形勢逆転
周囲の視線に気づいたのか、さくらは小さく息を吐いた。
「……人が見てるわ。手、離しなさい」
低く、命令するような声。
だが翔は構わず、指に力を込めた。人目なんてどうでもよかった。
「私から遥香の話は聞きたくないの?」
呆れたように言われ、翔は歯を食いしばる。
本当のことを話す気があるかは分からない。けれど、少しでも遥香のことを知りたかった。
翔は手を離し、一歩距離を取る。
さくらは乱れた襟元を整え、何事もなかったかのように微笑んだ。
「あなたもどうせ、本当の親を探してるふりをして、有名になりたいんでしょ?」
その言葉に、翔の眉が跳ねる。
「……は?」
「アイドルで売れたいんでしょ。身の上話は金になるもの。遥香がそうだった」
まるで事実のように告げられ、翔は腹の奥に溜まる怒りを必死で抑えた。
(違う。遥香は……)
遥香は、ひかりの存在をぼかしながらも、テレビで話をしていた。そのエピソードからひかりの親が気付けるように。
本当の親を探しているという体裁を取りながら、実際はひかりの親を見つけるために孤児院を前面に出していた遥香。それなのに。
翔は、拳を握りしめる。
「私の存在は黙っててあげる。そうね……月50でいいわ。払いなさい」
遥香の代わりを、翔にさせるつもりだ。
その態度が、遥香を金づるとしか見ていなかった証拠に思えて、翔の怒りは限界に近づいた。
「……ふざけるな」
震えた声で吐き捨てる。
だが、さくらは目を細め、にっこりと微笑んだ。
「そう。じゃあ、あなたが大切にしている、もう一人の兄妹に言ってもいい?」
わざとらしく首を傾げる。
「遥香とあなたが、実の姉弟だって」
心臓が嫌な音を立てて跳ねた。
「血が繋がってること、黙っててほしかったら……お金、払ってもらえる?」
勝ち誇ったような表情。
翔は一瞬、言葉を失った。
「……なんで、それを」
「中学の時、一度会ったでしょ? 帰り道で話してたの、聞いたのよ」
あの日。
遥香と並んで歩いた帰り道。ひかりのことを口にした、あの瞬間。
翔は自分の浅はかさを呪った。
「最低だな」
「そうかしら? 売れたら、そんな高い金額じゃないでしょ?」
悪魔のような笑顔。
屈してたまるものかと思う一方で、ひかりの心を傷つける事実だけは、絶対にこの女の口から知られたくなかった。
払う。
その言葉が喉まで上がりかけた、その時。
「翔」
聞き慣れた声。
振り返ると、ひかりが立っていた。
合流予定より、明らかに早い。
「……っ、ひかり」
翔の表情を見て、ひかりはすぐに駆け寄った。
「話、聞いちゃった」
そう言って、さくらを見る。
一瞬、さくらの表情が凍りついた。
翔の孤児院での家族と、芸能事務所のマネージャーが同一人物だとは、思っていなかったのだ。
「……っ」
翔は、言葉を失う。
喉の奥が詰まり、息がうまくできなかった。
(知られてしまった……)
小二の頃。
家族を欲しがっていた、あのひかり。
自分と遥香が実の姉弟で、ひかりだけが血の繋がらない存在だなんてそんな事実、耐えられるはずがない。
(……俺なら、耐えられない)
「ひかり、ちが――」
慌てて口を開く翔を、ひかりは静かに制した。
首を、ゆっくり左右に振る。
「大丈夫だよ」
不思議なほど、落ち着いた声だった。
「……知ってたから」
「……え?」
思わず、声が零れる。
「遥香と翔の血が繋がってるってこと」
翔の目が見開かれる。
「中学の時。孤児院に来た新人の先生が、ぽろっと話したの」
責める色はない。
「だから……二人が私を気遣って、ずっと内緒にしてたんだろうなってことも、全部わかってる」
そう言ってひかりは遥香によく似た笑顔で笑った。優しく人を支えるあの笑顔。血の繋がりなんてないはずなのによく似ている。
「大丈夫だよ」
ひかりのその言葉に、翔は強く首を振る。
「……違う」
喉を震わせながら、言葉を絞り出す。今、初めて気づいた本当の気持ち。
「気遣いなんかじゃない」
そう、気遣いじゃない。ひかりのためだ、傷つけないためだなんて言ってたけど……。
「俺と遥香は……血の繋がりとか関係なく、本気で三人で家族だと思ってた」
言葉が詰まる。
「真実を知って、ひかりが家族をやめるって離れていくのが怖かったんだ。俺も、遥香も」
一瞬の静寂。
そして、ひかりの目から、ぽろりと涙が落ちた。
ひかりは慌てて袖で拭う。
「……っ、ごめん。血の繋がりなんて関係ないよ。離れるわけない。私たちは家族なんだから。」
照れたように泣き笑い、そして真っ直ぐに翔を見る。
「翔」
呼ばれただけで、胸が締めつけられる。
「私に秘密はもう無しだよ。このことは帰ってからゆっくり話そ。それよりも……」
ひかりは視線を鋭くさくらへ向けた。反撃してやると攻撃的に睨みつける。
「翔は売れるために母親を使う気ないよね?」
「……するわけない」
即答だった。
ひかりは小さく頷き、さくらを見据えた。
空気が変わり矛先が変わる。
「で」
ひかりは、さくらを真正面から見据えた。
「さくらさん。あのお店、借金だらけみたいですね」
その言葉にさくらは眉をひそめた。
「見た目は豪華なお店で女の子も揃ってる。でも、大物のお客さんを怒らせてからお客さんの入りが悪いですよね。そう、ちょうど、遥香がデビューした頃からかな」
その言葉にさくらの唇が震える。なぜ知ってるんだとでも言うように、さくらはひかりを睨み付けた。
「それで遥香に会いに行ったんですよね?借金の返済を遥香のお金で補填しようとして」
「……ははっ」
乾いた笑い。弱点を突かれるのが嫌なのかさくらはひかりを敵として判断し睨みつける。
「だから何? これから頑張ればいいだけ。あーぁ。それよりも週刊誌に話そうかな。殺害されたアイドルの実の姉弟がアイドルデビュー。面白いでしょ?」
これ以上弱みを握られたくないという気持ちからか、捨て台詞を吐いてさくらは立ち去ろうとする。
しかしひかりは逃さない。
「あぁ、なるほど」
ひかりはオーバーに演技をして呼び止めた。
「ゴシップ売って、大事な大事な末っ子の学費にするつもりですか?」
末っ子。
その言葉に、翔は息を呑む。
さくらは足を止め、わなわなと震えながらひかりを睨みつけた。
「……何のこと?」
「初めて愛した男性との子」
ひかりの声は、冷たく静かだった。
さくらの目が、わずかに揺れる。
「あそこに見える中高一貫校ですよね? 通ってるの。国内有数の進学校で学費も高い。野球部で、成績も優秀」
「……っ」
「大切に育ててる息子さんですよね」
ひかりは淡々と続ける。
「遥香に、お金を増やせってせびってた。その結果――」
一拍、置いて。
「……遥香が死んだ理由。それ、末っ子は知ってるんですか?」
「待って、違う!」
「野球部で、親に似ず真面目な子なんですよね」
逃がさない。
「自分のお店でキラキラ働いてると思ってたママが、お店以外で稼いでることは……知ってます?」
さくらの顔から、血の気が引いた。
「パパ活? それとも歳だから、売春かな」
淡々と。
「それ、全部知ったら……どう思うんだろうね。末っ子ちゃん」
ひかりは、静かに言い切る。
「学校に伝わったら、どうなるんだろ。売春は、犯罪だから。」
完全に、形勢は逆転していた。
さくらは、もう笑えなかった。




