「この子、『はなちゃん』っていうんだって!」
商品名ではないわたしが付けた名前を、妹は口にした。
やっぱりだ。わたしの失くした魔法の時間をミカは味わっている。
嬉しそうな妹の横顔に、灰色の感情が湧きあがる。
「そういうの、やめた方がいいよ」
「え?」
「ほら、もうおしまい。おかしいって言われるよ」
人形を取り上げようとすると、ミカは握る力を強くした。
「やだ」
「……いい? 魔法ってね、解けちゃうんだよ? 夢中になったぶん、解けたあとつらくなるんだよ? やめるなら早いほうがいいよ」
口が勝手に動く。わたしは誰に向けて話しているのだろう。
「現実と空想と憧れが混ざって、自分を勘違いしちゃうよ」
ミカは口をへの字に曲げて、わたしの顔を見ていた。
はっと気づく。ひどいことを言っている。あの日かけられた呪いを今度は妹にかけて、魔法を奪おうとしている。
ミカは、目線を人形に向け、またこちらを見た。なんだか泣き出しそうにも、怒り出しそうにも見えた。
気持ちを受け止める覚悟をする。
ミカは、小さく首をかしげた。
「まほうがとけたら、またかけなおせば?」
その瞬間、体から重い何かがこぼれ落ちた。
え? えー! と自分のなかで驚きがこだまする。いきなりバランスが変わって、ふらふらする。
ミカの背中にしがみついた。両腕を回してぎゅっと抱きしめる。
あの日「はなちゃん」を閉じ込めたときの衝動を思い出していた。あれは台風みたいだったな。
ミカの手にあるものを見つめた。胸がずきんと痛んだ。
あの頃の不思議な感覚を思い出し、祈りを込める。
そこにあるのは、プラスチックの人形のままだった。
それでも。
わたしは目を閉じる。
まぶたの裏で、魔法をかけ直した。
妹の瞳に映っているものを思い描く。何度でもなぞる。
天板はステージ。昇降も回転の機能もある優れもの。縁の向こうにはたくさんの観客がいる。蛍光灯はスポットライト。はなちゃんは、歌も踊りも最高だ。
ミカが声を合わせて歌い出す。はなちゃんの輪郭がはっきりしていく。
そこにアイドルがいた。もう、いなくならないってわかった。




