黒髪と深紅の瞳、魔力なき少女
私の名前は、アリア・リンドバーグ。
そう、前世の最期に思い出した、この世界の名前だった。リンドバーグ家は、由緒正しい魔法使いの家系として知られ、代々強力な魔力を持つ者を輩出してきた。
けれど、生まれたときから、私はこの家にとって「異物」だった。
「アリアは、また魔法の訓練をサボっているのかい?」
背後から聞こえる、冷たい、しかしどこか諦めを含んだ母の声。私はびくりと肩を震わせ、庭の隅に隠していた古ぼけた絵本から顔を上げた。
夕暮れ時、庭には訓練を終えたばかりの兄と姉が、それぞれ輝かしい光を纏いながら家路についていた。彼らの周囲には、魔力の残り香が煌めいている。
兄のレオは、年齢を重ねるごとにその魔力は強大になり、将来はリンドバーグ家を背負って立つと目されている。
姉のセレスティもまた、繊細な魔力操作に長け、華麗な癒しの魔法を得意としていた。二人は、この世界の魔法使いの誰もが憧れる、金色の髪に青い瞳を持つ、まさに「絵に描いたような魔法使い」だ。
そして、私。
私はこの世界では珍しい、漆黒の髪に、燃えるような深紅の瞳を持っていた。
その異質な外見は、ただでさえ平均以下の魔力量というコンプレックスを、さらに際立たせる要因となっていた。
家族が、私を「リンドバーグの落ちこぼれ」と見なしていることを、幼いながらも敏感に感じ取っていた。
今日もまた、両親からはため息をつかれ、兄姉からは憐れむような視線が向けられる。
「どうしてアリアは、もう少し頑張ろうとしないんだ?」そう言われるたびに、胸の奥が締め付けられるような痛みが走る。
頑張っても、頑張っても、彼らのようにはなれない。微々たる魔力を絞り出しても、手のひらで小さな光の粒をいくつか出すのが精一杯。
(どうして私だけ、こんなに……)
そんな時、ふと前世の記憶が、私の心に温かい光を灯す。深夜ラジオ。あの、誰かの「声」が、遠くまで届き、多くの人々に寄り添っていた温かい空間。
「『今夜も、お聴きいただきありがとうございます。この後も、素敵な夜をお過ごしください』……」
私は、絵本の代わりに持ち歩いている小さなノートの隅に、記憶を頼りに「ラジオ」という文字を書きなぐった。
この世界にはない、不思議な音の箱。その存在を、誰にも話せない。話したところで、理解されるはずがない。
でも、私には、私だけの「秘密」があった。
前世の記憶がくれた、この世界の常識に囚われない、柔軟な思考。
それが、この「落ちこぼれ」のアリアに、いつか大きな力となってくれることを、幼い私はまだ知る由もなかった。
窓の外では、夜の帳が降り、小さな星たちが瞬き始めていた。暗闇の中、私の深紅の瞳だけが、静かに、しかし力強く輝いていた。