不思議な箱と、動き出した足音
父アレクサンダーから「家の中なら」という条件付きの黙認を得たアリアは、歓喜に震えた。家中のすべての部屋に、自分の「声」を届けることができる。それは、前世で愛したラジオが持つ「空間を越えて繋がる力」を、この世界で実現する第一歩だった。ポルンと共に森で採掘した響鳴石を使い、アリアは夜なべして部屋用の受信機を制作した。どれも手のひらに乗るほどの、飾り気のない小さな木箱だが、その中には彼女の魔力と情熱が詰まっている。
翌朝、アリアは意を決して、受信機を手に家の中を回り始めた。普段は自室にこもり、家族以外の使用人たちとは最低限の挨拶しか交わさないアリアにとって、これは大きな一歩だった。内気な彼女の心臓は、ドクドクと音を立てる。それでも、この木箱たちが多くの人々の心を繋ぐ希望の音色になる、という確信が彼女の背中を押した。
まず向かったのは、使用人たちが集う控えの間だった。古くからリンドバーグ家に仕える老メイドのマリアは、アリアが両手に木箱を抱えて現れたことに目を丸くした。
「アリア様?一体何をなさっているのですか、その不思議な箱は?」
マリアが優しく尋ねると、アリアは少し頬を染めながら答えた。
「これは……あの、皆さんに、私の、お話しを聞いていただくための、大切な箱です」
言葉はどもりがちだったが、その瞳には強い光が宿っていた。マリアは普段の引っ込み思案なアリアからは想像もつかないその言葉に驚きつつも、ふわりと温かい笑みを浮かべた。
「まあ、アリア様がそんなに一生懸命なら、きっと素敵なものでしょうね。どうぞ、この棚に置いてくださいな」
次にアリアが向かったのは、厨房だった。料理人のグレゴリオは、朝食の準備に忙しく包丁を動かしていた。アリアがそっと厨房の入り口に立つと、グレゴリオはちらりと視線を向け、太い眉をわずかに上げた。
「お嬢様がこんなところに珍しい。何か御用ですかい?」
彼の声はぶっきらぼうだが、その目はどこか好奇心を帯びていた。アリアは再び、小さな声で木箱の説明をすると、グレゴリオは腕を組み、しばらく木箱を眺めた。
彼は「ふん、まあ邪魔にならねえところに置いとけ」とだけ言って、また調理に戻ったが、その表情には微かな興味が浮かんでいた。
広間や応接間、そして客間にも木箱を設置していったアリアの姿は、家の中をきびきびと動く若メイドのエミーリアの目に留まった。エミーリアは、アリアがいつもより活発に、そして楽しそうにしていることに気づき、驚きを隠せない。
「アリア様、何か面白いことでも見つけられたのでしょうか?あの木箱、一体何なんでしょう?」
エミーリアは友人のメイドにひそひそと囁いた。
「普段はほとんどお部屋から出てこられないのに、今日は随分とあちこち回っていらっしゃるわね。もしかして、新しい魔法の道具かしら?」
彼女は好奇心旺盛な性格も相まって、アリアの行動に胸を躍らせていた。
裏庭で熱心に花の手入れをしていた庭師のフィンは、窓越しにアリアが書斎に木箱を置いていくのを目にした。彼は無言でその様子を追ったが、その口元にはわずかに笑みが浮かんでいた。いつも物静かで、時に影のようだったリンドバーグ家のお嬢様が、今日はどこか輝いて見える。小さな木箱の秘密は分からずとも、その変化はフィンの心にも穏やかな喜びをもたらした。
アリアは、セレスティとレオの部屋にも、それぞれの受信機を丁寧に置いた。レオの部屋では、彼に罵られた記憶が蘇り、一瞬心が竦んだが、「いつか、この魔法で兄の心にも響かせてみせる」という決意が彼女を奮い立たせた。
すべての部屋への設置を終え、自室に戻ったアリアは、疲労と共に大きな達成感に包まれていた。内気な自分が、こんなにも家の中を歩き回り、使用人たちと顔を合わせ、言葉を交わした。彼女の「声聞魔法」は、まだ「家の中」という限られた範囲ではあるが、確かに世界へと広がる一歩を踏み出したのだ。
家中の使用人たちは、その日、普段と違うアリアの姿に、漠然とした温かさを感じていた。あの、いつも部屋にこもりきりで、どこか寂しげだった「落ちこぼれのお嬢様」が、今日は、まるで未来を見据えるかのように、堂々と家の中を歩いていた。彼らはまだ、その小さな木箱が、これからこの家中に、そしてやがて世界中に、どれほどの「希望の音色」を響かせることになるのかを知る由もなかった。しかし、その日のアリアの活発な足音と、彼女が置いていった不思議な木箱は、リンドバーグ家に新しい物語が始まる予感を、確かに宿していたのである。




