十六時のささやき、奇跡の始まり
午後四時。屋敷中に設置された木箱型ラジオから、微かな「ざわめき」のような音が響き始めた。それは、アリアが魔力を込めて送信機を起動させた証だった。屋敷の誰もが経験したことのない、不思議な現象。
まず、その変化に気づいたのは、控えの間にいた老メイドのマリアだった。ちょうどお茶を淹れ、一息つこうとしていた時だった。棚に置かれた小さな木箱から、かすかな音と共に、聞き覚えのある声が聞こえてきたのだ。
「……皆様、こんにちは」
その声は、控えめながらも澄んでいて、マリアは思わず持っていたカップを置いた。
「あら、これは……アリア様?」
マリアは驚きながらも、すぐに納得した。昨日、アリアが「お話しを聞いていただくための大切な箱」だと言って置いていったことを思い出したのだ。
「アリア様が、こんなことを……まあ、なんて可愛らしいことを」
マリアの口元には、優しい笑みが浮かんだ。いつものお嬢様の、少しだけどもったいない、優しい心遣いが感じられた。
厨房では、グレゴリオが夕食の準備で忙しく手を動かしていた。肉を叩く音や、野菜を切る音に紛れて、厨房の隅に置かれた木箱から、微かに声が聞こえてきた。
「……森の奥深く、小さな村がありました。その村には、困っている人々を助ける、心優しい妖精が住んでいました……」
それは、昨日アリアが話を聞いていった、あの森の妖精の民話だった。グレゴリオは、最初は「また変な音がしているな」と訝しんだが、その声がアリアのものであること、そして語られる物語が、どこか懐かしい響きを持っていることに気づいた。
彼は無骨な手つきで包丁を置き、しばし木箱に耳を傾けた。
「へえ、あの箱は、こんなことができるのかい。あの嬢ちゃんが、こんなことをね……」
ぶっきらぼうな口調とは裏腹に、グレゴリオの表情は、どこか穏やかだった。料理の手を休めるのは珍しいことだったが、アリアの語る物語は、忙しない厨房に、一服の清涼剤のような安らぎをもたらした。
広間で掃除をしていた若メイドのエミーリアは、突然聞こえてきたアリアの声に、目を丸くした。
「きゃっ!アリア様の声!まさか、昨日置いていった箱が、こんなことに使えるなんて!」
エミーリアは興奮気味に、同僚のメイドに駆け寄った。
「見て見て!アリア様が、箱からお話ししてるわ!これって、もしかして、アリア様が言ってた『放送』ってやつ!?」
好奇心旺盛な彼女は、すぐにその魔法の「箱」の意図を理解し、その奇妙さに胸を躍らせた。アリアの語る物語は、彼女にとって、単なるお話ではなく、新しい世界の扉を開くような、刺激的な響きを持っていた。
書斎で書類に目を通していた父アレクサンダーは、突然響き渡った娘の声に、一瞬眉をひそめた。
「アリア……!」
彼は、娘に「家の中なら」と条件をつけたことを思い出し、やや不機嫌な顔で木箱に視線を向けた。しかし、語られる森の妖精の物語と、その後に続く、リンドバーグ家に伝わる懐かしい祭りの歌を聴くうちに、彼の表情は和らいでいった。
「ふむ……このような使い方をするとはな。だが……悪くない」
アレクサンダーは、渋々といった表情ながらも、どこか満足げに呟いた。厳格な彼も、娘が家族のために心を砕いていることを感じ取ったのだ。
その頃、自室で読書をしていたセレスティは、アリアの声が聞こえてきた瞬間、優しく微笑んだ。彼女は、アリアの緊張や不安を昨日の相談で知っていたからこそ、その一言一言に、妹の勇気と努力を感じ取っていた。
「アリア……よく頑張ったわね」
セレスティは、そっと木箱に手を触れ、目を閉じた。アリアの歌声は、彼女の心に温かく響き渡り、まるで妹がすぐ隣にいるかのような心地よさを与えた。
こうして、リンドバーグ家の午後四時は、アリアの「家内放送」という、ささやかな奇跡の音色で彩られ始めた。最初は皆、その不思議な現象に驚きつつも、アリアの純粋な心遣いと、その声が届ける温かさに、それぞれの場所で、ほんのりと心が和んでいくのを感じていた。屋敷の日常に、新しい「希望の音色」が、確かに芽生え始めていたのである。




