怒れる妖精、カラスの威嚇
セレスティの傷ついた姿を目の当たりにしたアリアは、人だかりをかき分けて姉のもとへと駆け寄った。レオ兄様は、悔しさに顔を歪ませながらも、何もできずに立ち尽くしている。
「お姉様!どうしたのですか!」
アリアは、セレスティの手を強く握りしめた。セレスティの心からは、深い悲しみと屈辱が、まるで濁流のようにアリアの心に流れ込んでくる。
その時、勝ち誇ったような笑みを浮かべて立ち去ろうとしていたセリーナ・ブライアウッドが、アリアの姿を目にした。彼女は、アリアが「特別研究科生」として王家から特別な待遇を受けていることは知っていたが、貴族院の公式な場には滅多に顔を出さない「黒髪の妖精」が、こんなところに現れたことに驚きを隠せない。
「あら、噂の『黒髪の妖精』様がいらっしゃるとは。貴女も、姉と同じように、私の言葉が気に障ったとでも?」
セリーナの言葉には、アリアへの侮蔑と、嘲りの色が込められていた。彼女は、アリアが「落ちこぼれ」であるという認識を、まだ捨てていなかった。
アリアは、セリーナのその言葉に、胸の奥底から怒りが込み上げてくるのを感じた。セレスティ姉様を、こんなにも傷つけ、しかもこの期に及んで蔑むような言葉を吐く。
「あなた!お姉様を、これ以上傷つけないでください!」
アリアは、普段の控えめな姿からは想像もつかないほど、強い口調でセリーナに詰め寄った。その瞳は、怒りに燃えるルビーのように輝いている。アリアの「声聞魔法」は、周囲の魔力の微細な揺らぎを敏感に感じ取る。セリーナの心の中にある、嫉妬と傲慢な魔力の波長が、アリアの怒りをさらに煽った。
セリーナは、アリアの言葉と、その真っ赤な瞳に、一瞬たじろいだ。しかし、すぐに冷たい笑みを浮かべた。
「なんですの?辺境の騎士爵家の娘が、公爵家の私に指図するつもりかしら?身分を弁えなさい、アリア・リンドバーグ。貴女も、所詮は『落ちこぼれ』の妹ではないの」
セリーナの言葉は、アリアの逆鱗に触れた。彼女は、自分のコンプレックスを嘲笑されることよりも、大切な姉が傷つけられ、しかも侮蔑されることに、激しい怒りを感じた。アリアの体から、無意識のうちに、ごく微量の魔力が放出される。
その瞬間、アリアの周りに集まっていた小鳥たちが、一斉にざわめき始めた。彼らは、アリアの怒りの感情と、放出された魔力に呼応し、不安げに飛び交う。
そして、貴族院の上空を旋回していたカラスの群れが、アリアの怒りを感じ取ったかのように、一斉に中庭へと舞い降りてきた。彼らは、まるでアリアを守るかのように、セリーナの頭上を大きく旋回し、けたたましい鳴き声で威嚇し始めたのだ。
「カアアアアアア!」
「カアア!カアアア!」
カラスたちの鋭い鳴き声が、貴族院の中庭に響き渡る。その数は、数十羽、いや数百羽にも及ぶだろうか。漆黒の翼が空を覆い、その威圧的な姿は、セリーナの心を恐怖で支配した。
「ひっ……!な、何なのよ、これは!」
セリーナは、恐怖に顔を歪ませ、悲鳴を上げた。彼女は、必死にカラスたちから逃れようと、中庭を走り出した。カラスたちは、セリーナを追うように、彼女の頭上を低く飛び回り、その鋭い嘴で彼女の髪や肩をかすめる。セリーナは、もはや貴族としての矜持も忘れ、醜い悲鳴を上げながら、必死に逃げ惑った。
その光景を目の当たりにした周囲の生徒たちは、驚愕のあまり、言葉を失っていた。
「あれは……!アリア・リンドバーグ様が、カラスたちを……!」
「まさか……本当に『黒髪の妖精』が、怒ったのか……!」
「カラスの王だ!あのリンドバーグの妹君は、本当にカラスの王を従えているのだ!」
誰かが、そう叫んだ。その言葉は、瞬く間に周囲に広がり、多くの生徒たちが、アリアを「カラスの王」と見なすようになった。「黒髪の妖精」という伝説に、「カラスの王」という新たな呼び名が加わったのだ。
レオは、その光景を呆然と見つめていた。妹アリアが、怒りに身を震わせ、その怒りに呼応して、無数のカラスがセリーナを威嚇する。その力は、レオの知る攻撃魔法とは全く異なる、根源的な、そして圧倒的な「支配」の力だった。
セレスティは、アリアの隣で、妹の持つ計り知れない力に、驚きと、そして深い愛情を抱いていた。アリアの怒りは、自分のために発されたもの。その事実が、セレスティの心を温かく包み込んだ。
貴族院の中庭は、アリアの怒りと、カラスたちの威嚇で、異様な空気に包まれていた。アリアの「声聞魔法」は、単なる情報伝達の手段ではなく、自然界の生命を従え、怒りを表現する、恐るべき力であることを示した。そして、この騒動は、アリアの「黒髪の妖精伝説」を、貴族院の歴史に、深く、そして永遠に刻み込むことになったのである。




