秘密
そして、三日後。
ついに、その日が来た。
ひかりは午後休をこっそりもらっていた。
表向きは私用。誰にも理由は言っていない。
本当は、十三時半まで打ち合わせをして、そのままあのカフェに向かうつもりだった。
──はずだった。
最悪なことに、番組の打ち合わせ中にトラブルが起きた。
共演者のマネージャーと、番組プロデューサーが言い合いを始めたのだ。
「言った」「言ってない」
「聞いてない」「そんな話はしてない」
ひかり自身は当事者ではない。
けれど、誰かがまとめなければ話は前に進まない。ヒートアップする口論に、新人のひかりはオロオロと狼狽えた。
口論に巻き込まれないようチラリと時計を見る。
(……まずい)
このままだと3時に間に合いそうにない。
困り果てたひかりは祈る気持ちで黒田に連絡を入れる。すると、返ってきたのは短い指示だった。
『一時間、耐えろ』
一時間。
カフェまでは距離がある。間に合うかどうかは、かなり微妙。
(早く……早く終われ)
ひかりは心の中で、何度もつぶやいた。
十四時半。
ようやく黒田が現場に来て、ひかりとバトンタッチする。
「任せて。行きな」
その一言に、ひかりは深く頭を下げた。
現場を後にした瞬間、ひかりは走り出した。
息が切れるのも構わず駅へ向かい、飛び乗った。電車の中で何度も時刻を確認する。
乗り継ぎはうまくいった。
――けれど、それでも余裕はなかった。
(お願い……間に合って)
祈る気持ちでひかりはカフェまで駆け出した。
⸻
翔は、カフェの個室に通されていた。
落ち着いた照明。
壁一枚隔てただけで、外のざわめきが嘘みたいに遠い。
扉が開いた。
現れたのは、美空だった。
(……本当に来るとは思わなかった)
心の中でまた逃げられるのではと思っていた翔は、現れた美空に内心驚いた。
「……お久しぶりです」
翔はぺこりと頭を下げる。
美空も軽く会釈をして、何も言わずに席に着いた。
店員を呼び、慣れた様子でコーヒーを二つ頼む美空。その表情は固い。
カップが運ばれてきても、美空はしばらく俯いたままだった。
しばらく無言が続いた後、意を決した美空はぽつりぽつりと話し始める。
「何から話せばいいかな。えっと、私、遥香が東京に来てからの、一番の親友だったんです。少なくとも私は1番の親友だと思ってました」
美空はカップを握りしめながら、揺れるコーヒーを見つめ話す。その目には懐かしさが滲んでいた。
「遥香から声をかけてくれて。人見知りの私でもすぐに打ち解けられるくらい遥香は優しくて明るくて。たくさん話もしました。孤児院で兄弟になろうって誓った子たちがいたことも。遥香を入れて三人。みんな、親を知らなかったって」
翔の胸が、かすかにざわつく。そんなことまで話していたのかと驚きも混じった。
「その3人で家族なのが、はるかの自慢でした。私もその話を聞くのが大好きで。でも……ある日、私が遥香の家に泊まりに行った時、来たんです」
美空は顔を上げずに続けた。
「遥香の、実の母親が」
その言葉に、翔の指先がぴくりと動く。
「で……一応確認したいんですが」
美空はそこで、初めて翔を見た。
「あなたと遥香が、異父姉弟だって……知ってましたよね?」
翔は答えない。ただ、その事実がバレていることに胸がドクドクと音を立てる。
この事をひかりにだけは知られたくない。俺と遥香だけ本当の姉弟だなんて。母親が見つかってるだなんて。1人になりたくないひかりにこの事実だけは絶対に知られたくない。
震える手を握りしめる翔。
美空は、それを肯定と受け取ったようだった。
「遥香の母親が家に来た時に言ってました。中学生の時に二人と会ったことがあるって」
翔の喉が、ひくりと鳴る。この事実を遥香以外に知られてる事に、翔は耐えられない。震える手にグッと力を入れる。
「それで……。孤児院育ちで親を探してるっていうのがコンセプトのくせに前から私の存在知ってただろって。このことをバラされたくなかったら、金をよこせって」
美空の声は震えていた。
カップを持つ指が、小さく揺れている。
翔は美空を気遣う余裕はなく、じっと話を聞く。
「遥香、月に五十万渡すから黙っててって言ってました。それから……翔には近づくな、って」
カップの中のコーヒーが、かすかに揺れる。
「遥香、この事、誰にも言わないでって言ってました。私も言わないって約束して。ちょうど遥香がデビューしてすぐ、上京して半年くらい経った頃のはなしです」
美空は、小さく息を吐いた。
「それと、私が田原本さんに気づいたのは写真を見たことがあったのと……。容姿があまりにも、遥香に似てたからです」
翔は、しばらく何も言えなかった。美空は、カップの縁に指をかけたまま、少しだけ間を置いた。
「……あの」
声が、ほんのわずかに低くなる。
「母親に会った後の遥香は意外にすっきりした様子だったんです。お金で解決できるならって言ってて。死ぬ様子じゃなかったんです」
翔は顔を上げる。
「仕事もちゃんとしてたし、笑ってたし、愚痴も言ってました。少なくとも、私の前では」
美空は自嘲気味に笑った。
「実母を見たのは、その一回きり。それ以降、家に来たことも、連絡が来たこともなかったはずです」
カフェの時計の秒針の音が、やけに大きく響く。
「だから……正直、わからなくて」
美空はぽつりと言った。
「遥香が母親のことで病んでたのか。追い詰められてたのか。それとも――」
一瞬、言葉を選ぶように唇を噛む。
「本当に、あれが原因で死んだのか」
翔の胸に、冷たいものが落ちる。
「でも……」
美空は視線を落としたまま、続けた。
「もし、もしも」
声がかすかに震える。
「実母の脅しが続いてて、それで……田原本さんや自分の夢を守るために、全部一人で抱え込んでたんだとしたら」
言葉が、そこで止まる。
美空は首を横に振った。
「……それ以上は、考えたくもなくて」
翔の名前を口に出した瞬間、
美空の声は、確かに弱くなった。
「だって、それを言葉にしたら、田原本さんが一生、自分を責めるって思って」
翔の喉が、ひどく乾く。
(俺があの女の仕打ちに気づけなかったせいで遥香は)
遥香が、金を渡し続けた理由。
夢はもちろんだけど、俺に被害が行かないようにしてくれてたなんて。
「……なあ」
翔は、ようやく口を開いた。
「遥香、自殺だったのかな。俺を守るためにいっぱいいっぱいになってたのかな」
美空は、ゆっくり首を振る。
「遥香の気持ちは遥香にしかわかりません」
その一言が、ひどく重い。
「私は、今でもわからない。遥香死んだ理由が母親だったのか、それとも……他の理由なのか、そもそも自死なのか。あんな心から笑っていた遥香が自死を選ぶなんてあり得ないと心は叫んでいるんです」
美空は目に大きな涙を溜めている。彼女も遥香の死を受け入れられていない1人なんだと翔は感じる。
もし、遥香が死んだ理由があの母親ならば。
(……許さない)
誰が相手でも。
たとえ、それが母親でも。
翔は血が滲むほど拳を握りしめた。絶対に許さないと心の中で何度もさけんだ。
翔は話し終えた美空に全てを口止めして、シェアハウスに戻る。
これからの計画を練るために。




