第一話 【来訪者】
真っ暗な部屋にカーテンから射す光のおかげで、目が覚める。ベット横の時計に目を向けてやると、短針はちょうど十二を指していた。昼夜逆転生活が定着したリョウハにとって、これは普通の起床時間であった。枕元に置いてある、画面が開きっぱなしのスマートフォンを乱雑に取る。誰からも連絡が来ないと分かっているのに、メールアプリを無心で開く。いくつかの企業アカウントのメールを既読にして、今度は動画配信サイトアプリを開く。音が少ないこの部屋に何かを埋めるように面白くないショート動画をスクロールし続ける。目が覚めてベットに張り付いてから約二時間経ったところで、リョウハは漸く足が床に着いた。
「痛っ、あ〜もう何」
何かに躓いて床を見ると、乱雑に服や空き缶が散らばっていた。躓いた衝撃でエナジードリンクの空き缶がカラカラと転がる。
「あぁ、ほんと邪魔」
そう言って、苛立ちながら缶が積まれた山を一息に蹴った。さっきとは比べ物にならない程の音が部屋中に充満していく。二時間も人生の時間を無駄にしたという罪悪感が消えて気持ちが良かった。すっきりしたせいなのか、お腹が空いてきた。冷蔵庫に辿り着くまでの道なりでも空き缶が死体の様に転がっていたが、全部蹴ったやった。辿り着いた冷蔵庫を開くも、エナジードリンク一缶に賞味期限が切れた納豆一パックと、食べられそうなそうなものは何一つ無かった。
「はぁ〜もういいや食べるの」
そう言って、またベットへと帰路に着いた。
食べるのは嫌い。
リョウハは食事という行為が苦手だった。体に栄養さえ行き届くなら食べ物の状態などはどうでも良かったし、その為だけに調理をするなんてとんでもなかった。食物を胃に届けるための咀嚼はさらにリョウハを食事から遠ざけた。必然だといえばそうかもしれないが、リョウハの体は酷く細かった。今にも折れそうで、誰がどう見ても不摂生の極みだった。加えて、日に当たらず家で引きこもっているリョウハの肌は不気味なまでに白く、無左座に伸ばしている黒色のロングヘアーのおかげでリョウハの姿はホラー映画に出てきても不思議では無いくらいに気味悪かった。
ベットへ逆戻りしたリョウハは、また無心にスマートフォンをいじる。スマートフォンの操作に飽きてきたと思えば、今度はゲームコントローラを手に持つ。傍らに、スマートフォンでアニメを二倍速にして垂れ流す。それすらも飽きてしまったら、目を閉じてそのまま寝てしまえばいい。
そんな生活をリョウハはもう、一年と続けてきた。毎日、ただ人生を浪費しながら無意味に心臓と肺を動かす。死にたいとかそんな立派な願望は無かったから、怠惰を引きずってこんなどうしようもない処まで来てしまった。
「マジで何の為に生きてんのかな」
そうポツリと零してしまった言葉は天井まで届かなかったと思う。きっと。
*
深夜二時。インターホンの音が静寂な空間に響いた。同時に、脳みそをフル回転させる。
「誰」
手元の時計、スマートフォン、ゲーム機、全ての媒体で時間を確認したが、午前二時間だということに変わりは無かった。どう考えても宅配便が来る時間帯では無いし、ここ数年引きこもりの自分に、家を訪ねてくる様な関係性の人もいない。そんな事実がより一層、来訪者へ対する興味を沸かせた。それでも安全面を考えれば、このまま素直に扉を開いてはいけないことぐらい分かっていた。だから、取り敢えずドアスコープで来訪者の顔を確認をすることにした。ベットから降りて、玄関へ繋がる廊下を躓きながら歩く。途中で自分がキャミソールと下着しか履いていないことに気がついて、床に置かれたパーカーと短パンを手に取った。ドアスコープからこちら側は見えないけど、何故か緊張してしまう。それは、私が長らく他人の顔を見ていないからだと思う。一呼吸を置いて、ドアに右頬を付いてドアスコープを覗いた。
「え」
そこに立っていた人物は、私が予想だにしない者だった。ドアスコープの歪んだレンズに映っていたのは、なんと制服を着た男子学生だった。スクールバックを気だるげに背負って、顔を下に伏せていた。外廊下の電球の僅かな光を反射させる金髪に第二ボタンまで外したワイシャツ、ゆるゆるなネクタイに左耳の軟骨ピアス、言わなくとも優等生では無いことが分かった。こんな時間に一人、知らない人の家を訪ねている男子学生を目の前にして、私は頭を悩ました。
常識的に考えれば学生がこんな時間に一人で訪ねて来たら、まずは警察に連絡をすべきだろう。でも、何故かその気にはならなかった。それが、その子の右頬に貼ってあるガーゼのせいなのか、はたまた怠惰な自分の性格なせいなのかは分からなかった。
私よりも優しい人なんてこのアパートにはたくさんいる。自分一人が扉を開けなくとも、他の優しい誰かが扉を開けてくれる。自分には関係の無いことだ。面倒事は避けたいし、変に突っ込みたくは無かった。だから、扉の取っ手を掴もうとしていた手は宙ぶらりんに行き場をなくしていた。部屋に置いてある一時停止したゲーム機から軽快な音楽が廊下まで流れ込んでくる。
早く続きをやろう。確か次のボス戦はあのアイテムが必要だったはずだ。
そんなことを考えながら体を部屋の方へと向かせた瞬間、扉の向こう側から微かに声が聞こえた。
「独りぼっち……だ、本当に」
本当に小さな声だった。あと一歩でも扉から離れていれば聞こえなかった。この扉を開けなければならない、強くそう思った。声によって止められた足をドアに向けて、早歩きする。今日だけはこのぼろくて安いアパートの薄い、木製のドアに感謝しても良いかもしれない。そんなことを考えているうちに私の手は既にドアの取っ手を掴んでいた。
*
ドアを開けると、キリキリと痛むような風が流れ込んでくる。今日がこんなにも寒い日だなんて知らなかった。風があまりに強いものだから、寝癖まみれの髪はボワっと後ろへ引っ張られる。おかげで、視界がすこぶる良好で、さっきはよく見えなかった来訪者の顔が良く見えた。ドアスコープから覗いた時よりもチラチラと光る金髪が明るく見えた。
私がドアを開けるとは思ってもいなかったのか、男の子は目を見開いて固まってしまった。
「……」
「……」
なんて、声、掛ければいいんだ。
ドアを開けたのは良いものの、その先のことを全く考えていなかった。「どうしたの」とか、「大丈夫」とか、掛けるべき言葉は分かっているのに、なぜか声が出なかった。口を開いては閉じてを繰り返すことを早三回。見かねたであろう男の子の声が頭上から降ってきた。
「コレあげるんで、警察には通報しないで欲しいです」
「あ、え」
今度は私が固まる番だった。男の子が差し出した右手には、一万円札が三枚握られていた。
「……今晩だけ、家に泊めさせてください。それだけでいいです。朝には出ていきますから」
大人びている声とは裏腹に、顔を伏せながら話す姿は年相応に見えた。警察沙汰にしたくないのは私も一緒だが、異質な雰囲気がそれを拒んでくる。
「……えっと、こんなもの受け取れないよ」そっと、男の子の右手を押し返す。
「俺、まじで何もしません。ほんとに誓って、だからお願いします」
俯いた顔からは表情は読み取れなかった。きっとこの子は、私が女だから、男の子であるこの子の頼みを断っているのだと思っているのだろう。
でも、違う。私が渋っている本当の理由は――。
嫌でも目に入る右頬のガーゼ、ドアスコープからは見えなかった首元の痣、鼻の下に付いている血の跡が、この子の願いを受理しろと訴えかけてくる。
「はぁ……」
「え、良いですか」
私の溜息が、了承を意味するものだと伝わったらしい。
「泊まるのはいいけど……事情は教えて、欲しいかな」
「……」
また、黙ってしまった。事情を教えて欲しいとは言ったが、実際、だいたいの検討は付いていた。体中の痛々しい細かい傷に、制服姿。家族と喧嘩でもして家出をしたのだろう。
「とりあえず、入っていいよ。部屋凄い汚いけど、気にしないで」
*
「ごめん、うちソファーとか無いから、床に直で座る感じになるかも」
「いや、全然大丈夫っす。ここら辺に座りますね」
「うん」
友達もいなければ、家族とも疎遠な私の家には家具がほとんどない。ゲームをするためのテレビモニターは床に直置きだし、食事をするためのテーブルは引っ越しで使った段ボールをそのまま再利用している。
久しぶりの来客に何かもてなそうとでも思ったが、生憎、客人に出せるような品物は無かった。
「ええっと、コンビニで何か買ってくるから食べたい物とか飲みたい物、ある?」
「え、買ってくれるんですか。申し訳ないんで、大丈夫ですよ」
「いや、遠慮は大丈夫だよ。それに私まだ夜ご飯食べてないの、行くついでだから、本当に遠慮しないで」
「なら、俺も一緒にいきましょうか?おねーさん的に、男一人を家に残したくないですよね」
人は見かけに寄らないというものだが、想像の何倍以上にしっかりとした子だな。
「君がそれで良いならいいよ」
「じゃ、行きます」
「なら少し待ってて」
財布が入っているバックを探すために、空き缶の山を掻き分ける。カラコロと愉快な音が部屋中に響く。二つ目の山を探している途中で漸く目当ての物が見つかった。
「あった。よし、行こ」
人の隣を歩くのは何時ぶりだろうか。一週間ぶりの外出が男子学生と一緒だなんて思いもしなかった。外の空気は相変わらず冷たく、肌を裂いてくるようだった。でも、案外悪くない。
だけど、短パンはちょっとミスったな。
隣の男の子の姿に目をやると、どうやら私と同じく寒いらしい。身震いをして、時折手をさすっている。はぁっと、息を手にかける姿をじっと見る。
「寒い?」
「寒い……すね。おねーさんは寒くないんですか」
「いや、めっちゃ寒いよ」
「……」
会話、続かないな。
まあでも、今晩だけの関係だ。無理に仲良くしなくても良いだろう。無理して会話をすることほど辛いことは無い。そう思って、無心に足を動かす。
五分ぐらい経っただろうか、赤信号に足をせき止められていると唐突に男の子が静寂を破った。
「名前……なんて言うんですか」
私に顔も向けず、前を見ながら聞いてくる。
「……リョウハ。君こそ名前は?」
「イツキ」赤信号が青へと切り替わって、また足を動かす。
「イツキ君って呼んで良い?」
「……はい。なら俺はリョウハさんで」
「別にさん付けしなくて良いよ」
「いや、だってどう見たって年上だし……」
「イツキ君は高校生?」
「高三です」
「なら、私と二歳差だ。私二十歳だから」
「やっぱり」
「まぁ、好きに呼んで。あんま気にしてないから」
会話が一区切りつくと、また辺りに静寂が戻った。イツキ君と私の足音がザッザっと辺りに響く。風も先程より強くなっている気がする。
コンビニで、缶コーヒーでも買って帰ろう。今日は寒すぎた。
そんなことを考えているうちに、既にコンビニの前まで着いていた。ガラス張りの建物から漏れ出す光は、温かさを感じてしまうぐらいに明るかった。軽快な入店音と共に、ホットスナックを揚げるための油の匂いが私達を包み込んだ。
「何、食べる?」
「おにぎりとかでいいっすよ」
ホットスナックの保温棚を見ながら言う。
「寒いから、温かいの食べなよ」
「……じゃあ、おでんが良いかも」
「うん、わかった。そうだ、イツキ君はコーヒー飲める?」
「飲めなくは……ないけど……」
「飲めないんだ」
「え、違、いや、まじで飲めないとかじゃなくてっ」
「飲めないならミルクティーでも買おっか」
こんなに慌てるとは思わなくて、少しだけ笑みが零れてしまう。容姿にそぐわない味の好みに、やっぱり子どもなんだなと感じる。
「いや、俺、缶コーヒーで良いです」
「んふふ」
「何笑ってるんすか」更に怪訝な顔つきになる。
寒さで鼻水をズルズルとさせながらそんな顔をするものだから、また笑ってしまう。
多分こういうの、深夜テンションって言うんだろうな。
人と話すのが余りにも久しいから、気分が高揚しているのだろう。少しだけ、この子と話すのが楽しいと感じてしまった。だから、普段は絶対に、踏み込まない領域にも足を突っ込んでしまった。
「……イツキ君は、どうしてこんな時間に私の家を訪ねて来たの?」
「……」今度は目が合った。
でも、問いに対する答えは返ってこなかった。
そこで漸くイツキ君の顔が変わったことに気が付いた。
あ、その顔知ってる。どうでも良さそうな顔。人生に絶望してる顔。
「あ……ごめん、言いたくなかったら大丈夫」
そう言って、私はそそくさとその場から離れた。逃げるように、買い物かごに食べ物を投げ込んでレジへと向かう。
踏み込んじゃいけなかった。そう、自分が一番分かってるのに。なのに、聞いてしまった。
自責をしながら会計されていく商品をボーっと見る。どうやら、イツキ君は先に外へと出ていて、コンビニの前で私を待っている様だ。
帰り、気まずくなるだろうな。どうしよ。
先への不安を募らせながら、私はレジを後にした。
自動ドアから冷たい空気が流れ込んできて、入店した時と同じように軽快な音が頭上で鳴り響いた。
「……買い終わったから、行こ……っか」
風がまたボワッと吹いて、私の髪を巻き上げる。辺りには人一人と居なくて、まるで、たった今、世界で私とイツキ君しかいないみたいだった。
「……海。」
ポツリと言葉を零す。
「死ぬ前に、朝焼けの海が……見たくなって、朝まで泊まれるとこ探してた」
先程の私の質問に対しての返答なのだろう。でも、思いもしない答えに声が出なかった。
「ほら、ここらへんって海が近いでしょ。でも、ホテル無いし、近くに交番あるから。高校生の俺が朝から浜辺歩いてたら通報されそうだし」
誰に向けた言葉なのだろう。虚空に向けてポツポツと言葉を零す。
「死ぬの……?イツキ君は」
へばりついた喉の奥を無理やりこじ開けて、聞いてみる。聞かないといけない気がした。
「死にたくなったから。俺、死にたいんです」
そう言ったイツキ君の顔は、不気味なまでに穏やかな笑顔をしていた。
まずは、作品を読んでくださってありがとうございます。
長くて、拙い文章ではありますがどうか第二話も引き続きよろしくお願いいたします。
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これを読んでいる全ての皆様が、幸せでありますように。
それでは、脊作でした。




