第二話 【死にたがり同士】
⚠︎セイボウ力描写があります。
「それって、自殺するってことでしょ?」
髪を冷風になびかせながら不安げな表情で俺を見上げるリョウハさん。
そりゃ、そうだよな。
自殺するまでの間お世話になりますって言ってるようなモンだ。例え偽善だとしても、普通は止めようとする。それが世の中の道徳ってヤツだから。だけど、俺だって今更考えを改めるつもりは無かった。どんなことを言われようと、俺はそれを遂行するつもりだし、朝になったらこの人の元から去る。
「今晩だけで良いんです。だから……見逃してくれませんか?」
俺はこの後に続く言葉が批判であることを知っている。今までだってそうだった。死にたいと呟くと、いつだって周りは傍迷惑な顔をして「駄目だよ、そんなこと言うの」と定型文を言う。俺のことなんか心底どうでもいい癖に、俺が死んだって何も変わらないのに、そういう甘美な言葉を無責任に言い放つ。
心底腹が立った。きっとこの人だってあいつらと同じだ。期待など最初からしていない。ただ、ドアを開けてくれたこの人なら俺の独白も受け止めてくれるのではないかと思った。そう半ば諦めの様な気持ちと半ば期待の様な気持ちで、彼女の口から紡がれる言葉を待つ。
「……死ねる勇気持ってるんだね、イツキ君は」
「……え」
紡がれた言葉の意味を咀嚼するのに時間がかかる。
「私はそんな立派なこと、思えないな」
「……」
立派、勇気、言葉の一つ一つを噛み締めても彼女の言いたいことがよく分からなかった。
なんで、否定、しないんだろ。この人は一体――。
「おでん、冷めちゃうよ。早く帰ろ」
返事はしなかった。しなかった、のではなくて出来なかった。返事をする代わりに足を動かしてまた冷たい帰路に着いた。俺の前をそそくさと歩くリョウハさんが嫌でも目に入る。先程の突風はそよ風に変わっており、彼女の髪を綺麗になびかせた。その曲線を描く髪の動きを俺は、足を無心に動かしながらボーッと見る。
別に、心配されたいわけじゃない。否定されないことに越したことはないけど、それでも、少しぐらいは動揺しても良いじゃないか。なのに、目の前の彼女はただ夕食を楽しみにしている女の子にしか見えない。まるで、俺が死ぬことなんて最初から分かっていたみたいだ。
*
俺は生まれてからこの方、生きていて良かったなんて思ったことが無かった。母親も父親もいたが二人とも不倫をしていたし、両働きだったから家にはいつも四個上の兄と俺しかいなかった。兄は横暴な人で、不機嫌なことがあると直ぐに手を出すような人だった。その気質のせいかなのか、大学に入って直ぐに退学して引きこもるようになった。暴力的な人ではあったが、こちら側が何かしない限り大人しい人だったから、家ではペコペコと兄に従っていれば殴られることも少なかった。だから、案外心地が良かった。それに比べれば、両親の方が苦手だった。いつも貼り付けたような笑顔で俺に接してくる。お小遣いも兄より多かったし、欲しいと言ったものは何でも買ってくれた。俺が間違っても、自分達が不倫しているなんてことを言わせないように。俺だって馬鹿じゃないから、周りに言うつもりも無かったけど、親から見た俺は素直で可愛げのない子供だったのだろう。そんな家庭で育った俺は、ずっと心に穴がぽっかりと空いている。DVとか虐待なんてされたこと無いのに、俺よりも劣悪な家庭環境で生きている人なんて沢山居るのに、何処か死にたい思いが身体中を小さく渦巻いていた。
だから、あの日のおかげで、俺はこの気持ちを咀嚼することを許されたような気がする。
あの日のおかげで、俺は醜くて汚い、人間のような臓器と思考を持った何かに生まれ変われた。
あの日は、暑ぐるしくて、油蝉の声がよく聞こえるじめじめとした真夏の一日だった。それなのに、兄貴の部屋のエアコンが壊れていて、珍しく兄貴はリビングで過ごしていた。兄貴と二人きりでリビングにいるのは何だが息が詰まって、俺はささやかな提案をすることにした。
「……兄貴、俺の部屋使っていいよ。俺、今日は午後まで授業あるし」
テレビモニターでゲームをしている兄貴の背中には汗がびっしょりと、背骨に沿ってTシャツに浮き出ていてた。
「……おう」
顔も向けずに、そう言うとまた無言になる。この日は父親が一週間の出張に出ていて、それを見こんでか、母親は朝早くから「今日はお友達の家に泊まるから、お兄ちゃんとコレで夜ご飯食べてね」と浮かれながら一万円札を渡してきた。それが本当のお友達なのかは置いといて、俺は笑顔で「分かったよ、母さん」と言って見送った。エアコン業者は午前中に来ると聞いていたから、それまでなら俺がいる間ぐらい目の前から消えて欲しかったのだが、どうやらその気は無いらしい。
「今日、母さんも夜帰ってこないってよ、千円貰ったからこれで夜ご飯食べろって」
兄貴が寝ている間に貰った一万札を財布にしまって、元から挟まっていた千円札を見せびらかすように言う。
「……ちっ」
モニターを見てやると、画面にはGame overの字と共に、もの哀しい音楽が流れていた。
「あああああ、お前が!話しかけてきたから!負けたじゃねぇか!」
声を張り上げながら首の後ろを掻きむしる。コントローラーを掴んでいた右手が振り上げられて、俺に向かってくる。反射で目を閉じると、数秒後にコントローラーが俺の後ろの壁とぶつかった。鈍い音がしたかと思えば、壁は傷つかなかったもののコントローラーは二、三個部品が辺りに散らばっていた。
「……悪かったよ。ごめん」
「お前さぁ!謝っとけば良いと思ってんだろ!どいつもこいつも俺を、ゴミ見たいな目で見やがって!お前だって本当は俺を見下してんだろ!なぁ!?」
「……違うよ」
「あのクソババアだってお前だけ特別扱いしやがって、お前にだけ金渡してさぁ!」
こうなると、本当に兄貴は止まらない。誰もそんなこと言ってないのに、兄貴は何かに怯えながら声を張る。
「……なぁ、イツキ……お前さぁ、ちょっとこっち来いよ、金なんかどうでもいい」
そう呼ばれれば俺に逃げ道なんて無かった。俺は兄貴の気が済むまでサンドバッグにならなきゃいけない。
俺は兄貴よりも背が高かった。頭も良いし、運動だって兄貴より出来た。顔も整っているほうだったし、彼女だっていた。だけど、俺は兄貴よりも力が弱かった。ただ、それだけのことなのに、俺はいつだって殴られる側だった。
「なぁ、お前だって、俺を、見下してるんだろっ!」
「っは、ぐっ、ごめ、ん」
シャツの襟を掴まれて、顔を殴られる。何度も何度も殴られる。腹だって踏まれる。
何もかも出そうだった。
「なぁ!俺が大学落ちたのもさぁ!」
それはアンタの勉強不足だ。
「お前らが、コソコソ俺に隠れて、話してんのもさぁ!」
アンタが引きこもってるからだろ。
「お前だけ贔屓して、俺ばっかが損をする」
アンタが努力しないからだろ。全部全部、自分のせいなのに、自分が勝手に失敗しただけなのに、どうして他人を責めれるんだろう。なんでこんなにも醜いのだろう。
なんで俺ばっか殴られるんだろう。
「おい!」
なんで、俺は――。
この日は寝不足で苛立っていたんだと思う。
いつもなら兄貴の気が済むまで、殴られ続けるのに。
気づいた時には遅かった。
俺の拳は兄貴の顔面を殴っていた。
兄貴の鼻からは血が垂れていてTシャツに染みを作っていた。俺が殴り返すとは思ってもいなかったのか、兄貴は垂れてくる血を放心しながら拭っていた。
今日は、間違えてばかりだ。
殴ったら殴り返される、そんなことは自明だったじゃないか。どうして、俺は。逃げなきゃ、殺される。覚束ない足取りで、躓きながら玄関へと向かう。
「……なぁ、何処、行くんだぁ」
腕をいつの間にか掴まれていて、そのままグイッと引っ張られる。指が腕の肉にくい込んできて、力の強さに反射で足元がよろめく。
「お前は、ほんとに、いつまでも、俺を苛立たせる」
体を動かす気力も無かったから、俺はその場で座り込む。兄貴のことを見上げれば、俺の顔の前にはすでに拳の影がかかっていた。
その後はもう覚えていない。死ぬほど殴られて、それで――。
「イツキ、お前は本当に自慢の弟だよ。顔も良けれや、頭も良い。運動だって、家事だって出来る。そんなお前を見ているとなぁ……心底、ぶち壊したくなる。」
「……ぁ」
意識が朧げの中、兄貴の声が頭に流れ込んでくる。顔中が腫れていて目が開けられなかった。耳も耳鳴りが止まなくて、体は、骨が床に張り付いていると錯覚してしまいそうになるぐらい痛く、動かせなかった。鼻から垂れてくる血が唇に触れて、口内に鉄の特有の味が広がってくる。
「お前みたいな、完璧なやつを見ると、本当に、壊したくなるんだよなぁ……」
そう言って、俺のシャツを脱がす。体には力なんて入らなくて、死体みたいに腕が垂れる。
「……なぁ、お前ってほんとに、面だけは良いよな……」
ズボンのベルトがカチャカチャと音を立てているのが耳に入ってきた。兄貴の湿った手が俺の右頬を撫でてくる。血だらけの俺の顔を、愛おしいモノでも見るかのように見つめてくる兄貴の顔が目に入った。それを最後に俺は気を失った。
――俺は、この日、兄に、襲われた。
意識が戻ると、俺はリビングの床に一人、全裸で横たわっていた。
「……っおっえぇ、っおええ……」
鉛の様に重い体に、体液にまみれた己の腕や腹が目に入ると、自分がされたコトの意味を理解して、吐き気を抑えることが出来なかった。兄貴に男色の趣味があるなんて知る由もないし、それも相まって吐き気は止むことなく続いた。朝から何も食べていなかったから、吐いても胃液しか出なくて喉が酸でピリピリと痛かった。
「……うっえぇ、はぁ、はぁ……風呂……」
吐くなら、風呂で吐いたほうが良い。それに、体も洗える。
そう思って、鉛で出来た体を起こして風呂場に向かう。向かう途中、何度も吐き気に襲われてその場で倒れ込んだ。兄貴はどうやら外出したらしく、家には俺一人しか居なかった。体を壁に預けながら、やっとの思いで風呂場に辿り着くと、俺はそのまま先程まで耐えていた分を床にぶちまけた。
「……はぁ、体、洗お」
溜めていた分が吐けて漸く一段落した。同時に、風呂場の全身鏡に映る醜い人物にも気が付いた。全身を目の当たりにして、俺は声も出なかった。怒りとか、憎しみとか、そういうのじゃない。
今にでも叫びだしそうで、数多もの感情が体の中で渦巻いていなかったら、俺は今、ぐちゃぐちゃになっていた。目に映る皮膚の全部が汚くて、眼玉をぶっ刺してえぐり出したかった。
「っあ……おっぇえ……」
止まっていた吐き気がぶり返して、また吐いてしまう。
汚い。気持ち悪い。嫌だ。なんで俺が。なんで。なんで。なんでだよ。なんで。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。
――もうどうでもいい。尊厳だとか、周りの目だとか、もう全部、どうでもいい。
「死のう――」
油蝉の声と共に、俺は冷水のシャワーを頭からぶちまけた。
*
「……キ君、イツキ君!赤信号だよ!」
「っは」
呼ばれた声がして顔を上げると、目の前を大型トラックが横切っていた。
「大丈夫……?」
「あ……いや、ちょっと考え事してて……」
「気をつけてね……」
「……」
今日は無言になることが本当に多い。俺は自分から喋るのは苦手だし、多分、リョウハさんもそう。リョウハさんの右手に掲げれたビニール袋が目にチラつく。おでんの容器の上にはおにぎりやら惣菜やらが乗っていた。更にその上には、消毒液と絆創膏の箱が半透明のビニール袋から透けて見えた。
「……帰ったら、傷手当てしてもいい?」
俺よりも三歩先を歩いてるリョウハさんは、顔を振り返らずに聞いてくる。
「いや、大丈夫ですよ、治りかけなんで」
「血……乾いてないじゃん」
「……」
「ついさっき、誰かと喧嘩でもした?」
ザァっと辺りに風が吹く。木から零れ落ちた枯葉がザクザクと音をたてている。
「いや……してないですよ」
「なら良かった……でも手当はさせて」
「いや、だから大丈夫ですって」
「……死ぬなら、綺麗な顔で死になよ」
何も言い返せなかった。風がまた一段と強く吹いて、俺の足を止めさせる。
「……なんで、死ぬのを止めないんですか?」
風の切りつける寒さも、枯葉が落ちていく音も、俺達二人の足音も、全てが俺の事を凍てついた目線で見つめてくる。
「止めて欲しいの?」
返答に迷って、目が右往左往する。
あれ、なんで返答に迷ってるんだ、自分。
「君が決めたことなら、私がとやかく言う筋合いなんて、ないでしょ?」
そう言って、漸くリョウハさんは足を止めて振り返った。今度はしっかりと目が合った。
「……でも、そうだなぁ、目の前で人が死ぬのは嫌かな」
下を向きながら、誰かにつぶやくように言葉を並べる。足元の枯葉を踏んでは潰していて、軽快な音が耳に届いた。
「……別に、目の前で首つったりなんか、流石にしないですよ」
「そういうことじゃないよ……イツキ君のこと知っちゃったから。知ってる人が死ぬって、本当に最悪な気分になるの」
「……」
「だからさ、私の目の前では死なないでよ、イツキ君」
「それって、どういう意味……っすか」
「私が、イツキ君のこと覚えている限り」
「……そんなの、どうやって分かるんですか」
「さぁ、私もわかんない」
何を言ってるんだこの人は。そんなの、確認の仕様がないじゃないか。
「この続きは食べながら話そっか。ほら、着いたよ」
前を見ると、さっきの古びたアパートの前に戻って来ていた。
ボロくて、今にでも倒壊しそうな外観をしているこのアパートを選んだ理由は覚えていない。何処か、自傷気味になっていたんだと思う。こんな場所で生活している人間なんてきっと俺と同じ、何かが足りない人間に決まっている。死ぬ前ぐらい、誰かに慰められたかった。
なのに扉の向こうに居たのは、こんな場所に似つかわしくない女性だった。
赤錆だらけで、塗装がカピカピに剥がれ落ちている鉄骨の階段を登っていく。
ふと、前を行く人の足が止まった。
「ねぇ、イツキ君、本当に明日の朝死ぬ気でいるの?」
俺の足も呼応するかのように止まった。
「はい」
一呼吸置かれて、言葉が紡がれる。
「なら、何もかも捨てて来たんだよね」
「そのつもりですけど……」
「学校も、家族も、皆、君は捨ててきた?」
そう言われると、即座に肯定することが出来なかった。最後ぐらい友達に会いたかったのかもしれない。
それでも躊躇しながら頷く。
「なら、私と一緒に住もうよ。イツキ君は明日の朝からこの世に居ない人になるんだよね。死んでも、誰も気づいてくれないし、だったら、私と一緒に住んで、この世で君が居ないってことにしようよ。私は君のこと死なせたくないしさ」
俺が口を挟まないように早口で言う。
これはきっと冗談だ。死んでしまう人間を一時的に留めて、頭を冷静にさせるってやつだ。そういうのネットの記事か、学校の道徳の授業で聞いたことがある。
「いや、止めるにしても、もっと他に、あるでしょ、冗談きついっすよ」
「冗談じゃないよ」
その顔付きには見覚えがあった。俺が毎朝鏡で見ている顔――どうでもいい顔。何もかも絶望している顔。
「私さ、死ぬ勇気無いんだよね。怖い訳とかじゃないと思うんだけど、生きてる実感が湧かないから、死んでも対して変わらない気がしてさ。だから、君と一緒に居れたら、死ねる勇気、貰える気がする」
ああ、やっぱりこの扉を選んで正解だった。
この人は俺を肯定してくれる側の人間だ。
俺と同じだ。
「どう?」
今度こそ、躊躇すること無く、頭を縦に振ることが出来た。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
第二話の更新が遅れてしまい申し訳無いです。
楽しみにしている人は居ないかもしれませんが、それでも物語を書き続けますので、どうか次のお話も楽しみにして頂けると嬉しいです。
最後に、これを読んでいる全ての人が幸せになりますように。
脊作より。




