父の視線、沈黙の承認
レオが貴族院に入学し、セレスティがアリアの味方となってくれたことで、アリアの研究は加速していった。響鳴石をさらに改良し、木箱型ラジオの構造も洗練させた。以前は断片的にしか届かなかった歌声や物語が、今ではアリアの部屋から、姉の部屋まで明確な「波紋」として届くようになっていた。
(よし、今日はもっと集中して……!)
アリアは、自室の机で木箱型ラジオを前に、心を躍らせていた。ポルンは、アリアの頭上で、嬉しそうに羽を広げている。今日の実験は、、彼女が作った短い物語を姉の部屋に届けることだ。
もし成功すれば、今後、送信機から受信機への長文を届ける事で遠くの村にまで「話」を届ける可能性が見えてくる。
アリアは、深く息を吸い込み、木箱に向かって語り始めた。
「……昔々、ある森の奥に、一匹の白いフクロウがいました。そのフクロウは、とても賢く、空から世界中の不思議な出来事を見ていましたとさ……」
アリアの優しい声が、木箱から共鳴音とともに部屋中に広がり、壁を抜けて、姉の部屋へと向かっていく。
彼女は、ごく微量の魔力を、波紋のように広がる「声」に集中させる。魔力の消費はわずかだが、集中力は極限まで高められていた。
その頃、父のアレクサンダー・リンドバーグは、書斎で家系の魔導書を読み解いていた。彼は、生真面目で伝統を重んじる魔法使いだ。彼の魔法は力強く、正確で、アリアのような「異質な」存在は、彼の理解の範疇を超えていた。
しかし、その日、書斎の窓から入ってくる風に乗って、微かな「声」が聞こえた気がした。
「……賢く、空から世界中の不思議な出来事を……」
最初は、どこかの使用人の独り言か、風のいたずらだと思った。だが、耳を澄ませると、それは明らかに、幼い娘の声のように聞こえる。そして、何よりも奇妙なのは、その声が、まるで遠くから聞こえてくるのに、すぐ近くにいるような、不思議な響きを持っていたことだ。
(アリアの声……? まさか……)
アレクサンダーは、書斎を出て、音のする方へと向かった。それは、アリアの部屋がある階の上だった。階段をゆっくりと上がっていくと、その声は徐々に明瞭になっていく。
「……見ていましたとさ……」
間違いなく、アリアの声だ。しかし、彼女の部屋から聞こえてくるはずのない、不思議な「響き」を伴っている。
アレクサンダーは、アリアの部屋のドアの前で立ち止まった。ドアは、わずかに開いていた。その隙間から覗き込むと、彼の目に飛び込んできたのは、机に置かれた奇妙な木箱に語りかけるアリアの姿、そして彼女の肩に止まる、白いメンフクロウのポルンだった。
(あれは……なんだ? 一体、何を……)
アレクサンダーの眉間に深い皺が寄った。彼の頭の中は、疑問符でいっぱいだ。これまで見たこともない形状の魔道具。そして、まるでその箱が声を発しているかのような、奇妙な現象。
彼は、静かにドアを開けた。
「アリア」
その声は、重く、そして低く響いた。アリアは、父の突然の出現に、びくりと肩を震わせた。彼女の顔色は、みるみるうちに青ざめていく。ポルンも、アレクサンダーの放つ威圧感に怯え、アリアの肩に深く身を寄せた。
「お、お父様……」
アリアは、慌てて木箱を隠そうとしたが、時すでに遅しだった。アレクサンダーの視線は、机の上の木箱に釘付けになっている。
「それは、一体なんだ? お前、また奇妙なことを……」
アレクサンダーは、一歩、また一歩とアリアに近づいた。その表情には、怒り、困惑、そして理解不能なものへの強い警戒心が入り混じっていた。
「そして、その声は、どこから聞こえてくる? まるで、部屋中からお前の声がしているようだったが……」
アリアは、恐怖で言葉を失った。この魔法のことを、父に知られてしまえば……。彼は、自分の魔法を「異端」と断じ、二度と研究を許さないかもしれない。いや、それどころか、木箱を壊され、ポルンまで……。
その時だった。
「お父様!」
部屋に、セレスティの声が響いた。彼女は、騒ぎを聞きつけ、駆けつけてきたのだ。レオがいなくなった後、アリアに何かあればと、いつも気を配っていた。セレスティは、アレクサンダーとアリアの間に割って入り、アリアを庇うように立った。
「お父様、どうか、落ち着いてください。アリアは、ただ、少し変わった魔法の練習をしていただけです。危険なものではありません!」
「変わった魔法だと!? セレスティ、お前は以前から、この娘の奇妙な行動を庇っているようだが、これは正気の沙汰ではない! このような未曾有の魔道具、そして、空間に声を響かせるなど……!」
アレクサンダーは、苛立ちを隠せない。彼の常識と、アリアのやっていることがあまりにもかけ離れすぎていた。
「お父様。確かに、アリアの魔法は、私たちの知る常識的な魔法とは異なります。ですが、これは、アリア自身の魔力の特性を最大限に活かした、非常に繊細な魔法なのです」
セレスティは、必死に父に訴えかけた。
「そして、この木箱は、アリアの魔力を増幅し、遠くまで声を届けるための……『媒介』です。破壊的な力は一切ありません。むしろ、癒しや情報伝達のために使える、可能性を秘めたものなのです!」
セレスティは、以前レオに語ったのと同じ理屈で、アレクサンダーを説得しようとした。彼女は、アリアの魔法が、決して「異端」や「危険」なものではないと、必死に伝えようとした。
アレクサンダーは、セレスティの言葉に耳を傾けながら、木箱に視線を向けた。破壊的な魔力の気配は、確かに感じられない。しかし、彼の理解の範疇を超えた現象であることは明白だった。
「……癒しや情報伝達、だと? そんなものが、この娘の、あの微弱な魔力で可能なのか?」
アレクサンダーは、疑わしげな表情を浮かべた。その言葉は、アリアの魔力不足への皮肉を含んでいた。
「はい、お父様。それが、この魔法の、最も素晴らしい点なのです。アリアの魔力の特性だからこそ、可能な魔法なんです!」
セレスティは、アリアの魔法が「落ちこぼれ」ではない、むしろ「唯一無二」であることを懸命に伝えようとした。
アレクサンダーは、しばらくの間、アリアと木箱、そしてセレスティの顔を交互に見た。彼の頭の中では、伝統と常識、そして目の前の奇妙な現実が葛藤している。しかし、セレスティの真剣な眼差しと、アリアの怯えきった様子を見て、彼の心に、わずかながらも変化が生まれた。
「……よかろう」
沈黙の後、アレクサンダーは、低い声でそう言った。アリアとセレスティは、その言葉に息を呑んだ。
「その『木箱』とやらで、家や家族に害をなすようなことだけはするな。そして、この『奇妙な魔法』のことは、決して外部に漏らすな。特に、王都の貴族院にいるレオには、決して話してはならない。家の名に傷をつけるようなことがあれば、その時は……」
アレクサンダーの言葉は、そこで途切れたが、その目はアリアに強い警告を含んでいた。彼は、完全には理解も承認もしていない。しかし、セレスティの説得と、彼の家への配慮が、アリアの研究を完全に禁じることを躊躇わせたのだ。




